第拾弍章 悪しきモノ
城下町を抜け、外壁の門を潜った私達は広大な草原に感嘆しました。
「ここを順調に南下できれば夕刻までにはロッツァーという街に着きます。今日はその街で宿を取る予定になっております」
メフィさんは事務的な口調で説明をします。
「分かりました。では参りましょう」
姉様は杖を先に出して障害物が無いか確かめながらゆっくりと一歩を踏み出しました。
「ええ、順調にいけば……ですけどね」
姉様の歩みを見つめるメフィさんの目は限りなく冷たいものでした。
盲目というだけで姉様を蔑む者は掃いて捨てるほどいましたがメフィさんの目はその最たるものです。
勇者だけを盲信しているだけなら可愛いものと笑っていられましたが、どうやら彼女は障害を持つ人を蔑む類のようですね。
人の主義にとやかく云うつもりはありませんが、もし姉様を傷つけるような事を云ってごらんなさい。
アリーシア様からの支援だろうと容赦しません。
この世の地獄に堕として差し上げます。
「ヒッ?!」
「どうしたの、メフィさん?」
「な、何でもありません。少し体が震えて…い、いえ、体調が悪い訳でも怖じけた訳でもありません。きっと武者震いでしょう」
「ふーん…ただ一つ云っておくけど」
「はい! 何でしょう、勇者様!」
桜花というより勇者の言葉を貰えると目を輝かせるメフィさんに対して逆に桜花の目に剣呑な光が宿ります。
「雪子姉様と月夜姉様を見る時の目、気分が悪いよ?」
「えっ? そ、そんな事」
「今日中に改めなかったら簀巻きにして小舟で川に流すからね?」
「アヒッ?! し、しかしこの世界に不案内な勇者様を導く事が私の役目」
「旅は慣れてるし地図もあるよ。人に訊ねる口と耳だってあるんだし案内人なんて居たら便利だなくらいにしか思ってないからね?」
流石は霞流道場四天王の一人にして目録を許された剣士ですね。
普段はのほほんとしていて頼りなさげですが、いざと云う時は剣客としての貫禄を見せつけてくれます。
メフィさんの実力はまだ分かりませんが、桜花の眼力で金縛りになっている時点で察して余り有るでしょう。
「でも私は治療魔法の遣い手です」
「まだ云うか。不快な人をそばに置くくらいならお金がかかっても治療出来る人を雇うまでだよ。むしろお金を払う分、気を使ってくれるだろうね」
「そ、そんな、あんまりなお言葉です。勇者様はお優しい方と聞いておりましたのに非道い……」
「蔑んだ目で大切な家族を見る人とは仲良く出来ないだけだよ。それとも桜花の事を無邪気で扱いやすい小娘だと思った? 桜花はこれでも師範代として門下生に稽古をつけている身なんだよ? あまり嘗めてると本当に雇いを解くからね」
勇者としてではなく剣客としての威を目の当たりにしたメフィさんは項垂れるのでした。
「以後、慎むように」
「御見逸れしました、勇者様」
頭を下げたメフィさんに桜花は矛を収めました。
しかし、まだ甘いですね。現にメフィさんは桜花に見えないように恨みがましく私達を睨みつけているのですから。
全く懲りてないようで、桜花に叱られたのは私達のせいだと云わんばかりです。
しかし相手にしていては一向に進まないので何食わぬ顔でメフィさんの横を通り過ぎて桜花の横に並ぶのでした。
「メフィさん、置いてっちゃうよ?」
「ま、待ってぇ! 今、行きますぅ!」
私達に無視された格好のメフィさんは暫く呆然と立ち尽くしていましたが、桜花に大声で促されると随分な距離を置いていかれた事に気付いたのか、涙目になって追いかけてくるのでした。
結論から云えば、私達の旅は順調でした。
途中、人の様に直立して武器を使いこなす狼や一刺しで岩をも砕く巨大な蜂の怪物、不定形で透明を帯びた肉塊のような化け物などに数度襲われましたが、ほとんど姉様が排除してくださいました。
私は炸裂弾で数匹の蜂を纏めて斃し、桜花も『日輪』を使って肉塊を消滅させましたが、私達の合わせた数よりも姉様一人で排除した敵の数が多かったのは明らかです。狼は多少の知恵があるのか、彼我の実力差を察して逃げるのが殆どでした。
メフィさんは貴重な治療要員であったので姉様の指示で後ろに下がらせたのですが私達はろくに手傷を負う事もなかったので彼女を煩わせる事はありませんでした。
けど、何故かメフィさんは苦虫を噛み潰したような顔で私達を、正確には姉様を睨んでいます。
活躍の場が無い事への不満だとしたらまた一つメフィさんの評価を下げなければならないでしょう。
「流石、勇者様ですわ。大きな痛手を受ける事無く、あのモンスター達を蹴散らすなんて! アレらには並みの騎士では歯が立たないというのに!」
「ううん、ほとんど何もしてないよ。ホント、いつになったら姉様と肩を並べて戦えるようになるのかなぁ」
手放しで褒めるメフィさんに桜花は小さく首を横に振ると、姉様に憧れの目線を向けます。
それが面白くないのか、姉様を見るメフィさんの目が益々険しくなっているようでした。
「あら、貴女はもう十分強いわよ? 後は実戦を積めばすぐに私を追い抜くはずよ。だから自信を持ちなさい」
姉様は慈愛の表情で桜花の頭を撫でられました。
「姉様……うん♪」
桜花の笑顔はまさに日輪のようで、それを見ただけで疲れが吹き飛びます。
メフィさん? 何故か歯軋りしてますよ。
「あれ? ねえ、メフィさん? アレって何?」
昼下がり、怪物の襲撃も落ち着いて、のんびりと街道を進んでいると、桜花が遥か前方を指差しました。
目を凝らすとなにやら黒い靄ののようなものが立ち込めているようでした。
「アレは……あそここそが『要』、“悪しきモノ”を封じる禁断の地の一つ。そしてあの大地に突き立つ巨大なモノこそ『楔』です」
わなわなと身を震わせて説明するメフィさんの云うように、靄の中に巨大な黒い円錐状の影が見えます。
これだけ離れても威圧感を感じると云う事は近づくだけで如何なるモノを感じるか想像も尽きません。
「「「「……っ?!」」」」
今、一瞬だけでしたが靄が形を作って巨大な人影になったように見えました。
「月夜? 今、只ならぬ気配を感じたんだけど……」
(姉様も感じられたのですね? 話に聞いていた黒い霧が一瞬、巨大な鬼の姿に……)
「ご覧になられましたか? 黒い霧が作り出す影こそが『要』に封じられた“悪しきモノ”の姿と云われています」
メフィさんの言葉に私達は何も云えなくなってしまいました。
確かに気配だけでこれ程の瘴気を放つモノを復活させる訳にはいかないですね。
「成る程、想像していた以上に世界を取り巻く状況は悪いという事ね」
姉様は真『要』のある方角に顔を向けていますが、私は見てしまいました。
姉様が一瞬、まるで獲物を見つけた獣の如く愉しそうに唇を舐めるところを……
「行こう! 一刻でも早くヴェルフェゴールを倒して『楔』を砕いてあげよう!」
「勇者様……」
使命感に燃える桜花にメフィさんは感激そのものといった表情で見つめています。
対照的に姉様と私はヴェルフェゴールに対する義憤はあっても使命感までは芽生えておらず、微妙な温度差がありました。
強いていえば、『地獄代行人』としての義務感があるくらいでしょうか?
報酬? 無論、頂きますよ。ちゃんと聖帝陛下やアリーシア様と契約は結んで書面にも残してあります。
勇者だ、世界の危機だと云っても結局お金が無ければ糧を得る事はできません。
むしろ使命感で動けばいずれ立ち行かなくなるでしょう。
ヴェルフェゴールを斃すにしてもそれに見合う対価が必要なのは当然です。
敵を斃して報酬を受け取る。この契約こそが力となるのです。
世の為にならぬ
これは桜花に“殺し”をして欲しくないという意味ではありません。
勇者としての使命感、つまり感情で動けば人に近い姿の魔族を斬る事に躊躇いが出てしまう事もあるでしょうけど、『地獄代行人』として契約をした上での“殺し”となれば心が据わって斬る事が出来ると考えての事です。
「勇者…皆様、街が見えてきましたよ」
前方に街が見えてきた頃には太陽が西に連なる山々の向こうへ姿を消そうとしていました。
メフィさんは桜花だけに報告をしようとして、すぐさま私達へと云い直しました。
どうやら桜花のお説教は効果があったようです。感心、感心。
「あれに見えますはロッツァーと呼ばれる街です。乗り合い馬車の中継基地でもあり、明日は馬車を借りて運河まで一気に進みます」
成る程、確かに遠目にも街の中で沢山の馬車が行きかっているのが見えます。
そう云えば道中、何度も幌馬車や荷馬車と擦れ違いましたね。
「……」
不意に姉様が足を止めてしまいました。
「どうしたのです? もう街は目の前なんですから頑張ってください?」
どうやらメフィさんは姉様が単に疲れて歩みを止めたと思ったようですね。
「出てきなさい。日中は兎も角、夜まで監視されるのは御免よ?」
「何を云ってるのですか、貴女は?」
メフィさんは苛立たしげに姉様に詰め寄ります。
「それともニンゲンが怖いの? 魔族と云ってもピンキリね」
嘲笑まで浮かべる姉様の5間(約9メートル)前に黄昏の闇が凝縮されたような気配が生まれました。
『ふん! 安っぽい挑発だ事……あまりにも子供染みた挑発しか出来ない貴女が可哀想だから出てきてあげたわ』
闇はやがて人の形を作り、アリーシア様より更に切れ込みを凄くした黒い革製の肌着に黒いマントをつけた金髪の女性が現れました。
金髪と云っても赤みがかっていて、さながら闇の中で揺れる炎を連想させました。そして何より特徴的なのは妙に先の尖った耳です。
思えばスタローグ家の人達も耳が尖っていましたね。
「出てきてあげた、ねぇ……貴女の役目は諜報? 刺客? 前者なら既にしくじりよ。最も後者なら後者で真正面から来るなんて刺客失格だけどね」
更に嘲る姉様に魔族と思しき女性は顔を真っ青に染めてしまいました。
ややこしいですが、血の気が引いているのではなく、血液が青いために顔が紅潮すると魔族の場合は青くなるのです。
『う、うるさい! うるさい! うっるさーーい!! どの道、アンタ達の情報なんて役に立たなくなるわよ!!』
どうやら前者だったようですね。地団駄まで踏んでいます。
「あら? その心は?」
『ここでアンタ達が死ぬからよ!! 私は魔将軍ヴェルフェゴール閣下から最も信頼を得ている将軍直属の情報武官・ヴァンティス! 鮮血のヴァンティス!! スタローグ達なんかとは格が違うわよ!!』
ヴァンティスは鋭く尖った犬歯を剥き出しにして姉様に肉薄します。
それはまるで矢の様で常人では見切る事はおろか身のこなしさえ見えなかったでしょう。
早くも現れた第ニの刺客・ヴァンティス。
彼女の実力は如何なるものなのか。
そしてロッツァーの街で待ち受けるものとは。
それは次回の講釈にて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます