第4話
「いらっしゃいませー、って、まゆらちゃんじゃん。ひさしぶりー。バイトの時以外にまゆらちゃんが店に来るなんて珍しいねー」
なんとなく足を運んだバイト先――喫茶店『ヤドリギ』。
私を出迎えてくれたのは店長ではなく、
バイトの先輩である茉希さんは、大学二年生。彼女は小顔で小柄で細くて、肩下まで伸ばした癖のない黒髪が印象的な美人。
いや、美人というよりは、お人形のような可愛い人だ。
瑛奈とは違う系統の可愛さ。
どうして世の中には、可愛い人が多いのだろうか。
私は少し落ち込んでしまう。
気を取り直して、私はカウンターに歩みより、茉希さんに声をかける。
「茉希さんがこの時間にいるのは……珍しいですね」
「うん、珍しい。わたしが上がった後、まゆらちゃんがシフト入るのが、ふつーのパターンだもんね。だから、今日は割とイレギュラー。実は、ママにお願いされて、シフト時間延長中なのよ」
「ママって、店長をそう呼んでいるのは茉希さんくらいですよ……」
「えー、まゆらちゃんも呼んであげればいいじゃん。可愛いよ」
「呼び方が可愛くても、店長は可愛くならないと思いますけど……。それよりも、肝心の店長は?」
「なんか電話がかかってきて、ビシッとスーツに着替えて、迎えに来た若い男の人たちと一緒に出て行ったよ。『クローズまで戻れないかもしれないの。茉希ちゃん、特別手当付けるからお店をお願いね』って言われて、お店を任されちゃったわけ」
茉希さんは、ため息をつきながら、肩を窄めてみせる。
彼女は「やれやれ」と口にしているが、嫌そうな雰囲気はまったく感じない。
単に今の現状に似合う
たまに茉希さんって、芝居がかったことをするのだけど、何か意味があったりするのかな。基本的に様になっている彼女の姿は、少し羨ましい。
私は、茉希に愛想笑いを返しながら、カウンターの端の椅子に腰を下ろす。
「店長、本当に何者なんでしょうか……」
「気にしたら負けだよ、まゆらちゃん。時給の高いバイト先の店長さん、でいいじゃん」
「茉希さんは気にしなさすぎです」
「まあまあ、いいじゃん。気にしても仕方がないことって多いから。あとママから『もしまゆらちゃんが顔出して暇そうならヘルプで入ってもらいなさい。臨時だからバイト代には色をつけるから』って言伝もあるんだけど、どうする?」
「なんですか、それ。まるで私がお店に来ることを見越した発言じゃないですか。私は、客として来たつもりなんですけど……」
「うん、知ってる。まゆらちゃん、フロアを見てみて」
「フロアをですか? 改装とかしたんですか?」
私は訝しげながら店内を見渡す。
顔なじみの常連客が数名いるだけで、私の記憶にある店内と変わっているところはなさそう。
私は首を傾げて、茉希さんに視線を戻す。
「違う違う。見ての通りお店は暇ってこと。だから、わたしの話し相手になって。それと、わたし
にっこりと微笑む茉希さん。
嫌味とか含みとか一切感じられない。
言ったのが店長とか瑛奈とかだったら脊髄反射で断っていると思う。
きっと「私、暇じゃないんで。シフトの確認に来ただけなんで長居しません」って言い返すと思う。
本心としては、健太郎さんに会える可能性が少しでもあるならシフトに入りたい。
でも露骨な言い方をされると恥ずかしいし、反発もしたくなる。
「……短時間でいいなら手伝います。茉希さんと久しぶりに話したいから」
「ホント! まゆらちゃん大好き!」
「ちょ、茉希さん! カウンター越しに飛び掛ると危ないですよ!」
「大丈夫、大丈夫。わたし、慣れてるから」
「慣れてる慣れてないの問題じゃないです」
茉希さんは、私より年上のはずなのに、こういうとき年下のような無邪気さをみせてくる。
私は飛びついてきた茉希さんを、カウンターに乗っている物が落ちないように、静かに押し返すと、奥の更衣室に向かうのだった。
***
「まゆらちゃん、暇だねぇ……」
「そうですね。私が手伝いに入ってから、お客さんが一人しか来てませんもんね」
「ほんと、マジでビックリだよね! なんでお客さん来ないんだろね?」
カウンターの内側に座り、首を傾げる茉希さん。
その動きに合わせて、柔らかい黒髪がサラサラと肩を流れ落ちていく。
幼さがまじる無邪気な仕草は、同性から見ても反則までに可愛い。
歳上のはずなのに、茉希さんは可愛すぎる。
思わず抱き締めたくなる衝動に襲われるが、私は何とか耐える。
私は一度、深呼吸して気を鎮めてから、茉希さんの疑問に答える。
「店長の作る料理は、美味しいと思いますけど、お店が中心街から少し離れた位置にあるから、足を運びにくいんじゃないですか。さらに店長のキャラが濃すぎるんです」
「濃い? 可愛いじゃん。店長は、さらに面倒見の良い頼れる男――じゃなかった、大人だよ」
「面倒見が良いのは認めます。だけど、私は店長が可愛いは認めません。理解できません。というか理解したくないです」
茉希さんに、私はキッパリと言いきる。
店長を可愛いと認めると、私の世界は崩壊します。
店長は、そういう枠組みの外側の存在で十分です。
「えーなんで? 頼れる
「ママって時点でおかしくないですか? 炊事洗濯料理までは、性別に関係なく、出来ても問題ないですけど、店長はなんでアロマやネイルも出来るんでしょうか?」
「女子力アップのために身に付けたらしいよ。あ、当然、スキンケアとかメイクとかも詳しいよ」
「……店長が、どれだけ女子力が高くても、私は店長を可愛いと認めません。認めたくないです」
「もう、まゆらちゃんのワガママ。なら、どんな
「それは……格闘術とか暗殺術あたりなら。店長が喫茶店を始める前にスパイとか殺し屋をやっていたと言ってきたら、私は驚きよりも納得すると思います」
「あーね。わたしも確かに納得しそー。でも、店長には聞けないことだよね。もし、当たっていた時が怖いよねー」
茉希さんの言葉に、私は素直に頷く。
やっぱり茉希さんも店長に過去について、聞きたいと思ったことがあるんだ。
聞きたいけれど、聞いてはいけない。二律背反な疑問。
きっと気にしたら負け。
そんな感じで、極力店長については話題にせず、私と茉希さんはダラダラと会話を続ける。
時計を確認すると、一時間ほど喋っていた。
店内には、顔馴染みの常連さんが数名いるだけなので、たまーにお冷のお代わりを確認して回るくらいしか、仕事をしてない。
料理が出ていれば、洗い物とかあるのだけど、店長が不在のため提供できる料理が限定されてしまい、飲み物の注文ばかり。
私はトーストくらいしか作れないけど、茉希さんはお店のメニューの八割は作れる。
でも、常連さんにとって、店長と茉希さんの料理の味は、天と地ほどの差があるらしく、店長不在時に料理を注文する人は皆無と言って良かった。
「茉希さん、さすがに仕事らしい仕事をせずにバイト代をいただくのは、気が引けます。私はそろそろ帰ろうと思います」
「えーっ! 店長がまゆらちゃんにもシフトに入ってもらって、って言ってたんだから大丈夫だよ。もう少しお喋り――」
――カラン、カラン
ドアベルの音に、私は反射的にカウンター席から立ち上がり、店の入り口に顔を向けたところで硬直してしまう。
健太郎さんの姿があった。
いつものスーツ姿ではなく、赤色のパーカーに黒いデニムを着ていた。
物凄く新鮮な姿が衝撃的すぎて、私の思考は一瞬でフリーズしてしまう。
挨拶しようにも、口はパクパク動くけど、声が出てこない。
「お、健くん! よくきたね!」
「ちわーっすって、なんで茉希がこんな時間にシフト入っているんだ? いつもなら別のバイトしている時間だろ」
「健くん、えっちだなー。わたしのスケジュールを把握して何するつもりなんだい?」
「なんでだよ。色気もひったくれもない会話しかしてねーだろ……」
両手で頬にあてながら、くねくねと揺れる茉希さんに、健太郎さんが呆れ顔で嘆息する。
極々自然な感じで、やり取りをする茉希さんと健太郎さん。
その光景に、私は頭を叩かれたような衝撃を受ける。
「な、な、な……」
なんで茉希さんは、健太郎さんと、そんなに親しげなの? と言葉が出てこない。
私の様子に気づいた茉希さんが小首を傾げる。
「あれ、まゆらちゃんは、知らなかったけ? 健くんは、いわゆる幼馴染みってやつなんだよ。親同士が親友なんだよ。歳の離れている健くんが、わたしたちのお守りを親から一任されていたのよね」
「お守りの一言で片付けるなよ……。お前らの暴れっぷりに、俺がどれだけ泣かされたと思っているんだよ」
「はははっ、幼子って加減を知らなくて当然だよ。健くんの犠牲によって、わたしたちはのびのびで、すくすく育つことが出来たんだよ。感謝感激だよ」
パンパン、と柏手を打ち、健太郎さんを拝む茉希さん。
健太郎さんは、眉を顰めながら迷惑そうな視線を茉希さんに向けていた。
私の見たことなかった健太郎さんの顔。
嬉しさはあるけれど、ショックの方が大きかった。
茉希さんと接している健太郎さんの雰囲気。
それは私と接しているときと全然違う。
私と接しているときは、もっと余所余所しく、他人行儀な雰囲気がある。
どう表現していいのか分からない何かが、ぐるぐると私の内側で回る。
健太郎さんに、素の顔を見せてもらえる茉希さんに対する羨望と嫉妬。
健太郎さんに、他人として扱われている私の存在価値。
ぐるぐると私の内側で何かが回る、回る。
混ざり合って、ぐちゃぐちゃになって、私の気分は、どんどん沈んでいく。
どうして私は喫茶店(ここ)に来てしまったんだろう。
「まゆらちゃん!」
パーン! と鼓膜を突き破るような茉希さんの声。
真っ暗になっていた視界が急に回復し、心配そうな顔をした茉希さんの顔が飛び込んできた。
視線だけ動かして、周囲を確認すると健太郎さんや店にいた常連さん(近所のおじいさん)もこちらの様子を窺っていた。
「あ、その、あの……」
「まゆらちゃん、大丈夫?」
そう言われて、私は自分が泣いていることに気付いた。
何故、私は泣いているのか?
「……ごめんなさい」
私はそれだけを何とか口にすると喫茶店から飛び出した。
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