第捌章 新たな家族
『グロロロロロゥ……』
エントから苦しげな声が漏れる。
噴き出す血と風が絡まるような音から気管まで斬り裂いていた事が分かった。
「介錯を仕る」
徐々に出血の音が小さくなっているのに動く気配がないのは傷を癒しているのではなく体内の血が尽きかけているからだろう。
私はエントの苦しみが長引かないよう首を落とすと決め、彼の背後に回って二尺六寸を振り上げた。
霞家も昔は極秘に切腹の介錯を請け負っていた事もあるので、切腹者の首を喉皮一枚残して落とす技術も伝えられている。それを『抱き首』と云う。
首を完全に斬り落とすと飛んでいって周りに血を散らしてしまうので、それを防ぐ為に皮一枚残すのだ。介錯人として腕の見せ所ね。結構、難しいのよ?
余談だけど何故、極秘だったのかと問われれば、切腹の介錯は首を一撃で落とす熟練者でなければ務まらず、介錯の失敗は武芸の不心得として大いに恥とされた。だから、家中に腕の立つ者がいない場合は、他家に気取られぬよう腕の立つ介錯人を雇う必要があったのだ。
『エント、もうすぐだ……もうすぐユキコが楽にしてくれるぞ』
テーシャの涙声が聞こえたのか、エントはゆっくりと意味を持つ言葉を紡いだ。
『あ、姉者……僕は負けたのか?』
『エント! 正気に戻ったか!』
テーシャは安堵と哀しみが入り混じったような複雑な声色で私との勝負の結果を伝えた。
『ああ、自らをアンデッドにしてまで任務を完遂しようとする気迫は見事であったが、相手が悪かった。だが、誇れ。お前を斃したユキコは尊敬に値する剣士だぞ』
テーシャは、大真典甲勢を振り上げていた私の手を下ろすとエントの元へと導いた。
『このユキコはな。地獄に堕ちようとしていたお前を命がけで止めてくれたのだ。いくら感謝をしても足りぬぞ』
エントの近くにいたのか、マーストはそう云っては私の手の上に恐らくエントのものと思しき手を重ねる。
死体にしては意外と温かいエントの掌は男の人とは思えぬほど滑らかで、まるで絹織物に触れているようだった。
『そうか……ありがとう……いや、この場合は、すまなかった、かな?』
「否、感謝も謝罪も不要よ。貴方は命だけでなく誇りさえも引き替えにして任務を遂行しようとしていた。主の為とはいえよくぞ。その忠誠心には私も尊敬の念を抱いたわ」
『優しいんだね、君は……外道に堕ちた僕にそんな言葉をかけてくれるなんて』
エントの手に僅かながら力が籠もった。
気が付けば、
『君は不要と云ったけど……あえてもう一度云うよ……ありがとう』
そう言葉を最後にエントはもう喋ることはなかった。
急激に冷たくなっていくエントの手とテーオちゃんの泣き声で私は漸く彼が解放されたのだと悟った。
「テーシャ……」
『なんだ?』
私の呼びかけにテーシャは嗚咽を堪えながら答えた。
「フレーンディアに帰還したら、ヴェルフェゴールに私の言葉を伝えて貰えないかしら?」
『伝言だと? それは構わないが、何と伝えるつもりだ? もしや宣戦布告か?』
テーシャの戸惑ったような声に、私は苦笑して首を左右に振った。
けど、それも面白いかも知れない。
「私がアジトアルゾ大陸に乗り込むまでに厠の扉を精々頑丈に作り直しておきなさい。最後はきっと、そこへブルブル震えながら逃げ込む事になるのだから、と」
『つ、伝えた後で我々が閣下のお怒りに触れそうで、出来れば断りたいのだが……』
「いやね、冗談よ」
元々、宣戦布告などするつもりはなかったし。
ただ、忠誠の徒たるカイゴーとエントの死に様を、せめて上役であるヴェルフェゴールには褒めて欲しいと伝えて貰いたかっただけよ。
『そ、そんな下弦の月を思わせる恐ろしげな笑みを浮かべられては冗談には聞こないのだが……』
あら、いつの間にか口の端がつり上がっていたわ。
『テーオもアンリも怯えるので、その歪な笑みはやめてくれ』
失礼な話だ。
とりあえず私は手で口元を糺すと、エントのそばで正座をする。
「手にかけた者の義務として、私達もエントとカイゴーの菩提を弔わせてもらうわ」
『そうか、兄者達も喜ぶと思う。ありがとう』
異世界の、しかも魔族の弔いに般若心経もなかろうと私は何も云わずに手を合わせて二人の冥福を祈った。
『敗れた戦場にこれ以上は留まれぬ。我らはアジトアルゾ大陸へ帰還するとしよう』
祈りが済むと、マーストが帰還の旨を伝えてきた。
長兄であるカイゴーの死により次兄のマーストが家長となるらしく、エントの遺体を運搬する段取りを立派に指揮している。
アリーシア様の厚意で純白の布でエントの遺体を包んだ彼らは例の『影渡り』の準備を始めた。
その際、テーシャがどこから出したのか、パンを一斤取り出してスタローグ家と私達、霞家の人数分に切り分けて配る。
『我らは糧を分け合う兄弟なり。笑いも涙も分かち合う家族なり。我らが絆よ、永遠なれ』
促されるまま口に入れ、咀嚼して飲み込むと、テーシャが先の宣言をした。
何でも魔界と呼ばれる魔族の世界では食べ物を分け合う事は神聖な行為とされているらしい。
日本でいう杯事のようなものだろうか。
『今、この時より我らは何人にも侵されぬ絆を得た。ユキコよ、我らは敵であると同時に家族となったのだ』
テーシャの声は神官のように厳かに響いた。
なるほど。兄弟分どころか家族となる儀式だったのね。
随分と惚れ込まれたものだけど不思議と迷惑とは思わなかった。
『今後、我らが貴様らを討つ事になれば、我々は万人に誇れるスタローグの家族として貴様らを葬ろう』
面白い。
この愛情深き宣戦布告に私も応えなければ嘘だ。
「ええ、私達が勝った時も貴女達の事は素晴らしき霞家の一員として葬る事を約束するわ」
交わされている言葉は物騒極まりないものであるが、雰囲気のせいか不思議と静謐な空間を作り出していた。
『では、さらばだ。我ら以外の者に殺されてくれるなよ、家族よ』
「ええ、いつでも待っているわ。他の魔族に出し抜かれないでね、家族よ」
その後、スタローグ家は自らの影の中へと消えていく。
こうして異世界での初戦闘は終結した。
戦績はガルスデントでも名の知れた武将を二名討ち果し、上々と云えるだろう。
そして『地獄代行人』の報酬として得難い家族を得た。
今後、スタローグ家とは敵ながら互いを尊敬し合い切磋琢磨する長い付き合いとなるに違いない。
私はこの奇妙な絆で結ばれた縁を心の底から嬉しく思うのだった。
翌日、勇者となった私達は聖都スチューデリアの聖帝と謁見する事となる。
そして旅立ちの際、私達、をこの世界へと召喚した大司教と邂逅する。
聖帝とは如何なる人物なのであろうか。
大司教を前に私達の胸に去来する感情とは何か。
それはまた次回の講釈にて。
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