小出莉亜



「ここ一週間で目つきの悪い男が訪れませんでしたか?髪をこう、後ろでお団子にしている感じで……」


 両手を後ろに回して丸を作る。ついでに踵を上げ、身長も表現する。

 蓮見は首をひねった。


「保育士と、お絵かきの先生と郵便の人しか来ていません。あとはお散歩しているときに近所の方に挨拶するくらいです」


「お散歩ですか」


「はい、豆柴ちゃん……保育士の子と私で公園まで行くんです。いつも午前中に。でも私達は子ども達と手を離しませんし、不審な人物に会っていません」


 警察に何度も言ったことだ。決まったセリフのようにスラスラと出てくる。

畑中が首をひねる番だった。では知花はどこへ行ったのだろうか。

通路の向こう側で警察官がわざとらしく靴音を鳴らす。声を抑えているはずだから聞こえないはずだ。自分が疑われたら嫌だなあ、と思って、気づく。

ケイトがやったことは暗黙の了解になっている。警察は形だけの調査をしているのでは。


「ちなみに、ニュースで詳しく報道されていませんでしたが事故ですよね。詳しく教えてくれませんか?」


 蓮見は肩をすぼめてうつむく。


「事故、だと思います……」


 ではどうやって4の者が殺したと証明するのだろうか。

いっそ、警察の動きを見ていたほうがいいのではないか。





 蓮見は事件の日の流れを話した。

 散歩に行ってお昼ご飯を食べ、お昼寝をすると丁度十五時になる。いつものように、おやつのカップケーキを食べた。加熱されたもので食中毒になるのは難しい。お茶に着目点が置かれ、子ども達のコップを全て提出した、という内容だった。


「まだ結果が出ないんですね」


「はい」


 畑中は蓮見から視線をずらす。廊下の向こうに2つの扉が見える。廊下の壁に紙で作った花や折り紙の輪っか、子どもが描いた絵がたくさん貼ってある。


「あの、千歳ちゃんの様子はいかがでしょうか……」


 蓮見は消えそうな声色で訪ねる。


「え?」


 申し訳なさそうな蓮見に、怪訝になる畑中。2人のあいだに僅かな沈黙が訪れる。


「様子とは?」


「千歳ちゃんは前日、母親が引き取りに来ましたけど」


 桜山千歳は生きている。


 では今どこに?


蓮見は畑中の沈黙に慌てる。


「知らなかったのね、ごめんなさい。母親の連絡先は決まりで教えられないの」


 もっと聞きたいことがあったが、園長の弱々しさを見ていられず引き上げることにした。エレベーターへ向かう途中、警察がジロジロと見てきたが知らんぷりをする。

警察の上層部が無理やり真実を潰している。彼らの中に怪しいと思っている人がいるかもしれないが、どうしようもない。実際怪しいと訴える人が出てきても面倒臭い奴だと目をつけられるだけだ。ドラマのような主人公は、現実だとそんなもんだ。

畑中はマンションを見上げる。明泥園の窓は暗いままだった。



 誰かにつけられている。気づいたのはマンションを出てすぐだった。

わずかに聞こえる足音は、早くなってはすぐに止まることを繰り返す。畑中は角を曲がり、草むらに身を潜めた。

警察だろうか。だとしたら先ほど見張っていた奴が応援を呼んだかもしれない。

人影はすぐに目の前を横切った。しかし知花の姿がなくて狼狽える。あまりにもわかりやすい。

知花がいない中、今度はこの人が使えるかも、と素早く飛び出し、手首をひねった。


「いたーーーーーっ」


夜の住宅街に女性の悲鳴が響いた。

怯んで手を離すと、女性―……にしては幼い女子が睨んでいた。


「ちょっとなに、あんた不審者?今すぐ訴え……」


 言いかけて、畑中の顔を確認する。


「こっちのセリフだけど。あんた不審者」


 指を指すと、女子は下唇を睨んでますます睨みをきかした。


「そうして俺の跡をつけるのか聞きたいけど、まずいな」


 近くの家の玄関が開いた。住人がそっと覗いてくる。他の家の窓から視線も感じた。


「すいません、痴話喧嘩です」


 畑中は女子の肩を抱き寄せた。笑え、というふうに力を込める。


「そ、そうなのです」


 女子のこわばった笑顔を見て、近隣住民は戻っていった。警察に通報されたら面倒臭いことになる。嘘をついたからには仕方なく、手を繋いで歩き出す。駅方面の明るい大通りを目指し、他意はないとアピールしながら。




 駅前のカフェに入り、1番奥のテーブルに着いた。狭い店内だがテーブル同士は離されているので小声で話せば内緒話ができるはずだ。

 畑中が注文しに行く。列に並びながら女子の様子を見ると、店内をキョロキョロしていた。窓の外に合図を送ることや連絡をとっている様子はない。

明るい場所に来て、女子の姿を改めて確認する。

ピンクのブラウスに黒いスカートは必要以上にリボンやレースがあしらわれている。胸元はハート型にくり抜かれ、鎖骨下の白肌をさらけ出していた。


 これが噂で聞くメンヘラか……、と畑中は納得した。

可愛らしい顔に、湿布や絆創膏が貼ってあるのだ。左頬全体と鼻のつけ根だ。おかげで店内の客は畑中に冷たい視線を送る。

アイスティーをテーブルにおいても女子は黙ったままだった。


「名前は?」


「小出莉亜……」


「こーでりあ?」


 女子は睨んだままもう1度名乗った。


「わかった、小出はどうして俺の跡をつけるわけ?」


「あんたがジャックを知っているかもしれないから」


 反応ができなかった。

いや、多分しているだろうけど思考に全て集中してしまい自分がどんな状況になっているのかわからない。


ジャック。


それは畑中たちから選ばれた者が呼ばれる称号だった。

なぜ知っているのか。


「君は関係者?」


「ジャック専門の探偵よ」


 余りにも当たり前に答える。探偵という職業を。


「明泥園の集団食中毒をニュースで知って、ジャックが絡んでいると直感的に思ったの。それで見張っていたら怪しい人物が出て来たから跡をつけたわけ」


 悪い?と顔が物語っている。


「探偵なのに依頼者なしで勝手に首を突っ込むのか。しかも直感で」


 小出莉亜は怒ると思ったが、顔色を青くした。わかりやすい。


「依頼者の情報を言える訳ないわ」


「そりゃそうだ」


 そこまで教える義理はない、ということだ。


「私の情報は教えてあげる。その代わりあんたの情報を教えてよ」


「あんたじゃない。畑中だ。畑中勇」


 小出莉亜はアイスティーを飲みながら考え事をしている。


「俺も訳あってジャックを追っている。目的はジャックを保護すること」


「私はジャックを殺すつもりだけど」


 無言。

お互い、腹の探り合いをしているが意地っ張りだ。話した方が負けという空気ができている。しかも目的が微妙にずれている。沈黙を破ったのは女探偵だった。


「……ジャックは警察に捕まらないわ。だから殺すしかないの。これ以上の話は場所を変えるわよ」


 どこに、と聞く前に小出は席を立つ。畑中は腕を掴もうとしてやめた。周囲の視線が痛い。

可愛い傷だらけの女の子がいたら、注目を浴びるだろう。そして横にいる男に冷たい視線が刺さる。情報には小出莉亜の傷も含まれているのだろうか。個人的な興味が湧いてきた。

本人は気にした様子もなく、「私の事務所に行くわよ」と言った。




 電車で揺られること一時間、小出の事務所に着いた。

黄色の長方形なアパートだ。二階建で、部屋は六つしかない。近くによると壁がヒビ割れていた。階段の段差に隙間があり、急になっている。


「ごめんね、リノベーションされているけど古いから」


 二階の一番奥が小出探偵事務所だった。扉の周囲を見渡しても表記がない。


「ばか親切に探偵事務所なんて書くやつがいる?大家に許可とっているからいいのよ。言っておくけど、シャーロックホームズのような事務所を想像するのはやめてよね」


 どう頑張ってもベーカー街に張り合えないので安心してほしい。

小出は扉を開け、中へ畑中を案内する。

小さなキッチンの下に小さな冷蔵庫があり、一人用のちゃぶ台の前に椅子がある。

壁一面に引き戸があるが勝手に開けるわけにいかなかった。


「ああでも、ワトソンはいるわ」


 小出が引き戸を開けると白い猫が出てきた。小出の足に絡みつき、アオーンと鳴く。


「さてと、話の前にお茶でも用意するかな」


 自分のフィールドに入ったので彼女は落ち着いていた。赤いヤカンを取り出して水を入れ始める。すでにアイスティーで腹が膨れているが断るタイミングを見失ってしまった。

畑中は座ろうか迷って、猫を抱き上げる。猫の顔を覗くと、鼻をくっつけて匂いを嗅いできた。


「猫の名前は?」


「ワトソンだって言ったでしょ」


 小出は振り返らずにそう答えた。









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