第4話 あなたは誰?

 それから二日が経過した。太陽が二回昇って、二回沈んだ。

 今度こそ私が千佳を守ろうと決めたのに、また立ち上がれずにいる。自分の手は自分の体を握りしめることしかできない。

 千佳を襲ったあの化物のことを私達は亡者と呼ぶことにした。ゾンビのような見た目をしているが、そう呼んでしまうとゲームや映画のようで現実味がなかったのだ。

 名称が変わったところで、アイツらが人を襲うことには変わりないけど。


「はあ……」


 溜息は虚しく、廃屋の中に響く。

 私は山の中にあった打ち捨てられた小屋の中にいた。木々に囲まれるようにして、幽霊のようにひっそりと建っていたため隠れ家としては最適だ。廃屋を拠点として、千佳はこの世界を脱出する方法を探してくれていた。私はただ待っているだけ。


「ダメ……そんなんじゃ、ダメ……」


 つい先日、決めたばかりではないか。

 こんな自分を変えようと。自分は変われるんだと。


「行くっきゃない。ふぁいとだ、私!」


 震える足を叩いて、気合を入れさせる。今すぐ廃屋を飛び出すわけじゃない。千佳が戻ってきたときに一緒に行こうとか、今度は私が探索するよ、と言い出せるための予行演習だ。玄関から出て、まずは三十秒くらい真っすぐ歩いてみよう。

 決意を胸に忍び足で進む。


「ひぃ――!」


 ガタっと扉が音を立てて揺れた。扉の向こうの誰かはガタガタとドアノブを捻ったり押したりしている。

 ――千佳じゃない。

 千佳なら私が中にいるのを知っているんだし、呼びかけて扉の前のテーブルをどかしてもらえばいい。建付けが悪いとでも思っているのか、扉の外のダレかは一生懸命に開けようとしている。

 この世界にまともな人間はいない。いるのは亡者だけだと外を探索している千佳からも教えてもらった。

 扉の向こうの人物は開けることを諦めていないようだ。ガタガタと扉が揺れている。それに合わせて扉の前に置いていたテーブルが動き始めた。

 やがて、隙間が空き始める。次第に大きくなっていき、一人くらいなら通れるほどになってしまった。

 廃屋の中に、足が、体が、そして全身が入ってくる。


「はううう……ちょこっと休憩……」

 

  ――人間の女の子だった。

 艶のある金髪ブロンズヘアー が背中へふさふさと流れている。つばの大きな白い帽子には女の子らしい赤いリボンがついている。

 人の言葉を発しているし、身体は焼け焦げても腐ってもいない。こちらの世界で千佳以外に初めて見た普通の人間。


「ひょわあああ!?」


 私に気づいた女の子は悲鳴を上げてあとずさった。そのまま回れ右をして、入ってきたドアから飛び出そうとする。


「ま、待って! 私は違うから!」


 私のことを亡者と勘違いしたのだと思い、声を上げて呼び止める。


「あ、あなたは大丈夫なのですか……?」

 

 女の子は足を止めて振り返り、不安の混じった目で私を見つめた。水晶玉のように綺麗な瞳が揺れ動く。


「大丈夫。大丈夫よ……」


 私は幼稚園児をあやすように、相手を刺激しないようにゆったりと優しく声をかけた。

 女の子は逃げ出すことをやめてくれたようだ。扉を閉めて、ぺこりとお辞儀をした。


「わ、私の名前は足摺珠江と申します……」

 

 その丁寧な姿勢に私も思わず姿勢を正した。


「私は小坪結乃。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」


  ――それから会話が途切れた。

 珠江ちゃんは座りもしないで、その場でモジモジしていた。時々、ちらちらと私を見ては視線を逸らしている。

 見かけから推測するに珠江ちゃんは小学生後半、良くて中学一年生くらいだ。高校生である私の方から何か話しかけるべきだろう。

 彼女はどこから来たのだろう。彼女の家族は。これまでどうやって逃げて来たのか。

 千佳なら気さくに話しかけて、すぐに珠江ちゃんとも打ち解けられていたに違いない。

 

 ――違う。

 

 どうして、ここで千佳の名前が出てくる。ここにいるのは私と珠江ちゃんだけ。 だったら、私が行動しないといけない。


「あ、あの――」


 勇気を振り絞って出した声。それは突然鳴り響いた電話の音に掻き消された。

 部屋中に鳴り響く異音。

 二日間も廃屋にいた私は何か役に立つものがないかと、あらかた探し回っていたが、電話なんてなかった。


「ご、ごめんなさいです……た、珠江の携帯電話です」

 

 音源を探してきょろきょろと辺りを見渡す私に珠江ちゃんはポケットから取り出して携帯電話を見せた。今時珍しくなった折り畳み式のガラパゴス携帯だ。

 珠江ちゃんは両手で不器用に開いて耳元に当てた。


「は、はい、足摺です……。………………。はい…………」


 電話の相手は誰だろうか。

 私の位置からは相手の声を聞きとれないので、電話先の人間の性別も年齢も分からない。

 やがて珠江ちゃんは電話を切って携帯電話を閉じた。


「で、では、珠江はこれで失礼します!」


 電話を切るなり、珠江ちゃんはそう言ってぺこりと頭を下げた。私が呼び止める間もなく、廃屋から飛び出して行ってしまった。

 ――訪れる静寂。

 結局、電話の相手は誰だったのだろうか。それに珠江ちゃんのことも訊けなかった。可能性としては低いだろうけど、珠江ちゃんがこの世界から脱出する方法を知っているのかもしれないのに。

 とはいえ、私と千佳以外にも普通の人間がいて安心した。珠江ちゃんとその電話相手。

 合わせて四人だ。


「あれ……?」

 

 違和感を覚える。

 もし私がスマートフォンを持っていたとして、この別世界で電話や通信機能が使えるとは思えない。通信の原理自体に詳しいわけではないけど、私が契約しているのは私の世界の携帯会社であって、この世界の携帯会社ではない。

 それなのに、珠江ちゃんの携帯電話は着信音を鳴らし、誰かと話していた。

 珠江ちゃんは一体何者なのだろうか。電話の相手は誰なのだろう。

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