美しい青
「私、手相がわかります」
小出莉亜が両手を広げた。
気まずい空気を変えようとしていた。
輪になって床に座る面々は誰も反応しない。それぞれの前に置かれたお茶も冷めてしまった。
桜山千歳だけ、部屋の端っこで遊んでいた。お気に入りの模型があるそうだ。
知花が来るまでにこやかだった東は口を閉ざし、高村はそんな東を気にしている。
「じゃあ見てもらおうかな」
畑中が明るく両手を差し出すと、「あんたはいつでも見られるでしょうが」と一蹴された。
「高村さんから見ちゃおうかなー」
小出は高村の両手を広げ、まじまじと見つめる。
「……うん、力仕事が苦手だね。将来は頭を使う仕事がいいかも」
はい次、と全員の手を見た後、東が口を開いた。
「お兄さん、千歳ちゃんの親戚って本当?」
「そうだけど。集団食中毒があった以上、千歳は母親の元で暮らすことになったから」
久しぶりに聞く知花の声。
ハーフアップにしている髪を見て、畑中は気づいた。
園長に聞いたのはお団子頭の男についてだ。髪を下ろした状態で、もしかしたら変装をしていたのかもしれない。
「さっき荷物を取りに来たら、警察に没収されていて。せめて良くしてもらった二人に会いたいって千歳がいるから」
「嘘だ」
東が身を乗り出し、知花の襟元を締め上げた。
「千歳は渡さない、出て行ってよっ」
「東っ」
高村が2人のあいだに入る。
畑中も腰をあげたが、視界の端に小出が入った。
透明な容器をカバンに入れている。白い粉が見える。
そして周囲を見渡す。場違いな行動だった。
「高村さんと東さんに話があるので、お兄さんは千歳ちゃんを連れ出してくれませんか。畑中でもいいけど」
畑中は気づいた。小出の表情は何かを悟った顔をしていた。
渋る東を抑え、知花は千歳を連れ出した。
ここから見える公園で遊ぶよう条件をつけて。
ヒョロイ男と幼女が公園の真ん中でしゃがみこんでいる。よく見ると、千歳が拾った石を知花が両手で受け取っていた。
畑中と小出は、高村と東と一緒にベランダに出ていた。四人で柵に手をおき、公園を見下ろしている。
「絵の材料ってたくさんありますよね。どこで買うんですか?」
「専門店なら都心の駅近にあるよ。金かかるからアルバイトしなきゃいけないけど」
高村が答える。東は公園を見下ろしたままだった。
「これもですか?」
小出がカバンから容器を取り出す。
「炭酸カリウムって書かれていますけど」
「絵の材料よ」
「どこで買いましたか?」
「……」
高村がポケットを漁る。
タバコは入っていなかったようで、恨めしそうに部屋の中を見る。
「ちょっとタバコを、「私の母親が美術の先生なんですけど」
小出は窓を抑え、有無を言わせない。
「聞いたことがあります。青色の歴史について。その昔、赤い顔料を生み出そうとして濃い青紫色ができたんですよ。材料は炭酸カリウム、緑礬、そして乾いた血液」
小出は両手を顔の高さまであげた。
「高村さんの手に傷があれば確定だと思いましたが、違いましたね。東さんの手に切り傷がありました」
「料理中に切ったのよ。ねえ東」
高村が東の指先を隠すように握る。
「……そうだ、私の血で作った。私が炭酸カリウムを用意して、ベルリンブルーの作り方を教えた。何が悪い?」
「ベルリンブルー?」
「プルシアンブルーという顔料でもある。綺麗な青だ」
畑中の視線に気づいた東は、指先を見せた。全ての指先にうっすらと線が入っている。
「違うの、東はこんな色もあるよって説明してくれただけ。私が作ってみたいって言ったから」
高村は尚もイヤイヤと首をふる。
「わ、私のせいで子ども達が……」
「小夜里、私が話すからいいよ」
しゃがみこんだ高村を、そっと東が支える。
高村小夜里は引っ越す前から明泥園を知っていた。
この角部屋だけ家賃が少し安く、曰くつきだと怯えていたら、大家に子ども好きかどうか聞かれる。
好きなので問題なかった。
始めは散歩中にすれ違い、階段で挨拶をするように。豆柴とも気が合い、話の流れで絵を教えることとなった。余った画用紙や絵の具を持って、子ども達の笑顔を浮かべる。
「おねいちゃん、このいろある?」
子どもの1人が腕を指差した。赤紫の痣がある。
「えっ……」
「あるよー」
絶句した高村の後ろから、東が紫の絵の具を渡した。
「今日は色んな青色を持って行こう」
事件当日、東は部屋にある青色をほとんど持った。ベルリンブルーもあった。
「東……」
「小夜里の好きな色を、子ども達に好きになってもらいたい。痛いときにできる色じゃなくて」
東は塩酸溶液も持った。
「プルシアンブルーと塩酸溶液を混ぜると透明な液体になる。青酸だよ。もっと綺麗な色を見せてあげるって言って作った。子どもの手についたのを気づかないふりをして。まだ暑い季節、汗を拭うのに口元に手をもっていくことも、ね」
東は一人で立っていた。
足元に、高村小夜里がしゃがみこんでいる。その顔は、信じられないものを見ている表情だった。
「あ、あずま、何で?あれは事故だって、」
日が傾き、建物の向こうへ消えた。
辺りは一気に藍色になる。
ハッと東が公園を見ると、二人の姿が消えていた。
扉を開ける音と鈴の音。
「もどったよーっ」
「暗い中、俺らが公園で遊んでいたら通報されちゃうから戻ってきた。話は終わった?」
桜山千歳は顔を赤くして息を荒げている。
「おにごっこのつづきしたかったのにー」
「散々遊んだろ」
知花の返答に、千歳は何が面白いのか甲高い声をあげて笑う。
呆然とする高村を、小出が支えて部屋に戻す。
東と畑中も続いた。
「ごめんね、小夜里。こんな私は嫌い?」
高村は答えない。
東は苦笑いをして、両手に薬品を持った。
「これは脅しだから。桜山千歳をおいて、全員出て行って」
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