第21話 花嫁修業
ティアラローズがマリンフォレストへきてから20日の時が過ぎた。
まだひと月も経っていないというのに、それはもう様々なことが起きている。ヒロインであるアイシラとの出会い、そして妖精王との出会い。
もちろん、合間には社交としてマリンフォレストの貴族令嬢とお茶会をする機会もあった。
そしてこれから本格的に始まるのは、――花嫁教育だ。
しかし、ラピスラズリの王太子であるハルトナイツの婚約者であったティアラローズは、ほとんどすべての教養をしっかりと身につけている。
そのため、行われるのはマリンフォレストに関する教養だ。妖精に関すること、歴史に関すること。そして、婚約者であるアクアスティードとの信頼関係を築き上げていくこと。
「しっかりとしないといけないわね。わたくしは、この国の王妃となるのだから……」
天蓋のベッドへと深く沈み、視界には綺麗な装飾が施されたベッド。
夜が静かに深け、ティアラローズは眠ろうと瞳を閉じたのだが――なかなか眠りは訪れない。
それはこれから始まる花嫁教育の不安からか。それとも、本当に王妃になれるのだろうかという不安だろうか。
それはティアラローズにも、わからなかった。
――アクア様。いいえ、アクア。
寝る直前に思い出すのは、いつもアクアスティードのこと。
妖精王のことをキースと名前で呼び捨てにしてから、2人きりの時はアクアと、敬称をつけてはいけないという暗黙のルールが出来上がっていた。
2人きりの時はアクア。
親しい人たちのみ居る場合はアクア様。
公衆の面前ではアクアスティード殿下。
「……いつか間違えてしまいそうだわ」
そう思って、ころんと寝返りを打つ。そうしないと、嬉しくてにやけてしまいそうだったからだ。
キースとアクアスティードが対峙したときはさすがにティアラローズも焦ったが、結果として2人の距離は縮まった。
その点に関しては、とてもキースに感謝しているのだ。
そんなことを考えていれば、ティアラローズの思考は止まらなくなってしまいそうだった。
早くしなければ、明日からは花嫁教育が始まる。にやけてしまった自分を叱咤し、ティアラローズはもう一度ゆっくり瞳を閉じた。
◇ ◇ ◇
「……大変結構でございます。ティアラローズ様は、本当に優秀でいらっしゃいますわ」
「ありがとうございます、先生」
その言葉が教師から出たのは、花嫁教育を始めてたった1ヶ月後のことだった。
優雅に淑女の礼をとり、ティアラローズは微笑む。この1ヶ月で行われたことは、社交に関する事柄に絞られた。これは異例の早さだ。
礼儀作法、ダンス、刺繍、一般的な教養。そのすべてにおいて、ティアラローズは1度で教師から褒められたのだ。
ハルトナイツの婚約者として学んできたことが無駄にならなかったことが、ティアラローズは素直に嬉しかった。国外追放をされる予定だったので、これらはすべて不要になると思っていたからだ。
「この後は、1週間かけて妖精のことを学んでいきます」
「はい」
「一般的に知られている知識ではありますが、それよりも深く説明をしていきます。ティアラローズ様は、我が国の王妃となられるのですから……しっかりとお学びくださいませね」
そう言って、教師は分厚い本をティアラローズへと手渡す。
ぱらりとめくっていけば、書かれていることは妖精に関する知識全般。それは確かに、一般にはあまり知られていないようなことが書かれていた。
これを1週間かけて教えてもらえるのは非常に助かると、ティアラローズは思う。妖精に関して、他国へはあまり情報が出ないのだ。
――もしかしたら、情報の制限がされていたりするのかもしれないわね。
それならば、自身が喋っても良い範囲をしっかり確認しなければならない。そうティアラローズは心に留める。
「ティアラローズ様は、森の妖精にとても好かれておいでですわね。彼らとは、何かお話などはなさいますか?」
「そうですね……。妖精さんたちは、私が庭園へ出ると近くにきてくださいます。何か話題があるわけではなく、花が綺麗だとか、そういったお話が多いですね。後は、甘いお菓子が好きですわ」
「お菓子が?」
ティアラローズのお菓子という言葉に、教師は驚いたように目を丸くする。今まで妖精が何かを食べる、という話を聞いたことがなかったからだ。
正確には、人間が食べ物を与えようとしなかったが正しい。もちろん、妖精に食べ物を差し出した者はいたが、受け取ってもらえなかったのだ。
そのため、妖精は人間の食べ物を食さないとされていた。
「森の妖精がお菓子を……。わたくしは海の妖精に祝福をいただいていますが――お菓子を差し上げれば食べてくれるのかしら?」
「残念ながら、わたくしは海の妖精に好かれていないようでして。先生がお試しになられるのが良いかと思います」
本当に残念なことに、ティアラローズは海の妖精に好かれているどころか――嫌われてすらいるのだ。その分、森の妖精が祝福をしてくれてはいるのだが。
ティアラローズの言葉を聞き、教師はひとつ頷いて「そうしてみましょう」と言った。
「では、本日はこれまでにして――まぁ、アクアスティード殿下」
「え?」
明日からまた妖精の講義を。そう教師が伝えようとして、部屋へ入って来るアクアスティードの姿が目に入った。
どうやらティアラローズを迎えにきた彼は、「終わったようだね」と微笑んだ。
「ええ。本日は終了いたしました。ティアラローズ様は大変優秀でしたから、6ヶ月で行う予定だった内容が1ヶ月で終了致しましたわ。残りは1週間、妖精に関して講義をして終了です」
「そうか。ティアラはとても優秀だね」
「ありがとうございます、アクアスティード殿下。精一杯頑張ります」
教師に一礼をし、ティアラローズはアクアスティードにエスコートをされその場を後にする。
どこに進むのだろうとティアラローズが考えていると、どうやら行き先はアクアスティードの執務室のようだった。
赤い絨毯の敷かれた長い廊下を進み、両サイドの壁に施された装飾に視線を向ける。どれも美しいそれは、マリンフォレストの名産品である珊瑚をふんだんに使った上品なものだ。
「ティアラ、ここが私の執務室だ。今後について、少し話をしよう」
「はい」
入室をすると、きちんと席が整えられていた。
ソファに促されて、ティアラローズは席に着く。その向かいにはアクアスティードが座り、ティアラローズの背後には護衛としてタルモが控える。
エリオットは書類を準備し、別に仕事をするようだった。
「楽にしていいよ、ティアラ。ここには側近しかいないからね」
「はい、アクア様」
エリオットはもちろん、現在ティアラローズの護衛をしているタルモも元はアクアスティードの側近なのだ。
それでも、花嫁修業にきたばかりのティアラローズに緊張をするなというのは難しい。しかし、その気遣いは嬉しいものだった。
「ティアラの花嫁教育に関しては、毎日報告を聞いていてね。とても優秀だと、どの教師も褒めていたよ」
「もったいないお言葉です」
誇るように話すアクアスティードに、ティアラローズは恥ずかしくなってしまう。
マナーや礼儀などの一般教養に関しては、ティアラローズにとって出来て当たり前のことなのだ。そのため、なぜこんな基礎を? という疑問すらもってしまったほど。
しかし実際の令嬢は、優雅な動作を身につけていはするが――すべてにおいて、または本質までの理解をしていない場合が多いのだ。
よほど厳しい教育を幼少期から行わなければ、ティアラローズのような淑女になることは難しい。
そのため、王族へ嫁ぐ令嬢の花嫁修業は人一倍厳しいとされている。
「ティアラには残りの期間、私の仕事を見てもらおうかと思っているんだ」
「アクア様の仕事、ですか?」
「ああ。この国の情勢を的確に理解するにはそれが一番だろう? ティアラは王妃になるため、結婚後に私の執務に直接的に関わることはあまりないだろうが――知っていることは、悪いことではないからね」
なるほどと、ティアラローズは思う。
書類の処理や実際の指示を出すなどの政務はすべてアクアスティードが行うが、妃となるティアラローズは視察などに同行する機会がとても多い。
それであれば、普段の仕事状況を知っているということはとても良い。どういった場面にどのような処理を行うのか。それにより、人への対応も変わるからだ。
けれど――。
「わたくしは、まだ婚約者にすぎません。マリンフォレストに関する情勢を、ましてや王太子であるアクア様のーー」
婚約者にすぎない自分に、あまり情報を与えすぎてはいけません。
と、そう言おうとティアラローズは口を開いたのだが、アクアスティードの指がそれ以上は駄目だよと口に当てられた。
困惑するティアラローズをよそに、アクアスティードは「問題ない」と簡潔に答えを出す。
それは、アクアスティードがティアラローズを離しはしないという意思の表れだ。
ーーアクア様の信頼はもちろん嬉しい。でも、ゲーム通りに進んでしまう可能性だって……。
ヒロインであるアイシラが妃になる可能性だってゼロではないのだと。そう考えて、しかしティアラローズはそれをやめた。
こんなことを考えていては、勝てる戦も負けてしまう。
何事も、強気でいかなければと自分自身を叱咤した。
どうしても、ゲームのことが関わってくると弱気になってしまうのはティアラローズの悪い癖だ。
「わたくし、アクア様のお役に立てるよう頑張ります」
「ああ。よろしく頼む、ティアラ」
「はい」
こうしてティアラローズは、妖精に関する勉強と、アクアスティードの執務を見学するという日常を過ごすことになった。
「ただし、約束をして欲しいことがひとつある」
「はい、何でしょうか?」
「何か困ったことがあれば、すぐ私に相談をすること。決して1人で抱え込んではいけないよ」
厳しい規則の説明かと身構えれば、それは単にティアラローズを気遣うものだった。
素直にティアラローズが頷けば、アクアスティードも満足気に頷いた。
しかし、ティアラローズはまだ知らない。
ヒロインであるアイシラが、仕事のためと頻繁にこの執務室に訪れているということをーー……。
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