第拾肆章 『弥三郎』様

 街は闇に覆われ、宿の中で起きているのは私の他には見張りを買って出たメフィさんだけでしょう。

 私はギシリギシリとゆっくり廊下を進む足音にじっと耳を傾けています。


『さっきは酷い目に遭ったけど、コレで汚名返上よ』


『何がです?』


 私の問いかけに闇の中の気配に動揺が生まれます。


『な、アンタは?! 年寄りみたいな声を出すから誰かと思ったじゃない!!』


 闇から現れたのは夕方、姉様に唐竹割りにされたヴァンティスでした。

 しかし私は特に驚いてはいません。何となくですが、気配が彼女に似ていたからです。


「何事ですか?!」


 部屋から勢いよく飛び出してきたのはメフィさんです。

 一瞬、下半身だけ裸に見えて驚きましたが、どうやら恐ろしく布地の面積が少ない下着を着用していたようです。


「あ、貴女はあの剣士に殺されたはず?!」


 メフィさんはヴァンティスを指差したままあんぐりと口を開けています。


『フフン♪ 私があの程度で死ぬワケないじゃない? 私はね、血の一滴さえこの世に残っていれば月光の魔力を借りてすぐに復活できるのよ!!』


 ヴァンティスは私達を威嚇するようにマントを翻します。


『だから私はヴァンティス!! 鮮血のヴァンティスと呼ばれているのよ!!』


「ぐっ……化け物め!」


 メフィさんは槍を構えると間合いを取りながらヴァンティスを睨みます。

 穂先はヴァンティスの喉を狙っていて、メフィさんはいつでも槍を突けるように緩急をつけて扱いています。


「私は星神教・守護騎士の一人! 『水』と『癒し』を司る『亀』の神々の加護を受ける者! メンフィス=イルーズ、参る!!」


 その槍の一撃はまさに疾風迅雷!

 穂先は正確にヴァンティスの喉笛を貫きました。


『フーン? 守護騎士といってもこの程度なの?』


 口から血の泡を吐きながらヴァンティスが小馬鹿にした笑みを浮かべてメフィさんを見つめていました。


「くっ! 魔族め!!」


 必殺の一撃を受けても平然としているヴァンティスにメフィさんは驚愕と恐怖の表情で叫びます。

 どうやら彼女は精神的に追い詰められやすい性格のようです。


『今度はこっちから行くわよ! 『プロミネンススフィア』!!』


 ヴァンティスは喉を槍に貫かれたまま何事かを呟くと、手のひらに巨大な火球を出現させました。


『すぐに勇者様に後を追わせてあげるから寂しくないわよ!!』


 巨大な火の玉はメフィさんを飲み込もうとしています。


「水よ、全てを清める聖なる水よ。盾となりて我を守り給え。『アブソリュートゼロ・シールド』!!」


 命中の寸前、メフィさんの前に氷の盾が現れて火球を防ぎますが、力負けをして押し戻されてしまいました。

 しかしそれでも火の勢いはほとんど相殺されて僅かな炎と衝撃がメフィさんを襲うに留まります。


「こ、これが魔族……」


 炎で服が少し焦げてしまったメフィさんは憎々しげにヴァンティスを睨みます。


『あらあら、私の『プロミネンススフィア』を受けてその程度のダメージで済ませた貴女の実力は賞賛してあげるわよ?』


「ふざけるな! 魔族に褒められる謂われはない!!」


『そうよね、苦手な炎の魔法を相殺するのがやっとのアンタを褒めてもねぇ?』


 ヴァンティスはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてメフィさんを挑発します。


『私のもっとも得意とするのは精神に作用する魔法! おかしいと思わない? これだけ騒いでるのに起きてるのがアンタ達だけよ?』


「貴様、この宿にいる者全員を眠らせているのか?! 魔族の魔力とはこれほどなのか……」


『この宿に限らないわよ? この街のみんなに眠ってもらってるのよ、私』


 ヴァンティスの言葉にメフィさんは愕然としてしまいました。


「魔族の使う魔法がここまでとは……勝てるのか? 我々に?」


『フフン♪ ようやく気づいたようね? ニンゲンと魔族のどうしようもない実力の差ってヤツをね』


 得意げにメフィさんを見下ろしているヴァンティスの背後を取るように私は少しずつ移動を始めます。


『で、アンタは不意打ちを狙ってるってワケ?』


 私の気配を察したのか、思ったより視界が広いのか、ヴァンティスが笑いながら振り返ります。


『フフン♪ どんな手を使うのか知らないけど、血の一滴があればすぐに復活できる私には無意味よ? 巨乳のおチビちゃん?』


 ヴァンティスは私の胸と身長を揶揄してケラケラ笑います。


『『弥三郎』様』


 私は自分の影がヴァンティスの足下まで伸びている事を確認してから一声かけます。


「な……月が南天にあると云うのに何故貴女の影は南に伸びているのですか?!」


 どうやらメフィさんの評価を改める必要があるようです。この状況でこの事に気づくなんてね。

 そう、メフィさんやヴァンティスは勿論、調度品や生け花も南に輝く月の光を受けて北に影を伸ばしているのに、私の影は真逆。

 私の影は南に伸びてすっかりヴァンティスの影を飲み込んでいます。


『お食事ですよ……『弥三郎』様』


「『ヒィ?!』」


 異口同音に発せられた短い悲鳴に私は思わず吹き出しそうになってしまいました。

 あれだけ互いを嫌っていた二人がまあ息の合った事。


『何よ、コレ?!』


 見て解らないのでしょうか? 私の目には『顔』に見えますが?

 ええ、私の影から巨大な『顔』が現れてヴァンティスを飲み込もうとしています。


『ヒギィ?!』


 『顔』から遠ざかろうとしたヴァンティスでしたが、人の形をした“闇”に拘束されてしまいます。

 嗚呼、『弥三郎』様。こんな異世界まで私に付き合って下さったのですね。

 私は少々の陶酔感を覚えながら全身“闇”の男性を見つめました。


『は、放して!!』


 ヴァンティスは『弥三郎』様を振りほどこうと藻掻いていますが、『彼』に力で抗するのは愚かの極みです。

 やがて『弥三郎』様から子鬼が数匹這い出てきてヴァンティスの乳房やお尻に噛みついていきます。

 これは好色というのではなく単に柔らかくて食べやすいと云うなんともつまらない理由です。

 やがて『弥三郎』様はヴァンティスの頭を掴むと無理矢理頭を下げさせます。

 同時に『弥三郎』様から黒い帯のようなモノと紐のようなモノが多数現れてヴァンティスを更に拘束していきます。


『何を?!』


『血の一滴でも復活するのなら……』


 恐怖に身を震わせているヴァンティスを無感動に眺めながら続けます。


『一滴残らずあの世に持って行くのが道理』


 私の言葉にヴァンティスは目尻を裂けんばかりに目を開かせます。


『お、お願い! そ、それだけは……』


 恐怖の為か失禁したヴァンティスに構わず『弥三郎』様は彼女を子鬼ごと巨大な『口』へと放り込みました。


『た、助け……』


『そうしたいのは山々なのですが……』


 私はなんとか『口』から脱出しようとしているヴァンティスの目の前で腰を下ろして彼女を見つめます。


『生憎、貴女はしてはいけない事してしまったのでお助けするわけにはいきません』


 ヴァンティスの絶望そのものといった表情に思わず自慰をしたくなるのを堪えながら、私はあくまで穏やかに宣告します。


『私の『声』を揶揄する人は……皆、『弥三郎』様の逆鱗に触れてしまうのですよ』


 『口』が閉じて『頬』が恐ろしい勢いで動き始めました。


『痛い! やめて! 痛い! やめて! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ……』


 ナニかが聞こえてきましたが、やがてソレも聞こえなくなり、ゴクンと大きな音を立てて『喉』がナニか嚥下しました。

 ふと足下を見ると、私の影は既に北に向かって伸び、ナニか……いえ、ナニかがいたと思ったのですが記憶違いのようですね。

 いえ、確かに誰か、とても嫌な人がいたはずですが、どうも『弥三郎』様と一緒にいるとその辺の記憶が曖昧になって困ります。

 ナニかがいた証拠に床に残った青い血のようなモノを小鬼がさも美味しそうに舐めています。


「ヒイイイイイィィィィ……」


 見ればメフィさんさんが目を皿のように見開いて私を見ています。

 しかも余程怖いモノを見たのか失禁していて、床に水たまりを作っていました。

 まあ、彼女も十代とはいえ立派な社会人、後始末くらいは自分でできるでしょう。


『おやすみなさい』


 『声』を聞かせるのは嫌ですが、彼女はまだ私の『言葉』を知らないでしょうし、あえて『声』をかけて階段を下りて外に出ました。









 私は宿屋の裏手、どの客室からも死角になっている大浴場のある離れに向かい、脱衣所で仰向けになって帯を解きます。


『ご苦労様でした。『弥三郎』様、ご褒美です』


 私が袖の下から赤い玉を取り出し、おへその上に乗せると玉は妖しく光り出してそばに控えていた“闇”を照らします。

 “闇”はザンギリ頭の人の良さそうな青年の姿になりました。『彼』こそが私が先ほどから呼んでいる『弥三郎』様の真の姿です。

 『弥三郎』様は『彼』特有のおよそ敵を作らない柔和な顔を今は酷く哀しげに歪めて私を見つめています。


『『弥三郎』様?』


 私が訝しげに『声』をかけると『彼』は哀しげな表情のまま私に覆い被さり唇を重ねて下さいました。

 『弥三郎』様の舌が私の唇をこじ開けて口腔に進入してきます。私も心地よい陶酔感を味わいながら舌を『彼』の舌に絡ませます。

 同時に『彼』の舌から『ナニか』が滲み出て私はソレをゆっくりと嚥下していきます。

 『ソレ』は勿論唾液なんかではありませんが、愛しく思えど厭う事はありません。

 思うに『ソレ』は『想い』、『無念』や『未練』ではないでしょうか? 

 飲み下した『ソレ』は私の体内を駆け巡り、全身を爪先から髪の一本一本まで苛んでいるからです。

 けど、先も述べましたが、『ソレ』は不快ではありません。むしろ私の体の隅々までが『弥三郎』様のモノである証。

 『心』は姉様に捧げましたが、『体』は『弥三郎』様だけのモノ。

 でも、それは仕方がないですよね? 『弥三郎』様は既にこの世・・・の方ではありませんもの。『心』では『彼』を繋ぎ止める事は叶わないのです。。


『ああ、『弥三郎』様……』


 『弥三郎』様は唇を離すと先程以上に哀しげに私を見つめながら私の体に手を這わせます。

 『彼』の唇が動いています。ええ、判っております。『貴方』は哀しいのですね?

 私の『体』を介さないと『この世』との繋がりを保てない事が……

 それとも私の『心』が手に入らない事が哀しいのですか?

 それとも私の『体』に縛られていることが苦痛ですか?

 けど、私は『貴方』の事をやはり愛しているのですよ?

 『体』以外に接点は無くなってしまいましたが、それでも私は『貴方』を失いたくはない。


『フフ、酷い顔……』


 脱衣所の姿見に映る私の顔は酷く歪んだ笑みを浮かべていて、死人のように青ざめていました。

 けど、逆に私の『体』は火のように熱く火照っていて、『弥三郎』様を浅ましく求めて(・・・)います。


『さあ、『弥三郎』様……来てくださいまし……お情けを頂戴致したく……』


 『女』になった私は『弥三郎』様を迎え入れます。

 全身を雷に突き抜かれるが如く『彼』に貫かれた私の脳裏には二年前の事が思い出されていました。

 それは『弥三郎』様が弥三郎様であった頃の記憶…









 身悶えするほどの幸福感と狂おしいまでの陶酔境の中で私の記憶がまさぐられていきます。

 私の愚かな擦れ違いが招いた悲劇が弥三郎様と姉様を地獄に叩き堕としてしまう。

 いいえ、それどころか、この悪人のいない愛憎劇は周囲にを悲しみと絶望に撒き散らしただけで、どこにも救いはなかったのです。

 永遠に愛する人を失い、愛しい人を手に入れた悲恋と呼ぶにはおこがましい地獄のお話は……

 それはまた次回の講釈にて。

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