第32話 消えたお菓子の謎
「うーん?」
ティアラローズは、自分専用のキッチンでお菓子を作りながら唸っていた。
どうにも、おかしいのだ。
もちろん、キッチン自体は問題ない。それどころか、アクアスティードがティアラローズのために特注で作ったのだから、格別ですらある。
問題が、お菓子にあった。
「やっぱり、さっき焼いたクッキーが少し減ってる」
二回目に焼き上がったクッキーをお皿に移そうとして、最初に焼いた十枚のクッキーは……なぜか八枚に数を減らしていたのだ。
先日アクアスティードと一緒にいたときに感じた違和感は、やはり正しかったのだ。
――でも、どうしてお菓子が消えるのかしら?
不可思議な現象に、首を悩ませる。この部屋に誰かが侵入することは不可能だし、フィリーネや他のメイドがそういったことをするはずもないのだ。
だとしたら、妖精くらいしか考えられる人物はいない。
「でも、森の妖精であれば私にちょうだいと言うだろうし」
まったく持って不可解だ。
「ティアラローズ様?」
「あ、フィリーネ」
唸り声を聞きつけたフィリーネが、そっとキッチンへ顔を出す。普段は立ち入ることをしないので、よほど酷い声をあげていたのだとティアラローズは苦笑する。
どうかしましたか? と、心配そうにしているフィリーネ。どうしようかと思いつつも、幼い頃からずっと一緒にいる侍女なのだ。お菓子が消えたことを、相談してみる。
「まぁ。クッキーが?」
フィリーネは驚きつつも、すぐにティアラローズの言葉を受け入れた。
「わたくしたちがティアラローズ様のクッキーを、ということはありませんから……やはり妖精でしょうか? でも、普段であれば勝手に持っていったりはしませんよね?」
「そうなの。だから、不思議で」
森の妖精たちは、ティアラローズの作るお菓子が大好きだ。しかし、無断で盗んでいくような子たちではない。
そう考えていたところで、八枚あったクッキーがいつの間にか七枚になっていた。
これはやはりおかしいと顔を見合わせて、ティアラローズはフィリーネとともに護衛のタルモを連れて庭園へと向かう。
可愛らしいピンクの薔薇が咲き誇る小さな庭園は、森の妖精が気に入って遊んでいることが多い。
アクアスティードがティアラローズのために作らせた専用の庭園で、ティアラローズの許可がないものは立ち入ることが出来ない。
「私はここで待機しております」
「ありがとう」
庭園の入り口にタルモが立ち、護衛をしてくれる。
いつでもすぐ視界にいれられるようにと作られているこの庭園は、そんなに広くはない。使用用途といえば、ティアラローズがアクアスティードとお茶をするくらいだろうか。
ティアラローズが令嬢を招待して行っているお茶会は、別の広い庭園で行われている。
そのためここは、正真正銘のプライベート庭園なのだ。
「あ、いたわ」
『姫様だ〜!』
『どうしたの〜? 遊ぼう〜!』
きゃらきゃらと笑いながら、庭園にいた森の妖精たちがティアラローズの下へと集まってくる。
共通の緑色の髪をした妖精たちは、植物をこよなく愛し――彼女の作るお菓子も大好きなのだ。
『あ、お菓子だーっ!』
さっそく一人がティアラローズのクッキーを発見して、ちょうだいとねだる。もちろんあげるために持ってきたクッキーだから良いのだが、先に確認をしなければならない。
少しだけ待ってねと言い、ティアラローズは森の妖精たちに消えたお菓子のことを聞いてみた。
『えぇっ! ティアラのお菓子、なくなっちゃったの?』
『知らないよ、勝手に持っていったら王様にしかられちゃうもん!』
「そうよね。皆、ありがとう」
――やっぱり、森の妖精たちの仕業ではないみたいね。
そもそも、勝手なことをすると王様に叱られると言っているのだ。森の妖精王であるキースがしっかりしているのならば、この妖精たちが犯人のはずはない。
「やっぱり、森の妖精ではなかったですねぇ」
「そうね。かといって、私は海の妖精には嫌われているし、空の妖精とはほとんど関わりもないし……」
まったく手がかりがなくなってしまった。
けれど、やはり人間が盗むには状況的に不可能だ。
「アクアスティード殿下に相談をされてはいかがですか?」
「でも、アクア様は執務でお忙しいもの。お菓子がなくなったくらいで、お手を煩わせるわけにもいかないわ」
フィリーネがここぞとばかりに提案をするが、ティアラローズは力なく首を振る。
忙しい自分の旦那様に、些細なことで面倒をかけたくないという彼女なりの心遣いだ。
が、それは彼女がそう思っているだけであり、実際は違う。
アクアスティードはティアラローズのことであれば何でも知りたいし、悩みがあれば何でも相談をして欲しいと思っているのだ。
その気持ちをしっているフィリーネは苦笑しつつも、再度相談することを勧めておいた。
――とりあえず、警備の強化はしておかなければいけないわね。
ティアラローズが妖精たちと話しているのを確認し、フィリーネはタルモの下へ警備に関する相談をしに行く。広い庭園ではないので、小さく声をかける。
「どうしました?」
「ティアラローズ様の周囲、何か変わったことはあったかしら?」
フィリーネの問いかけに、タルモは驚きつつも最近の様子を思い返す。――が、特別変わったようなことが起きているということはない。
警備上、不審な点は無い。静かに首を振り、それを伝える。
「何か気になることが?」
「ええ。敵意があるかはわからないけれど、ティアラローズ様の周囲で何か変化がありそうなの。注意してもらえるかしら」
「わかりました」
言葉数が多いわけではないフィリーネの言葉に、タルモは頷いた。
お菓子が消えたなど、情報を伝えることもできる。が、それでは警備に先入観を与えてしまう。侍女が感じた違和感だけに意識を集中され、本命はもっと大きな事件だった――では、困るのだ。
ティアラローズの周囲すべてにおいて、警戒をしてもらわなければいけない。
ひとまずは安心だと、フィリーネは肩の力を抜く。
「フィリーネ、アクアスティード様にお伝えは?」
「いいえ。わたくしも、先ほど気付いたのです。殿下にお伝えはしていませんが――ティアラローズ様は、心配をかけたくないから伝えないつもりかもしれません」
「そうか」
――アクアスティード殿下には、タルモが伝えてくれるでしょう。
今でこそティアラローズの専属護衛であるが、元々はアクアスティードの側近なのだ。フィリーネよりもずっと適任だろう。
後は、アクアスティードに任せれば良いようにしてくれるだろう。
ティアラローズが言わずとも、甘く優しく白状させられるという未来を簡単に想像することが出来た。
想像しただけでお腹いっぱいになるが、実際はもっと、蜜のように甘いのだろうなとフィリーネは思う。
◇ ◇ ◇
夜になり、執務を終えたアクアスティードはティアラローズの下へと帰宅する。
昼間にタルモからの報告は受けているので、愛しい奥さんがどんな反応をするのか楽しみでもあった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
ソファでゆったりと刺繍をしていたティアラローズは、笑顔でアクアスティードを向かえる。
「遅くなってしまったね」
「いいえ。お仕事、お疲れさまです」
アクアスティードの唇がティアラローズの額に触れて、そのままぎゅっと抱きしめる。すでに帰宅時の約束のようなそれで、アクアスティードはティアラローズを補充しているのだ。
特に、今日は仕事が長引いてしまった。普段であれば、ゆったりと過ごしている時間。
――でも、ティアラの警備を見直していたのだから仕方が無い。
こればかりは、明日以降に引き延ばすつもりは毛頭ない。不安要素があるのであれば、すぐにでも実行に移すべき事案だ。
「今日は何かあった?」
「いいえ。ドレスの調整と、お菓子を作ったりしてました」
「そう」
昼間のことを言うつもりの無いティアラローズは、にこりと微笑んで問題ないと告げた。
――まったく、可愛いんだから。
どうやって白状をさせようかなと、アクアスティードの中に悪戯心が芽生える。にやりと笑ったのがいけなかったのか、ティアラローズは一瞬びくりと肩を振るわせた。
「あ、あくあさま……?」
「うん?」
ティアラローズの声に、優しく微笑んでその綺麗な髪を撫でる。
なんとでもないという風に彼女を抱き上げて、アクアスティードは寝室へと続く扉へと手をかける。寝るのには、まだほんの少し早い時間だ――。
「あ、あのっ!」
「どうしたの、ティアラ」
アクアスティードの腕に抱かれて、ティアラローズは顔を赤く染める。
――絶対、知ってる!
ティアラローズは、アクアスティードの様子を見て確信した。絶対に、昼間の出来事を知っているのだと。でなければ、帰ってすぐに寝室に連れて行かれるはずも無い。
甘やかされて、全部白状させられるのだと本能が告げた。
「じ、実は昼間にっ」
「なんだ、もう白状しちゃうの?」
「そんなに残念そうにしないで……」
せっかく可愛がろうと思っていたのに、と。アクアスティードはくすくす笑う。
仕方が無いのでソファへ座って、ティアラローズの話を聞くことにした。
「――という、ことなんです」
「お菓子ね。確かに、人的という考え方よりは妖精が犯人という方がしっくりくるね」
「そうなんです。でも、森の妖精はそんなことをしませんから……」
ティアラローズの言葉に頷いて、アクアスティードも思案する。
――海の妖精、か?
一番可能性の高い妖精を思い浮かべ、確認方法などを脳内でシミュレートしていく。
空の妖精であれば、アクアスティードに祝福があるためすぐに連絡がとれるし、そういったことをするような種族でもない。
「私が調べてみるから、ティアラは何も心配しなくていいよ」
「アクア様……。でも、お仕事だって忙しいじゃないですか。私のクッキーがなくなったくらい、なんてことはありませんよ?」
「駄目だよ。ティアラのクッキーは、私のものだからね」
お菓子にも妬いてしまうんだと、笑いながらアクアスティードはティアラローズの頬を撫でる。そのままついばむように何度か口づけて、安心させるように背中を撫でる。
――ことが大きくなる前に、処理をしないとな。
ティアラローズがクッキー消失事件だと思っている内に、すべてを片付けたいところだ。段々とエスカレートするだろうと、アクアスティードは考えている。
なかなかに難しいけれど、何人にもティアラローズとの時間を邪魔させるつもりは無いのだ。
◇ ◇ ◇
しかし数日後、事件は思いもしない方向から発展していく。
ティアラローズ自身が、お菓子の消える瞬間を目撃してしまった。
「えええっ!」
キッチンに備え付けられている水道から、海の妖精が顔を出してクッキーを一枚持ち帰ったのだ――。
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