後日の続き




 知花はようやく納得のいく配置に絵を飾った。

するとタイミングよく清水が入室する。 


「美術館みたいで素敵じゃないか。畑中君は予定があるから出掛けて行ったよ」


「ふーん……あいつって結局どこに住むの」


 清水は天井を指差した。


「うちに決まっているじゃないか」


「俺と同じ階はやめてくれ」 


 清水は二階、知花は最上階の3階に住んでいる。空き部屋は全てクリーニング済みだ。


「じゃあ二階にするよ。これから人が増えて、賑やかになるねえ」


 老人は窓際に移動して日光を浴びた。  

少し曲がった腰を伸ばしている。


「結局、彼女はいなくなってしまったね。彼女の部屋も用意するつもりだったのに」 


 橘マツリは、知花が目を離した隙にいなくなっていた。芝に血がついていたので傷が開いてしまっただろうに。


「怪我をしているから遠くに行っていないはずだが」


 知花は直ぐに探しに行こうとしたが、清水に止められた。「彼女、猫みたいだよね」と言って。








 河原で家族が遊んでいた。子どもが勇敢に川に入るのを、父親が腕を掴んで話さない。母親は陸でタオルを広げて待っていた。

 畑中は遠目に見ながら座っていた。今日はいい天気だ。冷たい風と暑い日差しのバランスに秋を感じる。斜めになっている丘に座っていると、このまま寝てしまいそうになる。


「ちょっと。眠そうじゃない。私が遅れたのが悪いけど」

 

 小出莉亜が頭上から声をかけた。今日も派手なリボンをつけた服装だ。髪を横の低い位置で縛っているので、少し大人びて見える。

 小出は隣に座った。


「久しぶりってほどじゃないわね。あの犯人はどうなったの?」


「言えない、申し訳ないけど」


「言いなさいよ」


「もう君には関係ないよ」


 頬を引っ張られた。

小出の指は細くて鋭利だ。爪が刺さる。


「私はまだ終わっていないと思っているわ。むしろこれからよ。複数犯なら全てを捕まえてやるんだから。あんたも手伝ってよ」


 畑中は昨夜、ターゲットの正体を知った。

衝撃だったが、どこか他人事に感じている自分に気づいた。結局、自分が人殺しをしたくなくて行動していたのだ。

そして、横にいる人が施設に目をつけられるのも嫌だった。


「君の助手は猫でしょ。猫のワトソン君」 


「あんたは私の恋人でしょうが」


「恋人ね」


 両頬を挟まれ、無理やり向かい合わされた。

真正面から睨まれ、静かな時が流れる。


 主導権を握ったつもりでいるな、この女は。

無理やり顔を近づけると簡単に手が外れた。

唇を合わせると、ぬるぬるしている。小出がリップをしていたことに今更ながら気づいた。

離れて無意識に唇を舐めると、苦い味がした。


「あ、あんた……何して……」


 小出は呆然としていた。おそるおそる唇に触れ、触れた手を怖々見つめる。


「だって恋人同士なんだろう?」と言いながら、あることを思い出した。

 小出の叔父は刑事だ。しかも小出に強くでれない。今後、事件現場に行くとき利用ができる。

後づけの理由に、畑中は心の中で頷いた。


「最悪、嫌い。あんたなんか嫌いよ」


 いつの間にか、小出は口元をハンカチで抑えていた。


「へぇ、嫌いなんだ。俺のどこが嫌いなの?」


 迫られると面倒だが、逃げそうになると構いたくなる。まるで猫のような。

畑中の口角は上がっていた。


「へらへらしているところ」


「心外だな」


「理不尽な目に遭っているのに、へらへらへらへら。私だったら復讐してやるのに」


 畑中は何も言わずに立ち上がった。小出の腕をひき道連れにする。


「俺ら、相性良いかもな。似てるようで正反対。じゃ、これからもよろしく」


 距離をつめると、小出の肩が強張る。

畑中は苦笑して去っていった。


「嫌いよ……」


呟いた言葉は相手に届かない。

秋の強風が、小出の髪とスカートを揺らす。言葉と裏腹に、小出は畑中の背中を見送った。







 畑中はまだ残っている唇の感触を気にしながら、清水医院へ戻った。

すれ違った看護師の「次からは裏から入るように」という苦言を聞きながら、中庭へ急ぐ。

 知花は初めて会ったときのように、木の下にいた。白いシャツを着て、髪をお団子にして。


「知花さん」


 側に寄るが、反応がない。

ただ中庭の一角、芝生辺りを眺めていた。


「あなたが俺を助けてくれたんですね」  


「はあ?」


やっとこちらを見た知花の、ガラの悪い声色に安心する。

知花の空虚な瞳を見た瞬間、知花は直感したのだ。この人が脳をくれたんだと。


「あなたの脳のお陰で俺は生きることができています。事故に遭って、脳が潰れたときにあなたのコピー脳を入れた」


 知花は全てを察したように、ズルズルと背を幹に預けていった。


「お前、俺を恨まないのか。殺人者の脳を入れられたんだぞ」


「恨みませんよ。生きているだけでいいです」


 芝生の上、潰れた花が風に揺れている。


「これから被験者が増えて賑やかになるでしょうね」


「全員殺人者だぞ。ここは刑務所か」


「違いますよ、殺人を事前に防ぐんです。俺まだ根に持っていますからね。一人で明泥園に行ったこと。これからは、俺があなたのバディです。一緒に防いでいきましょう」


 あなた、寂しそうだったから。

畑中は流石にそこまで言わなかった。でも本能の部分が、目の前の男は優しくて寂しい人間だと警告している。

知花は動かないまま、畑中を睨んだ。今日はよく睨まれる日だった。

 

「でもやっぱり悲しいです。防げませんでした。罪のない子ども達が四人、亡くなった」


 畑中は子ども達の名前を言おうとして、口を噤んだ。死体の写真を見ながら聞いたはずの、子ども達の名前は何だっけ。

やはり自分は薄情なのだ、と心の中で絶望していると、電子音が鳴った。

知花が面倒臭そうにスマホを操作すると、女性の声がした。


『あ、知花君?無事に着いたから連絡したよ』


「連絡するなって言っただろう」 


 スマホを耳に当てず、画面を見たままなのでビデオ通話らしい。女性の後ろで幼い声がした気がした。 


『ふふ、もう会えないかもしれないから元気な姿をね。ほら』


 雑音が入り、幼い声が大きくなる。

知花はそれに合わせて画面を畑中に見せた。  


「……え?」


望月美杏の指が映り込み、そしてその向こうに子ども達がはしゃいでいた。

 背景は海、手前の草原でしゃがんで盛り上がっている。明泥園の子ども達だった。


「山本陸、西尾春日、稲田未来、相馬美々。そして道尾千歳だ」 


 子ども達の奥では道尾が背を向けてスマホをいじっている。千歳が、道尾の腰に抱きつくと優しく頭を撫でていた。 


「東雪子が使ったものは毒物だけど、死ななかった」


「ど、どういうことですか……?」 


「顔料を作ろうとする度に毒ができちゃ、現代の画家はほぼ死んでいるだろうな。毒だけど、死ぬまでいかない。東は殺すつもりだったけど、毒を渡した人はそんなつもりなかったんだろうな。東の芸術家としてのコンプレックスを利用してそそのかし、死亡率の低い方法を導いた」


 あの施設に、殺したくないと思ってくれる人がいるのだろうか。

 畑中は真っ先に青木を思い出した。 


「あくまで俺の憶測。ただの偶然かもしれないけど、そう思ったほうが救われる」


 子ども達の声の中、望月が別れの言葉を述べる。

畑中は顔を抑えたが、涙は間に合わなかった。芝生に落ちた水を、知花は見ないふりをした。

自分の、独りよがりの綺麗事は間違っていない。

いくら時代が人間という兵器を欲しても、殺しは駄目だ。

 両親が死んでから、世界は腐って見えた。内なるドロドロとした感情を抑えていく内に、感覚が麻痺していた。

 知花は木に体重を預けたまま、声を抑えて泣く畑中から視線を逸らした。

芝生に染みるは畑中の涙と己の汗。

そして、離れた場所に落ちている彼女の血。

知花はそっと目を閉じた。僅かに聞こえる泣き声が、自分の声に思えた。











 同時刻、たちばなラボ。 


「何をしている」


 所長の橘銘治が所長室に入ると、青木が席に座っていた。上半身を机につけ、リラックスした状態だ。


「実の娘が刺された現場で仕事ですか。いいですねえ割り切れて」


「割り切れないのは無能だからだ。そこをどけ」


 青木はスマホを取り出して操作し始めた。


「どうせ私のことも殺すのでしょう?親が研究員ですから」


 橘は机の前まで歩くと、睨みを効かせた。


「お前は殺されない。まだやってもらわないといけないことが沢山ある」


「へえ?翼を両方もがれた私にできることとは」


「とぼけるな。むしろやり易くなっただろう」


 ああ、この親子は。


 青木は絶望した。相容れない人間と対峙するほど、今の青木に余裕はなかった。


「所長も娘さん、かわいそうにね。所長に育てられなければ真っ当な人格になっただろうに」


「私が育てた?違うな、マツリはこの研究機関に育てられた」


 青木は力なく席を立ち、ふらふらと出て行った。

手元のスマホが鳴る。道尾からのメッセージだ。


『無事に現地に着きました。しばらく連絡できないので、今の内に送ります。みんなは元気でしょうか。あらためて、清水さんと知花くんにお礼をお伝えください』  


『了解、無事に着いて良かった。お礼は伝えておく』


 絶対、絶対ですよ。と念を押す道尾を思い浮かべて苦笑する。


『そうそう、前にスタンフォード監獄実験の話をしたよね。途中で終わっていたやつ』 


『そういえば話しましたね。人間は環境次第で悪になるって』


『あれさ、近年発覚したんだけど看守役が悪になるよう意識していたらしい』


らしい、なんて曖昧な情報を、世間話のように話す。青木は片手をポケットに突っ込み、階段を降りながら、道尾の返信を待たずにメッセージを続けた。


『つまり、研究者の求める行動をしていただけじゃないかって言われているんだ』


 返事を待たずに画面を閉じた。

青木は五年前のJ制度実験を思い出していた。

 あの頃、自分達は青くて、研究者―……親の期待に応えようとしていた。

 階段を降り切る。

受付嬢が姿勢よく座り、前を複数人の研究者が通り過ぎていく。見たことない顔だから新人達だろう。彼らは話に盛り上がりながら食堂へ消えていった。










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