エピソード1.変しょく
清水医院
夜の池袋は賑わっていた。
金曜日なので、駅に直行せず飲み屋に向かう人が多い。
二人組のサラリーマンも同様だった。
髪の短いほうが居酒屋前でメニューを物色している。居酒屋はビルの地下にあり、外の階段から降りてすぐだ。階段の上から賑やかな声が聞こえる。
「先輩、さっきの店とこことどっちにします?自分はどっちも好きなので迷うっす」
振り向くと、先輩は顔を下げていた。腹が痛いのか聞こうとした時、後ろから誰かがのぞいてきた。
鋭い目つきをした男だった。口元と耳にピアスが複数ついている。店に入りたい客だろうか、と後輩は先輩の肩を叩いた。
すると先輩が寄りかかってきた。
「え?」
先輩がつけている香水に混じった、鉄の匂い。
同時に熱い液体がシャツに染み込む。血が先輩の胸から出ていた。
心臓付近から金属が見える。
「え、ええ」
両肩を掴んで震えている間にピアス男は階段を登り始めた。
次の日、ピアス男は北海道にいた。
オホーツク海の潮風が目に染みる。残念ながら流氷は見えない。
ピアス男はタバコに火をつけ、一服した後スマホを操作する。昨晩の池袋の事件は通り魔の疑いになっている。急性アルコール中毒が無難じゃない、と言っていた仲間を思い出した。
試してみたかったのだ。自分が本当に捕まるかどうか。連れにバッチリ顔を見られている。今頃、連れは警察に訴えているだろうか。
ピアスだらけの人相は、世間に出る前に別人の人相になっているだろう。
ピアス男はグループチャットを開くとメッセージを送信した。
『こちらトレイ、ターゲットは始末した』
『こちらシンク、了解。お疲れ様でした』
畑中優はそれだけ打つと窓を見た。
窓越しに自分と目が合う。制服の下にパーカーを着て失敗した。
九月はまだまだ暑く、パーカーの下、シャツに汗が滲んでいた。電車内はクーラーの代わりに窓が少し開けてある。
強風が音を立てて前髪をなびかせる。
せっかくセットしたのに、とイライラしながら片手で前髪を抑えていると目的の駅に着いた。
駅前は栄えているのにちょっと歩くだけで住宅街に入った。
どこかで学校があるのか、子どもの騒ぐ音がする。畑中はメモを見ながら不安になる。
本当にこんなところに病院はあるのだろうか。
ひとつ横の駅で止まった時、大学病院が見えた。
もしやそちらではないか、と思ったときだった。
電柱に目的の医院の名前とそこまでの距離が書かれていた。
その通りに進むと、低めのマンションの1階に清水医院の看板が見えた。
ピンクのおしゃれな看板で、カフェのような印象をもった。
窓はなく、扉の透明な部分から中を覗こうとした時だった。
「今日はもう終いだよ」
後ろから声を掛けられた。振り向くと小さなおじいさんが斜め前を指差している。
そこには1週間のスケジュールが書かれている看板がある。
「悪いけど、明日また来てくれるかな。予約なしでいいから」
おじいさんは申し訳なさそうに言った。目は常に三日月のような形で目尻に皺がある。
おじいさんは小動物のような可愛さがあった。
「すいません、青木さんの紹介で来たんですけど……」
「あ、青木くんが言っていた子か。畑中くんだっけ?」
はい、と返事をするとおじいさんはますます笑顔になり、医院の中に入れてくれた。
待合室も小さく、数人しか座れない。
「あらあ清水先生」
声を掛けたのは受付に座っている女性だった。
作業をしているようで顔を下げていた。
まん丸な顔はおじいさん同様優しげで、40代ほどに見える。
女性は畑中を不思議そうな顔で見る。
「お客さんだから奥に通すね。知花くんは?」
「知花ちゃんは中庭でご飯食べていますよ」
通り過ぎる時、女性はにこやかに会釈してくれた。
診察室を通り過ぎると、廊下の突き当たりにドアがある。それを開けると緑が広がっていた。正方形の中庭だった。中心に大きな木があり、レンガで作られた道以外は植物で溢れている。
見上げると建物の二階と三階の廊下が見える。建物の真ん中が吹き抜けになっていて、太陽の光が降り注いでいた。
こちらから見えるということは、あちらも見えるはずだ。ちょうどドアから住人が出て来たが、畑中達を一瞥もしないで歩いていった。
畑中の視線に気づいたおじいさんが2階の角を指差し、「階段があそこと反対側にあるよ」と教えてくれた。
レンガ道を進むと、木の下に誰かが座っていることに気づいた。
「知花くん、例の子がきたよ。挨拶して」
知花と呼ばれた人物は食事中だった。
先ほど女性が言っていたので驚かない。
ラップで包んだサンドイッチを咀嚼しながらこちらを見る。
長い前髪を横に流し、後ろ髪は低い位置でお団子にしてある。一見女性だと思ったが、肩幅とごつい手で男性だと判断した。
「……知花です」
低い声で男性だと確信した。
畑中は動揺を顔に出さないようにしながら「畑中優です」と自己紹介をする。
「お食事が終わったらでいいからお茶の準備してくれるかな。客間でよろしくね」
知花は無言で頷いた。
二人は中庭を突っ切ると、反対側にある扉を開けた。医院より短い距離の廊下と、その先に出入り口が見える。
「あっちからでも入れるんですね」
ガラス張りの出入り口の向こうに車や行き交う人々が見える。
「そう、むしろあっちが表側かも。管理人がいるから誰でも入れるわけじゃないけどね」
清水はひとつの部屋に通してくれた。
本棚やらテレビやら、壁いっぱいに家具が置いてあり、隅にはベッドもある。
真ん中にあるテーブルの上は、お菓子の缶が積んであった。
テーブルを囲う椅子は色んな形のソファだ。
「ゲストルームでもあるから物が多いんだ。お菓子は好きなものを食べてね」
畑中はソファに沈むと、遠慮なく缶を開けた。
普段なら遠慮してしまうが、清水には甘えたい気持ちが出てくる。
畑中は自分のおじいちゃんを思い出していた。
缶の中身はチョコクッキーだ。全ての缶の中身を確認し、結局チョコクッキーを食べる。
「青木くんは元気かい?僕が連絡しても返信してくれないんだ」
清水は真正面に座り、両手をちょこんとテーブルに乗せている。
「元気ですよ。相変わらず風呂に入りませんが」
清水医院を紹介してくれた男は、同性から見てもかっこいいが風呂嫌いなところが少し残念であった。
「あと人の話も聞きません」
清水は笑顔のままため息をついた。
「しょうがない子だねえ、本当に」
それから三十分は青木の話で盛り上がった。共通点がそれしかないにしても、あの男の話はやけに盛り上がる。
そろそろ喉が渇いた、と思った時だった。
ノックもなしに扉が開く。
知花がお盆を片手に入って来た。
「どれが好きかわからないから色々持ってきた。麦茶と緑茶とジャスミン茶」
畑中が麦茶を選ぶと、次に知花が選んで最後に清水が取る。
知花はベッドに腰を掛け、足を組んだ。白いシャツに黒いパンツというスタイルがアンティークな部屋に合っていて絵のようだった。
「さて、本題に入ろうか」
清水はお茶をすすると目を開いた。
きたか、と畑中は身構える。
麦茶と菓子缶を遠ざけて姿勢を正した。
「折り入ってお願いがございます。殺人を防ぎたいので手伝ってほしいです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます