縋る
知花と望月は夜道を歩く。
望月は知花の後ろにいた。二人の歩幅は合わないので知花は歩く速さをゆるめていた。生ぬるい風が顔にあたり、瞼を重くさせる。だから口が緩んだかもしれない。
「記憶がないんだ」
「え?」
「気づいたらベッドの上だった。事件の日から遡るように段々と映像に靄がある感覚なんだ」
知花が立ち止まり、望月もつられて止まる。
駅前の大通りのすぐ横、狭い道路だった。木々の向こうから車の走る音がする。
「覚えているのは新学期、初めてのクラスに入ったところまでだ」
死体の顔はクラスメイトの顔だ。
半年ほど一緒に生活をしてきた。クラスメイトの顔を確認する度に頭の中で警報が鳴った。これ以上見ては精神が破壊されるぞ、という警告だった。
「さっきの話で察したと思うが、俺は殺人者だ。星因学園の二十五人をこの手で殺した」
肩が小刻みに震えていた。
困惑した表情の望月を見て、言った言葉に後悔する。
「ごめん、急にこんなことを言って。誰かに弱音を吐きたかっただけだから。早く行こう」
「……どうして」
知花は一歩進んだ姿勢で止まった。
望月は気づいたら動いていて、大きい背中を抱きしめていた。腕をまわして気づいたが知花の背中は細かった。骨の上、僅かな筋肉が震えている。
背中に頬を押しつけると温もりを感じた。望月は片頬が潰れたまま口を開いた。
「い、生きるのは辛くない?」
今この場で言う、最低な言葉だった。だけど彼女は己のデリカシーに気づかない。
「苦しいなら死ぬことだってひとつの手だよ。私も死にたくて堪らない時期があった。あの子が生まれて、救われたけど駄目だった。今でも死にたいって思うの……」
状況が違えど、望月は自分以上に不幸で消えそうな存在を前に興奮していた。
知花が、まわされた望月の手にそっと手を重ねる。
「あんたの人間性が少しわかった気がする。俺からしたら、あんたは自分の状況から逃げているようにしか思えない」
ふっ、と知花は短く息をついた。
「俺は死ぬことが許されない。死刑になればどんなに楽だろうな。クラスメイトの遺族は、俺がまだ生きていることを知らない。死んだと思っている。……生きて実験体になることが罰だ」
ゆっくりと手を離すと、知花は望月と向き合った。その表情は深く沈んでいる。
「まだ大丈夫。あんたは逃げただけだから、まだやり直せる。失ったわけじゃない」
熱い頬が急に冷える。涙が伝っている。望月は泣いていたことに気づいた。
「今更……」
「できるよ」
両手を握られ、そのまま叫んで泣いた。通行人が避けて歩いている。
知花の瞳は曇っていった。
何故、この女は泣いているのだろう。赤の他人の薄っぺらい言葉で。
心の中で毒を吐かなければ、殴っているところだった。結局は、自分以上に罰が必要な人間をみて安心しただけだ。
駅のトイレで目元を確認する。ハンカチで軽く抑え、水分をとった。
トイレを出た望月は、知花に連れられ明泥園へ向かう。そのあいだ、無言だった。
マンションを見上げ、不安げに瞳を揺らす。
知花はさっさと中に入ってしまったので、慌てて追った。
「あらあら、千歳ちゃんのお母さん?」
園長の蓮見は小声で驚いた。
子どもたちはすでに寝ていた。
「今まで連絡しなくてすいません」
望月が保険証を出して身分を証明すると、蓮見はあっさり中に通してくれた。桜山富雄が、望月美杏を母親としてと登録してくれたおかげだった。
廊下を歩いていると望月が足を止めた。壁に飾られた絵を見ている。
「どれが千歳ちゃんのかわかる?」
「これ?」
「よくわかるな」
どれも同じような赤い円を描かれている。
「花です。公園に行った時に花壇の花を描きました。上手く描けているでしょう?」
蓮見は戻って来た。
「そういえば千歳ちゃんは自画像だけ描きたがらないのですが。写真も嫌がっています」
「自分の顔が記録されるようなことを嫌がるんです。ごめんなさい」
「責めているわけじゃありません。明日、絵の先生が来るんです。絵の楽しさを知ってくれたら嬉しいな、と」
蓮見と距離が開いた時、望月がこっそり知花に耳打ちした。
「あの子は父親似なので、なるべく隠したかったの」
「急で申し訳ございませんが、子どもを引き取りにきました」
「父親に了承済みです」
知花が横で援護する。ソファに並んで座り、蓮見を強く見つめる。テーブルの上にはお茶と書類があった。
「引き取りにきたんですね。色々と手続きがあるので後日、また来ていただいてもよろしいでしょうか」
蓮見は小声だった。
「できれば今すぐに引き取りたいのですが」
「申し訳ございません。こちらもすぐに引き渡せるわけではないので」
夜分に押し入り子どもを引き取ると言い張る。はたから見れば怪しまれても仕方がない。
知花は話を切り上げようと様子を伺うことにした。
すると、襖が開いた。
「はすみせんせいー?」
桜山千歳が小さな両手を襖に添え、眠そうな顔を覗かした。
「千歳……」
望月が腰をあげるが、直ぐに崩れ落ちた。
「千歳ちゃんどうしたの?トイレかな」
蓮見が千歳を隠すようにしゃがんだ。
「ううん、のどがかわいちゃったの」
「そうなのね、今麦茶を出すからね」
蓮見は子ども用のコップに麦茶をつぎ、ついでに望月と知花の分も追加で注いだ。
喉を鳴らしながら飲む子どもを、望月はじっと見つめる。
「千歳ちゃん、目の前にいる人ね、あなたのお母さんなのよ」
飲み終わったタイミングで蓮見が声をかけると、幼い目がこちらを見た。
「おかあさん?」
望月はソファから崩れ落ちた。顔を両手で覆い、嗚咽を飲み込む。
千歳は困惑した顔で蓮見を見ていたが、やがて近づき、望月の頭を撫で始めた。
「なかないでー?」
「うう、う……」
どれくらいそうしていただろうか。
ソファで寝始めた千歳を、望月が赤い目で見つめる。知花はソファからおりて書類を確認していたが、蓮見のアイコンタクトに気づいて立ち上がった。
静かに席を立った蓮見に、知花はついて行く。
隣の部屋、布団で子ども達が寝ていた。その隙間を注意深く歩き、押し入れの前で立ち止まる。
蓮見は音を立てずに服を何着かカバンに詰め始めた。
「引き取っていいのですか?」
小声で聞くと、蓮見は頷いた。
「お母さんには千歳ちゃんが必要ね。今夜だけ、連れ帰っていいですから」
無駄なく動いていた手が止まる。
「それにね、子どもの名前が千歳なんて、愛情を持っている親だろうなと思ったのよ。千年生きてほしいっていう願いでしょう」
明日の服と、タオルを数枚。それだけでカバンがいっぱいになってしまった。
寝てしまった千歳は重く、抱っこすると言い張る望月にカバンを持たせることにする。
知花は初めて子どもを抱っこした。柔らかくて温かかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます