第拾章 いざ謁見へ

「朕がこの聖都スチューデリアを治める聖帝『レオン=ジル=スチューデリア』である。 苦しゅうない面を上げよ」


 聖帝陛下のお言葉に私達が顔を上げると、そこには慈愛の笑みを湛えた初老の男性が玉座に腰をかけられていました。

 昨日、予備知識としてアランドラ皇子から「仁政をもってこの国を栄えさせる名君」と聞いてはいましたが、確かに感じる器量が桁違いでした。

 ただ好色が過ぎる一面があり、手を出した女性は貴族、軍人、侍女、平民含めて五百人は超え、作った子供も二百人を超えるとか。

 五代将軍・徳川綱吉公の時代の大奥二千人と比べるべくもないですが、それでも半端ではない数である事には違いありません。

 ただ救いと云って良いものかは判じかねますが、お手付きの女性は皆すべて後宮にて養っておられ、その家族にもいろいろと便宜を図っておられるようです。

 またこれも当たり前過ぎて評価するものではありませんが、たとえその女性が気に入っても既に恋人や夫がいる場合はお手を出される事はないと云う事です。


「そなたらが太陽神より賜った聖剣を使う勇者であるか?」


「御意! 名を霞桜花と申します。そしてこれなるが太陽神アポスドルファより賜った聖剣に御座います」


 ふふふ、桜花に徹夜で練習させた甲斐あってなかなか様になっています。


「ほう、これはまた見事な剣である。我らの世界の平和はその剣とそなたにかかっておる。頼みおくぞ」


「御意」


 その後、姉様と私が自己紹介をして、世界を取り巻く状況の再確認、激励のお言葉や様々な品を賜って謁見は終了しました。


「大儀であった。今宵は勇者の誕生の祝いと激励を兼ねて宴を催す故、鋭気を養い明日からの旅に備えるが良い」


 陛下が退場されると、謁見の間にホッとした空気が流れました。

 やはり私達だけでなく、周りにいた騎士や侍女の人達も緊張されていたようですね。


「さて、私達も退席しましょうか」


 姉様がそう云って立ち上がると、アランドラ皇子が歩み寄って来られました。


「これはこれは麗しきお嬢さん、少し私めにお時間を頂けませんかな?」


 皇子が軽薄さながらの口調で姉様の手を取ると、周囲の雰囲気がガラリと変わりました。

 皆、一様に苦虫を噛み潰したかのような顔で嫌悪感を篭めた視線を私達に、いえ皇子に向けています。


「はい……その……」


「おお、これは申し遅れました。 私はこの国の……」


 身振りを交えて自己紹介をするアランドラ皇子に益々険悪な空気が流れてきます。

 これは勿論、昨夜の内に皇子と私達とで示し合わせたお芝居です。

 実はこの国の皇族の方々は旺盛すぎる色欲を持て余す人物が少なくないそうです。

 それゆえ、私達が女という事もあって虎視眈々と狙う方も多いとか。

 しかし、彼らには共通する性癖があって、人妻や恋人持ちなど云い方は悪いのですが人の手がついた女性は興味を失うと云う困ったものでした。

 けれど姉様と桜花の安全を保つ為にその性癖を利用させて頂くとしましょう。

 私ですか? ふふふ、私はとうに穢れていますのでご心配無く。

 姉様と桜花は満更でもないといった様子で彼と話の花を咲かせています。

 独りその様子を眺めている私に一人の男性が近づいて来ました。


「彼らの話には加わらないのかい?」


 アランドラ皇子より二つ三つ年齢が下に見える青年が私に話しかけてきました。

 恐らくは母親が違うのでしょう。アランドラ皇子に似ている部分と似ていない部分がはっきりと見て取れます。


「賢明だね。あのアランドラに近づいたが最後、どんな目に遭わされるか解ったものじゃないさ」


 彼は片目を瞑って見せましたが、不器用なのか瞑った側の顔が大きく引きつっていました。


「僕は王家第百三十七子、サーレンっていうんだ」


 彼は一方的に話しかけてきますが、その言葉は私の耳を右から左へと抜けていくばかりです。

 そもそも下心があからさまに見える笑みを浮かべる彼に、アランドラ皇子の事をとやかく云える権利は無いでしょう。

 アランドラ皇子が軽薄を装う理由が解った気がしました。

 つまり皇族が目をつけそうな女性は皆自分が手をつけた事にしているのでしょう。

 皇子は自ら女性に目が無いと噂を流し、彼の眼鏡に叶った女性は全て手篭めにする、即ち純潔を奪われた事にして皇族の興味を削ぐ事で護っているのですね。

 ちなみにアランドラ皇子は第三十六子、男子では十六番目であられるそうで、帝位継承権は有って無いものとして敢えて汚名を進んで被っているとの事です。

 彼のお母様は元軍人で剣術の他諜報術に長けた方だそうで、そんな彼女の血を引くアランドラ皇子はまさに精悍そのもの……姉様が気になさる訳です。


「ねえ! 僕の話を聞いてるのかい?!」


 青年が苛立ったように私の肩を掴むと、元々胸元が開いていたドレスがずれて私の乳房が大きく露出してしまいました。


「あっ!」


 私が憮然とした表情で睨むと、彼はバツが悪そうにそそくさとその場から逃げていきました。

 まったく……そう云えば彼の名前は……ヤーレン? ソーラン? 思い出せないという事は私の中で“どうでも良い人間”に分類しているのでしょう。

 私は胸元を直しながら姉様達の方を見ると、いつの間にかアリーシア様が姉様を抱きしめてアランドラ皇子に向かって怒鳴っていました。

 しかし、アリーシア様は姉様より頭一つ分背が低いのにどうやって姉様の頭を胸に抱いたのでしょう?

 あ、桜花……「桜花もやってみたい」って姉様を絵本のお姫様のように抱き上げて……

 姉様、長女としての威厳は台無しですが、本当に可愛らしいです。

 姉様を景品とした三人の争奪戦は宴の時間まで続き、周りの侍女や騎士達はその光景に初めは呆気に取られていましたが最後には皆微笑んでいました。









「うー、お腹いっぱい♪」


 宴も終わり、お風呂を頂いた私達は絹の貫頭衣のような寝巻きを頂き、用意された寝室でくつろいでいました。

 桜花はベッドの上で仰向けになると、幸せそうな顔でお腹を擦っています。


「桜花、食べすぎよ? いくら美味しくってもあんなに厚く切ったビフテキを一人で三人前も食べるんですもの……横で咀嚼の音を聞いてて恥ずかしかったわ」


(そう云われる姉様も出てくる料理一品一品作り方を訊ねられて料理人を困らせていましたよ?)


 私はテーブルをコツコツと突いてつい揶揄してしまいました。どうも気分が高揚しています。

 私も出されたワインを甘いとは云えついつい飲みすぎてしまったようです。


「それは作れる物なら作りたいもの。いつも行っている洋食屋は美味しいけど値段が高めだし」


 姉様は意外と西洋料理がお好きです。

 臭いのキツイ物や極端に甘い物を除けば何でも召し上がられます。

 もう顔馴染みになったお店では姉様用にニンニクを控えて調理して下さるので、姉様の嗜好の幅はさらに広がっています。

 思うに西洋料理は目で見て楽しむ日本の料理とは違って香りを楽しむ料理なのでその事も姉様が西洋料理を好まれる一因でしょう。


「そう云えば王様から色々貰ったよね? 見てみようよ」


 桜花はベッドから飛び降りると聖帝陛下からの贈り物が入った箱に手をかけました。


「桜花、王様じゃなくて聖帝陛下よ。我が国で云えば畏れ多くも帝、天皇陛下のような存在じゃないかしら?」


「その割には気さくだったよ? 話し方は堅苦しかったけど、「お主の様な子供に未来を託さねばならぬ情けない朕を許せ」って頭を撫でてくれたし」


 柔らかく微笑む桜花に同調するように私の口元も緩みます。

 あの優しげでご自分を責められているような寂しげな陛下の微笑みはどこか姉様に似ていらしたから。


「確かに為政者としては身近すぎる方だったわね。アランドラ皇子が仁政の人と評するのも解る気もする」


(若い頃、よくお城を抜け出しては綺麗な女性を捜していたと云う陛下は、同時に城下の整備や治世の欠陥も多く見つけられたそうです。その修繕が彼を仁政の人にしたのですね)


 苦笑する私に姉様も、「人生、何が幸いするか解らないわね」と微笑まれました。


「ねえ! 早く見ようよ!」


 待ち切れないと云わんばかりの桜花に私達はもう一度苦笑するのでした。


「うーん……これは世界地図だね。これは火薬を取り扱う組合の万国共通の手形って云ってたね。月夜姉様への贈り物かな?」


「そうね、月夜が火術を使うと聞いて手配して下されたのね。他には?」


 桜花は手甲のような物を取り出します。


「何だろ? あ、説明書きかな? あう……見た事の無い字で読めないよ」


 私は桜花の手から説明書きを受け取ると、目線を走らせます。

 私は本日、空いてる時間にこの世界の文字を学ばせて頂いたので、簡単な文章ならなんとか読めるようになっていました。


(この手甲は特殊な銀で作られているようです。ところどころ不明ですが、どうやら防御力が非常に高く、その上まったく重さを感じさせない代物のようですね)


「そうなの? あら、本当に軽いわ。何も着けてないみたい……硬さは……」


 姉様は手甲を嵌めて面白そうに手を振り回した後、愛用の杖で軽く叩きます。


「うん、相当硬いわね……過信しなければ盾として使えそうね。これなら千回素振りをしても疲れる事はなさそうよ」


 普通、千回も素振りをすれば手甲が無くても疲れると思うのですが……


「じゃあ、それは雪子姉様の物だね。桜花には何か無いかなぁ?」


 桜花は数本の細い短刀の様な物を取り出しました。

 柄は真っ直ぐで黒い革製、鍔は無く刀身は私の中指くらいで怪しげな光を放っています。


(これは……失わずの短剣と読むのでしょうか? その短刀は無くしても、気付いた時には所有者の元に戻ってくる物のようですね)


「気付いたら戻ってくるって、呪われてるんじゃないでしょうね?」


「雪子姉様、“天の声”……じゃない、巴がそういう嫌な感じはしないって」


 姉様はしばらく桜花の方に顔を向けていましたが、納得されたのか棒手裏剣代わりにと桜花と半分ずつ分け合いました。

 姉様は私にも持たせようとされましたが、私は手裏剣術が苦手なのでお断りしました。


「あ、まだある……んしょ!」


 これは小瓶に銀色の液体が入って……まさか水銀?!

 桜花が蓋を開けようとしたので慌てて止めようとしたのですが、間に合わずポンと景気の良い音を立てて蓋が開けられてしまいました。


「うにゃ?!」


 桜花の奇妙な悲鳴の理由はすぐに解りました。

 なんと水銀と思しきモノはまるで生きているかのように桜花の体に纏わりついていきます。


「な、何?!」


 やがてソレはいくつかに分かれて桜花の急所を覆うように登って行き、そこに留まりました。。

 意を決してソレに触れてみますと、見た目はプルプルと波打っているのに表面は凄く硬いモノでした。


(これは……防具のようですね)


 説明書きに目を走らせて二人に説明をしました。


(その水銀のようなモノは魔法、妖術の類で命を与えられた特殊な銀で、持ち主の意のままに操る事ができるようです)


「い、意のままに?」


 涙目になった桜花が必死になって訊き返します。


(ええ、普段はそうして最低限の急所を護るように展開していますが、試しに右手に集まるように念じてみてご覧なさい)


「わ、解ったよ! 右手右手右手……」


 すると桜花の体についたモノは集まりながら右手を目指して登っていきます。


「うう……体中を蛞蝓が這ってるみたいだよぉ!」


 嫌悪感に身を震わせながらも、桜花は必死に右手に意識を集中させているようです。

 やがて数秒も経たずに桜花の右手は銀の塊に変じていました。


(形も自在みたいですね。桜花、何か形になるように念じてみてください)


「う、うん……」


 桜花が目を瞑って精神を集中させると右手に纏わりつくソレは美しい刀の形に変じました。


「うわぁ! 姉様の仕込みそっくりになったよ!」


 云われて見れば、確かに見事なかます切っ先が目の前にありました。

 ちなみに、かます切っ先とは文字通り、切っ先がかますのように鋭く尖った実戦刀の事を云います。

 姉様は筑後の刀鍛冶・甲勢の作、ニ尺六寸(約80センチメートル)の豪刀を仕込み杖に改造しているのです。


「あはは♪ いろんな形になる! おっもしろーい♪」


 桜花の手の中でソレは槍になり弓になり、様々な姿に変わり、それを見ては桜花はキャッキャッと笑っています。

 なるほど、扱い方次第では強力な武器にもなるようです。

 使いこなせるようになれば、戦いを有利に進めることが出来るでしょう。


「あー、面白かった♪」


 やがて桜花が集中を解くと、ソレは桜花の腕を下りて彼女の急所を守護すべく纏わりついていきます。


「うひゃぁ!! また桜花の体にぃ!」


 ソレが体を這うたびに桜花はビクリビクリと身を震わせます。


「き、気持ちわ……アン! 気持ち悪いよぉ……アフ……ハン……いやぁ……アン!」


 頬を紅く染めて身を捩る桜花は何と云いますか、妙に艶やかと云うか、色っぽい。

 そう、扇情的なのです。


「あう……動か……ないでぇ……ハァ…ン」


 私は上を向いて首の後ろをトントンと叩く事を余儀なくされてしまいました。

 ……理由は訊かないでくださいませ。


「桜花、貸してごらんなさい」


 姉様が桜花の胸に触れると、ソレは姉様の腕を伝って全身に纏わりついていきました。


「なるほど、確かにくすぐったいわね……でも、制御は簡単そうよ?」


「どーゆー事ぉ?」


 姉様の言葉に桜花はとろぉんとした表情で、呂律の回らない口調で訊き返します。


「コレが自分の肌の一部と思って動かしたら、くすぐったいのが消えたわ。いえ、本当に自分の肌の一体になったみたいよ」


 姉様が私達の目の前に右腕を差し出すと、瞬時に銀色の鱗に覆われてしまいました。

 いつの間に加工をしたのでしょう?


「ね? 肌の一部と思えば『ナニかが体を這い回る感覚』は起きないから、桜花ももう一度やってみなさい」


 姉様が桜花の手を取ると、ソレは再び桜花の体へと戻っていきました。


「うん……肌の一部肌の一部……」


 次の瞬間、桜花の額から一角獣のような立派な角が生えてきました。


「ホントだ! 雪子姉様の云う通りにしたら気持ち悪いのが消えたよ! おまけにさっきより動かしやすい!」


 どうやら問題は解決したようです。

 しかし桜花の試運転を僅かな時間『観察』して、その身に移しただけでソレを使いこなす姉様は流石です。


「うにゃぁ?!」


 すると突然桜花が再び叫びました。


「ど、どうしたの?」


「あうぅ……と、巴が……」


「巴がどうしたの?」


 桜花が顔を真っ赤にさせてモジモジと途切れ途切れに続けた言葉に、私はポカンと大口を開けてしまいました。


「あの……さっきの桜花みたいに……この銀で雪子姉様も……も、悶えたら目の保養になってたのに……って」


 云わなければ良いのに、桜花は良くも悪くも素直すぎます。

 ほら、ご覧なさい。第六天魔王の御出ましです。


「とお~~~~~~もお~~~~~~うぇ~~~~~~~~~~ッ!!」


「はわ?! な、なんで俺が『表』に?」


 どうやら桜花は姉様の気迫に当てられて気を失ってしまい、巴が強制的に『表』に出されたようですね。


「月夜?」


 いきなり名前を呼ばれて私の心ノ臓は大きく跳ね上がってしまいました。


「この変幻自在な銀の名前は解る?」


(な、名前ですか?)


「早くなさい?」


 気のせいか、お部屋の空気が急激に冷え込んだような錯覚を覚えました。

 こ、これはすぐに答えないと身に危険が……

 すぐさま小瓶に紐で括られていた説明書きに目を通します。


(な、名前はホーリー・ディフェンサーです!)


「……ありがとう」


 私はその時、姉様の笑顔を見るべきではありませんでした。

 身の毛がよだつってこの事なのでしょうね。

 優しく微笑んでいるようで怒気を敢えて全身から滲み出されている様はまるで悪魔を連想させられます。

 姉様は微笑まれながらゆっくりと巴に近づいていきました。


「あ……雪子姉? キョウモステキナエガオデ……」


「あら、ありがとう……お礼に愉快な事をしてあげるわ」


 私は耳を塞いで後ろを向きます。

 私は何も見ていません。何も聞いていません。そして何も云いません。


「さあ、ホーリー・ディフェンサー? 可愛い弟をくすぐっちゃいなさい!」


「うにゃぁ?! ちょっ! そ、そこはしゃ、洒落にな、ならねってば! あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 いったい巴はどのような目に遭っているのか……興味はあれど見てはいけないと私の本能が告げています。

 やがて巴の断末魔の叫び。いえ、それは姉様が口を塞いでくぐもった悲鳴になっていましたが、その後巴は膝を抱えて部屋の隅で泣いていました。


「お、お婿にいけない……」


 私は何も聞いていません。ええ、聞いていませんってば!

 恐る恐る姉様の方を見れば、姉様は姉様で顔を真っ赤にさせて卒倒されていました。

 さもありなん。口付け程度で気を失う姉様がこんな物・・・・をかけられては……


(この臭い、久しぶりですね)


 私は姉様の頬にあるソレを指ですくい、親指と人差し指で弄びながら深い溜め息を吐いたのでした。

 明日からの旅路が物凄く不安です……









 翌朝、私達はヴェルフェゴール退治の長い旅が始まります。

 出発の直前に一つの出会いがありました。

 私達をこの世界に召喚したとされる大司教は何を語るのか。

 それに対する私達の行動は?

 それは次回の講釈にて。

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