第6章 悪役令嬢の祝福
第76話 アクアスティードの不安
「くしゅっ!」
「まぁ、ティアラローズ様。お風邪でしょうか?」
「ちょっと喉が痛いかしら……?」
もう春も終わりのこの季節、ティアラローズはどうやら風邪をひいてしまったようだ。
夏に咲く花が育ち始め、妖精たちは日差しにはしゃぎ毎日を楽しそうに過ごす。森は恵みを実らせ、海は魚たちがすくすくと育つ。それを空から太陽が見守っているのだ。
ここ、マリンフォレストが一年で一番自然の恩恵を受ける時期。
ティアラローズは薄手のストールを羽織り、侍女のフィリーネに紅茶を淹れてもらう。
「蜂蜜も入れておきますね」
「ありがとう」
受け取ったティーカップからは甘く優しい香りがし、心が安らぐ。
彼女はこの国の王太子妃、ティアラローズ・ラピス・マリンフォレスト。
綺麗なハニーピンクの髪に、穏やかな瞳。無害に見えるが、実はこの世界――『ラピスラズリの指輪』という乙女ゲームの悪役令嬢だ。
「寝室を整えますから、少しお休みください」
「そうね」
こくりと紅茶を飲んでいると、フィリーネはすぐに眠れるように準備を開始する。優秀な侍女に任せておけば、何も問題はないだろう。
「でも、こんな時間から眠るなんて……」
現在は、午後のティータイムに丁度いい時間だ。ぽかぽかしたお日様が気持ちよくて、正直に言ってしまえばお昼寝にはもってこい。体調不良なので、お昼寝とは違うかもしれないが。
フィリーネが準備をしている間に、紅茶を飲み干す。
――そういえば、風邪なんて随分引いていなかったわね。
子供のころに風邪を引いた記憶はあるが、ここ数年は健康そのものだった。フィリーネに管理されているので、規則正しく生活をし体調を崩すことはない。
「大人の風邪は長引くというし、悪化する前に寝て治すのがいいわね」
フィリーネが支度を終えたので、さっそくベッドへもぐりこむ。窓にはレースのカーテンをひいてもらい、たっぷり太陽光を部屋へ入れる。
心地よい温かさに、自然と眠気が襲ってくる。
「ああ、ぽかぽかぁ~」
「ティアラローズ様、夕食の前に医師を連れて一度様子を見にきますね」
「ありがとう、フィリーネ」
ぎゅっと枕を抱きしめて、ティアラローズは幸せそうに眠りについた。
◇ ◇ ◇
オフホワイトを基調にした室内は、僅かに窓が開けられ心地よい風が吹き抜ける。木製の家具は職人が腕によりをかけたもので、主人の気品を際立たせる。
そんなアクアスティードの執務室だが、今はざわついていた。
「ティアラが風邪? 大丈夫なのか!?」
ティアラローズが眠ったのを確認し、フィリーネが急ぎアクアスティードへ報告にきたのだ。自分の妻の体調不良に焦り、アクアスティードは食欲はあるのか、熱は、顔色は? と、矢継ぎ早に質問していく。
そんなアクアスティードに、すごい慌てようだとフィリーネは苦笑する。
「引き始めですから、明日にはよくなるのではと思います。医師の手配はしましたので、後ほど見ていただく予定です」
「そうか……」
「今はゆっくり眠っていますので、明日にはよくなるかと思います」
フィリーネから伝えられたティアラローズの病状に、アクアスティードはほっとする。
「だが、無理は禁物だ。ティアラの明日以降のスケジュールは、調整しなおしてくれ」
「かしこまりました」
風邪の引き始めといえど、心配なものは心配だ。
すぐに指示をしたその人物は、ティアラローズの夫でありマリンフォレスト王国の王太子であるアクアスティード・マリンフォレストだ。
ダークブルーの髪に、スラリとした体。整った顔立ちは真剣みをおびるが、ティアラローズにだけは甘く優しい。
「アクアスティード様、今は仕事も一段落していますし……様子を見にいきますか?」
「……そうだな、いや、先に少し出かける」
エリオットが、「心配ですね」とアクアスティードへ声をかけて様子見を提案する。
アクアスティードの側近である彼は、スケジュール調整なども行う。優しげな眼もとと、セピアの髪。恋人はいないが、王城のメイドたちから人気のある親しみやすい人物だ。
てっきりすぐティアラローズの下へ行くと思っていたエリオットは、豆鉄砲を食ったように目を瞬かせる。
アクアスティードが彼女以上に優先すべき予定なんて、今はなかったはずだ。
「どこへ行かれるんですか?」
「クレイルのところだ。すぐに戻る」
「かしこまりました」
本当であれば、すぐにティアラローズの下へ行きたい。……が、その前にどうしても確認したい事案があった。アクアスティードはエリオットに仕事を任せ、執務室を後にした。
空の妖精王であるクレイルの神殿は、空の領域にある。
生身の人間でそこへ行くことができるのは、空の妖精王から祝福されているアクアスティードだけだ。側近といえど、アクアスティードが連れていくことは出来ない。
例外として、クレイル本人が招いた場合のみほかの人間も行くことが可能だ。
澄んだ空気に、白を基調とした調度品。神殿の壁の一部は大きなガラスになっており、空から見下ろす形で王都を一望することが出来る。
「アクアスティード、どうかしたの?」
空へやって来たアクアスティードを出迎えたのは、もちろんクレイルだ。
青色のグラデーションがかった髪を肩口で切りそろえ、金色の瞳は王としての威厳を兼ね揃える。女性と見間違えてしまう綺麗な顔には、誰もがほれぼれするだろう。
「少し相談があってな」
「相談? 今、この国には私の力が必要な問題は起きていないように思うけど……」
アクアスティードが告げると、クレイルは不思議そうに首を傾げる。空を操る彼の武器は、情報だ。国に吹く風が音を拾い彼に届けるため、大抵のことは把握しているのだ。
今現在、この平和な国にはなんら問題はない。
そのためクレイルは「何を?」と楽な気持ちで尋ねるが、アクアスティードはひどく真剣な、思いつめたような表情でクレイルを見た。
「……ティアラのことだ」
「ティアラローズの?」
そういえば、先ほど体調不良で倒れたという情報を妖精から報告を受けたなとクレイルは思い出す。だが、風邪の初期症状なので彼女に問題はなかったはずだ。
クレイルが知り得ない状況になっているのか、問うために口を開こうとすると――一陣の風が吹き、花びらと木の葉が舞った。
綺麗な長髪と、しっかりした体つき。腰には扇を付け、ゆったりと首元にはストール。アクアスティードやクレイルと同じように金色の瞳を持つ、森の妖精王キース。
ティアラローズを祝福しているため、気になったキースが様子を見に来たのだ。
「なんだ、ティアラがどうかしたのか?」
「キース……また勝手に来て」
「いいだろ、別に」
来るなら事前連絡をしろと、クレイルはため息をつく。
とはいえ、自由奔放なキースのことだ。こうやって注意をしても、きっとすぐに忘れてしまうのだろう。
そして二人の視線は、アクアスティードへと移る。
「んで、ティアラがどうしたって?」
「体調を崩している。……それが、星空の王の力の影響ではないかと考えたんだ」
「なるほどな」
不安そうに告げたアクアスティードの言葉に、二人の王が納得する。
星空の王の力とは、アクアスティードが持つ力のことだ。
それは初代国王であるフェレス・マリンフォレストも扱うことが出来る。しかしそれは巨大で、人間の体にはとても負担が大きい。
そのため、『星空の王の指輪』にその力が流れている。アクアスティードの星空の王の指輪はティアラローズが持っているため、力の影響を受けて体調が崩れたのでは……と考えたのだ。
現に、フェレスの妻であるリリアージュは、指輪の力によって人間から怪物へと姿を変えてしまっている。
不安になるなという方が、無理だ。
「考えすぎだよ、アクアスティード。彼女の不調は、王の力とは関係ない」
「そうだな……確かに、ティアラもアクアスティードも力の乱れはないな」
しかしそれは杞憂だったようで、クレイルとキースは「ただの風邪だ」と言い切った。
「そうか、よかった。私の力のせいで、ティアラに何かあったら……」
悔やんでも、悔やみきれないだろう。
二人の妖精王の答えに心底安堵し、それならばすぐにてもティアラローズの下へ行きたくなる。すぐにそれを察したクレイルは、苦笑しながら「行けばいい」と言う。
「心配なんだろう? ティアラローズのことが。私も出かけるから、早く帰って」
「俺も後でティアラの見舞いに行くかな」
「すまない、ありがとう」
◇ ◇ ◇
クレイルの神殿を後にしたアクアスティードは、すぐにティアラローズの下へ向う。自室から二人の寝室に行くが、ティアラローズの姿がない。
「ティアラ?」
体調不良なのに寝ていないのかと焦るが、すぐに違う寝室で寝ているのだろうと気付く。
ここは王太子であるアクアスティードと一緒に使う寝室だ。アクアスティードに風邪をうつさない配慮と、ティアラローズがゆっくりやすめるため別途用意された寝室があるのだ。
すぐに場所を移動し、ティアラローズの部屋に隣接して作られている寝室へと入る。極力音を立てないよう、ゆっくりと天蓋の寝台へ近づいて妻の様子を窺う。
しかし、ティアラローズはゆっくりと目を開き、ふわりと微笑んだ。
「……アクア様」
「起こしてしまったか?」
「いえ。少し眠ったんですけど、目が覚めてしまって。ここはお日様が気持ちいいので、寝ころんでいるだけで心地いいです」
もう体調もいいんですと、アクアスティードに告げる。
「そうか。でも、無理はしないでくれ」
「はい。ご心配をおかけしてしまって、すみません」
「大丈夫。ここ最近はいろいろなことがあったから、疲れが出てしまったのかもしれないな」
アクアスティードはベッドの縁に腰かけて、ティアラローズの髪を優しく撫でる。そのまま額に優しくキスを落とし、「早くよくなって」と耳元で囁く。
「……っ! すぐによくなります」
「ああ。心配で、仕方がない」
「大袈裟です、アクア様」
微笑むアクアスティードの顔に、ティアラローズはドキドキしてしまう。耳元で囁かれた低い声は、さらにそれを加速させる。
そこへ、コンコンとノックの音。
入室を許可すると、フィリーネが顔を覗かせた。
「失礼いたします」
「フィリーネ、どうしたの?」
「はい。オリヴィア様がお見えになっています。ティアラローズ様は体調が優れないとお話したら、お見舞いをされたいと……」
おそらくオリヴィアは何かの用事があり、登城したのだろう。
いつも登城すると、ティアラローズを訪ねてくれるのだ。二人でお茶会をし、ゆっくり過ごすことが多い。
「アクア様、少しだけオリヴィア様とお話してもいいですか?」
「それはもちろん構わないが、ティアラは大丈夫?」
「はい」
どうしようかと考え、少しならばとティアラローズはオリヴィアを迎え入れることにした。
すぐにフィリーネがオリヴィアを連れてやってきた。とてもいい香りがセットになっていて、スイーツのお土産があることに気付き目を輝かせる。
入室してすぐ、オリヴィアは淑女の礼をした。
「ティアラローズ様、アクアスティード殿下、ごきげんよう」
「ああ。オリヴィア嬢も元気そうで何よりだ」
「オリヴィア様、いらっしゃい。あまりおもてなしは出来ないけれど、ゆっくりしていって」
ティアラローズがオリヴィアを迎え入れると、口元に手を当ててオリヴィアがこくこくと頷く。その心は、悪役令嬢とそれを心配して付きっ切りのヒーロー最高!! だろうか。
悶えて床をばんばん叩きたい衝動にかられるが、オリヴィアはぐっと我慢する。これ以上興奮したら、鼻血が出てしまうかもしれない。
そんな彼女は、『ラピスラズリの指輪』の続編の悪役令嬢だ。
長い髪と、紐状のヘアアクセ。フレームの付いたカラー眼鏡がよく似合う、テンションが激しい公爵家の令嬢だ。
ティアラローズと同様、日本人だった前世の記憶がある。
「思っていたよりも元気そうでよかったです」
「ええ。疲れが出てしまったのかもしれないわ。すぐによくなるはずよ」
ほっと安心して、「早く元気になってくださいませ」とオリヴィアが微笑む。
それと一緒に、お土産ですと可愛らしくラッピングされたバームクーヘンが差し出された。それに目を輝かせて、ティアラローズは嬉しさを隠せない。
「これを食べたら、すぐによくなりそうですね」
「ティアラローズ様ったら……。そうですわ、せっかくですし……療養を兼ねて旅行をしてみてはいかがですか? わたくしがいつも使う別荘をお貸ししますから」
「別荘に?」
オリヴィアの提案に、それはとても魅力的だとティアラローズは思う。
しかし、療養を兼ねるのであればそれなりの日数が必要だろう。アクアスティードは仕事が忙しく、行くのが厳しいかもしれない。かといって、ティアラローズ一人で行こうとも思えない。
――素敵なお誘いだけど、無理そう。
ティアラローズが断りを入れようとすると、先にアクアスティードが口を開く。
「それはいい。私もスケジュールを調整するから、一緒に行こう」
「アクア様、お忙しいのに……いいのですか?」
「もちろん。ティアラが元気になるのが、一番だ」
無理だと思っていたため、アクアスティードの返事は純粋に嬉しかった。
王太子とその妃という身分ゆえ、落ち着いて出かけることも難しい。おそらく時間を捻出するのは大変だろうに、それをまったく見せずアクアスティードは了承した。
「では、わたくしが手配しておきますね。日程などの確認は、レヴィを使いに出しますから」
「ありがとうございます、オリヴィア様」
こうして、ティアラローズとアクアスティードの二人で旅行へ行くことが決定した。
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