第10話 小動物みたいで可愛い
「お、お部屋は二階にあります……」
挨拶もそこそこに宇津田さんは珠江ちゃんに私を部屋まで案内するように言った。洋館内には空き室がたくさんあるそうで、そのうちの一つを使ってもいいそうだ。現在の時刻は十八時なので、とりあえず今日は部屋でゆっくり休んで明日色々と考えようと言われた。 亡者のことや、珠江ちゃんが生きていることだとか、聞きたいことはいっぱいあるのに、宇津田さんからは「ぼくはやることたくさんで忙しいんだ。珠江ちゃんに聞いてね」と病室から追い出された。
珠江ちゃんを先頭に私は廊下を歩いている。窓ガラスの外はやっぱり赤黒い空が広がっていた。私の世界には存在しない光景だ。
「一階は……食堂があったり……図書室があったり……あとはそのぅ……色々あったりします……」
オドオドした様子で一生懸命に話しかけてくれる珠江ちゃん。それは私が廃屋で会った足摺珠江の姿で間違いない。どうして彼女が生きているのだろうか。
宇津田さんは私が見たものが現実だと言った。私の現実では珠江ちゃんは死んだ。もしも、珠江ちゃんが生きているのだとしたら私は現実そのものを疑わないといけなくなってしまう。現実を疑ってしまえば、何が本当で何が嘘なのか分からない。
「ど、どうかしましたか……?」
私が返事をしないせいか、前を歩いていた珠江ちゃんが足を止めて振り返った。
「どうもしてないよ……」
「う、嘘ですよぅ……。結乃お姉様は悩んでるお顔をされてます……」
何でもないってば、とぶっきらぼうにこたえようとして口をつぐんだ。
珠江ちゃんは今にも泣きそうな目をして私を見上げていた。
「珠江は……結乃お姉様のお役にたちたいのです……」
どうして私のことを案じてくれるのか、お姉様なんて慕わしげに呼ぶのか、理由は分からない。けれど、珠江ちゃんは瞳を潤ませて、私の力になりたいのだと強く訴えかけていた。
それに対して嘘を吐くことは憚れるし、騙しているようで罪悪感を覚えそうだった。
とはいえ、「珠江ちゃんってこの前死んだよねー」と昨日のドラマの感想でも言うかのように軽く切り出せる勇気もない。
「洋館にいた亡者ってどうなっているの……?」
嘘ではなく、二番目に気になっていたことを口に出した。 珠江ちゃんと雫喜を咬み殺し、私を襲ってきた緑色のワイシャツの亡者。それからスーツの亡者。あとは珠江ちゃん自身も亡者になっていた。
「ええっと、それは……」
珠江ちゃんはあたふたと困ったように手を胸の前で動かした。
「外には……亡者、はいます。ですが、この洋館にはいないので安心して欲しいです」
「いないってどういうこと……」
「そ、それは……ええっと、そのその……説明が、しにくく……」
だんだんと語尾が小さくなっていく。答えたくないわけではなく、どう伝えたものかと言葉を探しているようだ。そこで珠江ちゃんが言いづらそうにしている理由を悟った。
「洋館の中の亡者は殺したの……?」
「――はぅ!?」
「そうなんでしょう?」
珠江ちゃんはオドオドしながらも首を縦に振った。
「結乃お姉様の言う通りです……」
「それなら安全かな……」
ひとまず洋館内に危険はないようで安心する。
まあ、珠江ちゃんの警戒心のなさを見れば、洋館内に亡者がいないのは明らかだ。亡者がどこかに潜んでいるとなれば、こんなに気の抜けた表情は出来ないはずだ。
「そ、そんなことよりも、結乃お姉様」
亡者のことをそんなこと呼ばわりする珠江ちゃんにある意味、尊敬の念を抱いたが、私は黙って次の言葉を待った。
「結乃お姉様の好きな食べ物は何ですか……?」
「は、はあ……」
私はあまりにも見当違いの質問に戸惑った。それは今このタイミングで訊かなくてはならないことなのか。
「あうあう、ごめんなさい……訊いたらダメでしたら、聞こえなかったフリをしてください……」
「いや、それは無理……もう聞こえてるし……」
「ごめんなさい……」
「別に謝らなくても……」
呆気にとられただけで、好きな食べ物を答えるくらいは構わない。
「私の好きな食べ物は玉子焼き。ああ、それも砂糖の玉子焼きじゃないよ。塩コショウとマヨネーズ入れた玉子焼き。とっても美味しいの」
「へ、へえー、そうなんですか……」
また、だんだんと語尾が小さくなっていた。今度は変な食べ方だとドン引きしてのことだった。
「めちゃくちゃ美味いんだって!」
「た、珠江は砂糖をたくさん入れた玉子焼きしか食べたことないのです……」
「私も砂糖を入れた玉子焼きは食べたことあるけど、絶対塩コショウとマヨネーズの玉子焼きの方が美味しいよ」
お母さんは甘い味が嫌いで玉子焼きに砂糖を入れることを拒んでいた。そのせいで塩コショウとマヨネーズの玉子焼きだった。お弁当に入れられる玉子焼きも勿論、塩コショウとマヨネーズの玉子焼きだった。
小さい頃の私はそんなことは知らずに、玉子焼きとはそんな味だと思い込んでいた。
「わ、分かりました……。ありがとうございます。よおし、頑張るぞー」
私の方はお礼を言われることも、珠江ちゃんがこれから何を頑張ろうとしているのかも分からない。
「珠江、頑張りますね!」
「うん、頑張ってね……」
「はい!」
私の気の抜けた返事にも珠江ちゃんは元気よく返事を返した。嬉しそうに半回転して、再び進み始める。
「――そうだ」
珠江ちゃんには訊かなければいけないことがたくさんある。玉子焼きに入れる調味料の話をしている場合じゃない。
廊下の終わりにあるドアの先はホールに続いていた。中央に位置する大きな階段には見覚えがある。
「珠江ちゃん、その……私は見たの」
「何をですか?」
「えっと、それは、その珠江ちゃんが亡者に食べられるところなの。たくさん血が出てて、お腹は空っぽになって、その、死んでたの」
珠江ちゃんは階段をのぼる足を止めて、また私へと向き直った。
頬をぺたぺたと確かめるように触り、胸とお腹をさわさわと両手でさする。手や腕、腿や脚を一通り眺めて尋ねた。
「珠江は死んでいないですよ」
「うん、そうだよね……珠江ちゃんは死んでなんかいない……生きてる……」
「そうですよ、結乃お姉様。珠江は生きているのです」
「ごめんね、変なことを訊いちゃって……」
気にしてないです、と珠江ちゃんは再び階段をのぼろうとして足を止めた。俯いていた私も顔を上げて、階段の先に立っている人物を見て息をのんだ。
全身を覆う黒いドレス。一般的にはゴスロリと呼ばれるような服だけれど、私には死者を悼む喪服のように見えた。濁った亡者のような目を私に向ける。
「あらあら、お目覚めのようですね」
「雫喜怜美さん……」
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