第20話 2人の男
アクアスティードとキース、両者の目がすっと細められた。まるで睨み合うその姿は、ティアラローズを手中に収めようとしているかのよう……。
突然のことに、ティアラローズは息を飲む。すぐに誤解を解いて、心配をかけてしまったことをアクアスティードに謝罪しなければならないのに。
何も言葉が出てこないのは――部屋の空気が、ピリリとしているからだろう。
「ああ。お前が――アクアスティードか」
くくっと、まるで嘲笑うかのように前を見据えるキース。その喉元には、アクアスティードの構えた剣先が向けられているというのに微動だにしない。
訝しむようにキースを見るアクアスティードは、「ティアラを離せ」ともう一度言葉にする。
「こんな男より、お前には俺が似合うぞ?」
「……っ!」
アクアスティードの言葉なんて気にもとめず、キースはティアラローズの髪を撫でる。
困ったように顔をしかめて、しかしティアラローズは冷静さをとりもどす。彼女に向けられたキースの言葉が、張りつめた空気に似合わない口説くような言葉だったからだろう。
「おやめ下さい、妖精王。わたくしは、アクアスティード殿下の婚約者です」
「そうか。――それは、残念だ。とてもな」
真面目な瞳でキースを見つめて、ティアラローズはしっかりと自分の意志を言葉で伝える。
それを笑うように受け止めて、キースは喉元の剣を手でどけた。そのままアクアスティードへ射抜くような視線を向ける。
――いったい誰に剣を向けていると思っている。
そう、キースの瞳は暗に告げていたのだ。
ティアラローズの言葉に、次はアクアスティードが息を飲んだ。まさか、この場にいる男が、自分の婚約者を口説いた男が、妖精王だなどと――いったい誰が思うだろうか。
しかし、ティアラローズがこの状況で冗談を言うわけが無い。つまり、妖精王であるということはまごうことなき事実なのだ。
「――まさか、森の妖精王だとは存じませんでした。刃を向けた非礼をお詫び致します。私はこの国マリンフォレストの王太子、アクアスティード・マリンフォレストと申します」
「いい。許そう、今の俺は機嫌が良いからな」
アクアスティードはキースへ跪き、一礼をする。
いかに王太子といえど、妖精王の方が尊い存在であることは間違いない。対等な立場に立てるような人間は、国王だとしてもなかなかにいないだろう。
「ですが、ティアラローズは私の婚約者です。――あまり近すぎるのは、妖精王として品があるとは思えませんが?」
「あ、アクア様!?」
挨拶を終えると、アクアスティードはすぐにティアラローズを自分の下へと抱きよせる。
誰にも触れさせはしないと、ぎゅっと自分の腕の中へ抱きしめて離さない。腕の中のティアラローズは、恥ずかしくなり体を捩る。
「何だ。随分と愛されているな、ティアラ?」
「……っ! キースが誤解をさせるようなことをしたからでしょう!!」
くつくつと笑って、キースは面白そうにしている。
まさか妖精王である自身に、剣を向ける者が居るとは思わなかったのだ。しかも、それがこの国の次期国王だ。
――これは、面白い国になりそうだな。
「まぁ、いい。今日のところは帰る。ティアラ」
「な、なに……?」
「辛くなったらいつでも俺を呼ぶといい。クッキーの礼に、助けてやろう」
ティアラローズとアクアスティードの下まで歩き、キースは最後にそっとティアラローズの手の甲へと口付けた。
そして次の瞬間――その姿は掻き消えた。
「……キース?」
「妖精王は、帰ったようだね」
「…………」
転移をしてその姿を消したキース。場に残されたのは、もちろんティアラローズだ。
そして――いつもよりいくばくか雰囲気の冷たいアクアスティード。
「あ、あの……っ!」
ティアラローズは謝罪のため慌てて口を開こうとするが、アクアスティードはそれを許そうとはしない。無言でティアラローズを抱きかかえ、すぐ近くのソファへと腰掛ける。
横抱きにされていたティアラローズはといえば、そのままアクアスティードの膝へと座らせられる。怒っている空気を隠そうとしない彼に、まさかおろして欲しいとも言えない。
2人の間に沈黙が流れる。しかし、その間もアクアスティードの手はティアラローズの髪を撫でるのをやめない。
「……アクア様」
「…………」
おずおずと声をかけて、アクアスティードの顔を覗き込む。返事はなかったが、瞳をティアラローズへと向け微笑んだ。
――良かった。嫌われてはいないみたい。
ほっと胸を撫で下ろして、ティアラローズはしっかり謝ろうとアクアスティードの膝からおり、横に座ろうとして――失敗した。
「あ、アクア様?」
「駄目。ここにいなさい」
「…………は、はい」
有無を言わさぬ声色で、「離れることは許さない」と。そう、低い声で、耳元で囁かれる。
しっかりと向き合って謝りたかったのだが、アクアスティードの嫉妬によりそれは無理となった。仕方が無いので、そのままの体勢でティアラローズは謝罪の言葉を伝える。
「ご心配をおかけして申し訳ありません、アクア様。このような時間まで、何も告げずに……」
「……別に、そんなことでティアラを怒ったりはしないよ。森の妖精たちに、連れて行かれたのだろう? ちゃんとタルモに報告を受けている」
「そ、そうでしたか……」
怒ってはいない。アクアスティードは確かにそう告げたが、ティアラローズにはその瞳に怒りが見えた。絶対に怒っている。しかも、今までで一番機嫌が悪いのだ。
表面上は笑っているが、口調はいつものように甘くなく、淡々としたものだった。
ティアラローズがもう一度謝罪をするが、アクアスティードの態度は何も変わらない。それどころか、さらに密着するように、腰に手を回された。
「あ、アクア様?」
とたんに、ティアラローズの鼓動が早まる。
自分は謝罪をする立場であり、ときめいている場合ではないのに。それでも、どきどきとなる心臓は止まらない。
「ティアラは――」
つつ、と。ティアラローズの名前を耳元で囁きながら、アクアスティードの指がその首筋を辿っていく。思わずびくりと、ティアラローズの体が震える。
「私が、怒っていると思ってる?」
「……っ!」
そう聞きながら、アクアスティードはティアラローズの耳をそっと口へ含む。ちゅうと吸い付くように口付けられて、「んっ」と、ティアラローズから甘い声が漏れる。
そのまま唇で首筋を辿り、赤い印をつけていく。
「あくあ、さま……んぅっ!」
「……ティアラは私を弄ぶのがうまい」
「え、ぁ?」
そのまま胸元まで口づけて、アクアスティードの熱い視線がティアラローズを絡めとる。
いったいどうしてこうなってしまったのか。ティアラローズの頬はすっかり赤く染まり上がって、少し息が乱れた。
「わからない?」
「え、と……?」
少し寂しそうにするアクアスティードに、ティアラローズは焦ってしまう。
どうやらアクアスティードが怒っているのは間違いない。しかし、その理由がティアラローズにはわからなかった。
心配をかけてしまったことは先ほど謝罪をしたし、さらに違うとも言われてしまったのだ。でも、それ以外に何か怒らせるようなことをしてしまっただろうか。
そう考えたところで、はっとする。
――もしかして、キースが私に触れたこと?
確かに、婚約者が他人に、しかも異性に触られるのは気分が良いものではない。
「ご、ごめんなさい。キースが、私に触れたから……?」
「そうだね――それも、あるね」
それもある。
つまり、一番の原因は別のところにあるということだ。
「まったく、妬けるね」
「……?」
「ティアラは私のものなのに。ねぇ?」
頬を撫でられて、「わかってる?」と。アクアスティードがティアラローズに問いかける。
こくこくと頷いて、ティアラローズは「も、もちろんです」と答える。
しかし、アクアスティードが怒っている一番の原因はわからないままだ。いったいどうして、こうも怒っているのだろうか。
恐らくキースが関係しているであろうことなのだが、ティアラローズにはまったく予想がつかなかった。
「ティアラ」
「あ、アクア様……?」
「それだよ、私が怒っている原因は」
「え――?」
――それっていったいどれですか!?
名前を呼ばれただけで、特に原因と呼べるものはないように思える。
ティアラローズはますます混乱してしまい、なぜ? と、頭の中に疑問がくるくると渦巻く。どうしようと悩んでいるうちに、アクアスティードによってティアラローズの体はソファへ押し倒された。
「消毒してあげる、全部」
「……っ!」
ちゅっ、と。
アクアスティードは先ほどキースが触れた箇所へ、口づけを落としていく。
予想していなかった展開に、ティアラローズはびくりと体を震わせる。まさかそんな、ゲームじゃあるまいしこんな恥ずかしいこと、あるわけがない。そう思ったのだが――。
――そうだ、これはゲームの世界だったのだ!!
愛おしむように口付けられて、ティアラローズは恥ずかしさのあまり両手で顔を隠した。
しかし、それもすぐアクアスティードに解かれてしまう。指を絡めるようにして、その手に縫い付けられる。
「可愛い顔、もっと見せて」
「……っ!」
首筋をついばむように口づけられて、しかしアクアスティードが上にいるため思うように動けない。そのもどかしさに息をはいて、ティアラローズはどうにか熱を逃がす。
「うぅ、アクア様……っ」
「…………名前」
「――え?」
アクアスティードの名前を呼んだ時に、小さな声がティアラローズの耳へ届く。それはいったいどういう意図を持ったものなのか。
名前、名前……。頭の中で反芻して、その意味を必死に探ろうとする。
――アクア様の怒っている原因は、名前? でも、アクアと愛称で呼ぶことを許可してしてくれたのはアクア様自身なのに。
そう考えたところで、はたと気付く。
――私は、キースを呼び捨てで呼んでいた。もしかして、それで……?
アクア様も、呼び捨てにして欲しいということ?
瞬間的に思い浮かんだ原因は、なによりもティアラローズに嬉しいものだ。まさか、そんなことで嫉妬されているとは思ってもみなかったからだ。
でも……。本当に、そう呼んでもいいのだろうか。さすがに公衆の面前でそのようなことは出来ないけれど、2人きりの時ならば?
――名前で呼んでも、いい?
そう思うことが出来れば、後は早かった。無意識に、口が開いていたのだから。
「あ、あくあ……」
「……っ!」
瞳を少しだけ潤ませて、恥ずかしそうにするティアラローズ。
しかしはっきりと、様を付けずにアクアスティードの名前を呼んだ。可憐な唇から呟かれたその名前は、今までで一番甘さを含んでいる。
まるでデザートのようだと、アクアスティードはくすりと笑う。そのまま耳元へ唇を近づけて、宝物のようにティアラローズ自身も抱きしめた。
「――正解」
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