第玖章 謁見前の風景
私こと霞
私は姉様に対して深い愛情と感謝の意を持っています。しかし同時に云い様の無い程の申し訳無い気持ちと遣る瀬無い気持ちもあるのです。
嗚呼、姉様。姉様。私の姉様……私の為に、いえ、私のせいでその白雪のような美しい手を紅く染めてしまった姉様。姉様の『罪』は私の『罪』。
嗚呼、姉様。私の愛しい人よ。貴女は私に微笑んで下さるけど、その笑顔は本心からなのでしょうか? 私は貴女の為に何が出来るのでしょう?
私に出来る事は姉様の代わりに我が手を血に染める事だけ。貴女を穢そうとする者を貴女から引き離す事だけ……たとえ私の身が穢されようとも……
嗚呼、姉様。姉様。私の姉様……あの日、穢れた私さえも桜花と等しく愛して下さる姉様。口が裂けても云えないこの想い。
お慕い申し上げます、姉様。
私達は今、大勢の女性に囲まれて服を着替えさせられています。
私は青を主体とした絹のドレスに銀の髪飾り(ティアラと云うそうです)を頭に載せられています。当然、着物に仕込んでいた火術の奥義は全て取り外されて少し心許ないです。
お化粧をしてくれている人の邪魔にならないよう視線を巡らせると、やや憮然として道着を脱がされている姉様を見つけました。
その背中には大きく抉られたような傷が二つあるのです。いつこのような傷が出来たのかは私にも解りません。本人も忘れているようです。
両親にいつか傷の事を訊ねてみた事がありましたが、二人とも言葉を濁すばかりで教えてくれず、とうとうお墓にまで秘密を持って行ってしまいました。
そして、あらかじめ手伝ってくれている彼女らに、姉様には傷の事を触れないよう云い含めてあるので誰も騒ぐ人はいません。僅かに息を呑む音は聞こえましたけど。
姉様は髪を解かれると丁寧に櫛を通された後、綺麗に編み上げられて後頭部に纏められました。
次に純白のドレスを着せられ、様々な宝石をちりばめた髪飾りや首飾り、指輪までされるがままに装着されていきます。
感心したのはここまで宝石を身に着けているのに嫌味や下品さを感じさせない事です。むしろ宝石の方が姉様の引き立て役になってると云う表現が合ってました。
「うう……このピッチリした“ぱんてぃ”って下着、落ち着かないんですけど……」
姉様の困惑した声に周りの女性たちはキョトンとしています。
無理もありません。姉様に限らず、腰巻やあるいは何も着けない事に慣れている私達にはこの下着は馴染まないのです。
昔、男の子達に混じって子供神輿に参加した時に締めた褌を思い出してしまいました。
「お化粧なんて母様の葬儀の時に軽くして以来よ」
苦笑する姉様の顔は既にお化粧が終わっていました。
(ね、姉様……)
なんと云うか、お化粧された姉様は下手な華族様のご令嬢よりも美しく、まるでお姫様みたいでした。
私は思わず口が半開きになり、しばらく呼吸を忘れるほど姉様に見惚れてしまいました。
「うわぁ♪ 雪子姉様、綺麗♪ 絵本のお姫様なんか比べ物にならないよ♪」
何故か、桜花だけカーテンで仕切られた場所で着替えさせられていたのですが、桜花は今、カーテンの隙間から顔だけを出して姉様を絶賛しています。
「もう! 桜花、お世辞なんか云っても何も出ないわよ?」
「お世辞じゃないもん。雪子姉様は自分がどれだけ美人か解ってないよ!」
私も桜花の意見に賛成です。いくら盲目とは云え、世間の噂くらい耳に入るでしょうに。
「霞流道場に過ぎたるもの二つありき。名刀・大真典甲勢二尺六寸に麗しの女師範」
こんな戯れ唄まであるのですけどね。
「はいはい、私の事より桜花の方も準備は終わったの?」
姉様の言葉を受けて、本日の主役たる勇者・霞桜花の勇姿を拝見する事にします。
「終わってるよ♪ 桜花の服は姉様達とはちょっと違うみたいだけど」
こ、これはまた姉様の時とは違う意味で私は絶句してしまいました。
水色を主体とし、豪奢に金糸・銀糸の装飾が施された礼服とズボン、そして深紅のマント。
これは男性用の正装、それこそ絵本の王子様のような格好でした。
良く見ると桜花の腰には例の聖剣が差してあります。
「桜花、コレ気に入っちゃった♪」
桜花は円柱状の帽子(ケピ帽と後で知りました)を被ると胸に手を当てて優雅にお辞儀をして、ニコリと微笑みます。
「さあ、参りましょう。お姫様達」
急に表情を引き締めて私達に手を差し延べる桜花に内心ドキリとしましたが、恐らく巴の入れ知恵だろう事は容易に察せられました。
「ふふ、本当に愉しそうね? 王子様になりきっちゃって」
姉様は優雅に微笑まれると桜花の手を取って立ち上がりました。
その様子に、いつも道場で厳しい修業を課して門下生達から陰で『姫信長』の仇名で呼ばれていた凄腕の剣客の面影は見えません。
「ユキコ様、ツキヨ様、オウカ様、準備は整いまして?」
その時、控えめなノックの後にアリーシア様の声が聞こえてきました。
「はい、三人とも準備終了しております」
代表で姉様が答えると、失礼しますと前置きしてからアリーシア様が入室されました。
アリーシア様は初めてお会いした時と同じ服装に、豪奢な肩当のついた純白のマントというお姿でした。
普段のアリーシア様はお姫様としての公務の他、星神教の巫女頭を務められているのでどちらのお仕事もできる服装をされているとの事。
ちなみに言葉で表すなら、艶やかに黒光りする首から股間まで覆う不思議な作りの肌着の上に、金属製の袴垂のような物と銀色の胸当てと云ったところでしょうか?
更に金の腕輪に脛当て、細々とした装飾品を付けられています。ただ先に述べた肌着は背中が大きく開き、お尻も半分以上見える程切れ込みが入っています。
私でしたら恥ずかしくてまず人前には出られない露出度なのですが、彼女は大して気にもしていない様子でした。
それ以前に彼女のお付きの巫女達はそれに輪をかけて露出が凄いので、星神教では普通の格好なのでしょう……恐らく。
ついでにお付きの人達の肌着は、上は胸がかろうじて隠れるほどの布を巻いているだけで、下に至っては細い褌のような物でしかありません。
(月夜姉様? あの人達、お臍とお尻が見えちゃってるけど、お腹冷えないのかな?)
(慣れているのではないですか? 意図は解りませんが、皆お揃いの格好ですし正式な衣装として着慣れていると考えるのが妥当でしょう)
私の腰を突く桜花の問いに私は推測しか答える術はありませんでしたが、桜花は納得したかのように生返事をすると私から離れていきました。
「皆、寒そうな格好だけど、お腹が痛くならないの?」
今度はアリーシア様達に直球で疑問をぶつける桜花に、私は思わず前につんのめりそうになってしまいました。
私の答えでは満足しなかったのでしょう。それは解りますが、もう少し遠回しに訊く事ができないのでしょうか?
「ふふふふ、そうですわね。確かに私どもの服装は他の方達と比べると肌を出している部分が多いですね。でも、それには宗教的な意味がありますのよ?」
桜花の不躾な質問に対してアリーシア様はお気を悪くされる気配を見せず、微笑みながら答えを教えて下さいました。
「まず日の光、即ち太陽神アポスドルファの加護を多く得る為という意味があります。つまり日の光が当たる部分を少しでも多くするという事ですわ」
そして――言葉を続けようとなさるアリーシア様の顔に僅かな羞恥が見えました。
「そして……これはあまり公言する事は憚られるのですが、遥か天空におわす神々のほとんどが男性の神様と考えられているのです」
「ほえ? 神様が男の人とその格好って関係あるの?」
桜花は興味津々といった具合でアリーシア様の次のお言葉を待ちます。
何と云いますか、私には説明の続きの予想がついてしまいました。
「ええ、神と云えどもやはり殿方です。やはり肌を出した女性を見る事がお好きなようですわね。ですから我々、巫女達は極力肌を見せる服の着用を求められるのです」
さもありなん。
私の脳裏に
「ふーん……」
生返事をする桜花の肩に私は手を乗せると力を込めて掴みました。これは桜花に言葉を止めなさいという合図なのです。
桜花が次に続けようとしている言葉が容易に察せられたからです。
「この世界の神様も助平なんだね」
そんな事を口走られた日には、私達は世界中の星神教徒に石持て追い回される事請け合いです。少なくともこの場にいる巫女達の気分を害する事になりかねないでしょう。
「そう云えば」
私の合図に気付いていないのか、桜花は平然と言葉を紡ぎました。
「桜花達の国だと山の神様は女の人なんだって」
私は思わず右手で目を覆ってしまいました。
「まあ、桜花様達の世界では山に神様がおわすのですね」
「うん、それで山で探し物をする時、男の人がアウッ?!」
物凄い音とともに桜花が頭を抱えて沈黙しました。
見れば姉様が右肘を下に向けた格好で仁王立ちをしていました。
「アリーシア様に何を聞かせるつもりだったの?」
ニコリと微笑まれてはいましたが、今の姉様はまさに『姫信長』の二つ名に相応しいお姿でした。
嗚呼、姉様の背後に第六天魔王と地獄の業火の幻影が見えます。
「姉様、酷いよォ……」
「あら? お代わりが欲しいようね?」
にこやかに右肘を振り上げる姉様に桜花は頭を抱えて逃げ出してしまいました。
実は姉様は戦いで刃が折れた時を想定して徒手空拳で戦う術を模索しています。
そこでまず考案されたのが、女性でも十分打撃力を得られる肘の鍛錬でした。
「まだ子供がコブを作って泣く程度の威力か。改良の余地があるわね」
洒落では済まされない風切り音を震わせて肘を振り回す姉様に私達は唖然とするよりありません。
凶悪な空気の振動を感じながら、「霞流・目録を得た桜花だからこそコブで済んだのでは?」と思わずにはおれませんでした。
「さて、愚妹の
第六天魔王もとい姉様がアリーシア様に問うと、彼女は頬をヒクヒクと引きつらせながらも「ええ」と答えました。
勇者の脳天に強烈な肘打ちをする姉という光景を見てしまっては仕方が無いととは思いますけどね。
「我が父、聖帝陛下の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」
「わかりました。すぐに参りますわ……桜花? 早くなさい?」
「うう……雪子姉様、コブができちゃってるよぉ……」
桜花は恨みがましい視線で姉様を見上げますが、姉様はどこ吹く風のようです。
「予定では頭蓋骨陥没だったところをその程度で済んだのだから我慢なさい」
この言葉に周囲の空気が凍りつきます。
「予定って、雪子姉様……」
「冗談よ」
おどけるように微笑む姉様に周りの人達は安堵の笑みを浮かべていますが、私と桜花には解ってしまいました。
姉様が本気だったと云う事を。
たとえ叱る際の拳骨であろうと人に痛みを与える時は全力を出す姉様の狂気。
私と桜花にだけ気付く事ができる姉様が時折り見せる凶暴性と云う名の狂気。
穏やかな笑みの下に隠された暴君。
おまけに姉様はまだ私達の知らない隠し玉をいくつも持っているらしいと巴から聞いた事がありますし、本当に底の知れない人です。
その気になれば、まさに彼の織田信長公よろしく恐怖で人を支配できる狂気の人。
屍の山を容易に積み上げる事のできる力を持つ恐ろしい人。
それが実行に移されないのは姉様の根底にあるのが“善”だからに他なりません。
“善”、いえ“人”と狂気の境目にいる姉様を“人”の側に留めるのが私達の役目なのです。
「さあ、行きましょうか」
仕込みと云う事もあって謁見の間に杖の持込を禁じられた姉様はアリーシア様に手を取られて部屋から出て行きました。
アリーシア様の腰まで伸びた波型の金髪を見つめながら桜花が呟きます。
「雪子姉様……こういう雰囲気でもアレが出ちゃうんだね」
(そうですね。でも、私達がいる限り姉様は大丈夫です)
私達は頷き会うと姉様の後を追っていきました。
いよいよ聖都スチューデリアを納める聖帝陛下との謁見です。
名君と聞いてはいますが実は女性に目が無いという前情報もあって不安も少なからずあります。
果たして無事に謁見を終える事が出来るのでしょうか。
頂ける支援とはいかなるものなのか。
それは次回の講釈にて。
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