第30話 祝福されし次代の王妃
今日という
ティアラローズとアクアスティードの結婚式に向かう馬車の中、アイシラは昨日のことを思い返す。
それはアカリに言われた『私の友人の旦那様に、あまり近づかないでくださいませ!』という言葉だ。
――わたくしは、アクアスティード殿下のことをそのように思っていたのだろうか。
胸がつきんと、痛んだような気がした。
「アクアスティード殿下に恋愛感情なんて、わたくしは持っていなかった」
誰に言うわけでもなく、アイシラは言葉にする。
そうしないと、いけないような衝動にかられたのだ。胸の中に渦潮があるような、そんな激しい感覚がアイシラを襲った。
好きだったわけではない、と。再度自分に言い聞かせるように呟いた。
「アクアスティード殿下は、とても優秀で、お強くて、落ち着いていて、気品があって、お優しくて、大人で……。毎日海に潜っているようなわたくしとは、対照的な眩しいお方だった」
髪に付けた珊瑚の髪飾りをしゃらんと揺らし、アイシラは馬車の壁に寄りかかる。
思い返すのは、厳しいアカリの言葉と、仲良くしてくれたティアラローズと、それから――アクアスティードのことだ。
「だって、わたくしはアクアスティード殿下に釣り合わないもの。好き、だなんて感情は図々しいわ。それに、結婚は家のためにするのだもの。だからわたくしは、婚約に関することはお父様にお願いしますと伝えてあるもの」
――恋愛結婚なんて、考えていない。
いつもはこんなことないのに、どうして今はこんなにも気持ちがぐるぐるしてしまうのだろうか。アイシラはぎゅっと拳を握りしめて、熱い胸の内を耐える。
「きっと、アカリ様があのようなことをおっしゃるから……」
――きっと、ティアラローズ様に申し訳ないと思っているのだわ。
だからこんなにも、胸が締め付けられそうになるのだ。
アイシラがアクアスティードへ向ける感情は、恋ではない。
けれど、アイシラが結ぶリボンの色は今日もダークブルーだった――……。
◇ ◇ ◇
マリンフォレストにある、大聖堂。
ティアラローズとアクアスティードの結婚式は、今まさに――厳かに執り行われるところだ。
「……どうしましょう。わたくし、本当に変ではない?」
「世界で一番お綺麗ですから、自信をお持ちください」
大聖堂の入り口で、はらはらしながらフィリーネに最後の確認をしているのはティアラローズだ。
純白のウエディングドレスに身を包み、どきどきと高鳴る胸を押さえている。
それにどっしりと構えて応えるフィリーネは、「お綺麗です」と何度も褒め称えた。アクアスティードに嫁がせるのも勿体ないなと思うほどに。
ティアラローズのウエディングドレスは、エンパイアラインの可愛らしいデザインだ。裾の部分にはレースをあしらい、まるで月の妖精のようだとフィリーネは思う。
森の妖精が贈ってくれた花をドレスに纏わせ、ロングのレースは空の妖精が祝福をしてくれたためふわりと舞う。
白い花で作られたブーケには、ダークブルーのリボンを巻いてある。
そして耳には――アクアスティードとお揃いの、アカリに贈られたピアス。それに合わせたデザインのイヤリングも付け、ハニーピンクの髪はハーフアップにされている。
「ありがとう、フィリーネ。わたくし、とっても幸せ」
「はい。さぁ、入場の時間ですよ」
「……ええ」
大聖堂の扉が、ゆっくりと開いていく。
――わたくし、本当に結婚が出来るのかって……怖かった。
もし直前になって、アクア様がアイシラ様を選んだらどうしようと。ずっとずっと、考えてしまっていた。
けれど、今はもうその心配もない。
これから執り行われるのは、ティアラローズとアクアスティードの結婚式なのだから。
大国マリンフォレストの大聖堂は、屋根の部分に珊瑚と硝子を混ぜて作ったステンドグラスが使われている。太陽の光も、月の光も、すべてをステンドグラスは受け入れて祝福の光へと変える。
入り口の両サイドには妖精たちの像が設置されており、妖精の住む国ということを印象づけた。この国の新郎新婦は、妖精に祝福されて結婚するという言い伝え。
「……アクア様」
ティアラローズの視線の先には、タキシードに身を包んだアクアスティードの姿。
白を基調にしており、アクセントには黒に近いダークブルーの色が入っている。ティアラローズを見て、それは幸せそうにアクアスティードが微笑んだ。
扉の先では、参列者がティアラローズたちを迎え入れる。
静かに席へ着き、花嫁が入場してくるのを心待ちにしているのだ。入り口の一番近くに急いで陣取ったフィリーネは、すでに涙を流しながらティアラローズを見ていた。
素早いなと笑いながらも、姉のように思っていたフィリーネに祝ってもらえるのはとても嬉しい。
この大聖堂には、入場口が2つある。
1つは、ティアラローズが入場した幸せの扉。
もう1つは、同じタイミングでアクアスティードが入場してきた決意の扉。
それぞれ歩んできた道を現す青いバージンロードは、部屋の中央で交差し1つの道となるように作られている。
交わったバージンロードの先は、グラデーションがかかり白い絨毯になる。これからの人生を、2人の色に染めていくという願いが込められている。
ティアラローズとアクアスティードは、お互いにゆっくりと中央へ向けて歩みを進める。
幸せそうな2人を誰もが祝福する中――どこか泣きそうな顔をしている令嬢が1人。
そう、アイシラだ。
「どうしてでしょうか。……胸が、とても痛みます」
誰にも聞こえない小さな声が、アイシラの口から漏れる。じっと2人を見つめるオレンジ色の瞳はじわりとにじみ、ぽろりと大粒の涙がこぼれた。
自分はアクアスティードに恋をしていたわけではなかったのに。どうして、こんなにも胸が痛くなるのかと自分自身に問いかける。
――わたくし、本当はアクアスティード殿下のことをお慕いしていたの?
今までの想いは、尊敬というものではなかったのか。
ずっとずっと、そうだと思っていたのに。どうしても、アカリに言われた言葉がアイシラのなかをぐるぐると渦巻いて離さない。
「……っ、アクアスティード殿下」
無意識に腰が浮いて、アイシラは一歩前へ踏み出そうとして――ぱしっと、その手を掴まれた。
「――っ!」
「そうはさせない」
落ち着いた声とともに、アカリの手が立ち上がろうとしていたアイシラを制止した。
驚きに目を見開き、しかし自分が何をしようとしていたかを悟りすぐ椅子に座り直す。幸い、少し腰が浮いただけでアイシラが立ち上がることはなかった。
「わたくし、何を……!」
自分がしようとしていたことに気付き、アイシラはびくりと体を震えさせた。
アカリがアイシラの手を掴んで止めていなければ、そのままふらりとバージンロードへ歩みでてしまっていただろう。
「アイシラ様、あなた……。やっぱり、アクア様が好きだったのね?」
「そんな、わたくしはっ! まさか、そのようなこと。……でも、この胸の痛みが――恋だと、愛というものだと。そう、言うのですか?」
どきどきどきと、アイシラの鼓動は早鐘よりも早く、高鳴っていく。
今まで知り得ることのなかった恋というものを、すでに自分は持っていたというのだろうか。戸惑いを見せるアイシラとは違い、アカリはいたって冷静だった。
――やっぱり起こったわね、このイベント。
可能性は低いと思っていたが、ゼロではなかった。加えて、昨日からアイシラがダークブルーのリボンを付けていたことも気になった。
続編のゲームでは、攻略対象者がほかのキャラクターと結婚するというイベントが発生する。
しかし、ヒロインはそこに乱入することが出来るのだ。条件は、結婚式にそのキャラクターをイメージしたリボンを付けるということ。
ティアラローズはイレギュラーな存在であるから、ゲームのイベントが起きるかはわからなかった。けれど、もしもという可能性を考えて、アカリはあらゆる手段を用いてこの結婚式に参列したのだ。
「私は正直、結婚式に乱入っていうイベントが大好きです。だって、ときめくじゃないですか。花嫁のいる花婿が、自分を選んでくれるんですよ。――でも、私は」
「…………?」
大聖堂の中に音楽が流れるタイミングで、アカリは口を開く。
参列者は新郎新婦に釘付けのため、アカリとアイシラのやりとりに気付く人はいない。
「それ以上に――幸せそうに笑ってる親友の結婚式をぶちこわされるのは、許せない」
「奇遇なことに、俺も同感だなぁ」
「……妖精王キース!?」
くつくつと笑い、アカリとアイシラの前に転移をして現れたキース。
誰かに見られたかと周囲を見るが、気にしている人はいないようでアカリはほっとする。それは人々の視線が途切れた瞬間に転移をするという神業をキースがしたからなのだが、アカリが気付くことはない。
「アイシラといったか。あの2人に何かしようというのなら、俺はお前を許さない」
「……! め、めっそうもございません。妖精王のお心のままに」
ティアラローズが森の妖精王に気に入られているということは、アイシラはよく理解している。
アクアスティードに愛され、キースにも気に入られているティアラローズ。もとより、自分が入り込むような隙間はなかったのだ。
――わたくしでは、アクアスティード殿下の隣にいられないのですね。
そう、自分の中で素直に思ったからだろうか。アイシラの瞳からは、とめどなく涙が溢れ出た。けれど声はあげずに、ただただ、雨のように泣いた。
「心から、祝福を出来なくてごめんなさい、ティアラローズ様……っ」
「いいのよ。女の子は、失恋したら泣いておけばいいの」
「アカリ様……」
アイシラにそっとハンカチを渡し、アカリは挙式真っ最中の2人に視線を向けた。
彼女が泣いている事実は、アカリにとってそれほど優先順位が高いわけではないのだ。そのうち泣き止むだろうと思い、今は素敵な式を楽しむことにする。
「私は、ティアラ様が幸せになる瞬間を見にきたのよ」
「奇遇だな。俺も、ティアラを祝福にきたんだよ」
アカリが笑顔でここにきた目的を告げれば、キースもそれに賛同した。
◇ ◇ ◇
ハープが美しい音色を奏て、ティアラローズとアクアスティードはバージンロードが交差する位置までやってきた。
アクアスティードが左腕を差し出すと、ティアラローズは恥ずかしそうにしながらもそっと手を添える。
古来より、男は愛しい人を守るために右手は剣を持つとされている。ゆえに、花嫁は花婿の左側を歩くのだ。日本で一般的に伝わっている話と同じなのは、やはりこれがゲームだからなのだろう。
青から純白になったバージンロードを歩みきると、神父が祝福の言葉を唱える。
ここからの結婚式は、日本のものと少し違う。
ゲーム名にも入っているように、ここは『ラピスラズリの指輪』という乙女ゲームだ。すでに国は違うけれど、結婚式のやり方は同じだ。
男性が指輪を用意して、それに誓いの魔法を込める。それが、この世界の結婚式。
誓いの言葉なんて、いらないのだ。
それよりも、もっともっと深い絆を指輪へ込めるのだから。
「ティアラ……。私の魔力すべてを込めた指輪だ。受け取ってくれるかい?」
「もちろんです、アクア様……」
蜜のように甘いアクアスティードの笑顔と、言葉。
そっと左手を差し出せば、そこにはめられる結婚指輪。
綺麗なデザインのエタニティリングで、中央には薄いピンクの綺麗なダイヤモンドがはめられている。それを包み込むように、ダークブルーから薄い水色へグラデーションとなって宝石がくるりと並ぶ。
「これで、私のものだね――もう、離してあげない」
「……っ!」
指輪をはめて、そのまま薬指に触れるぎりぎりをかすめるように唇で触れる。とても熱いと、ティアラローズは頬を染める。
指輪をもらったあと、女性側からの誓いは男性の額へ魔力を込めて口づけることだ。
花婿が魔力のこもった指輪を渡し、花嫁は自分の存在を男性に刻むのだ。自分の魔力を注ぎ、生涯隣にいますという誓い。
「わたくしも、離さないです……よ?」
「……ああ。そうして?」
「はい……」
アクアスティードがティアラローズの前へと跪き、その額へそっと口づけを落とす。
触れるだけだけれど、魔力を含んだキスは淡い光を放つ。少ない魔力しかなかったため、無事に成功したことにほっとしながらティアラローズは微笑む。
指輪と魔力の誓い。
この両方を行ったら、最後に甘い口づけを……。
「ティアラ……」
「……ん」
ゆっくりとヴェールをあげて、アクアスティードがティアラローズへ優しく口づける。
甘くついばむように口づけられ、ティアラローズから吐息が漏れる。まるで離したくないというように、アクアスティードの舌が唇をなぞる。
びくりと震えれば、くすりと笑って唇が離された。
「愛してる。一生大切にして、幸せにする」
「はい。わたくしも、愛しています……」
2人が愛の言葉を交わした瞬間、人々の拍手が降りそそぐその前に――大きな光が、大聖堂の中を包み込んだ。
「……っ!?」
突然のことに誰もが驚き、戸惑う。アクアスティードはすぐさまティアラローズの体を抱き寄せて、自分の背中へと隠す。
しかし、すぐにこの光が自分たちを攻撃するためのものではないことに気付く。
――まるで、星が降っているみたい。
「次代の王と王妃よ。貴殿たちの健やかなる幸せと、この国の平和を祝福しよう!」
「キース!」
「妖精王!」
きらきらと輝く光の原因は、キースの祝福だった。
アクアスティードが妖精王と叫んだことにより、参列者たちがキースの存在を妖精王と認識する。
ティアラローズは、森の妖精王に祝福されし妃となった。そして後に、キースの言葉通りこの国の王妃となる。
「アクアスティード殿下、おめでとうございます!」
「ティアラローズ様、お幸せに!!」
「森の妖精王の祝福なんて、とてもめでたい」
「すごい、すごい!」
途端、参列者から盛大な拍手と祝いの言葉が飛び交った。
皆が手に持っていた花びらをまいて、2人を祝福していく。
「花びらとは、いいな」
キースがパチンと指をならせば、参列者がふらせたフラワーシャワーの花びらに光がまとわりつく。きらきらと光る花びらが大聖堂に踊り、祝福の光を灯した――。
「……っ」
「泣いているのか? ティアラ」
「……いやだ、わたくしったら。嬉しくて、幸せで、涙が止まらないみたいです」
たくさんの人に祝福をされ、アクアスティードとの結婚が成された。
ゲームのヒロインに勝ち、ティアラローズは幸せを手に入れたのだ。自分を抱きしめる彼を見て、ティアラローズは涙で溢れた瞳を微笑ませる。
これでもう、ゲームは終わり。
正真正銘、ここからは現実の世界が始まるのだ。
ゲームに振り回されるのは、これでおしまい――……。
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