第24話 攫われたティアラローズ

 日の光が窓から差し込む部屋で、ティアラローズは1人落ち込んでいた。

 ゲームの強制イベントを回避出来なかったどころか、アクアスティードとアイシラを前に逃げ出してしまったのだから。

 頭ではこうしなければいけないと理解していても、実際イベントの起こった2人を見るとそうもいかなかった……。


「どうしたら強くなれるのかしら」


 ――アクア様の心は、まだ私に向けられているかしら。

 ゲームのイベント中は、その心すらヒロインであるアイシラに向かってしまうのではないだろうか。それが不安で仕方なかった。


「でも、わたくしはゲームの内容を知らない。だから、一生懸命アクア様本人を見ることしか出来ない」


 今回のイベントは偶然思い出せたが、これ以上は本当に何も知らない。前作のヒロインとして転移してきたアカリならば知っているのであろうが、それはしてはならないと思う。

 ゲームの情報があればもちろんティアラローズに有利だろうが、それではアクアスティード本人を真っすぐ見ることが出来ないからだ。


「大丈夫。アクア様は、わたくしを見てくれているから」


 自分に言い聞かせる言葉に、じわりと浮かんだ涙。しかしこぼれ落ちないように、ティアラローズはぐっと顔を上げた。

 堪えていれば不意に、背後から包み込むように目を隠される。


 ――え?

 いったい何事だと身を固くしていれば、ティアラローズの背後からくつくつと笑う声が響く。

 どうやらそれが手であること、そしてその犯人も笑い声でわかった。ティアラローズは勢いよく振り向いて、目隠しをしてきた本人の名前を呼んだ。


「……キース!」

「何だ、またあいつに泣かされてんのか?」

「違います」


 深い緑の髪がさらりとティアラローズの頬に触れて、そのくすぐったさに涙が止まる。

 そして突然現れたことに怒りを覚えつつも、妖精の王には何を言っても無理だろうとため息をつく。ふざけた人ではあるが、キースは妖精の高貴なる王なのだ。

 キースの言葉を否定して、ティアラローズはむむむと顔をしかめる。


「だが、お前の心は泣いているぞ? 辛いなら、俺のところにくればいい」

「……別に、泣かされたわけじゃないです。わたくしが勝手に思い込んでいるだけですから」

「相変わらず、人間は面倒だな」


 あくまでも自由なキースは、ティアラローズが突然部屋にこないでくださいと伝えても聞きはしない。アクアスティードに心配をかけてしまうから、2人きりになるのはティアラローズの本意ではないのだ。


「キースは、相変わらず自由ですね」


 くすくすと笑い、ティアラローズはとりあえずと紅茶の用意をしていく。

 人間の紅茶がキースの口に合うかはわからないが、もてなしをしないというのは良くないだろう。

 こぽぽと湯気を立てながら紅茶をティーカップに注げば、「良い香りだ」とキースが満足げに頷いた。どうやら紅茶が好きなようで、ティアラローズはほっとする。


「妖精も紅茶がお好きなんですね」

「ああ、森の妖精は特にな。自然に咲く花は、とても良い紅茶となる。今度、礼に振る舞ってやろう」

「ありがとうございます」


 ティアラローズの私室に用意されている紅茶は、彼女が大好きな種類はもちろんのこと、様々な種類がアクアスティードによって用意されている。

 何不自由無く過ごせるように、少しでも彼女がリラックス出来るように。


「――涙は、ひっこんだみたいだな」

「……っ!」


 紅茶を飲み、キースはティアラローズの顔を覗き込む。くつくつと満足気に笑い、そのままティアラローズの手を取った。

 いったいどうしたのだろうと、ティアラローズは頭に疑問符を浮かべてキースを見る。自由な存在と自分を称するキースは、いつも行動が突然だ。


「とりあえず、行くか」

「え――? 行くって、どこへ?」


 そのままぐいっとティアラローズを自分の方に引き寄せて、キースは転移の魔法を使う。もちろん、ティアラローズの了承をとることはせずに。


 ――そしてそのすぐ後に、後を追ってきたアクアスティードが部屋をノックする音が響く。

 突然走りだしたティアラローズを心配して捜していたのだが、その姿を見つけられなかったために自室へ訪れたのだ。


「……いないのか?」


 ぽつりと漏れたアクアスティードの声は、しんとした静かな廊下に響く。しかし、部屋を護衛する騎士は「お帰りになられました」と言う。


 ――泣いている?

 愛しい姫は甘えることをあまりせず、他国の侯爵令嬢ということもあり遠慮することがとても多い。それを守りたいと思うアクアスティードだが、ティアラローズは優秀なのでそれをあまり表に見せることも無い。

 一言「入るよ」と声をかけ、アクアスティードは誰もいないティアラローズの私室に入る。


 しん、と。廊下以上に静かなティアラローズの部屋。

 訝しむように見渡せば、まだ湯気の残る紅茶。机に置かれた位置を考えると、ティアラローズが座りながら飲んでいたとは思いがたい位置。


「……妖精王、か?」


 すぐに結論を出したアクアスティードは、ぎりっと唇を噛み締める。間違いなく、妖精王がティアラローズを連れ去ったのだということがわかった。

 転移魔法を使ったため、部屋にティアラローズの姿が無いのだろうと判断し、アクアスティードは連れ戻しに行くための準備をしなければと部屋を後にした。




 ◇ ◇ ◇


 森の木々が囲うように作ったツリーゲート。その奥に、妖精王の城がある。

 色とりどりの花が咲き、ティアラローズを歓迎しているかの様だ。その合間を妖精たちがくぐり抜け、きゃらきゃらと妖精王たちを囲む。


『あれ、ティアラだ〜!』

『王様おかえりなさーい』

『どうしたの〜?』


 ぱたぱたと森の妖精たちが、転移で帰宅したキースを迎える。そしてその腕の中には、ティアラローズの姿があった。

 楽しそうな雰囲気の中、慌ててるのはティアラローズだ。


「キース、どういうことですかっ!」

「そう吠えるな」


 あまりにも突然過ぎた転移に、ティアラローズはキースに詰め寄る。

 前回と同様に、またもアクアスティードに何も伝えてはいないのだ。2回も同じ失態をするわけにはいかないと、ティアラローズは焦る。

 すぐに帰して欲しい旨を伝えれば、しかしキースは首を振る。


「気付いてないんだろうけどな、ティアラ。お前、酷い顔だ。――少し、寝て休め」

「そ、それは関係な……っ」

「別に何もしねぇよ」


 ぼすんとベッドに寝かされて、「とりあえず寝ろ」とキースが口を開く。それに続き、妖精たちも『ねぶそく?』『お肌の敵よ!』と、ティアラローズにシーツをかける。


「あ、えと……。心遣いは嬉しいですが、わたくしは大丈夫です」

『でも、ティアラ目が赤い!』

『このお花あげる〜!』


 妖精たちが『だめだめ』と、ティアラローズに休むように言ってくる。確かに寝不足だったことと、涙ぐんでしまったことで瞳は赤い。

 イベントが起きてしまったショックで、元気がありあまっているわけでもない。


「……ありがとう。でも、わたくしは自室で休みます。ですから、帰してください」

「駄目だ。お前は、森の妖精がきまぐれだって知ってるだろう?」

「キース。ですが、わたくしにだって……」


 ぽんと、キースが優しくティアラローズの頭に手を置く。さすればすぐに、ティアラローズの視界は闇に覆われて意識を手放した。

 優しく低いキースの声が、「しばらく休んでいろ」と奏でる。


「……すぅ」

「いくら無防備だからって、こんなに簡単に眠るとはな。よほど、辛かったか……」


 ティアラローズを横抱きにして、キースはそっとベッドへと横たわらせる。今はゆっくり休めばいいと、その額を優しく撫でた。


『王様、ティアラどうしたのー?』

「ちょっと疲れているだけだ。起きたら、遊んでやれ」

『はぁーい!』


 きゃっきゃとはしゃぎながら、森の妖精たちは寝ているティアラローズと一緒に横になる。どうやら昼寝をするようだと、キースは好きにさせることにした。


「……まったく、世話のやける」


 キースはひとつ息をつき、部屋を後にする。

 ティアラローズの世話は妖精たちがつつがなく行うだろうから、特にすることはない。


 ――森の妖精に愛されし妃、か。


 このマリンフォレスト王国では、3種類の妖精が暮らす。

 森の妖精、海の妖精、空の妖精。それぞれに妖精の王が存在し、その種族を纏めている。


 妖精の祝福は、妖精たちが気に入った人間に授けることが出来る。

 なかでも、一番人間に友好的なのは海の妖精だ。その次に、空の妖精。そして最後に――森の妖精。

 一番気まぐれな森の妖精が人間の前に姿を現すことは、あまりない。ましてや、妖精の王がその前に姿を現すことなどありえないのだ。


「確か、海の妖精たちの気に入りはアイシラという人間だったか。人間も面倒だが、海の妖精も面倒だな」


 とはいえ、キースがほかの種族である海の妖精に何かをしたりするわけではない。

 海の妖精は気に入ったものへの執着がとても強い。以前、海の妖精に愛された少女が酷い目に合ったとき――海は赤くにごり、それを嘆き悲しんだことがあった。

 魚は消え、珊瑚も朽ちた。それ以来、マリンフォレスト王国は妖精に愛されし人間の扱いがとても慎重になったのだ。


「あれはいつだったか、何百年か前だったか……?」


 最近ではなかったような気がするなと、キースは思い返すのを止める。面倒だと思ったからだ。

 しかし、そのため海の妖精に愛されし人間に比重が置かれているのは事実。それ以外に関しては、そこまで重大な事案は起きていないのだから。

 特に森の妖精は、そこまで人間に執着をしたりはしないからことさらに。


「次代の王アクアスティードか。国も、女も、森も、海も、空も、すべてを守ることが出来るのか?」


 今までに、それをなし得た王がいったいどれほどいただろうか。

 すべての妖精王に認められてこそ、マリンフォレストの真なる王と言えるであろう。そういえば過去に1人だけいたなと、キースは思い出す。


 くつくつと笑いながら、アクアスティードの下へと転移した。

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