第拾壱章 旅立ちの朝

 夜が明けて旅立ちの朝。

 目を覚ますと既に姉様は道着に着替えて、仕込み杖の手入れをされていました。

 足元は真新しい革製のブーツがあります。

 召喚された時、姉様と私は足袋しか履いていなかった事に気づかれたアリーシア様から頂いたものです。

 桜花に至っては裸足だったのでメリヤス足袋(靴下)も頂いてご満悦です。


「彼の坂本龍馬先生の気分が味わえて愉しいわ」


 とは姉様の言。


「おはよう、月夜。私達がこの世界に呼ばれて三日目、ようやく夢じゃなかったと実感したわ」


 姉様はそんな事を仰っていますが、その顔は自信に満ち溢れていて現実逃避をしているようには見えませんでした。

 その隣では桜花が慌てて道着の袴をつけている所でした。


「おっはよ、月夜姉様♪ いよいよ旅立ちだね」


 袴を着け終えた桜花は二振りの聖剣を交差させて背中に括りつけます。


(おはようございます。私もすぐに準備をしますね)


 私は寝巻きを脱ぐと腰巻と肌襦袢だけをつけて、荷物を探ります。

 まず鎖帷子を着込み、次いで全身に火術の仕掛けを施していきます。その上に私はローブと呼ばれる白い服を纏いました。

 普段着ている着物では動きにくいので、折角頂いた事ですし、こっちの方に変えてみました。


「月夜姉様、よく似合ってるよ♪ いつもより神秘的だね」


 神秘的というのも照れくさいのですが、微笑む事でお礼に代えさせて貰います。


「朝御飯を頂いたらすぐに出発する予定だったけど、少し寄り道をする事になったの」


(寄り道……ですか?)


 いったいどこへ行くのでしょう?


「私達を召喚した大司教……アズメールさんが少し回復して短時間だけならお話ができるそうよ」


 姉様はやや複雑な表情でそう云われました。

 確かに私達をこのような異世界に召喚した張本人に会うとして、どんな顔をして会えば良いのか見当もつきません。


「体力を極限まで消耗させてまで、死ぬような思いをしてまで『秘術』を施した彼女がどんな人か、人となりを見るのも悪くないわね」


 姉様は柔らかく微笑まれていましたが、その本心は窺い知る事はできませんでした。









「あら? 新しい信者の方ですか?」


 朝食と云うにはあまりに豪勢な食事を頂いた後、大司教殿がいらっしゃる星神教会へお見舞いに来た私達を出迎えたのはのほほんとした問いかけでした。


「大司教様! 今朝方、目を覚まされたばかりなのに、ご無理をなさっては!」


 私達を案内して下さったアリーシア様が一人の女性に駆け寄っていきました。

 恐らく彼女が大司教アズメール=ガルディゴ……想像以上の若さに私達は言葉を失ってしまいました。

 歳は二十歳前後、中肉中背で橙色の髪をおさげにしています。顔立ちは柔和な童顔でソバカスが少しある事を見逃せばなかなかの美人です。

 彼女はゆったりとした白と青を主としたローブと纏い、子供達に囲まれてニコニコと微笑まれていました。


「あらあら、これは姫巫女様。おはようございます」


 優雅にお辞儀をされる大司教様にアリーシア様の目が点になっています。


「大司教様? 二日間も昏睡されていたのですが、お体の方は大事ありませんの?」


「まあ、二日も!」


 目を丸くしてパンと手を叩くと、なんとも脱力させられる言葉が続きました。


「道理で眠気がないはずですね。日頃の睡眠不足が解消されましたわ」


(姉様……)


 私の呼びかけに姉様の反応はありませんでした。

 不思議に思って姉様の顔を見上げてみると、瞼を開かれて緑色の美しい瞳で大司教様を『視て』いました。


(ね、姉様?)


「どうしたの?」


 姉様はいつの間にか瞼を閉じられて、不思議そうな表情で私の方を向かれました。


(いえ、大司教様があまりにも若々しかったので……)


(その事で月夜に後で話があるの)


 姉様の『言葉』にハッと顔を見上げますが、姉様は既に顔を大司教様の方へと向けられていました。


「ところであの黒い髪のお三方はどなたですの? この様な美しい黒の髪を持つ民族は世界中どこを捜してもいないはずですけど」


 大司教様の言葉から、黒髪を持つ人間はこの世界にはいないようですね。


「そうです! 彼女達は貴女の秘術に導かれ、私達の世界に召喚された希望の勇者達なのです!」


 興奮気味に私達を紹介するのは宜しいのですが、聖剣に認められた勇者はあくまで桜花と巴であって姉様と私は違うのですけど……


「まあ! 希望の勇者よ!アポスドルファの導きに引かれ、よくぞこの世界へお出でくださいました!」


 正直、勝手に召喚しておいて導きも何もないと思ったものですが、話が拗れるので顔には出さないようにしましょう。


「私は霞雪子、こたび聖剣に認められし勇者・桜花の姉に御座います。不躾ながら貴女様が大司教様であらせられますか?」


「あら! あらあらあら! 私とした事がなんと礼儀知らずな。申し遅れました。私は星神教・教皇様よりこの地の大司教を拝命しているアズメール=ガルディゴと申します」


 興奮して自己紹介を忘れる大司教様に姉様は自分から名乗りを上げる事でキツイ皮肉を叩きつけます。

 やはり道場主をされているだけあって、その辺の礼儀にうるさい姉様には我慢がならなかったようですね。


「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。隣に控えしは上の妹、月夜に御座います。故あって言葉を失っておりますので、私が代わりに紹介する無礼はご容赦を」


 姉様の紹介に私は頭を下げます。


「私が聖剣に認められた勇者・桜花に御座います」


 桜花が前に進み出て頭を下げると大司教様は桜花の前に傅きました。


「た、確かにこれはアポスドルファより託された聖剣! 貴女が勇者様ですのね」


 興奮して桜花の手を取る大司教様を呆気に取られて見ていると、何やら背後から冷気を感じて思わず後ろを振り返ります。

 そこには全く表情を無くした姉様の緑の双眸がジッと大司教様を捉えている様がありました。

 普段は下手な宝石より美しいと思って見ていた緑の瞳が、今日に限ってどこか禍々しいモノを感じてしまいました。


「と、ところでどうやって桜花達を召喚したの? 桜花達に聖剣が使えるかどうやって知ったの?」


 矢次早に賛辞の言葉を続ける大司教様に辟易したのか、桜花は質問する事で話題を替えようとしているようでした。


「はい、アポスドルファより授けられた『秘術』はまず瞑想する事から始まります」


 あからさまな話題のすり替えに気付いているのかいないのか、大司教様は妙に潤んだ瞳を湛えて桜花の質問に答えます。


「瞑想が深くなればやがて無想の境地に達します。その時、どこか光を感じるのです。それは希望の光です」


「希望の光?」


「その通りです。アポスドルファの『力』を使うに値する勇者の心の波動です。そこに手を伸ばして掴み取ったのが……」


「桜花達って事なんだね?」


 私には説明が抽象的過ぎて結局概要は解りませんでしたが、桜花は恐らく直感的に理解できたようです。


「流石は勇者様! 飲み込みが早いですわ! そして、その手応えを感じた直後に私は意識が遠のいてしまったのです」


 話を聞いていて、何だか掴み取り漁法の魚になった気分にさせられてしまいました。


「さあ、大司教様。これ以上はお体に障ります。今日はここまでにされた方が宜しいでしょう」


「そうですね。本音を云えば少々体がだるい様に感じます。ここは姫巫女様のお言葉に従って休む事にしましょう」


 アリーシア様が大司教様を立たせると、確かに彼女の顔色は気持ち蒼褪めていました。

 大司教様は力無く微笑まれると、桜花の首に星の形をした首飾りをかけました。


「コレは太陽神アポスドルファの祝福が篭められています。貴女の行く先に幸福があらん事を」


「ありがとう♪ 大切にするよ」


 大司教様は今度は私達に顔を向けます。


「貴女達の心の波動は不思議ですね。強い光を感じると同時に底の知れないナニかを感じます。でも不思議とそのナニかは不快な感じはしません。むしろ心地良い波動を感じます。その心で勇者様をお守りください」


 そう云うと、彼女は私達に一礼をして子供達を伴い教会の奥へと下がって行かれました。


「面白い方でしたね」


 大司教様が視界から消えると同時に姉様がアリーシア様に声をかけられました。


「ええ、彼女は知識、信仰心どれをとっても素晴らしい方ですが、何よりそのお人柄を買われて、あの若さで大司教に任命されたのです」


 アリーシア様が誇らしげに答えられると、姉様の眉が一瞬跳ね上がりました。


「ところで彼女の周りにいた子供達は? 礼拝客とは思えませんでしたが」


「あの子達は、あのヴェルフェゴールの侵攻から生き残った孤児なのです」


 アリーシア様は哀しげな顔でそう答えられました。


「地獄と化したフレーンディアにおいて有志が子供だけでも出来る限り救おうと努力した結果があの子達なのです」


 その孤児達の一部を大司教様は引き受けて私財で養っておられるそうです。


「国家滅亡という極限の中でよくぞ……アジトアルゾ大陸から魔族を一掃したあかつきには彼らを弔いたいものです」


 姉様が遥か西、アジトアルゾ大陸に向けて合掌されるのを私達は倣いました。


「まあ、そのお言葉だけでも彼らは報われたと思いますわ」


 アリーシア様は涙ぐみながら姉様に微笑みを向けました。









 大司教様との邂逅を済ませた私達は城門に向けて歩みを続けます。

 門を出れば私達はいよいよ第一の目的であるヴェルフェゴール退治に向けて旅立つのです。

 その道すがら姉様は私の肩に手を乗せて指でトントンと軽く叩きました。


(月夜、さっきのアズメールの事なんだけど……)


 いきなり呼び捨てですか姉様。


(大司教様が如何なされましたか?)


 私は姉様の腰に手を当てて、同じように指で軽く叩きます。

 端から見れば盲目である姉様の歩行を補助しているように見えるでしょう。


(彼女は信用しない方が良いわ。少なくとも油断はしないで)


 私は思わず姉様の腰を掴んでしまいました。


(信用できないとは? 召喚された事と関係はないですよね?)


(そんな事、いつまでも拘らないわよ? 私が云いたいのは彼女の言葉の矛盾よ)


 姉様は目が不自由な分、勘が鋭い所があります。

 いえ、勘と云うより洞察力でしょうか?


(彼女は初めに“どなた?”って訊いたのよ? おかしいとは思わない?)


(それは初対面ですし、当たり前の反応では?)


 召喚直後に力を使い果たしてしまい、私達の顔を確認する事が出来なかったという事もあるでしょう。

 私の答えに姉様は軽く溜め息を吐かれました。


(いい? 彼女は私達を召喚する時、“勇者としての心の波動を感じ取って、引き寄せた”と云ったのよ? なら、初対面でも桜花の中に波動を感じ取って然るべきでしょう?)


(それはそうですが、勇者の心の波動とは数少ない特殊なモノなのではないですか? いくら桜花が勇者でも常態で、そのような波動が起こせるとは……)


(貴女は心の波動なんて信じてるの? 心に波なんて起こせる道理はないわ。ましてやソレを感じるなんて)


 姉様の指の調子が強くなり、少し痛いくらいになってきました。


(そもそも私達が召喚された時、私達がどういう状況にいたのか忘れたわけじゃないでしょ?)


 その『言葉』に私はハッとなりました。

 そう、あの時は姉様と桜花が丁度内弟子達との朝稽古を終えて、揃って朝餉を食べていました。

 そして急に眩暈に襲われて、気が付くとあのお城の一室に大勢の男性に囲まれていたのでした。


(暢気に朝御飯を食べている状況の桜花から勇者の波動を感じたのなら、常に桜花から勇者の波動を感じてなければ嘘でしょう?)


 確かに……しかも大司……いえ、アズメールは最後に私達の心の波動もどうしたと云っていました。

 つまり、いつも他者の心の波動を感じると云っているようなものです。

 それなのに桜花の心の波動と召喚の『秘術』の時に感じた波動の一致が彼女には解らなかったようです。


(解ったでしょ? アズメールは心の波動なんて感じる事ができないのよ、実際は)


 私は『言葉』も出ません。


(見ず知らずの、しかも見たことも無い黒髪を持つ女が三人訪ねて来たのなら、彼らが勇者かと当たりをつけて、嘘でも「貴女が勇者ですね?」と云うべきだったのよ、彼女は)


(つまり私達がこの世界に召喚されたのは?)


(偶然でしょうね。聖剣の資質も怪しいものよ? まあ、私や貴女に抜けなくて、桜花と巴に抜けたのは案外私達の中で最強の者を選んだってところじゃないかしら?)


 私は姉様の顔を見上げます。それは自嘲でもなく本気で桜花と巴を最強と思っているように感じられました。


(ふふ、才覚を見れば桜花と巴が私を超えるのも時間の問題だというのは解るわ。何せ、去年たった十三歳で霞流道場の四天王になったんですもの)


 霞流道場の四天王とは師範である姉様を除いて上位に名を連ねる四人の門下生を指します。

 いずれも目録を許された師範代で、同時に中位、下位の門下生に慕われる人格も兼ね備えた人物が選ばれます。

 いえ、桜花も性格はやや幼い部分はありますが、それでも後輩には慕われていますので……お子様限定ですが。


(さあ、この話題はこれでお仕舞い! やるべき事をやらないとね)


 姉様の『言葉』に、私はいつの間にか城門に辿り着いていた事に気付きました。


(それと今の話は桜花には内緒ね?)


(わかりました。勘のいい巴はいずれ自分で気付くでしょうけどね)


 私の返事に姉様はニコリと微笑まれて頭を撫でてくださいました。


「ここを抜ければユキコ様達の旅が始まります」


 アリーシア様は城門の前で振り返ってそう仰られます。


「はい、私達、雪月花の三姉妹、これよりヴェルフェゴール退治に赴きます。吉報をお待ちください」


 姉様の言葉にアリーシア様は頼もしそうに頷きます。


「そのお言葉、頼もしく思います。でも、くれぐれもご無理だけはなさらないでくださいまし」


 それと――アリーシア様は背後に向かって声をかけます。


「星神教よりの支援だそうですわ」


 アリーシア様に促されて前に進み出たのは私と同い年くらいの紫色をした髪の少女でした。

 腰まで伸ばした髪を綺麗に切り揃え、それほど高くは無い背丈。なで肩の上に理知的な、悪く云えば冷たい印象を与える美貌が乗っています。

 目はややツリ目がちで鼻の上に乗った小さな眼鏡の奥から紫色の瞳がこちらを見ています。

 服装はピッチリとした皮の短ズボンに上半身は赤い布地で乳房を隠すだけの肌着を着用し、銀の肩当てを装着しています。

 その背中には槍が括られてることからそれなりに武芸を修めているのでしょう。


「彼女は星神教会の守護騎士の一人にして、傷を癒す回復魔法の使い手メンフィス=イルーズと申します」


「勇者様、メンフィス=イルーズで御座います。メフィとお呼びください。不束者ですが、宜しくお願いします」


 メフィさんはペコリと頭を下げます。


「この世界に不案内なユキコ様達の案内人にして治療要員として厳選された逸材です。必ずやお役に立つと私は確信しておりますわ」


 アリーシア様の紹介に、メフィさんは、褒めすぎですと至極冷静に返事をしていました。


「勇者の姉の霞雪子です。治療要員とは心強い。こちらこそ、宜しくお願いします」


 姉様の挨拶にメフィさんは一瞥しただけで、「ええ」とだけ答えました。

 同様に私を見る目もまるで路傍の石を見ているようでした。


「勇者様、旅は困難を極めると思いますが、私が命に代えましてもお守り致します」


 メフィさんは先程、私達に向けた冷たい視線とは逆に、敬意を篭めた目を桜花に向けています。

 成る程、勇者以外は眼中にありませんか。それはそれで構いませんけどね。道案内だけしっかりして頂ければ。


「それでは、アリーシア様。行って参ります」


「ユキコ様、ツキヨ様、オウカ様も息災であられますよう……カイゼントーヤには既に早馬を走らせて船の手配を依頼しておりますので」


「お心遣い、感謝致します」


 姉様が一礼してお別れは済みました。

 いよいよ私達の旅が始まります。


「出発♪」


 桜花の号令と共に私達は冒険の旅へと一歩を踏み出したのでした。









 いよいよ私達の旅が始まります。

 まず目指すのはロッツァーという街だそうです。

 乗り合い馬車の中継基地でもある交通の要との事で、今日中にロッツァーまで行き、明日は馬車を借りて一気に運河まで進む予定となります。

 我々の世界の常識がどこまで通じるのか分かりませんが一歩街の外に出れば魔物が襲って来る危険な世界らしいので気を引き締めて参りましょう。

 まずは腕試し。最寄りの街まで辿り付けなければ話になりません。

 我々は無事にロッツァーの街まで行けるのか。

 それは次回の講釈にて。

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