第18話 純粋ヒロインとアクアスティード

 歓迎パーティーから3日後。ティアラローズは、馬車に揺られてアイシラの屋敷へと向かっていた。

 自分から進んでヒロインへ会いにいくのは、それはもうどうしようもなく気が重い。けれども、遊びにいくと約束をしたのだから仕方がない。

 馬車の中の空気も知らずと重いものになる。

 そんな空気を知ってか知らずか、同乗しているフィリーネが楽しそうに声を上げた。


「アイシラ様のお屋敷に面する海は、それは美しいみたいですね。エリオットに聞いたんですけれど、アイシラ様の海にしかいない魚もいるそうですよ」

「そうなの? それは、楽しみね」


 ――せめてもの救いは、アクア様が一緒ではないということだろうか。

 彼は執務に追われてるため、一緒にきてはいない。

 ここでアイシラとアクアスティードのフラグを立てるわけにはいかないのだ。自分の行動によって、2人が仲良くなっていくことにティアラローズは耐えられないだろう。


 馬車の窓からフィリーネが楽しそうに景色を見ていると、馬に乗ったタルモが横に並ぶ。「大丈夫ですか?」と気遣う声に、フィリーネは「とても快適です」と返す。


「ごめんなさいね、タルモ。このようなことを頼んでしまって……」

「いいえ。自分は、ティアラローズ様の護衛騎士ですから。なんなりとお申し付けください」

「ありがとう」


 馬車と並走して馬を走らせるのは、ティアラローズの護衛騎士となったタルモだ。輝くような銀色の髪に、青い瞳。がっしりとしたその体格は、騎士として優秀だということを伺わせる。

 元はアクアスティードの騎士として仕えていたらしいが、ティアラローズがマリンフォレストへきたことにより彼女の護衛騎士に任命されたのだ。

 せっかくアクアスティードの騎士をしていたのに、私の騎士になんて申し訳ない。ティアラローズはそう思ったが、タルモはそのようなことは微塵も思っていない。

 それどころか、アクアスティードの寵愛を受けるティアラローズを守るという、とても名誉のある役職なのだ。いったい誰が嫌がるというのだろうか。


「マリンフォレストは、良い方ばかりね」

「そうですね。これなら、1年間も、その後も問題なく過ごせそうですね」


 ティアラローズとフィリーネは微笑みながら、自分たちが大切にされていることを嬉しく思う。


 それから30分ほど走らせれば、屋敷へと着いた。




 ◇ ◇ ◇


「ティアラローズ様! お待ちしておりましたわ。ようこそおいでくださいました」

「お招きいただきありがとうございます。アイシラ様」


 馬車から降りると、アイシラ自らがティアラローズを出迎えた。

 フィリーネとタルモは少し離れたところに控え、主の邪魔をすることはしない。

 しかし、ヒロインと2人というのは精神的にきつい。正直、ティアラローズはフィリーネに隣に居て欲しかった。そんな我がままは言えないので、我慢するしかないのだが……。


「浜辺にお茶会の用意をしています。こちらへいらしてください」

「ありがとうございます」


 アイシラが用意したのは、海のすぐ近く。

 まさか吹きさらしのお茶会と焦ったティアラローズだったが、しっかりと屋根もあり、綺麗に整えられていて安心した。

 海風にさらされないように、植物が周りに植えられていてちょっとした風よけの役割も果たしていた。


 しかしそれ以上に驚いたのは、海だ。

 きらきらと輝いていて、遠目からでも魚の泳ぐ影が見える。色とりどりに光るのは、様々な種類の魚が生息しているからなのだろう。


「お噂通り、とても素敵な海ですね」

「ありがとうございます。よければ、お近くでご覧になられますか?」

「ぜひ」


 ティアラローズがアイシラに声をかければ、嬉しそうにもっと近くでと返事が返って来る。もっと近くで見たい衝動に駆られたティアラローズはすぐに頷き、水が靴に触れそうなくらい近くまでやってきた。

 白い砂浜に、透明の海。そして黄色、オレンジ、ピンク、青と……様々な魚が泳ぐ。さらに奥の方へ目を向ければ、それは綺麗な珊瑚が視界に入る。


 アイシラは、魚、珊瑚、真珠の商売を行っているのだ。

 海の妖精に祝福されている彼女は、とても育てていくのが上手い。おそらく、マリンフォレストで彼女の右に出る者はいないだろう。

 貴族の令嬢にとても人気があり、王家御用達としても一線で活躍をしているのだ。


 きらきらと瞳を輝かせて、それは嬉しそうに眺めるティアラローズ。それを見たアイシラは、ひとつ提案をしてみることにした。


「ティアラローズ様。よろしければですが、海へ入ってみますか?」

「え……っ」


 ――さすがにそれは、ちょっと駄目じゃないかな。

 何を言っているのだとアイシラを見ると、「違うんですよ」と慌てて手を振る。


「わたくし、海の妖精の力で水中で呼吸の出来る魔法を使えるんです。空気を体に纏わせることも出来ますから、服のままでも大丈夫なんです」

「そのようなことが出来るのですか? アイシラ様は、とても凄いのですね」


 ――さすが続編のヒロイン、何でも有りだ……。

 妖精に愛された心優しいヒロインに、勝てるのだろうか。せめて、アカリのように性格が悪かったらがつんといってやろうと思っていたのに。ティアラローズはこっそりため息をついた。


「あ、でも――紅茶で温まってからにいたしましょう。海水に触れないとはいえ、周りは水ですから」

「そうですね。わたくしも、美味しいお菓子をお持ちいたしましたの。フィリーネ」

「こちらにございます」


 ティアラローズが声をかけると、すっとフィリーネがケーキの入った可愛らしい箱を持って前へ出る。

 そっと箱を開き、アイシラに中身を見せる。


「まぁ。とっても可愛くて、美味しそうです」

「気に入っていただけたのなら、とても嬉しいです」

「ええ。とっても」


 太陽のように微笑んだアイシラは、控えていた侍女へ指示を出す。

 ケーキはこの後、お茶の席に出される。


「さぁ、お座りになってください」

「ありがとうございます。海のすぐ近くのティーセットなんて、とても素敵ですね。なかなか経験が出来ませんから、良い思い出になりますわ」


 アイシラに進められ、ティアラローズは席に着く。そしてそこから見える眺めがとても美しく、感嘆の声をあげる。

 そして話は、ティアラローズとアクアスティードの話題へと移っていった。


「では、アクアスティード殿下とは学園で出会われたんですね」

「ええ。いつも気にかけてくださって……」

「まぁ。では、お2人は恋愛結婚になるのですね。とても素敵ですわ」


 きゃっきゃとはしゃぐアイシラは、それは楽しそうにティアラローズの話を聞く。

 一緒にお菓子を食べたことや、エスコートをしてもらったこと。そして、ラピスラズリからマリンフォレストへの道中での出来事など。

 どれをとっても、彼女は嫌な顔をひとつと見せずにこにこしていた。


 ――どういうこと? ヒロインであるアイシラ様は、アクア様のことを慕っているのではないの?


 にこにこと笑うアイシラとは別に、ティアラローズの中は疑問だらけになっていた。

 それとも、好きではないのだろうか。もしくは、ティアラローズの様子を伺っているだけで本心ではないのかもしれない。疑ってかかることも大切だと、ティアラローズは気を引き締める。


「……アイシラ様は素敵ですから、男性が放っておかないのではありませんか?」

「ティアラローズ様ったら……。そんなこと、ございませんわ」


 今度はこちらが探りを入れる番だと、ティアラローズはアイシラに尋ねる。

 とても整った顔で、さらには公爵家。年も14歳と、婚約をしていてもまったく不思議ではない年齢だ。

 ゲームであったならば、アクアスティードと婚約をしていたであろうが……今は、ゲームではない。


「……婚約に関しては、すべてお父様にお任せしています。わたくしは、海に居られるのであればそれでいいです。魚も、珊瑚も、綺麗に育ってくれているでしょう?」

「そうなんですね。貴族としては、そういった考えもありますわね。――ですが、好きになった男性もいらっしゃらなかったんですか?」

「ええ。残念ながら、初恋もまだなんです」


 少し恥ずかしそうに笑いながら、アイシラは紅茶を含む。

 その顔には、嘘をついている様子などみじんも感じられなかった。本当に、素直ないい子だ。ティアラローズは、そう思う。

 ラピスを賜った侯爵令嬢として育てられ、社交の場に出た数も少なくない。そんなティアラローズが、まったく違和感を感じないのだ。14歳の少女に、そんな立ち居振る舞いが出来るのか――否。


 ――この子は、本当に恋を知らないんだ。

 もしかしたら、その恋は攻略対象者……つまり、アクアスティードと育んでいくものだったのかもしれない。そうであるならば、2人をあまり近づかせないのが一番良い。

 ティアラローズが考えていた最悪の展開は免れそうだ。そう息をついた時、アイシラが海へと誘った。


「そろそろ海へ行ってみませんか? 可愛い魚がたくさんいますよ」

「楽しみです」


 アイシラの魔法は、ティアラローズとアイシラにのみかけられた。侍女は砂浜で待機という形になる。若干不安に思ったが、ティアラローズは先ほどのアイシラが言った言葉を信じることにした。

 そっとアイシラの手を取れば、2人は丸い空気のボールに体を包まれた。


「わぁ、すごい……っ!」


 とぷんと、空気のボールに身を包み海へ沈む。隣には、アイシラが同じく空気に身を包み水の中を進む。

 そこは――まさに、魚のパラダイスだった。色とりどりの魚が泳ぎ、海底には綺麗な珊瑚が輝いている。すぐ近くまで魚がきて、ティアラローズの周りを泳いだ。


「人間がきても、逃げていかないのね」

「はい。わたくしは毎日この海に潜りますから、魚とも仲良しなんですよ」

「まぁ。素敵ですね」


 アイシラがすっと手を伸ばせば、指先に魚たちが集まってきてそっとキスをする。まるで海の女神のようだと、うっとりしてしまう。


「珊瑚もとっても素敵。これでアクセサリーを作ったりしているのでしょう?」

「はい。嬉しいことに、たくさんの方に気に入っていただけています」


 少し歩いたことで、ティアラローズは自由に海の中を歩けるようになっていた。

 とっとっとと、ゆっくり前に進んで珊瑚の前までやってくる。赤、オレンジ、紫と、綺麗な珊瑚の周りを魚が泳ぐ。底の砂にはカラフルなヒトデや貝が色づいている。


「可愛い……! まさか、海の中をこんな風に歩けるなんて」


 ――沖縄旅行で体験したダイビングよりも、ずっとずーっと綺麗!


 色々な珊瑚を見るために、歩き回りたくてうきうきと心が弾む。ティアラローズは珊瑚の上に居たカニを見たり、貝を見たりして楽しんだ。

 アイシラもそれを嬉しそうに見て、用意していた魚の餌をティアラローズに渡した。


「少しだけですが、これで魚がたくさん寄ってくるんです。ただ、この空気から出した手は濡れてしまうのでお気をつけくださいね」

「ありがとうございます、アイシラ様」


 さっそく受け取った餌を手に出し、空気のボールからそっと手だけを出してみる。

 そうすれば、ティアラローズの手にたくさんの魚たちが寄ってきた。その数は、数十匹だろうか。ついばむように餌を食べられて、そのくすぐったさに笑ってしまう。


「ティアラローズ様にお楽しみいただけて良かったです。わたくし、先に上がってお茶の準備をさせていただきますね」

「とても楽しいです、アイシラ様……。あ、すみません。わたくしもご一緒しますわ」

「いいえ。どうぞお楽しみください。餌も後少しですよね?」

「……なら、お言葉に甘えて」


 ――アイシラ様、やっぱり良い人みたい。


 海に入ったティアラローズが冷えてしまうのはいけないからと、アイシラは温かい紅茶を用意するために陸へと上がる。

 それを見送りながら、ティアラローズは再び魚への餌あげに没頭してしまう。可愛らしいカラフルな魚は、それはもう癒しだったのだ。可愛いものが大好きなティアラローズは、久しぶりに緊張から解きほぐされたような感覚すら持つ。


 ――アクア様と居るときは落ち着いていられるけれど、どきどきしてしまってリラックスどころじゃないもの。いったい1日に何回キスをされているか――……。

 と、ここまで思い出してティアラローズは顔を真っ赤にする。


「やだ! わたくしったら、恥ずかしい……!」


 思わずアクアスティードに口づけされたことを思い出し、ティアラローズは海の中で1人赤面する。「誰も居なくて良かった」とほっとする。


「でも、アイシラ様はやっぱり優しい女の子ね。髪と目から、日本人ということはありえない。わたくしと同じ転生っていう可能性はあるけれど……」


 瞳を閉じて、数分。アイシラの行動を思い返してみる。

 転生しているようなそぶりはあっただろうか。日本の知識や、ゲームの知識を持っていただろうか。


「……ないわね」


 ティアラローズは、1人で静かに無しだと頷いた。

 それでも、油断をしてはいけないことは承知している。実は女優が転生している可能性だってある。それならば、立ち居振る舞いが完璧なのも納得できるのだから。


「……って、考え過ぎかな? とりあえず、餌もなくなったから戻りましょう」


 アイシラのことを考えていれば、時間はあっという間に過ぎてしまった。あまり遅くなると、心配をかけてしまう。そう思い、ティアラローズは陸を目指して歩く。

 とはいえ、空気のボールでとっとっとーと進んでいくだけなので、ふよふよしているだけだ。その感触も楽しくて、ティアラローズはご機嫌だった。


 しかし、それも陸地に上がった瞬間砕け散る。

 ざぷんと水音を立て、ティアラローズは陸地へと顔を出す。皆はどこだろうと視線を巡らせて、視界に入ってきたのは大好きなダークブルー。


「……アクア様?」


 それは、楽しそうに談笑するアクアスティードとアイシラの姿。

 王太子であるアクアスティードの訪問だ。アイシラの侍女や使用人は、ティアラローズが顔を出したことに気付かない。

 嬉しそうに笑うアクアスティードは、その手をアイシラの髪へと伸ばす――。


「嫌、見たくないっ!!」


 ティアラローズは後ろを向いて、しゃがみ込む。

 アクアスティードがアイシラを撫でる場面なんて、とてもじゃないが見ることは出来ない。


「どうして? だって、でも……。いっそ、今から悪役令嬢として2人の間に割り込んでしまう?」


 ――でも、そんなことをしてアクア様に嫌われたりしないかしら?

 これはゲームの力なのだろうか。仕方がないのだろうか。2人は昔から仲が良くて、自分が間に割り込んでしまったのだろうか。そんな思考が、ぐるぐると巡る。


「……駄目。逃げないって、決めたから」


 頭をぶんぶんと振り、ティアラローズはざぱっと大きな音を立てて再度立ち上がる。自分の頬をペチンと叩き、「よしっ!」と気合いを入れる。


「ティアラ」


 すぐに気付いたアクアスティードが、ティアラローズの名前を呼ぶ。

 しかしティアラローズはそれに返事をせずに、アクアスティードの方へと無言で歩く。不思議そうに首を傾げるアクアスティードとアイシラ。

 俯き気味に歩くティアラローズの表情は、2人からは見えない。


 すぐ近くまで歩いたところで、ティアラローズはぴたりと足を止めた。そしてぐいっと、アクアスティードの腕に自分の腕を絡める。

 そして一言――……。


「1人にしないでくださいませ、アクア様……」


 捨てられた子猫のような目をして、ティアラローズはアクアスティードを見つめた。少し見上げるようになり、アクアスティードはその可愛さに思わず口元を押さえた。


「駄目、可愛すぎるティアラ」


 アイシラがすぐ横にいるにも関わらず、アクアスティードはティアラローズをぎゅっと抱きしめたのだった。

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