第2章 妖精王の祝福を受けし乙女

第16話 妖精の大地マリンフォレスト

 正式に婚約をしたティアラローズとアクアスティードは、とても幸せだ。

 これからの1年間は、ティアラローズが花嫁修業を行う期間となる。その後、一度帰国をし花嫁の自国でお披露目式を行う。

 それが終われば、次は花婿であるアクアスティードの国で盛大な結婚式を挙げ、正式な夫婦となる。


 そんな希望に満ちた今。

 ティアラローズ一行は、やわらかい日差しを受けながら馬車でマリンフォレストを目指していた。

 20日間の旅路を予定しており、今は6日目。ラピスラズリ王国とマリンフォレスト王国の国境に着く少し手前という段階だ。

 ふわふわとしたハニーピンクの髪を指で触り、これからの道のりに思いをはせるティアラローズ。


「これで、しばらくはラピスラズリとお別れだ。大丈夫?」

「はい。アクア様の国がとっても楽しみです」


 故郷を離れるティアラローズを気遣い、アクアスティードが優しく微笑んだ。ダークブルーの髪が首を傾げた時にさらりと揺れて、彼の整った顔をより引き立てる。

 けれど、ティアラローズはマリンフォレストに行くことがとても楽しみだった。

 魚や珊瑚がとても美しい海。空気の澄んだ綺麗な森。そして、妖精たち。

 どれをとっても、ティアラローズには初めての経験になる。


 わくわくする気持ちを全面に押し出すティアラローズを見て、ほっとする。

 それでもやはり、どこか寂しげな顔をしているように見える彼女は――必ず守ろう。そう、アクアスティードは思う。


「あ! あれが国境ですか?」

「うん。見るのは初めてだったね。ラピスラズリこちら側からは薔薇の花が見えるけれど、マリンフォレストから見た国境はまた違う装飾になっているんだ」

「すごい。こちらも綺麗ですけど、通った後も楽しみです」


 嬉しそうに笑うティアラローズに、アクアスティードは早く見せたいと思う。


 この世界の国境とは――魔力を用いて作られ、一般に国境壁と呼ばれる。

 それは空に伸びる薄い透明な壁として、自国を強調することが出来る。代々の国王が就任時に魔力を注ぎ、新しく国境を塗り替えて行く。

 今代のラピスラズリ王国の王であるアレクサンダーが作った国境は、薔薇の花をモチーフにしたそれは綺麗な国境壁だ。


「国境の壁も素敵ですけど、門も薔薇が施されていてとても綺麗」

「通達はしてあるから、馬車に乗ったまま通過するだけだよ」

「持ち物検査とかは、必要ないんですか?」


 門をくぐり抜ければ、マリンフォレスト。そう言うアクアスティードに、ティアラローズは疑問に思う。

 検査がなければ、怪しい人やスパイのような人間も気軽に出入り出来てしまう。若干国境について不安に思い、ティアラローズは顔をしかめる。


「もちろん、通常はあるよ。けれど、私はマリンフォレストの王族だからね。事前に処理をしておけば、免除される」

「そうだったんですね。わたくしったら、無知で……」


 ――王族って、便利なんだなぁ。

 つまり、ティアラローズが単身で国境を越える際はしっかりと検査があるということ。

 おそらく面倒であろう検査を免除でき、こっそり良かったなと思うティアラローズだった。


 それからアクアスティードが言った通りに、馬車はその歩みを止めることなく国境門を越えた。

 そして踏み入ったのは、アクアスティードの祖国であるマリンフォレスト王国だ――……。


「わぁ、すごい……っ!」


 マリンフォレスト側の国境壁を見て、ティアラローズは感嘆の声を上げた。

 国境壁はゆらりとゆれ、まるで水に囲まれているような幻想な雰囲気を作る。妖精が祝福をしている国だからこそ出来る、奇跡の魔法で作られている。


「気に入ってもらえたなら嬉しいな」

「はい、とっても。今日は驚いてばかりですね」

「ふふ。なら、もっと驚かせてあげる――」

「え?」

「見てごらん」


 可愛くはしゃぐティアラローズの様子を見て、アクアスティードはくすくすと笑う。

 そしてもっと驚いて欲しくて、馬車の窓を開けて少し遠くを指差した。それに反応したティアラローズは、さらに「わぁっ!」と声を上げる。

 そこに見えたのは、綺麗に澄んだ海だった。太陽の光にきらきらと反射していて、宝石のようだった。


 ――海! この世界では初めてみた!!


「休憩を兼ねて、少し寄ろうか」

「いいんですか? 嬉しいです」


 ティアラローズは胸の前で手を叩いて、「海に少し足をつけたいです」と笑った。




 ◇ ◇ ◇


 マリンフォレストの海は、この世界で一番美しい海と言われている。

 海の中には、海の妖精が住む。ただ、誰でも会えるのかと言われればそうではない。妖精は、気に入った者の前にしか姿を見せないのだ。


 ――わたくしに、姿を見せてくれるかしら?

 アクアスティードにエスコートをされ馬車を降りたティアラローズは、そのことが不安だった。マリンフォレストの王族は、誰もが妖精に愛されている。

 王妃となる自分も、妖精に気に入られるようにならなければと……。ティアラローズは緊張しているのだ。


「大丈夫ですか、フィリーネ」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 妖精に思いを馳せてどきどきしていれば、ティアラローズの侍女であるフィリーネと、アクアスティードの従者であるエリオットが姿を見せた。

 馬車の旅に慣れないフィリーネを気遣うエリオットは、しかしすぐに海へと視線を向ける。


「?」

「あぁ、エリオットは海の妖精に気に入られているんだ。――ほら」


 ぱしゃぱしゃと、しぶきの音が耳に入る。4人で海のすぐ近くまで歩いて行けば、ぴょこぴょこと海の妖精が海面にその姿を見せた。

 思わず「可愛い」と声を上げるティアラローズとフィリーネ。

 海の妖精は、人魚の姿をしていたのだ。それでいて、体のサイズは手のひらよりも少し大きいくらい。


「妖精って、あんなに小さいのですね……」

「フィリーネも初めて見たのね。あまりにも可愛くて、驚いてしまったわ」


『アクアスティードに、エリオットだ〜』

『お帰り、お帰り〜!』


 きゃっきゃっとはしゃぎながら、海の妖精がアクアスティードとエリオットの帰りを喜んだ。それに「ただいま」と返す2人は、妖精と仲が良いという証拠だ。

 そんなやり取りをうずうずしながら見ているのは、ティアラローズだ。妖精と仲良くしたいという思いが、体中から溢れ出ている。

 そんな主人を微笑ましく思いながら、フィリーネが「行ってみましょう」とティアラローズに声をかけた。


「そ、そうね。仲良くしてもらえるかしら……」

「ティアラローズ様なら、大丈夫ですよ」


 嫌われてしまったらどうしよう。そう頭をよぎるが――やってみなければわからない。アクアスティードもこくりと頷き、ティアラローズを海の妖精の前へと促した。

 優雅に淑女の礼をしたティアラローズは、挨拶をするために口を開きかけ――しかし、海の妖精の言葉に遮られた。


『やだ! 嫌い!!』

『触るなー!』

「……っ!!」


 言葉を発することもなく、妖精から『嫌い』だという言葉が飛ぶ。

 ショックのあまりティアラローズは固まってしまい、アクアスティードも予想していなかった展開に焦る。

 すぐにティアラローズの横に行き、「妖精は気まぐれだから」とフォローを入れるが……あまりフォローにはなっていない。

 フィリーネもティアラローズの横に行き、励ましの言葉を投げかける。――予定、だったのだが。それはまたも妖精の言葉に遮られる。


『だれー?』

『知ってる、フィリーネって呼ばれてた!』

『フィリーネ? ボク、フィリーネすき〜!』


 その言葉にぎょっとしたのはフィリーネだ。主人が妖精に嫌いとまで言われたのに、侍女の自分が好きと言われてしまったのだから。

 これでは、ティアラローズをフォローするどころではない。どうか静かにしてくださいと祈るような思いのフィリーネだが、妖精は止まらない。

 海の妖精から、フィリーネにきらきらと輝く光が降り注いだ。そう、これは妖精が特別気に入った人にだけ与えると言われている祝福だ。


「わわわっ! ど、どうしてわたくしが!?」


 どうしてティアラローズ様じゃないのですか! と。フィリーネは心の中で大絶叫をした。


「まぁ……。フィリーネは心優しいですもの。妖精が気に入るのも当然だわ」

「そんなことないです。ティアラローズ様の方が、わたくしよりずっと相応しいのに……」


 ――やっぱり、前世でゲームをしたり続編のヒロインにびくびくしてたりするから好きになってもらえないのかな? オタクオーラみたいなものでも流れ出ていたのだろうか。

 フィリーネの心配をよそに、ショックを受けつつもそんなことを考えるティアラローズ。

 しかし、それでもショックなことは事実だ。しょぼんと肩を落とせば、アクアスティードがそっとティアラローズの肩を抱いた。


「ティアラはこの国にきたばかりなんだから、ゆっくりでいい。それに、私は妖精にティアラをとられなくてほっとしてるくらいだ」

「アクア様……」


 ちゅっとアクアスティードがティアラローズの額に口づける。それだけで、ほわほわと幸せな気持ちになってしまう。

 妖精の祝福はないけれど、その分アクアスティードの甘く優しい祝福があると思えばそれだけで満足してしまう。


 フィリーネとエリオットがその様子を微笑ましく見ていれば、不意に、ざぱんと海がしぶきを上げた。


「え――?」


 海の中より現れたのは、とても可愛く、愛らしい少女だった。

 まるで海の妖精の姫ではないかと、ティアラローズとフィリーネは思う。淡い水色のさらりとした髪は肩の下まで伸び、ぱっちりとしたオレンジの瞳が人を引きつける。


「アイシラ……」


 ――え?


 さすがゲームの世界。妖精のお姫様! そんな風に、ティアラローズがのんきに考えられたのはほんの一瞬のことだった。

 隣に居たアクアスティードの口から、その名前が告げられた。


 アイシラ。


 それは、この乙女ゲーム〈ラピスラズリの指輪〉続編の……ヒロインの名前だ。

 名前を呼ばれたヒロイン――アイシラは、こちらに気付いたようで可愛い瞳を瞬かせる。そしてすぐに誰であるのかを認識し、とびきりの笑顔で微笑んだ。


「アクアスティード殿下! お久しぶりでございますわ」

「あぁ。久しいな。こんなところまで、泳いできたのか……?」

「はい。海の妖精たちと一緒に泳いでいたら、つい……」


 アイシラがどこから泳いできたかは不明だが、アクアスティードの驚きからみると決して短い距離ではないのだろう。

 ゆっくりと海からあがり、彼女は4人の前へ来て水着のまま優雅に一礼をした。

 ティアラローズよりも年下だが、その所作はとても洗練されており、身分の高さを伺わせる。


「お帰りなさいませ、アクアスティード殿下。それから……初めましての方ですわね。わたくしは、アイシラ・パールラントと申します。」

「ああ、ただいま。彼女は、私の婚約者だ」

「……ティアラローズ・ラピス・クラメンティールと申します。お会いすることが出来て、とても嬉しく思います」


 ティアラローズはにこやかに挨拶をしながら、しかしどうしようもない不安に襲われていた。


 アイシラ・パールラント。続編のヒロインである彼女との出会いイベントは海。前作ヒロインのポジションであるアカリに、そう教えられていた。

 まるでゲーム通りの展開に、ティアラローズの体は震える。どうしようと、頭の中を不安な気持ちがぐるぐると止まらずに回っていく。


「また、遊びにいらしてくださいね。アクアスティード殿下がくるのを、いつも楽しみにしていましたの」

「ああ。近いうちに、必ず」

「……」


 そして聞こえるのは、アクアスティードに会えて嬉しそうなアイシラの声。

 アクアスティードもそれに笑顔で返し、ティアラローズを置き去りにしているようにゲームが進んで行く。


 ――もしかして、わたくしは続編の悪役令嬢ポジション?

 メイン攻略対象者の婚約者。これがその役割でないと言うならばなんだというのか。


「す、すみません……。わたくし、少し馬車で休んでいます……」

「ティアラ?」


 小さくそれだけ告げて、ティアラローズは馬車へと向かい駆け出した。心配するアクアスティードの声を聞こえないように振る舞い、振り返らずに走る。

 逃げてしまった。けれど、楽しそうにするあの2人を見ていたくない――! どこか目に入らないところに行きたい。

 砂浜を走り抜けたティアラローズの前に姿を見せたのは、木々が集まったアーチ。ツリーゲートと呼ばれる自然のトンネルだった。




 ◇ ◇ ◇


「……心配、してるかしら」


 ツリーゲートの中ほどまで歩き、疲れたティアラローズはその場に腰を落ち着けた。ぽつりとこぼれる声には不安の色があり、しかし無理にでもあの場にいれば良かったとは思えない。

 きらきらと輝く木々の葉が、そんなティアラローズを慰めるように揺れる。


「まさかこんなに早くヒロインが出て来るなんて。――でも、ヒロインの名前を知っていて良かった」


 こればかりはアカリに感謝しないといけない。彼女にその意思がなかったとしても、結果としてティアラローズにヒロインに関する情報を与えたのだから。

 木々に背を預けて、深くため息をつく。


 さて、これからどうすればいいか。ティアラローズとしては、どんな顔をして戻ればいいのかがわからないのだ。

 幸いなことに、泣いていないため目は赤くない。しかし、元気に振る舞える自信が、……あまりないのだ。

 侯爵令嬢であるティアラローズは、自分を取り繕うことは得意としている。だが、エリオットは良いとしても、長年一緒のフィリーネや、ティアラローズを愛して止まないアクアスティードには見破られてしまうだろう。


「困ったなぁ……」

『こまったのー?』

「え?」


 ティアラローズの独り言に、楽しそうな声が返事をする。誰もいないはずなのに、いったいどういうことだと周りを見渡せば――妖精が姿を見せた。

 海の妖精とは違い、緑の髪をした森の妖精が次々とティアラローズを取り囲んだ。そのまま光り輝き、きらきらと祝福を行った。


「嘘、祝福……?」

『名前は、なまえー!』

「あ……。ごめんなさい。わたくしは、ティアラローズ・ラピス・クラメンティールよ」

『よろしく〜』

『大好きー!』


 何人もの森の妖精がティアラローズに好意を示し、楽しそうにティアラの名前を反芻する。

 いったいどうしてこんな展開に? と、頭に疑問符を乗せたところで背後から驚きの声が響く。


「森の妖精は人間を好まないのに、祝福をされるなんて――!!」

「エリオット? どうして、ここに……」

「あ、失礼いたしました。護衛として、少し後ろに控えておりました」


 近くに居たというエリオットに驚くが、確かに異国にきたばかりの姫を1人きりにするはずがない。少し考えればわかるのにと、ティアラローズは自分を不甲斐なく思う。

 そして、エリオットは気遣うように「どうかされたのですか? 何か、嫌なことがおありでしたか?」そう口にした。


 ――ヒロインとはいえ、自分より年下の女の子に嫉妬して逃げ出しました。……とは、言えない。

 それが例えゲームのイベントだとしても、だ。

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