第3章 幸せスイーツと互いの音色

第31話 甘い新婚生活

 大国マリンフォレストの王太子であるアクアスティードと、隣国ラピスラズリのラピスを賜る侯爵家の令嬢であるティアラローズ。二人はこの度、夫婦となった。

 そして現在。次期王妃として、ティアラローズは目まぐるしい毎日を過ごしている。


 ティアラローズ・ラピス・クラメンティールは、ティアラローズ・ラピス・マリンフォレストへと名前が変わった。

 その名にラピスが戴かれているのは、ティアラローズが森の妖精王キースに祝福を受けたからだ。


 アクアスティードの妃となったティアラローズには、新しい部屋が与えられた。

 それぞれ繋の間を通し、寝室がアクアスティードと一室という作りになっている。つまり、互いにどちらの部屋へも自由に出入りが可能ということ。

 今はティアラローズの自室で、ドレスを仕立てるために専属のデザイナーがきている最中だ。


「まだドレスを仕立てるの?」

「もちろんですよ、ティアラローズ様。アクアスティード殿下の妃なんですから、今後は公務も増えますし、まだまだ足りません!」


 ハニーピンクの髪をふわりとさせて、ティアラローズは新しいドレスの最終調整をしている。お人形のように立っていれば、お針子がせっせとドレスを整えてくれるのだ。


 ドレスのデザイン画を見ながらその場を取り仕切っているのは、侍女のフィリーネだ。

 後で髪をまとめて、どれがティアラローズに似合うのかを真剣に考えている。主人であるティアラローズ以上に、彼女のことをしっかりと考えている。


「お疲れですか?」

「ここのリボンを調整すれば、少しお休みいただけますわ」


 ――少し、ね。

 お針子の言葉を聞き、まだまだ終わりそうにないとティアラローズは小さく息をつく。

 連日のようにやってくるお針子と、王太子の妃へ挨拶にくる貴族や商人たち。

 これも公務だと割り切ってはいるのだけれど――まったくもって、休まる暇がないのだ。


 背筋をぴんと伸ばして、背中に付けられたリボンの位置を調整される。

 プリンセスラインのドレスは少し子供っぽいかもしれないけれど、新妻であることを考えればそれもまた可愛らしいから不思議だ。


「位置の確認が終わりました、ティアラローズ様。一度ごゆるりとなさってくださいませ」

「ありがとう」


 ゆっくりドレスを脱がしてもらい、ティアラローズは仕立ての最中にだけ着るラフなドレスへと着替える。

 ソファに座ると、温かい紅茶が用意される。


「お疲れ様です、ティアラローズ様。後二着ほど調整をして、気に入ったデザインがあればそのドレスも仕立てましょう。とはいえ、明日には夜会もありますから、あまり無理のない範囲で……」

「そうね」


 くったりとソファに座り込み、生き生きとしているフィリーネの言葉にめまいがしてしまう。この他にもアクセサリーや化粧品の確認もあるのだから、笑えない。

 侯爵家の令嬢として過ごしてきたティアラローズは、この手のことにはもちろん慣れている。のだが――今回のことは、いつも以上に数が多くハードだった。


「ケーキもご用意しましたから」

「スイーツね!」


 テーブルの上に置かれたのは、桃を使ったケーキだ。

 彼女は、前世からお菓子――スイーツに目がない。大好きなのだ。


 そう――。

 ティアラローズには、前世の記憶があるのだ。

 日本人として生きていた、思い出が。そして今生の世は、前世で大好きだった乙女ゲーム『ラピスラズリの指輪』の続編にあたる。

 ゲームとしてのエンディングは終了したので、今は幸せなのだけれど――時折、ほんの少し不安になるのだ。


 ――今更ゲームの力が働いて、アクア様が他の人を好きになったりしないかしら。

 普段はそんなことを思いはしないティアラローズだが、ふとした時に考えてしまう。アクアスティードがティアラローズに向ける溺愛ぶりを見れば、誰もそんなことは思わないけれど。


 ぱくりと桃を口に含んで、そのみずみずしさに舌鼓を打つ。思わず頬が緩むと、フィリーネも満足そうに笑う。

 ティアラローズが幸せそうにしている姿が大好きなのだ。


「そういえば、今夜もキッチンをご使用になりますか?」

「ええ。少しだけクッキーを作るの。アクア様が食べたいと言っていたから」

「準備しておきますね」


 ティアラローズの言葉にフィリーネが頷いて、メイドに指示をする。

 しっかりと教育されたメイドたちは、全員が主人のために動く。フィリーネは満足げに頷いて、再びデザイン画に視線を落とす。


 前世からお菓子が大好きなティアラローズのために、この部屋のキッチンはアクアスティードが用意したのだ。

 そのため、全ての設備がティアラローズ専用の特注だ。妃である彼女に、料理をする時間はあまりとれないのが正直なところ。

 しかし、彼女を溺愛するアクアスティードは気付けばキッチンを作り、彼女の好きなお菓子を送り、専用の庭園の準備すらも整えていた。

 いったいいつの間にと、いつも驚かされているのだ。


 ――幸せ、だなぁ。

 えへへと笑いながら、ティアラローズは紅茶を飲み干す。

 もちろん、フィリーネからドレスを調整すると言われたからだ。短い休憩は、終了。


「後二着ね。よろしくお願いするわ」

「お任せ下さいませ、ティアラローズ様」


 お針子二人が礼をして、ドレスの調整を始めた。




 ◇ ◇ ◇


 日中のハードスケジュールをこなすと、夜には自由時間となる。

 そこからはもう、ティアラローズのスイーツタイムだ。


「そんなに数を作らないから、可愛い形に焼こうかな?」


 フィリーネは下がらせて、一人で部屋に備え付けられたキッチンへでお菓子を作る。

 本当はご一緒しますと言われはしたが、前世のお菓子知識もあるためティアラローズは一人が気楽でいいのだ。

 勿論――例外はあるのだけれど。


「良い匂いだね、ティアラ」

「!」


 ふわりと、背後から包み込むように抱きしめられた。

 ティアラローズのうなじに顔を埋めるように、すり寄ってくる。

 とっても大好きな、旦那様だ。


「お帰りなさい、アクア様」

「うん。――ただいま、ティアラ」


 ぎゅうぎゅう抱きしめてくる男は、愛おしそうにティアラローズへちゅっと口づける。


 アクアスティード・マリンフォレスト。

 この国の王太子で、ゲーム『ラピスラズリの指輪』に登場するメインの攻略対象者だ。

 本来であれば、ヒロインであるアイシラと結ばれるはずだった。けれど、アクアスティードは登場時から一途にティアラローズだけを見つめ、愛してきたのだ。


「ん、なんだか今日のクッキーは可愛いね。ティアラみたいだ」

「……もう。動物の形にしてみたんです」


 ティアラローズの手には、猫のクッキーがある。後はこれを焼き上げれば、クッキーの生地は全て使い終わる。

 焼き上がった物は、猫と、うさぎと、カメの形にしてある。


 一つアクアスティードに味見をしてもらおうと思い、焼き上がったクッキーに手を伸ばして――ティアラローズは、首を傾げた。


「ティアラ、どうかしたの?」

「あ、いえ。……アクア様に、味見をしてもらおうと思って」


 ーー気のせい、かな?


 ティアラローズはうさぎのクッキーを摘んで、アクアスティードへ渡そうとする。

 が、それは本人に拒否をされてしまう。

 ゆっくりと首を振って、どうやら受け取る気はないようだとティアラローズも理解する。


「ティアラ」

「……っ!」


 食べてくれないのかな? と、しょんぼりしたのもつかの間で。

 アクアスティードは名前を呼んで、自らの口を開いた。

 あーんをしてくれと、無言で訴えているのだ。


 今までにあーんをしたことがない訳ではないのだが、やはり恥ずかしいことに変わりはない。

 侯爵家の令嬢として育てられてきたティアラローズに、そういった考えはなかったのだ。


「うぅ……。これだけ、ですよ?」

「可愛い」


 耳まで赤くしながら、甘えてくる旦那さまの口へとクッキーを運んだ。

 ぱくりとうさぎのクッキーを食べられて、ついでとばかりにティアラローズの指先もぺろりと舐められる。


「っ! あ、アクア様!」

「だって、クッキーよりティアラの方が全然甘い」


 悪びれもせずに言い放つアクアスティードは、楽しそうに笑っている。

 しかしティアラローズも、本当に嫌がっているわけではないのでお似合いの二人なのだろう。


「ああ、そういえば……」

「?」

「ティアラの開くお茶会が、令嬢に大人気なんだってね?」


 最後のクッキーをオーブンへ入れて、ゆっくりと焼き上げる。

 生地が色づくのを見ながら、アクアスティードは森のお茶会と言う。


「それは、お菓子が人気だからでは?」

「ティアラは本当にお菓子が好きだね。妬いてしまいそうだよ」

「お菓子に?」


 それはさすがにまずいだろうと笑いながら、アクアスティードに聞く。


 自画自賛ではないが、ティアラローズのお菓子はとても美味しい。

 加えて、現代日本のレシピも使っているためそうそう真似することも出来ないのだ。


「うん。お菓子が大人気なのはもちろんだけどね。皆、ティアラとお近づきになりたいんだよ」

「王太子妃ですから、それはーー」

「違うよ」


 他国から嫁いだ自分と懇意にしたいのは、もちろん王太子であるアクアスティードの妃だから。

 ティアラローズはそう考えているのだが、言葉を被せるようにアクアスティードがそれを否定する。


 困惑しながら彼を見れば、向かい合うようにしてその腕に巻き込まれる。


「森の妖精王の加護を受けているティアラが、私のご機嫌伺いにされるわけがないでしょう?」

「ですが……」


 ここ、マリンフォレストには妖精という存在がいる。

 森の妖精、空の妖精、海の妖精。

 ティアラローズは、森の妖精に歓迎され、結婚式の折に森の妖精王に祝福をされた。


 空や海の妖精ならば問題はない。

 そんな中ーー森の妖精が人に祝福を送ることはほぼ無いとされているのに、その頂点から祝福をされたのだ。

 話題にするなと言う方が、無理というもの。


「ティアラはしっかりした教養があるのに、自分のこととなると評価が低い」


 もっと自信を持っていいのに、と。アクアスティードは微笑んで額に優しく口づけた。


「キースの祝福があるから、森のお茶会ですか?」

「だろうね。森の妖精王に祝福された者は、歴代の王族でも一人か二人いればいい方だからね」


 自分で言いながらも、アクアスティードは妬けるなと再び呟く。

 ちょうどクッキーが焼けたので、この話はお終いだと切り上げる。


「紅茶を入れますね」

「ありがとう」


 焼き上がったクッキーを満足気に見ているティアラローズ。

 すぐにお茶の準備をしようと楽しそうにしているので、まさかもっと抱きしめていたいなんて言えるはずもなく。


 ーー私の奥さんは、可愛いな。

 もちろん、抱きしめても拒否はされないだろう。

 甘やかせば、甘えてくれるということもわかっている。


 が、ティアラローズが本当にお菓子が好きなのもまた事実。

 せっかくのスイーツタイムなのに、邪魔をするのも可哀想だと思う。


 ーーまぁ、いいか。まだ夜は長い。


「アクア様?」

「ああ、今行くよ」


 トレイにクッキーとティーカップを乗せたティアラローズが、不思議そうにアクアスティードを見る。

 考え事をしていただけと言って、二人でキッチンを後にした。

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