混沌



 固まる一同の中、知花が前へ歩み出た。

腕の中の千歳をおろす。


「知花さんっ」


 畑中の叫びを知花は無視をする。

小出と高村もそれぞれ悲鳴をあげた。

千歳は東と知花を交互に見上げる。緊迫した空気に、泣きそうになっていた。


「おにいちゃあん……」


 遂に泣き出し、知花に縋り付く。


「俺も残る。畑中、そこの二人を外に連れて行ってくれ」


「何言っているんですか、俺は桜山千歳を殺されないようにって……」


 振り向いた知花の瞳は、真っ暗だった。

黒い瞳の人間はあまりいないので印象に残るはずだ。中庭で出会った知花の瞳は焦げ茶色だった。

それが黒く見えるのだ。何も映っていない。

 畑中は無意識に二人を引っ張って外に出ていた。

緊張しているのにどこか安心する。ずっと続く頭痛が収まったような気持ちになっていた。


シャンシャンシャン


シャンシャンシャン






「ああああああああああああーーーーっ」


 自分の叫びだと思ったら違った。

小出莉亜が発狂していた。

廊下の手すりに捕まり、暗闇に向かって叫んでいる。


「私が調べてもっ証拠を見つけて追い詰めてもっ、あいつは、ジャックは捕まらないんだっ」


 カバンからファイルを取り出し、床へ投げつける。畑中はやっと気づいた。

刑事の叔父は、事件内容を話すことを渋っていた。

このファイルの中身は小出莉亜が地道に調べた結果だったのだ。

時に脅し、時に同情を誘い。

 気づいたら小出を抱きしめていた。

すっぽりと自分の腕に収まる。なぜ気づかなったのだろう。

初めて肩に触れた時、華奢なことはわかっていたはずだ。

同じ方向を向いているので表情はわからない。手の甲に水が落ちてきた。

彼女の弱さを感じ、ますます力を込める。


「殺したいよお……私がジャックを殺すんだ……」


 彼女の呟きは聞こえないふりをして、ただ抱きしめた。廊下の隅にしゃがみこんだ高村は、扉を見つめていた。





「千歳、目を瞑って俺にしがみついていな」


 知花が優しく囁くと、少女は頷いていう通りにした。


「千歳ちゃん、こっちにおいで。本当は絵を描きたかったよね?」


 東は薬品を弄びながら問いかけた。

暗い室内、お互いのシルエットしかわからない。


「お前はどうしたいんだよ。殺人をして、その後どうしたい。なぜ関係のない子ども達を殺した」


「私の脳はね、殺人脳なの。殺してもいいの。ターゲット以外を殺したらどうなるのかなって思っただけ。結局、有耶無耶にしてくれたから殺して良かったみたい。それよりさ、」


 自分の頭を指差し、そのまま玄関を指差す。


「あのスピーカーさ、特殊な電波が流れているから。私と同じ殺人脳を持っていると反応するのよね。さっき出て行った男と女のどちらと……あんた。私のターゲットを横取りにきたの?」


「質問を変えるぞ、東雪子。殺人脳の前はどんな生活をしていた?」 


 影が少し傾く。東の毛先が揺れる。


「普通に美大生をしていた。将来は個展を開く目標があった。でも交通事故にあって、頭がパックリ割れちゃった、ふふふ。つくりものの脳を入れて生き延びたけど」


「それがクローン脳、殺人脳か」


「絵がね、描けなくなったの」


 明かりがつく。

いつの間にか移動していた東が電気のスイッチを押していた。強張る千歳の背中を、知花が撫でた。


「見てよこれ」


 東は襖を開けた。

布を掛けられたキャンパスが現れる。

布を取ると、少女の絵が出てきた。

少女の目も鼻も口もぼんやりしている。


「ずっと脳裏に浮かぶ女だよ。顔がいまいち分からないのに、脳がずっと訴えてくるの。誰だ誰だ誰だって。私はこの女しか描けなくなってしまった」


 東が手元の瓶を投げる。

絵にあたり、中身が出てきた。


「私は一生、人を殺して女を描き続けるんだ」


「元の生活に、元の脳に戻りたくないか?」


 知花が手を差し出した。

もう片方は千歳を抱き上げている。


「俺の恩人が、脳を戻す研究をしている」


「……余計なことをするな」


 嘆いていたはずの東が低く唸る。

可哀想で、殺していかなければならない運命。


「やっと特別になれたのに。小夜里のような才能はないけど、私だって才能ができたんだ」


「……そうか、残念だ」


 知花は手を引っ込め、千歳を部屋の隅へ誘導する。両手を耳にあてさせ、壁を向くよう指示をした。

 次の瞬間、知花は床を蹴っていた。東のみぞおちに拳を叩き込む。

叫びもせずに跪いた東に、上から蹴りを入れる。頭頂に当たり、そのまま崩れ落ちた。もう一発蹴りを入れようとして、直前で止まった。

東が失神したのを認識したのだ。


「じゃあ強制的に連れて行くからな。大したことねえな、俺の劣化版は」


 知花は女の首筋を見た。細くて今にも折れそうだ。そこに、蹴りを入れようとしていたのだ。

顔を上げると絵の中の少女が見える。


「……俺だって思い出したい」


 絵に触れる直前、泣き声が聞こえた。

千歳の声だった。

すぐに千歳を抱き上げた知花の瞳は、部屋のライトに照らされ茶色に光った。










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