第6話
「落ち着いた、まゆらちゃん?」
「は、はひ。すみまふぇんでした……」
店長が差し出したピンクのレースをあしらったハンカチで、涙や鼻水など、噴き出してしまった体液を拭き取りながら、私は謝る。
たっぷり十五分以上、私が泣き続けたせいで、戻ってきたスーツ姿の男性陣に、店長は茶化されていた。
「で、まゆらちゃんは、こんな時間にこんな場所にいるわけ? 家は近くないはずよね」
「……その――」
体の内側でザワザワする何かを抑えながら、私はポツリポツリと店長に話す。
今日、喫茶店に寄ったこと。
茉希さんに提案されて、シフトに入ったこと。
健太郎さんが来店したこと。
茉希さんと健太郎さんが幼馴染みと知ったこと。
健太郎さんの態度が茉希さんと私では全然違うこと。
筋道を立てて話すことは全く出来なかったけれど、店長は時おり相づちを打ちながら、私の話をじっくりと聞いてくれた。
「――気づいたら、繁華街まで逃げてきていました」
「まったく、たまたまアタシが雑用で、この辺りに居たからよかったわ。最近、この辺りの治安が悪いらしいのよね」
ふぅー、とため息をつきながら、「やれやれ」という調子で、店長は首を左右に振る。
少しの間、繁華街の騒がしさから切り離されたような静かな時間が流れる。
「まゆらちゃん、ケーくんのことが好きなのよね?」
店長の唐突な問いかけ。
ドクン、と私の心臓が大きく鼓動する。
いつもなら、反射的に私は否定してしまう。
私は、飛び出そうになった言葉を飲み込み、一度深呼吸する。
「……はい、好きです」
「ふふふっ、さすがに今日は素直ね。ケーくんのどこが好きなの?」
「……私を、私として見てくれるから。変な先入観とかなくて、ただ真っ直ぐに私を見てくれるから」
健太郎さんを好きな理由。
私は口にしてから、改めて考える。
健太郎さんを好きだと認識したのはいつだったのか?
初めて会ったときは、好きという感情はなかったので、一目惚れとかではない。
何度か見かけて、何度か会話をして、気づけば気になっていた。
「ケーくんは、素直で優しい男の子だから。会社でも女の子に人気があるって風の噂があるわよ」
「ッ!」
店長の意地悪な言葉。
反射的に声を上げそうになったけど、なんとか耐える。
耐えたけど、じわりと私の視界は滲む。
「もう、これだけでダメなの? 自分が好きになった人だから、他の女の子に人気があるのは当然! くらいの気概を持ちなさいな」
「だって……だって……」
私は健太郎さんに好かれる要素が思いつかない、とモゴモゴと口の中で呟く。
茉希さんと健太郎さんのやり取りを見て、余計にそう思ってしまう。
「本当はね、アタシの口から言うことじゃないのだけれど、ケーくんは、手痛い失恋しているの。婚約して、両親の挨拶も済んで、いざ結婚って時期に、相手を取られちゃったの」
「え? なんで?」
いきなり過ぎる情報に、私の脳が混乱する。
そんな私をよそに店長は話を続ける。
「若かった、というのも原因かもしれないけれど、ケーくんの優しさに相手は物足りなさを感じてしまったようね。突然現れた羽振りの良い派手な男と出会って、あとは、ね」
「ひどい! ひどすぎます!」
「そう思うわよね。アタシもドン引きだったわ。ケーくんは『あいつが幸せになるなら』と言ってたわ。健気よね」
優しすぎる。
私は素直にそう思ってしまう。
私だったら、到底そんな言葉を口に出来ない。
「その後、思うところがあったから、アタシはツテを使って、色々情報を集めてみたの。そうしたら、案の定、男の方が事業を失敗して、多額の借金をこさえていたわ。ケーくんとよりを戻したい、みたいなムーヴをし始めたから、思わず割りの良いお仕事を紹介しちゃったわ」
「わ、割りの良いお仕事って……」
「ふふふっ」
笑うだけで、店長は具体的な仕事内容を話す気はなさそうでした。
店長が何者なのか非常に聞きたいけれど、本能 が「やめなさい」と警告している。
「口では大丈夫と言っていたケーくんだけどね、ここ半年くらいは酷かったのよ。落ち込んで、ただ職場と家を往復するだけでね。見かねてアタシが、定期的に店に顔を出すように言い付けたのよ」
「そんなに酷かったんですか?」
「酷すぎたわよ。もう人が避けて歩くくらい、どんよりとした空気を漂わせていたわ。でもね、まゆらちゃんがバイトに入るようになって、ケーくんは良くなったよ」
不意打ちの言葉に、私は目を見開いて店長を見る。
店長は、含みのある笑みで、私の反応を楽しんでいた。
「まゆらちゃんは、素直なよい子だから、ケーくんに合うんじゃないかって、アタシと茉希ちゃんは思ってるわよ」
「ど、ど、どういうことですか!」
「ふふふっ、想像にお任せするわ。ちょうど王子様も到着したようだから」
「へ? 王子さ――」
「店長! 葵さん!」
飛び込んできたのは、肩で息をする健太郎さんだった。
健太郎さんは、顔にびっしりと汗を滲ませていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……。よかったー……みつかって……」
「ど、どうして、健太郎さんが、こんな場所に!」
「あ、葵さんが、『ヤドリギ』を飛び出していったから……探していたんだよ。茉希は、勝手に……店を閉めれない、って……残っていた、けど……めちゃくちゃ、心配してる、よ……」
そこまで一気に喋ると、健太郎さんは深呼吸して息を整えながら、服の袖で汗を拭う。
「ご、ごめんなさい……」
「謝る必要はないよ。店長から最近は物騒だ、って聞いていたから、葵さんが無事なら何よりだよ」
健太郎さんは、少し疲れがみえる笑顔を私に向ける。
ドキッ、と私の体の内側で何かが跳ねる。
健太郎さんに心配させた申し訳なさと、健太郎さんが心配してくれた嬉しさが、私の中で渦巻いて、どう反応するべきか分からない。
「ケーくん。アタシは、まだ用事が済んでないの。まゆらちゃんを安心できるところまで、送ってあげなさい」
「了解っす」
そう告げて、店長は控えていたスーツ姿の男性たちと繁華街に消えていく。
ポツリと私と健太郎さんだけが取り残されたような感じになってしまう。
「えーっと、葵さん。『ヤドリギ』か家の近くまで送るよ」
少し照れくさそうに、健太郎さんが声をかけてきた。
お店で私に対する態度と違う。
ちょっとだけ、砕けた雰囲気があった。
ドキドキと私の心臓が早鐘の様に鼓動し始めた。
タイミングとして、今じゃないことは分かっている。
心配させた後に言うことじゃないと重々理解できている。
でも、私は言わずにいれなかった。
「健太郎さんは、私のこと、嫌いですか?」
「へ? い、いきなりどうしたの?」
「だって、いつもお店で、私に対して堅苦しくて、素っ気ないじゃないですか……」
「そ、そんなつもりは――」
「茉希さんは、名前で呼んでいるのに、私は名前で呼んでくれないじゃないですか!」
健太郎さんの言葉を遮り、私は叫んでしまう。
彼は目を白黒させていたけれど、咳払いを一つ。ポリポリと頭を掻く。
「しょーぶんってやつで、店員さんには店員さんに対する態度で接した方が平和というか……」
「もう何度も会ってます! 話してます! それでも店員のままなんですか!」
「そ、それは――ッ! 葵さん!」
健太郎さんが回答するより早く、私は彼に抱きついていた。
身長差があるため、私は健太郎さんの胸の辺りに顔を埋める様な格好になる。
家で使っている洗剤とは違う香りに、少し混じる汗の匂い。
健太郎さんの匂いに、私の心臓は爆発する勢いで伸縮を繰り返す。
「さっき店長に、健太郎さんが結婚相手に逃げられて、仕事一筋になったって聞きました」
「ちょ、マジで。あの人、なに人のプライベートを勝手に――」
「私は、健太郎さんのことが好きです。大好きです」
私は勢いで告白する。
健太郎さんの胸元に顔を押し付けたまま。
顔は燃えているように熱いし、心臓は早鐘の様に鼓動し続けている。
健太郎さんが緊張しているのが伝わってくるけれど、私は恥ずかしすぎて彼の顔を見上げることもままならない。
私は深呼吸して意を決する。
一呼吸置いてから、私は健太郎さんの顔を見上げる。
「ッ! あ、葵さん……」
「健太郎さんは、私のことが、嫌いですか?」
再度、私は健太郎さんに訊ねる。
私の視線と、健太郎さんの視線がぶつかる。
キュゥゥゥッと私の中で何かが強ばり、息をすることも難しくなってしまう。
それでも私は健太郎さんを真っ直ぐに見つめる。
時間にしてどれぐらい過ぎたのか。
健太郎さんが、諦めたようなため息をつき、体を弛緩させる。
「葵さんのこと、好きだよ。真っ直ぐで、素直で、一生懸命で。それに困っている人がいると、何とかしてあげないと、って態度に出るくらい優しい」
健太郎さんが、柔和な笑みで、私の視線を受け止めながら話す。
健太郎さんの言葉一つ一つに、私の内側で何かがビリビリと歓喜に震えている。
「葵さんの好意は嬉しい。でもね、さすがに年齢差あるから」
「十歳なんて歳の差に入りません!」
「えっと、学生だから通報案件になっちゃうかな……」
健太郎さんが苦笑いする。
確かにニュースでたまに騒ぎになっている。
社会人と学生(未成年)が云々と。
私としては、全然気にしない。
でも、健太郎さんが犯罪者扱いされるのはいやだ。
「健太郎さん!」
「は、はい」
「これから恋人を作るのは禁止です。あと一年待ってください」
驚く健太郎さん。
私は彼の反応を待たずに、言葉を続ける。
「学校を卒業して、十八歳になれば成人で問題なしです!」
「いや、俺みたいなオッサンに、葵さんは勿体な――」
「私は健太郎さんがいいんです!」
私は健太郎さんの反論を封じる。
このまま、勢いで攻める。
「一年後、返事をください。それを受け入れてくれるなら、わたしのことまゆらって名前で呼んでください」
言いたいことを言いきった私。
謎の満足感に、私の強ばっていた頬が弛む。
健太郎さんは、眉間にシワをつくり、小さく唸っていた。
私は、ただただ健太郎さんの返事を待ちながら、彼を見つめる。
「……とりあえず、帰ろうか、まゆらさん」
「ッ! はい!」
私は健太郎さんの手を取り、バス停に向かって歩き始める。
全身を包む幸福感に、私は自然と笑顔になってしまう。
一年後、健太郎さんからも「好き」と言われるように、頑張れ私。
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あとがき
思いつきと、勢いだけで、一気に書き上げたため、色々と至らぬところがあったと存じます。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
もっと良い作品を書けるように精進いたします。
次の機会がありましたら、そのときは、よろしくお願いいたします。
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