第7話 あなたは味方?
「――――――あっ!」
珠江ちゃんのことを考えすぎていたせいか、ホールにいた人物を一瞬、亡者と見間違ってしまった。
全身を包む喪服のように黒いフリルのついたドレス。伸びるがままに任せたような、ぼさぼさの長髪は傷んだような白色をしていた。病的に血の気のない青白い肌は幽霊のようで、死人のようにも見えた。
「…………」
白髪の女の子はホールに入ってきた私に目をやった。その眼は濁っていて光がなく、私は胸の鼓動が早くなるのを感じた。亡者ではないけれど、危ない人間なのかもしれない。
ほんの数秒ほど私を見つめたかと思うと、視線を落とした。
「はあ……」
小さく溜息をついて、そのまま私とは反対側の――赤い扉へと向かって行った。足取りは鉛のように重い。
その異様な姿と一連の行動に私は身動きが取れなかった。彼女が扉の奥に消えそうになってハッとする。
「ま、待って!」
彼女はこの洋館について何か知っているかもしれないし、千佳とも会ったかもしれない。どちらでもなかったとしても彼女は生きた人間だ。
一人でいるのがたまらなく怖かった。誰でもいいから、私と一緒にいてほしかった。それでなくても、見知った人間が死んだばっかりだ。
「客間……貴賓室ってやつかな」
追いかけて入った部屋はグレーのカーペットが敷き詰められており、中央には長方形の木製テーブル、ソファーが向かい合う形で置かれており、深紅色のカーテンは閉められていた。薄暗い照明の中、奥にある暖炉の火がバチバチと音を立てている。壁には純白のドレスを着た綺麗な女性が踊っている絵画が飾られていた。舞台で舞っているのかのような華やかなシーンなのに全体的に影がかかったかのように暗い色調で形容しがたい不安に襲われた。ネームプレートに『エトワール』と書かれた絵画から目をそらした。
先ほどの女の子はソファーに腰掛けていた。暖炉の火を退屈そうに眺めている。
「そう……ついてきてしまいましたのね……」
横目で私を一瞥した。泥底のように濁った暗い瞳は薄気味悪さを通り越して嫌悪感すら抱きそうだ。
「あなた……何者なの?」
「わたくしが誰か。どういった存在のなのか。はてさて、その問いに意味があるのでしょうか」
「大ありだよ」
「わたくしにはそうは思えませんが……。貴方がそう言うのであれば、そうなのかもしれませんわね」
白髪の少女はソファーから立ち上がって、私に向き直った。
「わたくしの名前は雫喜怜美。年齢は十八でございます。他に説明出来ることなどございません。わたくしは自己紹介を済ませましたわ。次は、貴方の番ですよ」
「……小坪結乃。十五歳。ねえ、雫喜さんはこの世界について何か知ってる? 亡者のこととか、それから、髪の短くて私と同じ年齢の女の子を見なかった? 名前は千佳っていうんだけど……」
「この世界、亡者、千佳……さあ、わたくしが語るに及ぶようなことはございません。どれも虚像の中に映る微睡の世界。硝子細工に反射するうたかたのおとぎ話」
雫喜のふざけた答えに少しばかり苛立ちを覚えた。亡者が今にでも襲い掛かってくるかもしれないのに協力しあわなくてどうする。
「じゃあ、あの亡者について何か知っていることを教えて。アレって目が見えてるの? 音で反応しているの? それから、その食べられちゃったら同じようになっちゃうの?」
「亡者、でしょうか。亡者とは何なのですか」
「とぼけないで。あなただって見ているはずよ」
「いえ、わたくしは亡者など見てはいません」
白々しい態度に苛立ちを超えて、腹立たしくなってくる。
この世界にいて亡者を知らないというのはありえないし、私に嘘を吐く必要だってないはずだ。
「亡者で通じないなら、ゾンビでも、ウォーカーでも屍人でもなんだっていいわ。あなただって見ているはずよ。あの人間の姿をした人間ではないものを」
怒鳴りにも似た私の問いに雫喜はにやりと口元を緩ませた。
「そう……知りたいのですね」
「あたりまえじゃん!」
「この洋館はある大手製薬企業の福利施設です。都市部で疲れ果てた従業員の疲れを癒すために建てられました。ですが、それは表に向けた偽りの言葉。実のところ、極秘実験施設で死体を蘇らせる実験をする研究施設だったのです。ある時、死体を蘇らせるウィルスが漏れてしまい島全体が死人で溢れかえって――ふふふっ、あはははははははははははは」
説明のさなか、雫喜は笑い出した。よほど可笑しいのかお腹を抱えて笑っている。
その豹変ぶりに私は気が狂ってしまったのではないか、と無意識に一歩後ろに引いてしまった。
「あはははははは……あー、可笑しいですわ……この説明いるのでしょうか。いえいえ、与えられた役はこなさなければなりません。どこまで話しましたっけ」
「ウィルスが漏れて島全体が死人でいっぱいになったってところ……」
「そうでしたわね、それでわたくしは解決策を求めて洋館を訪れました。原因となったウィルスがここにあるのだとしたら、ワクチンもここにあるのが必然というものです」
「………………」
嘘っぽい気がする。
あの不自然な笑いのせいで、彼女の言っていることの全てに胡散臭さを感じてしまう。
とはいえ、雫喜が嘘を吐く理由はなんだろう。
「……まあ、いいや。元の世界の戻り方って知ってる?」
「元の世界……でしょうか」
「そう。私は別の世界から来たの」
「…………それはそれは」
雫喜は目を丸くして私を見つめた。演技らしいようなこれまでの言動とは打って変わって本当に驚いているようだった。雫喜の人間らしい反応を初めて見た。
目を閉じて、そういうことですか、と呟く。
「……この世界はあなたのいた世界ですよ。ただ少しばかり未来の世界、ということにはなりますけれど」
「未来の世界……? 嘘でしょ」
「本当のことです。これを見てください」
雫喜は光沢のある木製テーブルに置かれていた新聞紙を手に取った。それを私に手渡して、読んでくださいと促す。
「こ、これって……」
全国的に有名な新聞の見出しには大きく『死人が人間を喰い殺す』とある。
ざっと目を通して読んでみると、日本の各地でゾンビが発生して人間を襲っている。襲われた人間もゾンビとなって人間を襲っている。警察や自衛隊も対応しきれず、爆発的なスピードでゾンビは全国に広がっている。そんなことが書かれてあった。
そんなことよりも日付だ。雫喜が言っていた「この世界が未来の世界」だということ。
それを確認しないと。
新聞紙の右上に書かれた日付に目をやった。
「平成三十七年……」
私がいた世界は平成二十七年。ここは十年後の世界ということ……?
「これで分かっていただけたでしょう。貴方が待ち受ける未来のことを。例え、元の世界に戻ったところで未来はこのような世界を迎えてしまうのです」
やけに落ち着いた口調で雫喜は続ける。
「こんな突拍子もない話を信じろ、そう言われても信じられない気持ちはわたくしにも分かります。しかしながら……事実であります」
雫喜は私に告げる。
否定したいのに、新聞は残酷な事実を叩きつける。この世界は十年後の世界でゾンビが蔓延った世界。元の世界――十年前に戻ったとしても、いずれ訪れる未来なのだと。
「ううぅ……」
私は崩れ落ちた。これから私はどうすればいいのだろうか。元の世界にどうにかして戻り、亡者の発生を止めるのが最善だと思う。けれど、ただの女子高生にそんなことできるはずもない。
視線を上げるとそんな私を雫喜は面白そうに見つめていた。
「うふふ……」
口元の端から笑い声を漏らす。彼女は何を考えているのだろうか。私に事実を告げたことで優越感に浸っているのか。それとも失望に沈む私を見て楽しんでいるのだろうか。
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