第63話 小さな来訪者

 アクアスティードが執務へ向かうのを見送り、ティアラローズも支度を済ませる。今日の予定は特になかったなと思い、街のスイーツマップでも作ろうか……なんて考えが浮かぶ。


 自室のバルコニーに出て、王城の庭園と街を見下ろす。海が朝日を反射して、きらきら輝いて見えるこの瞬間はティアラローズのお気に入りだ。

 最近は、街がぐっと華やかになった。花を使う装飾が増えているし、可愛らしい外装のカフェも増えている。


「もっとスイーツが広まったらいいな」


 なんて、欲が出てしまう。


 そしてふと、そういえばアクアスティードに指輪のことを相談していなかったなと思い出す。あまりにも忙しそうだったのと、そこまで大きな変化があったわけではないので伝え忘れてしまっていたのだ。

 自分の左手にはまった、夜空のように光る宝石の付いた指輪をじっと見つめてみる。

 あのとき気になった違和感はなく、いったい何だったんだろうと不思議に思う。ゲームでよくある展開といえば、指輪は扉を開く鍵だったり、身分を証明するものだったり、魔法を使うアイテムだったり、それから――。


「……もしかして、アクア様の居場所を教えてくれてるの? 」


 なんといっても、この指輪はアクアスティード自身が作ったのだ。そんな機能が付いていてもいいんじゃないか……なんて考える。

 けれどそれでは、GPSのようであまりいい気はしないかもしれない。


「連絡手段があまり手軽じゃないから、便利といえば便利ね」


 魔法を使って連絡を取ることは出来る、連絡用の魔法はどちらかといえば難しい部類に入る。なので、魔法が苦手なティアラローズはもちろん使うことができない。

 手紙を送ってくるアカリや、アクアスティードの側近であるエリオットは使うことが出来る。


 指輪を見ながらそんなことをのん気に考えていると、宝石の中の光が大きくなったり小さくなったりし始めた。


「え?」


 そして同時に、指輪が何かに引っ張られているような感覚。

 この先にアクアスティードが? そう考える。しかし、指輪が示している先は――どうやら、王城の庭園。

 執務室で仕事をしているアクアスティードは、城内にいるはずだ。位置が合わないので、いったい何を示しているのだろうと考えるが……。


「でも、行ってみたらいいわね」


 場所が王城の庭園であれば、何も問題はないだろう。

 もしかしたら、ゲームのイベントか隠しアイテムか……そういった類のものがあるのかもしれない。様子を見て、何かあればアクアスティードに報告すればいいとティアラローズは考える。


 そうと決まれば善は急げだ。

 ティアラローズはフィリーネを呼び、庭園を散歩したい旨を伝える。護衛にはいつも通りタルモがついく。


「ティアラローズ様、まだ朝方は少し肌寒いですからこちらを」

「ありがとう」




 忙しなく働くメイドたちにあいさつをしながら、ティアラローズは庭園までやってきた。朝露の残る薔薇やティアラローズの花が美しく咲いていて、朝から贅沢な気分になる。

 散歩という名目があるので、花を見ている風を装って指輪の導く方向へ歩いていく。


 ――いったいどこにあるのかしら?

 普段であれば、あまり庭園の奥へ行くことはしない。なので、どの程度奥までこの庭園があるのか、ティアラローズもいまいち把握をしていない。

 おそらく、知っているとすればタルモだろう。


 いつもより奥へ奥へと歩くティアラローズを見て、フィリーネは「どこまで行かれるんですか?」と声をかける。


「もう少し奥まで行ってみたいのだけれど、いいかしら?」

「それはもちろん構いませんが……タルモ、この先もずっと庭園が続いているのですか?」


 ティアラローズも疑問に思っていたことを、フィリーネがタルモに問いかける。すぐに頷き、タルモは肯定を示す。


「この先には、泉があります。周囲には花が咲いていて、とても美しいです。しかし、歩くとなると二十分ほどかかると思います」

「想像していた以上に、この庭園は広いのですね」


 感心するようにフィリーネが言い、ティアラローズも同意する。


 ――もしかしてその泉が、イベントスポットか何かなのかもしれない。

 違う場所を指している可能性もあるけれど、美しい泉であれば見てみたいとも思う。


「歩くのは問題ないから、行ってみましょうフィリーネ」


 ぜひ見てみたいと告げれば、「もちろんです」とフィリーネが楽しげに笑う。ティアラローズと同じように、フィリーネも見てみたいようでほっとする。



 庭園の花を愛で、指輪の導く方向を確認しながら泉へと向かう。幸いなことに、やはり方向は一致しているようだった。

 薔薇のアーチをくぐり抜けた先に、泉がある。「すぐそこです」と告げるタルモの声に、ティアラローズの胸は弾む。


「これが泉――え?」


 アーチの向こう、一番に泉を目にしたティアラローズは動揺して思わず足を止める。

 直径五メートルほどの泉が、黒く濁っていた。その周囲には綺麗な花が咲いているのだから、この光景は異質以外のなにものでもない。


 ――指輪は、やっぱりこの泉を指していたみたい。

 どういうことだろうと考えるよりも早く、「お下がりください!」とタルモがティアラローズの前へと出た。


「いったいどういうことだ、何か薬物が混ざっている危険があります……っ!」


 焦るタルモと、不安そうにするフィリーネ。

 しかしティアラローズは、逆に冷静になる。普段は綺麗な泉が、何か助けを求めて指輪の力を借りて自分を導いたのではないか――と。

 タルモが泉を観察しているのを見ていると、ふと……泉の中心部分にこぽこぽと泡が見えた。タルモは水質を見ているようで、それにはまだ気付いていない。

 ティアラローズは目をこらして、いったい何だろうかと見つめる。すると、その泡は次第に大きくなりばしゃんと大きなしぶきが上がった。


「――っ!?」


 その音に、タルモとフィリーネも泉の中心を見る。

 ばしゃばしゃともがくようにして、一匹の動物が姿を現わす。何事だと思ったのは一瞬で、その動物が溺れているのだということをすぐに理解した。

 ティアラローズが一歩前に出ると、フィリーネがすぐに止める。


「離れてください、危険です! 泉の水も、毒のような害のあるものかもしれません!」


 絶対に触れないでくださいと、フィリーネが悲痛な声をあげる。


「でも、助けないと溺れて死んでしまうかもしれない!」

「だからといって、ティアラローズ様が助ける必要はありません」

「……っ!」


 しかし、毒に染まっているかもしれない泉にタルモを飛び込ませて助けろと言うわけにもいかない。

 動物を見殺しにもしたくない。掴まることの出来るような長い棒も、手入れのされたこの庭園周辺にはなくて。


 ティアラローズは唇をかみしめ、海の妖精王の加護の力でどうにか助けることは出来ないだろうかと考え――ハッとする。

 気付いてしまえば、そこからの判断は早い。

 泉に飛び込もうと、持っていた剣に手をかけたタルモを視界に捉える。


「タルモ!」

「はいっ」

「下がりなさい。あなたが飛び込むことは許しません」

「――!?」


 肩に巻いていたストールをフィリーネに預けたティアラローズは、そのまま走って泉の中へと飛び込んだ。


「ティアラローズ様!?」


 フィリーネの悲痛な叫びを耳にしながらも、ティアラローズは気にせず溺れている動物の下まで泳ぐ。すぐに動物を抱きしめて、ティアラローズはタルモとフィリーネの方へと振り返る。


「なんてことを……! タルモ、はやくティアラローズ様をお助けしてくださいっ!!」


 溺れてしまったらと、涙ぐみながらフィリーネがタルモに縋る。しかしそれを制したのは、飛び込んだはずのティアラローズ本人。

 泳ぎながら「大丈夫よ」と告げて、二人のいる岸へとたどり着く。


「もう、なんてことをなさるんですかティアラローズ様!」

「あ、触らないでフィリーネ」

「!」


 すぐに手を伸ばして、泉からティアラローズを引き上げようとするフィリーネとタルモを制す 。

 水に濡れた髪を後ろに流して、水を吸って重くなったドレスに顔をしかめる。


「この水には、触れない方がいいわ」

「ですが、ティアラローズ様は触れているじゃありませんか……っ!」

「わたくしには、海の妖精王の加護があるから大丈夫です。液状のものであれば、一切の毒を無効にしてくれるから」


 ティアラローズが左手の小指に着けている ピンキーリングは、海の妖精王の指輪だ。先ほど告げた通り、液状であればどんな毒物も無効にし所有者を護る。

 例え食事に毒を盛られても、ティアラローズにはいっさい効かない。


 ゆえに、タルモを制して自らが泉に飛び込んだのだ。

 この中で、状態の不明な泉に入り無傷でいられるのはティアラローズだけだから。それを二人に説明するも、フィリーネの悲痛な眼差しは消えない。


「毒が効く効かないの問題ではありません……! もう、このような無茶はおやめ下さい!」

「そうです。たとえ毒があろうとも、飛び込む役目を担うのはティアラローズ様ではございません」

「……ご、ごめんなさい」


 自分は大丈夫だから――と、ティアラローズは考えてみたがやはり二人にとってはそう簡単な問題ではなかったようだ。


「とりあえず、汚れたドレスは綺麗にしましょう……」

「……ん、ありがとうフィリーネ」


 水の魔法を使い、フィリーネがティアラローズについた汚れを落とす。海の妖精から加護を受けているフィリーネは、水に関する魔法が得意だ。それは主に、室内の掃除などで役立てている。

 ただ、乾かすことまでは出来ないので急いで部屋に戻る必要があるけれど。


 同じように助けた動物も水で綺麗にすると、黒い毛の、まるまった角のある謎の動物が顔を出した。大きさは猫くらいで、抱きしめるとちょうどよさそうなサイズだ。

 もふもふした毛はとても柔らかそうで、その姿は全身が毛で覆われたポメラニアンのよう。


「……見たことのない動物ね ?」

「そうですね……」


 ティアラローズはストールで軽く水を拭いてやり、まじまじと見る。初めて見る外見に、もしかして妖精の一種ではないだろうかという考えが浮かぶ。


「ティアラローズ様、今はとりあえずお部屋へお戻りください。その動物は、私が預かりますから」

「そうね。タルモにお願い――きゃっ!」


 動物をタルモに渡そうとすると、慌てふためき暴れ始める。ティアラローズの腕から抜け出して、ちらりとこちらを見つつも薔薇の茂みに逃げ込んでしまった。

 タルモはすぐに追いかけようとして茂みをかき分けてみるが、すでに動物の姿はない。


「……捜索は騎士団で行います。一旦戻りましょう 」


 今はティアラローズの体の方が大事だ。

 あの怪しげな色の泉、そこにいた得体のしれない動物。何か異変が起きていることは間違いない。


「わかったわ。ごめんなさい、私が抱く力を弱めてしまったから」

「ティアラローズ様のせいではございませんから、気になさらないでください。今は体を温めましょう」


 護衛であるタルモがティアラローズを残して動物を追うことはできない。ひとまずは部屋へと戻り、ティアラローズを安全なところに移動させるのが先決だ。




 ◇ ◇ ◇



「ティアラ!」

「アクア様……」


 ティアラローズがお風呂を済ませると、アクアスティードが心配そうにしながら自室で待っていた。すぐに「無事でよかった」と告げて、ティアラローズを抱きしめる。


「ご心配をおかけしてしまって、すみません。わたくしは、パール様の指輪があったので問題ありません」

「まったく……。今後は、指輪があってもこんな無茶はしないでくれ。タルモから報告を聞いたときは、心臓が止まるかと思った」


 心臓がいくつあっても保たないと、アクアスティードが息をつく。

 ティアラローズをソファに座らせて、温かい紅茶を渡す。お風呂につかったとはいえ、しばらくは落ち着いていてもらわなければアクアスティードが安心できない。

 一緒にクッキーも用意して、アクアスティードも隣に腰かける。


「そういえば、あの動物は見つかりましたか……?」

「いや、まだだ。タルモが指揮をとって敷地内を探しているが、もしかしたら王城から出てしまった可能性も高い」

「裏は山がありますからね」


 もしかしたら、そこからやって来たという可能性もある。

 数日は捜索をするが、それでも見つからなければ王城内にはいないという判断をして終わりになるだろう。しかし、それよりも泉の水の方が問題だった。


「王城内で、今まであのようなことはなかった。騎士も多くいるし、不審人物が入りこんでいるということも考えにくい」


 調査は進めているので、近いうちに原因を突き止めることは出来るだろうとアクアスティードは告げる。

 だからティアラローズは、問題が解決するまで大人しくしているようにと言われてしまう。


「わたくしだって、皆さんの邪魔はしません……あら?」

「ん?」


 ふいに視線を感じて、ティアラローズは窓を見る。

 そこには、先ほど泉で助けた動物がいて――ティアラローズをじっと見つめていた。

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