エピローグ①





 五年前、春。


 橘マツリは腰まである髪をまとめ、メガネをかけた。鏡を確認すると青白い顔がこちらを見ている。表情を変えずに耳上の髪を整え、更衣室を出た。

 たちばなラボは早朝のため人が少ない。

マツリは誰にも会わずに会議室へ入った。いつもの白衣ではなく、星因学園の制服を着ていた。


「みんな揃ったな」


 同世代の男女がすでに整列していた。

手前にいた青木の横に、マツリは無言で並んだ。

青木と隣にいる男、江場は私服だった。女二人は制服だが、違う学校のものだ。

マツリ達の前にいる研究員が手元の資料を捲る。


「お前達は今日から学校に通ってもらう。年齢に合わせて、高校と大学で学業に専念するように」


「普通の学生生活を過ごせってことですか?なんか怪しいんですけどー」


 青木が手を挙げて質問をする。肘の曲がった挙手が彼らしい。


「そうだ、お前達は生まれたときから研究所で過ごしてきた。外の世界を知るときがきたのだ」


 体調を確認され、すぐ解散された。研究員はそれだけの為に朝早くきたと思うと同情する。


 






下の階に降りると大人が数人いた。

それぞれ、二人の少女の元へ駆け寄っていく。 


「彼女達は高校一年生になる。入学式は先週終わっちゃったからせめて両親が学校まで送りたいと申し出たんだ」 


 江場がこっそり教えてくれた。

青木と江場は、マツリを妹分として気にかけるには理由がある。女の子達に無視されているからだ。 曰く、無表情で怖い、所長の娘だから贔屓されている、と陰で言われている。女の子の両親は嬉しそうに娘の晴れ姿を写真に収めている。  

 マツリは十七歳なので高校二年生として編入する。青木と江場は大学だ。  

 今更緊張などしない。マツリは星本学園の校舎を見上げても何も感じなかった。



「橘マツリです。よろしくお願いします」


 形だけの挨拶をして、席に着く。

 既に新学期が始まっていたのでクラス内でグループができていた。マツリは一週間経たずに孤立した。話しかけられても無視し、笑い話を笑って聞けない。クラスメイト達は彼女の異常に気づき、ふれないようになっていた。


「橘さんは園芸委員ね。園芸委員だけ空席があるから」


 担任だけが普通に話しかけてきた。教室の後ろに呼び出され、橘マツリの名前プレートを目の前で移動してみせる。目と耳への情報。もう高校生なのでどちらかでいいのに、担任は小学生を相手するように説明をした。


「橘さんって部活やってみない?」


 担任の勧誘に、無言で首をふる。部活をやっていたかと聞かないのは、今まで学校に行っていなかった経歴を把握しているのだろう。

研究所にいたマツリにとって、学校生活は楽だった。皆と同じ格好をして同じ行動をすればいい。マツリはますます自分を押し殺していた。


「美術部とかどうかしら。楽しいわよー、皆で休憩時間にお菓子を食べるの。私が顧問だから緩いのよ」


 マツリは担任を見下ろした。担任の背は低く、こちらを見上げて笑顔をつくっている。数秒おいて名前を思い出し、やっと声を出した。


「小出先生、私に構わないでください。私なりに学校を過ごしているので」


「そう?入りたくなったらいつでも言ってね。もちろん美術部以外も」


 小出莉里は、残念そうに眉を下げた。


「小出ちゃーん、双子の写真見せてよー」


 後ろから、女子生徒が数人やってきて担任の肩に腕を回す。


「最近撮ってないから増えていないわよ」


「いいのいいの、前のやつで。男の子と女の子の双子、めっちゃ可愛いもん」


「でも小出ちゃんって顧問やっていていいの?双子ちゃんってまだ赤ちゃんでしょう?」


 担任は優しく腕を外すと、得意げに顎をあげた。


「上の娘が面倒を見てくれているから問題なし」


「えー、小出ちゃんって子どもが三人いたの?上の子の写真も見せてよー」


 盛り上がる教室から、マツリは出て行った。






 次の日、小出から園芸委員の仕事を告げられる。

 放課後になるとマツリはジャージに着替えて軍手をした。

 園芸委員は人気がない。こうやって放課後に花壇の世話をするからだ。だから二人いるはずの委員会なのに園芸だけが男子一人になっていた。

 中庭に行くと、園芸委員長が声をかけてくる。

マツリのクラスは奥の校舎のさらに奥、誰も通らない裏庭の花壇に花を植える仕事らしい。


「もうペアの子は行っているから、よろしくね」


 委員長は頭に被ったタオルで汗を拭いていた。

教えられた通りに進むと、奥に裏庭があった。特別室がある校舎の裏なので、滅多に人が来ないだろう。校舎に目をやると薄いカーテンが閉まっている。上の階は美術室だ。今頃ティータイムを楽しんでいるのだろうか。

人懐っこい担任を思い出していると、視界の端に人影がはいった。

 ジャージを着た男子がこちらに背を向け、花を植えかえていた。枯れた花を根っこから抜き、代わりにパンジーを植えている。

作業を眺めていたら、男子が振り向いた。

髪が眉上でザンバラに切ってあり、肌が浅黒い。運動部にしては細い男だった。


「橘さん?」


「はい」


「俺、同じクラスの知花勇。同じ委員会になったし仲良くしてね」


 軍手をとった手で握手を求められた。目を白黒させている隙に手を握られる。

 知花は、眩しそうに笑った。







「本当は図書委員が良かったんだ。貸出の当番をするだけで楽だから。それに本好きだし。でもジャンケン負けちゃってさ。あ、そういえば橘さんって部活入っているの?」


 マツリはパンジーの根元に土を軽く被せながら、首を振った。


「途中からでもいいじゃん、入りなよ。俺は剣道部だけど、途中から入った奴が何人かいるよ。さりげなく入ってみる?」


 また首をふった。クラスメイトにも誘われたけど、ずっと首をふっていたらどこかへ行ってしまった。

でも知花はどこにも行かない。作業に夢中だった。

マツリと知花は一緒に花を植え替えていた。一人が前の花をとり、一人が新しい花を植えた方が効率がいいが、まずは全体の作業を覚える為に、同じ作業をしていた。


「後期は図書委員がいいな。橘さんも本が好きならオススメだよ」


「……うん」


 マツリは今日初めて頷いた。









 青木がカフェに入店すると、江場が手をあげた。


「どう、キャンパスライフは」


 江場はコーヒーのストローを噛みながら聞いてきた。青木はカウンター席の隣に座る。


「正直楽しくないかな。奴らが普通の生活を提供するなんて、なにを考えているかわからん。交友関係は置いてとりあえず興味のある授業をとった」


「いいな、俺も青木と同じ大学が良かった。俺もそっちの学部に興味がある」


「じゃあくればいいだろう」


「いいのか」


 江場は嬉しそうにコーヒーを飲んだ。

青木と江場は最年長ということもあって、施設の研究に携わっていた。最近はマツリも混ざっている。


「ああ、研究に参加できると思った矢先に、編入したからあいつは不機嫌なのか」


 青木は彼女の無表情を思い浮かべ、適当なことを言った。

青木は江場ほどマツリと仲良くない。江場が気にかけるから真似しているだけだ。


「まさか。彼女がそんなこと思うわけないじゃん。なにも感じていないよ」


 江場が前方を見ると、カフェのキッチンが見える。同い年ぐらいの女の子が一生懸命コーヒーを淹れている。

 橘マツリは生まれた時から実験対象だった。産婦人科から施設に運ばれ、地下の部屋で過ごしていた。誰にも話しかけられず、衰弱すると話しかけて可愛がる。最低限のコミュニケーションにより起伏のない感情をもつようになっていた。

ご飯をもらっても寝ることができても、話しかけられないと人間は衰弱すると証明された。少女の犠牲によって。

橘マツリは確かに贔屓されている。所長の娘として、他より厳しい実験をされて。


「マツリが所長のような人間になることが恐ろしいよ。彼女は純粋だから染まりやすい」


 江場の言葉に、青木が頷く。その前に死ぬんじゃないかと思ったけど口には出さなかった。

江場が飲み終わる前に自分も、とメニューを確認しながら席を立つ。


「そういえば青木、」


「んー?」


 コーヒーもいいけど期間限定の紅茶も気になる。青木はメニューごしにニヤける江場に気づかなかった。


「僕、彼女ができたよ」


「は、はああああ?」













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