子どもたち



 明泥園に行ける雰囲気ではなかった。

最も、知花は望月を釣るために明泥園の名前を出しただけなので、すぐに頭を切り替えた。

望月は泣き止み、無言で後ろをついてくる。

 二人は清水医院に着いた。ちょうど看護師が玄関前を掃除しているところだ。

 望月を奥の客間に通す。日が完全に暮れたので分厚いカーテンを閉めた。


「あれえ、知花君?」


 清水が肩を回しながらやってきた。

看護師から聞いたのだろう。頭を下げた望月の姿を見て、すぐに察する。


「知花君、僕がお茶を持ってくるよ」


 お前が話を聞け、と言われている気がした。


「ちょっと待って、あんたもいて欲しい、場合によっては畑中もきて欲しい」


 老人を捕まえ、座るよう誘導した。


その後ろで「お茶は大丈夫ですので」と望月は遠慮がちに言った。






「つまり、桜山千歳は研究員の子どもだったわけか」


「ああ、青木の助手だ。俺は助手とあまり話したことがないからどんな人かあまり分からない。道尾千尋について知っていることはないか」


 知花は実験中、よく顔を合わせていたのは青木だった。助手が二人いると言っていたが、会話どころか目も合わせなかった。

動物を見るような他の奴らに比べればマシだが、道尾はいつも怯えたような顔をしていた気がする。

もう一人の助手は姿さえ見たことない。

 望月美杏は道尾の仕事内容を全く知らなかった。

さっき話さなかったが、彼は当時大学生だったらしい。


「大学生と付き合っていたって言いにくくて」と眉を下げて言い訳をしていた。


「道尾君ね。真面目で優秀、なにより青木を抑えられる唯一の人材だよ。僕は好き」


「主観はいらない」


「主観でしか話せないよ。でも客観的にみても人柄は良いのは本当だって。道尾君なら千歳ちゃんのこと認知してくれそうだけど。僕が知る限り、恋人はいないはず」

 

 清水は手をテーブルに滑らせ、お茶がないことに気づいた。彷徨った手は菓子缶を掴んだ。


「千歳は私が引き取るからいいんです、そうじゃなくて殺さないでほしいだけです」


「研究員の子どもだとわかったら、奴らは手を引いてくれないか?」


 知花の問いかけに清水は答えない。菓子缶を開け、クッキーを食べ始める。


「おい」


 知花が清水の腕を掴み、食べるのを辞めさせる。老人は口をモゴモゴ動かして咀嚼をしていた。

そして自分の着ている白衣に気づく。


「着たままだったようだね。脱ぐから、手を離してくれないか」


「千歳が助手の子どもだったと研究所に言え」


「無理だぁ」


 清水は笑顔を浮かべた。

前歯にチョコチップがついている。知花が無言で襟首を締め上げると、望月が悲鳴をあげた。


「無理だ、むしろ納得したよ。彼らは研究員の子どもを殺している」


 皺くちゃの手を、締め上げたまま固まった手にのせる。


「知花君、手を離して。僕は白衣を脱ぎたい」


 知花は白くなっていく自分の指先を確認して、そっと手を離した。







 菓子缶が転がり、中から保存剤が出てくる。

誰も気づかない。気づかず、老人から目を離さない。清水は両手を擦り合わせてクッキーのカスを落とした。


「五年前にJ制度があったのは知っているね。ああ、望月さんは知らないか。国家が秘密裏に進めていた人体実験だよ。当時は数人の子どもが使われた。みんな、研究員の子どもだった」


「なんですかそれ、そんな……」


 清水は望月の様子を観察しながら話を進める。


「内容は人殺しを強制するようなものだ。非人道的で、表に出ればえらいことになる。研究所は当時の関係者を殺して回っているんだろうな」


「桜山千歳は当時生まれたばかりじゃないか。関係あるのか」


「うん、直接関係ないだろうね。でも当事者だけ殺すより、研究者の子どもというカテゴリーに当てはまった人を殺した方が言い訳できそうじゃないか。忠誠を誓うかわりに己の子どもを差し出せ、ってね」


 知花は両手でテーブルを殴っていた。勢いで菓子缶が飛び、そこだけ地震のように揺れる。


「J制度で殺人はなかったはずだ。俺が、俺が見つかったから」


 たちばなラボにいるとき、青木に聞いたことがある。

 お前がクラスメイトを皆殺しにしたことでJ制度は打ち切られ、お前の脳をコピーすることになったと。


「実験の終盤だった。すでに、殺しを終えた子がいたんだよ」


 清水は身を縮こませる。


「そんな……」


 ショックで事件当時の記憶が曖昧だった。血の匂いと大量の死体しか覚えていない。自分は死体の顔を確認していた。誰かを探していたような気がする。

施設に入ってから、地獄のような日々を過ごした。自分のお陰で殺人を犯さないで済んだ人がいると思って、正気を保っていた。


 二年前に施設を離れ、やっと休めると思った。死にたいと思わないよう意識し、自分の脳を捧げることで助かる人々がいると思っていたのに。

畑中の話は衝撃だった。自分の脳を入れた人間が人殺しをしているのだ。

 まるで、自分が殺しているようではないか。


「三番目が殺したサラリーマン、気になって調べたら父親が研究員だった。二番目の被害者も同様だね」


「畑中含む現在のモルモットは施設に関係ある人間か?」


「少なくとも畑中君は違う。彼は事故に遭って脳の移植を必要としていただけだよ。今回は、普通の環境で育った子達を対象にしているのかもしれない。脳だけ変えて、人格が変化するかも観察されているかもね」


 望月は顔をあげることができず、テーブルの模様を指でなぞっていた。張り詰めた空気の中で自分の子どもの安否を聞けるわけがない。


「そうか、死にかけの子を集めたかもしれないな。恩を売って強制的に実験に参加させたのか」


 清水は一人で納得していた。

知花は恐ろしいほどに黙ってしまった。

どれくらいの時間は過ぎたのだろう。扉を叩く音がした。清水が返事をすると、看護師が顔を出した。


「先生、先に失礼します」


「はい、お疲れさん」


 看護師は私服になっていた。今の望月と同じような服装だ。肩にエコバックを引っ掛けている。中身がないそれは、これからスーパーに行って夕飯を買うのだろう。

 望月は羨ましそうに思う自分に気づいた。慌てて頭を振る。

看護師が帰り、また室内が静まる。


「そろそろ千歳に……」


「そうだよ、今すべきことは犠牲者を出さないことだ。明泥園に望月さんを連れて行ってくれ。母親なら会わせてくれるだろう」














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