第23話 続編ゲームの強制イベント
綺麗に整えられた部屋には、落ち着いた明かりが灯される。
ぱさりと書類を机に置いてから、アクアスティードはエリオットに明日の予定を確認するのだが――その前にエリオットを睨みつけた。
「勝手に片付けようとするな」
「まだ召し上がるんですか? まぁ、いいですけど……」
従者であるエリオットは、ソファに座るアクアスティードを呆れたように見る。「食べる」とアクアスティードが答えたのは、昼間にティアラローズが作った木の実のケーキだ。
普段はあまり甘いものを食べないアクアスティードだが、愛しいティアラローズが作ったというのであれば話は違ってくる。
フォークを使い一口食べれば、「美味いな」と顔がほころぶ。
「まったく。それならばすぐにティアラローズ様のケーキが美味しかったと言えばいいものを」
「……お前な。アイシラ嬢の機嫌は、良い状態をキープする必要がある。城にいるあいだは、ことさらにな」
「それはそうですけど」
エリオットも理解はしているが、ティアラローズがときおり見せる不安な瞳が気になって仕方がないのだ。
そしてアイシラの機嫌とは、妖精という存在が大きく関わってくる。海の妖精にとても愛されているアイシラは、その感情が妖精へダイレクトに伝わる。
アイシラが不機嫌になると、海の精霊も荒れる。逆に幸せであれば、海は恵みをもたらし国は大きく豊かになるだろう。
それが海の妖精に愛されし、続編のヒロインアイシラなのだ――。
◇ ◇ ◇
「あああぁぁっ! 水も滴るイイ男スチル!!」
寝言を叫んだティアラローズは、思わず目を見開き飛び起きた。時刻はまだ真夜中、朝日も昇らない夜の闇だ。
がばりと体を起こしたのは、すっかり忘れ去ってた事実を思い出したからだ。
――水も滴るイイ男スチル。
これは、ティアラローズが前世で死ぬ直前に公開された唯一のサンプルスチル。
アイシラとアクアスティードが海辺を散歩していて、転びそうになったアイシラを庇ったアクアスティードが海へ落ちて水をあびてしまうというイベントだ。
煽り文として、『水も滴るイイ男♪』と書かれていたのを思い出す。
「どうしてこんな素敵なスチルの存在を忘れてたんだろう……。アクア様、格好良かった」
ベッドから体だけを起こし、「ほぅ……」と息をつく。
うっとりとスチルを思い返して、同時に普段のアクアスティードのことも思い出す。いつも優しくティアラローズを甘やかす彼は、自分にはもったいなくらいのイイ男なのだ。
「イベントはいつなんだろう。海辺に行ったときに起こるはず……」
スチルが公開されただけだったので、どのようなタイミングでそのイベントが起きるかはティアラローズにもわからない。
しかし、アクアスティードの公務に海へ行くという予定は今のところない。それにほっとしつつも、プライベートはどうだろうかと考える。
毎日のように仕事をしているアクアスティードは、そんなに休みが多いわけではない。加えて、暇があればいつもティアラローズのところへやって来る。
暇だからと、アクアスティードがティアラローズに何も告げず海へ行くことは考えにくい。否、ありえない。
「とりあえず、予定をしっかり把握しておこう」
もしも海へ行くようなことがあれば、全力で止める。どうしても外せない公務であるならば、いっそアイシラを引き止めるくらいはやらなければと……思う。
しかし相手のアイシラはこの国の公爵令嬢だ。ラピスを賜ったとはいえ、ティアラローズは他国の侯爵令嬢。強く出ることはなかなか難しいだろう。
「……最悪、わたくしは絶対について行けるようにしておこう」
――アイシラ様とアクア様を、海辺で2人きりにはさせられない!
それだけは絶対だ。
今度こそは、絶対頑張るぞと意気込んで、ティアラローズは興奮も冷めやらぬまま再び眠ろうとベッドへ潜り込んだ。
◇ ◇ ◇
「――え?」
「うん? アイシラ嬢の海へ、視察に行くんだよ」
真夜中、ティアラローズが危惧していた出来事が……まさに今、現実のものになろうとしていた。
今までそんな話は出ていなかったというのに、いったいどうしたことなのだろうか。不安になり理由をアクアスティードに尋ねれば、「新種の珊瑚が出来たらしい」と。
海の妖精に愛されているアイシラの海は、色とりどりの珊瑚や魚がたくさん生息しているのだ。
アクアスティードが話すように、新種の魚や珊瑚も一定の期間に生まれる。あまりにも納得のいく理由ではあるが、それでもティアラローズは行かせたくないと思ってしまう。
水も滴るイイ男を、アイシラに見せたくない。独り占めしてしまいたいと――そう願ってしまうのだ。
「どうしたんだい?」
「……」
呆然と立ち尽くすティアラローズを心配し、アクアスティードはゆっくりとソファへ座らせる。
現在、彼の執務室にはティアラローズしかいない。そのため、アクアスティードは思う存分ティアラローズを甘やかすことが出来ると機嫌がいい。
しかし、曇ってしまったティアラローズの表情を見てしまえば、そうもいかない。いったい何が彼女に憂いを与えたのかと、考える。
「……いえ。わたくしの我がままですもの」
「言ってごらん。ティアラはもっと我がままを言ってくれていいくらいなのに、ちっとも私に甘えてくれないんだから」
「それは、だって、アクア様にご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」
ティアラローズの横にアクアスティードも腰かけて、よしよしと甘やかすようにその頭を撫でる。「遠慮なんていらないのに」と苦笑しながら。
夜中に絶対このイベントは起こさせないと――そう誓ったばかりだったのに、ティアラローズはやはりアクアスティードの執務の邪魔はしたくないと思ってしまう。
あれは夜中のテンションが起こさせてしまった考えなのだと、ふるふると頭を振る。
しかし、そうはさせないのがアクアスティードだ。
「ほら、ちゃんと言ってごらん?」
「……ですが、アクア様は公務でしょう? それをわたくしの、ん」
「それ以上は駄目」
ちょん、と。アクアスティードの指がティアラローズの唇へあてられる。それ以上の言い訳は不要だと、アクアスティードは暗に告げているのだ。
――恥ずかしいっ!
そのまま唇の感触を楽しむように、アクアスティードの指がふにふにと押してくる。「言うまで止めてあげない」と言うアクアスティードは、とても楽しそうだった。
このままではいけないと、ティアラローズはすぐに口を開いて行かないで欲しい旨を伝える。
「海に行かないで欲しい?」
「はい。――ですが、これはわたくしのわがままです」
「……ふぅん?」
頬を染めて少しうつむいているティアラローズを見て、アクアスティードは首を傾げる。
もしかしたら、アイシラとの関係に嫉妬をされているのかとも思ったのだ。アイシラ様に会いに行かないでと、そんな可愛いおねだりをされるのではないかと思っていた。
けれど、ティアラローズから聞かされた内容は少々違う。
――アイシラ嬢にではなくて、海?
それはつまり、アイシラの屋敷へ行くのは良いが海には行くなということだ。いったい何を意図してティアラローズがそう言ったのか、アクアスティードにはわからなかった。
海の妖精に嫌われているから、海に行って欲しくないのだろうかとも考えたが――それもありえないだろう。
これから王妃となるティアラローズは、妖精に関する勉強にはとても意欲的だ。推奨こそすれど、拒否をするとはとうてい思えない。
まさかゲームのイベントが起こるんです! などと、ティアラローズが説明を出来るはずもない。
どうやら明確な理由を口にするつもりはないティアラローズを見て、しかしアクアスティードはまぁいいかと結論をつける。
「行くのは止めよう」
「え――?」
「新種の珊瑚は、エリオットに任せることにするよ。私はティアラの方が大切だからね」
報告書を読めば事足りると、アクアスティードは何事もないように言ってのける。
最近は執務が特に多く、ティアラローズには寂しい思いをさせてしまっていると思っていたアクアスティードだ。これくらいの我がままは、ただ可愛いとしか思えない。
「アクア様。ええと、その……ありがとうございます」
「――うん。もっと甘えて。私が気付いていない時に寂しくなったら、すぐにきて」
「はい……っ!」
ぎゅうっと、ティアラローズは横に座っていたアクアスティードに抱きついた。嬉しそうにそれを抱きとめて、もっと2人の時間を作れるようにしようとアクアスティードは思う。
そのままゆっくりとティアラローズの頬を撫でて、指で顎をすくいあげる。そのまま口づけようとアクアスティードが顔を近づけるが――不躾にもノックの音が室内に響く。
「……っ!!」
びっくりしてすぐに体を離したのはティアラローズだ。こんなところを誰かに見られたら、恥ずかしくて部屋に引きこもっている自信があった。
逆にアクアスティードは残念そうにして、突然の訪問者に苛立を覚えた。「どうぞ」と入室を促せば、顔をだしたのはアイシラだった。
「失礼致します、アクアスティード殿下」
「アイシラ嬢か……。すまない、本日の視察はエリオットが同行することになる」
「まぁ、そうなのですね。かしこまりました」
アクアスティードの断りに動じることなく、アイシラは了承する。しかし、そのエリオットは現在席を外しており、執務室にはいない。
首を傾げ「どのくらいでお戻りに?」とアイシラが尋ねる。
「おそらくもうすぐ戻っては来るだろうが――そうだ、途中まで一緒に行こうか。ティアラもおいで」
「アクア様?」
「エリオットは騎士団に行っているんだが、その途中には綺麗な薔薇園がある。気分転換にもなるだろう?」
アクアスティードの提案に、ティアラローズとアイシラはすぐに同意をした。
王城で育てられている薔薇はとても見事で、令嬢にとても人気があるのだ。アクアスティードに誘ってもらえたことが、ティアラローズはとても嬉しかった。
アイシラも一緒にいるが、それ以上にアクアスティードの心遣いが嬉しい。エリオットと屋敷へ戻るのであれば、その後はアクアスティードと2人きりになれるのではとも考えた。
「それじゃぁ行こうか。アイシラ嬢には手間をかけさせてすまないね」
「いいえ。わたくしも、薔薇はとっても好きですから」
「それは良かった」
にこりと微笑み、アクアスティードはティアラローズをエスコートしながら歩く。
その後ろをアイシラが歩き、3人で噴水を囲むように薔薇が咲き乱れる庭園へとやってきた。
「わぁ、綺麗」
「美しいです……」
ティアラローズとアイシラが感嘆の声を上げて、その薔薇の美しさに見入られた。
女神の彫刻が模られた噴水に、それを囲い込むような色とりどりの薔薇。ピンク、黄色、赤と、それはティアラローズの目を楽しませた。
顔を近づければ甘い香りがして、うっとりと酔いしれてしまう。
「気に入ってもらえて良かった」
「わたくしは花よりも珊瑚を見る機会が多くて、なんだか令嬢として恥ずかしい限りですわ」
「アイシラ様は、とても美しい珊瑚を育てていらっしゃるのですから。もっと誇っていいと思います」
花を見るよりも海に居る方が多いなんて。そんな風に言うアイシラを、ティアラローズはもっと誇ればいいと思う。
――続編のヒロインであるのだから、もちろん基本スペックは高いのだろうけれど。
それでも、今のアイシラがあるのは彼女の努力が合ってこそなのだ。それは誇るべきであるし、誰しもが簡単に真似出来るものではないのだ。
もちろん、ティアラローズも令嬢として、ラピスラズリの王妃になる身として必要以上に厳しい教育を受けてきた。それもあり、アイシラのことを嫌だと思い切れないのだ。
「ありがとうございます。ティアラローズ様は、とてもお優しいです。……あ、これは白い薔薇ですね」
「色がついているのも素敵ですけれど、白い薔薇も綺麗ですよね」
「ええ。それに、白はティアラローズ様のハニーピンクの髪にもとても合いそうですわ」
いつもは大人びたアイシラが、年相応の姿できゃあきゃあと薔薇を見てはしゃぐ。絶対にティアラローズに似合うと、嬉しい言葉まで口にした。
しかし次の瞬間、少し高い位置の薔薇を見ようと背伸びしたアイシラが体勢を崩し――噴水の方へと倒れ込んだ。
「――アイシラ嬢!」
「きゃぁっ! アイシラ様!?」
驚き悲鳴を上げたのはティアラローズ。
しかしそれよりも早く動いたのは、アクアスティードだ。倒れ込むアイシラを見た瞬間に駆け出して、その身でアイシラを庇った。
ばしゃんと大きな水しぶきを立てて、アクアスティードは噴水の中へと倒れ込む。幸いなのは、アイシラが噴水に落ちなかったことだろうか。
「アクアスティード殿下……っ!」
「アクア様!」
庇われたアイシラがすぐに噴水の縁にしゃがみ込み、アクアスティードに安否を問う。ティアラローズもすぐに駆け寄り、大丈夫か声をかけようとして――息が止まったかのように、体が固まった。
――水も滴るイイ男。
ティアラローズの脳裏によぎったのは、1枚のスチル。
真夜中に思い出した、水も滴るイイ男のイラストだ。噴水から体を起こしたアクアスティードが、そのスチルとだぶって見えたのだ。
よくよく思い出せば、今のアクアスティードはそのスチルと同じ服を着ていた。そして水が滴った前髪をかきあげる仕草が、スチルとまったく一緒だったのだ。
「そんな……。ゲームの力は、イベントは絶対なの? わたくしでは、無理なの?」
海辺へ行かなかったはずなのに、ゲームのイベントは起こってしまった。
どうしようもない思いが込み上げて、ティアラローズは溢れ出そうになった涙をぐっと堪えた。自分ではゲームの流れを変えることが出来ないのかと、震える。
――駄目、このままここに居たら泣いてしまいそう!
濡れたアクアスティードと、気遣うアイシラをその場に残して、ティアラローズはその場から離れるために全力で走り出す。
後ろでティアラローズを呼ぶアクアスティードの声が、甘く耳に残った――……。
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