明泥明泥



明泥園。


誰しもがメイドロエンと読み間違える。

その度に園長は「メイデイエン」です、と訂正するのだ。

名付け親はすでに他界しているのでなぜ明るい泥にしたのか永遠の謎だ。

蓮見ヲリは子ども達が描いた絵を見て癒されていた。皺くちゃの手で愛おしく撫でる。

歳は六十だが、白髪のせいでかなり上に見られる。後ろでまとめる髪留めは園児が使うような派手なものだ。最初は渋ったが、保育士や子ども達がしつこく縛ってくるので諦めていた。

暗い室内で、ただ絵をなぞる。


「どうしてこうなったのかしら……」 


呟いても誰も返事をしてくれない。

保育士はすでに帰っていた。

さっきから電話がなっているが出る元気がない。

警察の事情聴取は初めてだった。ドラマで見たような高圧的なものではなく事務的なものだった。なかでも女性の警察官は優しく語りかけ、逆に辛くなった。

事情聴取や現場の確認を一緒に行う毎日だった。病院に運ばれた子ども達には会えず、警察経由で医者の質問に答える。事故か事件か判断がつかないので、蓮見が逃げないように目を光らせているのだ。




ダイニングテーブルの横に背の低いテーブルがある。小さい座布団が五つ、囲んである。

ここの他に部屋は三つ。玄関から入って右手に職員室があり、奥の二部屋はダイニングスペースと畳部屋だった。

そのダイニングテーブルで、子どものコップにお茶を注ぎながらおやつを頬張るところを見ていた。あの日立っていた場所に立たされ、警察が写真をとっていく。お茶はないので手で輪っかを作る。すると警察が気まずそうに部屋に入り、上司に耳打ちをする。

嫌な予感がした。だから心の準備をしたはずだったのに。





亡くなりました、と聞いた途端崩れ落ちた。

涙は止まらず、畳部屋で子ども達の作品を見ている。


なんで。

どうして。


食中毒なら自分が先に食べていればよかった。

どうせ長く生きられるか分からないから、自分が死ねば良かった。

蓮見はチャイムの音で顔をあげた。

豆柴ちゃんが来たかもしれない、と玄関へ向かう。

たった一人の保育士は気が弱い子で、それでも子ども達の処置をしようと頑張っていた。

救急車に同乗中に気を失ってしまったが。


「はい」


扉を開けると、見知らぬ青年が立っていた。通路の向こうに警察官が見える。


「どなたですか?」

「……桜山千歳ちゃんの親戚です」


畑中は苦し紛れの言い訳をした。すぐバレる嘘だろうが、その前に話を進める。


「この度は申し訳ございませんでした。千歳ちゃんはその、」


蓮見は腰をおったが、膝を曲げて地面に手をついた。畑中も慌てて膝を地面につける。


「顔をあげてください、ちょっと聞きたいことがあって来ただけですので」


畑中は清水とのやりとりを思い出していた。





中庭に清水がやって来たのは夕方だった。白衣は脱いでいて薄ピンクのニットを着ていた。


「待たせたね。今日の業務が終わったら連絡しようと思っていたんだけどね」


非難どころか申し訳なさそうに言う。畑中は落ち着きを取り戻し、気まずそうに目を背けた。


「ニュースの通り、最悪の展開になってしまった。誰も死なせないはずが全員……。ケイトは初心者だと思うよ」


「え?」


清水もその場で座る。畑中と向かい合うように。


「一人を狙うより周囲の人達を巻き込んだ方がやりやすい。無差別なら事故だと処理される可能性も出てくる。今回の集団食中毒はもちろん、火事とかね」


柔らかい口調は変わらないが、言っている内容に畑中は驚く。


「知花くんを早めに行かせたのは、事故になりそうなことを事前に防いでもらいたかったんだ。それにしても毒か……。最近は素人でも毒が手に入るもんね。食事も気をつけるべきだった」


小動物のような顔が苦痛に歪む。


日が落ちてきて、中庭の半分が日陰になってきた。


「俺は今回も防げなかった……」


「今回?」


片手で前髪をグシャグシャにする。スッキリするわけじゃないが、皮膚の裏側、脳の存在を意識する。


「トレイは、池袋であった通り魔事件を起こしています。実はトレイのターゲットをハッキングしたことが始まりです。でも止めることができなかった」


ターゲットは一見、ただのサラリーマンだ。


しかし実は国際テロ集団の一員だった。まだ事を起こしていないだけで、重要なのは日本人だったからだ。ターゲットが日本に仲間を招き入れる恐れがあり、消すことになったのだ。


畑中はターゲットの自宅を特定していた。土日になったら自宅を見張ろうと決心していた矢先に殺されたのだ。


「畑中くん、君はいい子だね。殺人脳に支配されず、ちゃんと自我を保っている。君の本質と育った環境が良かったんだね」


「そんなことは、」


ないです、と声が段々小さくなる。


「いっそ影響されていれば犯人の思考がわかったのに」


「知花くんと連絡が取れないんだ」


唐突の話題変更は、こっちの気を使ったわけではない。清水は相変わらずのマイペースで会話のキャッチボールを続ける。畑中も、気持ちを変えて聞く姿勢になった。


「知花くんを明泥園に行かせてから、連絡がね。悪いけど迎えに行ってくれないかなあ」


懐から紙を出す。数字が羅列してあった。


「これ知花くんの電話番号。学生である君を巻き込みたくなかったけど、もしかしたら4の者、いやそれ以外に捕まったかもしれないからね」


「それ以外?」


内緒だよ、と清水は人差し指でしーっと言う。


「青木が僕を紹介したのは、僕が施設の元従業員だからだ。だから君の話だって信じた……。連中は非道な道を進んでいるようだね」


畑中は施設を思い出す。つい最近、外に出されたばかりだ。

実験。しかし実際は手術をしてベッドの上で安静にしていただけだ。病院に入院していた感覚に近い。研究員たちは自分によくしてくれていたから、悪い印象はない。


「他の人達と会ったことないですけど、チャットで何度かやりとりしましたし」


「そうなんだね」


声に出ていたらしい。

誤魔化すように座り直す。


「明日にでも知花さんを探しに行ってきます。もともと行く気でしたので」


桜山千歳はもう死んでしまった。

せめて、ケイトだけは捕まえたい。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る