第㯃章 秘剣『野分』

 月夜が私の腕を取り、手際よく手当をしてくれる。

 彼女もまた剣術道場の娘、狼狽えず冷静に対処してくれるのはありがたい。


「月夜、状況を……私の傷の具合も含めて」


(まず腕の傷ですが、今、血止めの薬を塗って、包帯代わりに私の襦袢の袖を裂いて巻きました。無茶をしなければという条件付きではありますが、姉様の腕前でしたら戦闘は可能です。でも、後ほどきちんとした手当をさせて下さい)


 我が妹ながら、迅速かつ適切な応急処置のお陰で楽になった腕をさすりながら続きを促す。


(敵、エントですが、鎧越しとはいえ私の炸裂弾を受けたにしては傷が浅すぎます。流石に身に付けている物はボロボロで裸同然ですが、膝裏まで届く銀色の髪が少しも焦げていないのが不気味です。両手足の爪が異様に鋭く伸びていて、ほとんど凶器と化しています。実際、姉様の腕を傷つけたのは彼の爪でした)


 なるほど、刃物にしては傷口がズタズタになっていると思っていたけど、まさか爪だったなんて……


(エントの目は姉様に向けられています。今はスタローグ家の人達と聖、アランドラ皇子がエントを取り囲んでいますが、いつ囲みを抜け出すか分かりません。早急に対策を講じなければならないでしょう)


 対策と云われても、炸裂弾の直撃を受けてなお無傷でいられる怪物相手に使える手段なんて私が教えて欲しいくらいなんだけど……


「いったい、どうなってるのよ? まるで獣みたいになってるわよ!」


『くっ! エントは優れた死霊術師ネクロマンサーでな、とりわけ動く死体ゾンビの作成にかけては魔界でも他の追随を許さぬ腕を持っているのだ。エントの奴め、恐らく死の間際に自分自身に術をかけて生ける屍と化し暴走しているのだろう』


 聖の焦りを含んだ声に、テーシャの答えは今にも泣き出しそうな子供を思わせる哀しみがあった。


「アンタ達、止められないの?」


『無理だ。エントの操る死体は完全に制御され、術者の命令には絶対的な服従をし、かつ高い成功率をもって遂行する能力の高さに定評があるのだ。今のように対象が自分自身、しかも当の術者が死んでいるとなると、これからエントがどうなるのかおよそ見当がつかない。ましてや、きちんと術をかけていたのかも怪しい。単純に『敵を斃せ』とだけ命令して術を施したとしたら、こちらの動き次第では最悪我ら兄弟までも標的にされかねん』


 テーシャの声は哀しみだけでなく、徐々に焦りや恐怖も混じってきている。

 無理もない。味方のはずの弟が暴走して、いつ自分達に牙を剥いてもおかしくない状況だ。


『更にだ。もう気付いていると思うが、エントの体が綺麗すぎると思うだろう?』


「こんな時に身内自慢? 確かに女と見紛うほどの切れ長の美形だし、傷一つない綺麗な体してるけどさ……あ、その唐辛子(隠語)は小さくて可愛いわね」


『どこを見ているか! 私が云いたいのは爆弾で殺された男の死体とは思えぬだろうという事だ! エントは美意識の高い奴でな。どんなに能力が高くても外見が醜く腐った死体は使いたがらない男なのだ。だからエントの術は死体を操ると同時に生前に近い状態へと修復する機能も付与される。つまり、エントの屍は高い戦闘能力だけでに留まらず、ある程度の自己修復能力があると考えた方が良いだろう』


「いや、情報はありがたいんだけど、何故、敵である俺にコイツの事を教えるのよ?」


 聖の疑問ももっともだと思う。確かに私もスタローグ家には友情めいた気持ちが芽生えてきている自覚はあるし、向こうもこちらに好意的な感情もあるだろう。しかし、それでもエントの力を教えて貰える理由にはならない。


『云ったであろう? エントは暴走していると……見よ、あの浅ましいけだもののような目を。獲物を狙う誇り高き狩人たるけものの目ならまだ良い。だが、今のエントの目はただ暴力に身も心も奪われた人面獣心けだもののソレだ。だから止めて欲しいのだ。エントがただの暴力者に堕ちてしまう前に……情けない話だが『マリオネット・アームズ』で魔力を使い果たした我らでは足止めすらできぬ……』


 これは小さかった。

 道に迷い、心細くなって今にも泣き出しそうな子供のようなか細い声だった。

 しかし、私にははっきりと聞こえた。聞こえた以上は応えなければならない。


『誰か弟を助けて』


 ただ純粋に使命を果たす為だけに、自ら外道に堕ちる覚悟をしてしまった弟を助けて欲しいと願うテーシャの心が『視』えてしまった。


「お引き受け致しましょう」


『ユキコ?』


 半ば涙声のテーシャが不思議そうに声を上げた。


「勇者と聖剣を滅ぼす使命を全うせんが為に、自らを怪物と化した弟御の覚悟は立派なれど、このまま外法に身を任せては地獄へと堕ちましょう」


 私は太刀を佩くように杖を袴の帯に挟み、左手の指を開いたり閉じたりして痛みを確認する。

 大丈夫。この程度の痛みならばお役目・・・の最中は耐えられる。


「健気な弟御を地獄に行かせるは忍びない。ならば代わりに地獄へと堕ちましょう。外法の術をばバッサリ断ち切り安らかなる冥福を捧げましょう」


 私が聖に顔を向けてゆっくりと頷くと、云わんとする事を察したのかスタローグ家の面々に合図をしたらエントから離れるように指示を出した。


「憐れ『死人返り』となった弟御の地獄行き、肩代わり致しましょう」


 『地獄代行人』のお役目は、何も正面から悪を斬ってきた訳じゃない。

 世の中にはいるもので、死す事で徳川幕府、今ならば明治政府に悪影響を及ぼす権力者。

 裏で悪い事をしていても、表では善行を積む事で人々から慕われている者共。

 即ち悪として葬ってはいけない悪の存在がごまんといた。

 そんな力業の使えぬ悪の出現に霞流は戸惑ったが、それならばと知恵を絞り、我が霞流の祖・霞籐右衛門とうえもんが山中での荒行の過程で友誼を得た山伏から伝授された外法を用い、標的に神罰が下ったように見せかけたり、善人だった者が妖魔に取り憑かれて悪行に走り、ソレを謎の剣士が斃したとして始末したりと人智を超えたモノの祟りとして標的を仕留めるようになった。

 腰に差した大真典甲勢二尺六寸、先祖代々、そういった人の世に蔓延る悪を妖魔の形にして斬り捨てて九百と七十と七……

 悪に苦しめられてきた人々、斬り捨てられた悪どもの恨み辛みを吸い続けて最早、妖刀と呼ぶに相応しい存在となっていた。


「第十五代目霞家当主・雪子……地獄行き、代行致し候」


 私は体を居合腰に沈めて杖の先端に右手を添えた。


「今ッ!」


 聖の合図と共に、スタローグ家の気配がエントから離れた。

 そう察した時には、既にエントの気配が目前まで迫っていた。


「せい!」


 私は矢のように飛んで来る殺気の先端に合わせて『車輪』を放った。

 『車輪』とは霞流居合の基本中の基本で、文字通り自分の体を軸として車輪を描くが如く抜き付けて前面の敵を薙ぎ払う技だ。

 また基本故に応用技も多く、この技を完全に自分の物にして使いこなす事ができるようになった門下生は例外なく上達が早い。


『グロロオゥッ?!』


 手応えを感じたと同時に、エントは憎悪を含んだ叫び声と共に後ろへと跳躍した。


『なっ?! 山猫を思わせるエントの攻撃を防ぐどころか迎撃するとは!』


『見事だ、ユキコ! 今の斬撃でエントは右手の五指を失った! 自己修復を終えるまでの間は攻撃力が幾分削がれるはずだ!』


 テーシャとマーストの驚愕と賛辞に私は軽く頷くことで返した。

 しかし、自己修復か……戦闘中に傷が癒えるとはなんとも厄介な話ね。

 私は素早く二尺六寸を杖の中に納め、エントとの間合いを測る。

 すると、私の気持ちを察したのか聖が彼らに声をかけた。


「エントの操る屍を倒す術はあるの?」


『ああ、勿論あるぞ。エントの作る動く死体の秘密は血液にある! 詳しくは流石に我ら兄弟にも教えてはくれなんだが、奴は自らの血に術を施し、ソレを屍に注入することで操り人形へと変えるらしい。即ち、奴の血を屍から抜くことで術を弱められるだろう』


 抜くって目の前にいるのがエントその人なのだけど……

 それに死体を斬ったところで出血なんてたかが知れてる。

 いえ、人一人から全ての血を抜くなんて不可能に近いだろうに……

 愚痴をこぼしそうになった私を先制するように今度はテーオちゃんが答えてくれた。


『アタシはよくエント兄様のお手伝いをしていたから知ってるけど、兄様の作る動く死体は生者と同じように心臓が動いてて血液を循環させているわ。理由は二つ、血液を循環させることで術を施したエント兄様の血を屍の全身に行き渡らせるという意味。もう一つは任務中、死体だってバレないようにっていう生者としての擬装ね』


 だから、大動脈を斬れば生きてるかのように一気に血が噴き出すはずよ、と得意げに云うテーオちゃんに私は思わず、でかした、と大声を上げた。


『いきなり大声出さないでよ。吃驚するじゃない! ほら、折角、修復中で大人しくなってたエント兄様も驚いて威嚇の唸り声を上げてるじゃない!』


 私は苦笑しつつ謝罪して、すぐに笑いを引っ込めた。

 再び居合腰に構えてエントとの間合いを測り直す。


「……秘剣『野分のわき』を遣う」


 私の呟きが聞こえたのか、月夜と聖から息を呑む音が聞こえた。

 今から遣おうという『野分』は私が自分専用に独自に編み出した技であって、霞流に伝えられているものではない。ましてや、門下生に教えられるような技でもない。

 私の能力『心の眼』は確かに盲目である私に敵の位置、動き、心理を教えてくれる。

 しかし、『心の眼』は極限まで高めた集中力を必要とする為、長期戦では遣えないという弱点がある。

 それ故に私は一つの結論に達した。勝負を一瞬で終わらせる事、即ち一撃必殺と。

 門下生は勿論、家族にさえも見せた事のない必殺の秘剣。

 いずれ、再び敵としてまみえるだろうテーシャ達にも見られる事になるけど、それもやむなし。

 仮に『野分』が彼らに看破されようとも、霞流にはまだ三つの奥義が残っている。

 霞流剣術の基本技、応用技を究め、更に自分の体格や動きの癖に合わせた工夫を凝らして独自の進歩ができるようになって門下生は目録を許される。そこで、初めて三奥義の存在を明かし、道場に住み込みをさせ、通常の稽古が終わって中位、下位の門下生が帰った後に奥義伝授の修行に入る。

 もっとも、奥義伝授は本人が必要としなければ無理に教えるつもりはない。

 剣の腕があれば世の中を渡れる戦国の世じゃあるまいに、激動の幕末もとうに過ぎ去った新時代においては剣術など廃れる一方で、今じゃ精神修行か護身術程度になりつつあって奥義の遣いどころなんて無いに等しい。

 そもそも、霞流道場は荒稽古でも知られていて、当道場の目録は他道場の免許皆伝に匹敵すると云われているから目録で満足してしまう門下生が多くなってしまっているのが現状なのだけどね。

 ああ、いけないいけない、戦闘中だったわ。

 日本の剣術の未来を嘆く前に、今はお役目を務めなくては……

 私とエントとの間合いはおよそ四間(約七・二メートル)。

 片手斬りの居合がいくら両手持ちより間合いに利があるにしても離れすぎていると思うでしょう?

 でも、これが『野分』を仕掛けるには丁度良い距離でもあるの。


「エント。己の主の為、己に課せられた任務の為、誇りを失おうとも外法に身を委ね死して尚も戦わんとする貴方に敬意を払い、我が不敗の剣をお見せするわ」


 私は居合腰のまま上体を前に傾ける。

 すると、エントは私が勝負をかけようとしている事に気付いたのか、唸り声を止めて先程とは打って変わって静かな殺気を全身から放出し始めた。


『え、エント兄さんとユキコさんの気配が変わった? いったい、何が始まろうとしているんだろう?』


「姉貴はいまだ誰にも見せた事のない秘剣を遣うらしいわ。エントも姉貴の勝負の気迫を察したようね。上体を低くして素早く跳ぶ構えを取っているわ」


 アンリ君と聖の遣り取りを聞き流しながら、私は摺り足で間合いを詰めながら、時折右肩を下げて、「抜くぞ!」と云わんばかりに挑発してエントの警戒心を煽る。


「いざ尋常に……」


 私が一歩大きく前に踏み出すと、ソレに触発されたのかエントの殺気が大きくなった。


「勝負!」


 ほぼ同時に私は駆け、エントが跳びかかってきた。


「ユキコ様!」


 アリーシア様の叫びと同時に私は跳躍し、突き出されたエントの左腕と交差するように大真典甲勢二尺六寸を抜き付けた。


「おお!! 野の草を吹き分ける疾風の如き秘剣は正に『野分』!!」


 私達が擦れ違って着地し、間髪入れずに振り返ると、アランドラ皇子の感嘆する声が聞こえた。


「……『死人返り』を斃したり……妖魔九百七十八斬……南無八幡大菩薩」


 血振りをくれて杖に刃を納めた瞬間、エントの立つ位置から鳥の囀りに似た哀しげな息の漏れる音が聞こえ、遅れて風が唸るような恐ろしげな噴出音が続いた。

 この血の噴き出す音が幼い頃、野分の夜に布団の中で怯えながら聞いた風の音に似ていた事から私はこの秘剣に『野分』と名付けたのだ。

 私とエントが擦れ違う瞬間、私の剣はエントの首筋を捉え、逆にエントの爪は袴の左側を浅く裂き、左腿に少し血が滲む程度の傷を受けたに過ぎなかった。

 秘剣『野分』とは敵の呼吸、太刀筋を読み、相手の間合いの外から跳躍しながら上体を伸ばし、抜き付けた腕、剣先を伸ばす事でかなりの遠間から仕掛ける事が出来る。

 しかも、この秘剣の狙いは相手の首筋にある重要な血管であり、更に捻るように斬るので僅かな傷でも大出血を起こして私の勝利は確定する。

 無論、外せば無防備な体を空中に晒す事になるので、間合いの取り方、相手の行動を先読みする勘がこの技の肝である事は云うまでもないわね。

 四間以上の間合いは、跳ぶ為の助走だけでなく、敵の動きを『視』て、行動を先読みする為の猶予を作るのに必要なものだ。

 これが、私の出した結論である一撃必殺の完成形の一つになる。









 もはやエントが動く気配は無い。

 それはスタローグ家の兄弟がエントに寄り添っている事からも分かる。

 何より彼から殺気が完全に消え失せており、戦闘の終了を感じ取れた。

 だがエントの生命いのちそのものは尽きてはいない。

 今度こそ死にゆく彼の苦しみが長引かないよう私は介錯すべく歩み寄る。

 同時にそのまま家族に看取らせるべきではないかという考えもよぎる。

 果たして私はどうするべきであろうか。

 その答えは次回の講釈にて。

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