第15話 新たな旅立ち
ラピスラズリ王国には、とても大きく、綺麗な湖がある。
その湖畔には白い塔が建っていて、周りは色とりどりの花で囲まれている、通称お姫様の塔。くるりと塔にも花を模どったレリーフが埋め込まれているのだが、それが魔導具だということは国家機密とされている。
ここは魔力を封じなければならないと判断された、重要な人物が暮らす場所。
それを知るのは、国の権力者でもごく一部のみ……。
「……何で私がこんなところに住まないといけないのよ」
黒い髪をなびかせながら、アカリは塔の最上階に居た。窓から外を眺めていると、風がその髪を撫でる。
本来ならば王宮のゲストルームで軟禁をされていたのだが、魔法を使い、ティアラローズに危害を加えようとしたことからこの白き塔へと住まいを移されたのだ。
本来であれば、厳しい罰則をしなければならない。
しかし、聖なる祈りを持つ者ということ。ティアラローズが重い罰を望まなかったことから、罰はこの塔での生活ということになっている。
ティアラローズとしては、唯一の日本人という同情心。それと、続編のヒロインの名前を偶然に教えてもらえたことの感謝としてそのように取りはからってもらった。
幸い怪我もなかったことと、アクアスティードがティアラローズの言葉に頷いたことも大きい。そして何より、国として聖なる祈りを持つアカリを失いたくなかったのだ。
「アクア様には拒絶されるし……。ハルトナイツ様も、あまりかまってくれないし……。私がヒロインだったのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。このままどこか遠くに、魔法で転移が出来たら良いのに」
ぽつりぽつりとアカリの口から漏れるのは、自分の人生への絶望。
膨大な魔力を使い、転移をする――。本来ならば、容易だったそれも、この塔に居る間はほんの少しの魔法しか使うことが出来ない。
塔の外壁をくるりと囲んでいる花のレリーフは、魔力封じの魔導具なのだ。見た目はお洒落な飾りだが、密に計算された特殊なものだった。
「出来ることといったら、魔法でライト代わりに照らすこと。ちょっとの水を出すことに、クーラー代わりとして使える部屋の温度調節くらいかぁ。他にも出来ることはあるだろうけど、よくわからないや」
しかし絶対的にわかることは、この塔から自分では出られないということ。
入り口には特殊な鍵がかけられ、塔の内部と外に見張りの騎士が居るのだ。暴れようとすれば、すぐに騎士が飛んでくるだろう。
「乙女ゲームだったら、王子様が助けにきてくれるのに……。って、これも乙女ゲームだったぁ」
アカリを助けてくれる人は、誰もいない。
塔から出れるタイミングもあるだろうが、その際は厳重な管理下に置かれ自由には出来ないだろう。せめてハルトナイツが居ればいいのにと、そう思った。
「……え? ハルトナイツ様だ」
祈りが通じたのか、塔の下に姿を現したのはハルトナイツだった。
とたんに顔を輝かせて、アカリはハルトナイツを迎え入れた。ソファに座るように促して、お気に入りの紅茶とクッキーを用意する。
「そんなに長居はしないから、気にするな」
「私がしたいんです。ここは暇で仕方がないです……」
「アカリ……」
――だって、私を連れ出してはくれないのでしょう?
それならば、「せめて楽しいお茶の時間をください」と。アカリは力なく笑う。
「俺とアカリは結婚をし、第2王子であるシリウスの補佐をすることになる。これは決定であって、アカリに拒否権はない」
「……わかりました」
「素直に、頷くのだな。アクアスティード王子を慕っているのだと、そう聞いたが」
図々しい計画を立てたアカリとはいえ、好きだったアクアスティードにあそこまで拒絶をされて強気で居られるわけではない。
それに、ハルトナイツは誤解をしている。そう、アカリは思う。本当に図々しいと言われても、そうなのだから仕方がない。
アカリはアクアスティードが好き。
誰もがそう思っている。
もちろん、それは事実なのだけれども。
「――……でも、私はハルトナイツ様のことだって大好き」
ぽつりと、しかし真っすぐにハルトナイツの瞳を見てアカリが告げた。
それにとても驚いたのは、もちろんハルトナイツだ。アカリの心は完全にアクアスティードへ向いていて、自分には無いものだと思っていたのだから。
「……アカリ」
「ハルトナイツ様?」
何か変なことでも言いましたか? そう思っているアカリは、ハルトナイツの驚きにきょとんとしている。
アカリにとって当たり前のことは、しかし他の人にとって当たり前ではないのだ。
乙女ゲームであるこの世界が、アカリはとても大好きだ。
そこに存在する攻略対象者のことを、嫌いなわけがない。みんなみんな、大好きなのだ。純粋なその思いは、すとんと、ハルトナイツの心に落ちた。
「…………」
ハルトナイツはじわりと目頭が熱くなるのを感じる。
アカリの気持ちを、今更なのに、けれど嬉しいとそう思ってしまった……。自分勝手に、好き勝手をしたアカリ。アクアスティードも好きなアカリ。
だが、ハルトナイツにだってプライドというものはある。すぐにすべてを認めることなんて、到底出来ないと心が告げる。
「……今日は帰る」
「えっ!? でも、ハルトナイツ様は今きたばかりじゃないですか……」
すぐに塔から降りて、足早に帰路につくことにした。
このままこの場所に居れば、とんでもないことを口にしてしまいそうだと思ったからだ。
それはアカリがヒロインで、ハルトナイツが攻略対象者だったからだろうか。それとも、もっと別に理由があったのだろうか――……。
◇ ◇ ◇
「ティアラローズ、元気に過ごすんですよ」
「何かあれば、すぐに連絡をするのだぞ」
「……はい。お母様、お父様。ですが、心配はありません。わたくし、とても幸せですから」
マリンフォレストへの旅立ちの日。
屋敷の前で、ティアラローズはアクアスティードと並び両親への別れを惜しむ。1年後に一度帰国をしてお披露目式をするが、基本的にその間は帰ってこない。
そして正式に嫁げば王妃となる。そう簡単に、国を空けて実家へ帰ることも難しくなる。もちろん、アクアスティードは配慮をしてくれるだろうが、あまり我がままを言うわけにもいかないと考えるのがティアラローズだ。
「アクアスティード殿下、娘をよろしく頼みます」
クラメンティール侯爵がアクアスティードに頭を下げれば、「やめてください」と微笑む。
「もちろん大切にしますし、必ず幸せにします。私がもう、こんなにも幸せなんですから」
「アクア様……。わたくしだって、もう幸せですよ?」
「はは、これはやられたな。だが、ティアラが幸せなのは嬉しいよ」
両親の前だというのに、気付けば甘い雰囲気になるティアラローズははっとする。無意識だったとはいえ、恥ずかしいことをしてしまった。
顔を赤くして俯けば、横でアクアスティードが嬉しそうにくすくすと笑った。
「1年後、楽しい話をたくさん聞かせてくれ」
「はい。お父様も、お元気でいてくださいね」
「もちろんだとも」
これから向かうマリンフォレストには、余裕をもって馬車で20日の予定が組まれている。
無理をせず、こまめに街で休みながら向かうのだ。加えて、ティアラローズとゆっくりしたいというアクアスティードの希望も織り込まれている。
ゆったりと挨拶をしていれば、出発の準備が完了したとエリオットが告げる。
それを聞き、寂しそうにするのは父親であるクラメンティール侯爵だ。「もう行ってしまうのか、寂しいな」と漏らす。
しかし、これ以上出発を遅らせると宿泊予定の街へ着くのが夕方を過ぎて夜になってしまう。それをわかっている父親は、頷きながらティアラローズを送り出す。
「元気でな」
「体には気を付けるのよ」
「はい。お父様とお母様もお元気で。1年後には、たくさんのお土産を期待していてくださいね」
「はは、それは楽しみだ」
ぎゅっと両親に抱きしめられて、ティアラローズは涙ぐんでしまう。もう会えないというわけではないのに、こんなにも寂しいと思うなんて。
思わずもらい泣きしてしまったクラメンティール侯爵は「早く出なさい」とティアラローズをせかす。娘に涙を見せてしまったことが、とても恥ずかしいのだ。
「お父様の涙、初めて見ました」
「馬鹿なことを言っていないで、早く。街への到着が遅れるのは良くない。夜は危険だからな」
「はい。ありがとうございます、お父様」
照れを隠すように早口で言う父親に、今は侯爵としての威厳などなかった。普通の、1人の父親としての姿がそこにある。
それを嬉しく思うティアラローズは、それも幸せなのだと微笑んだ。
「フィリーネも、元気でやりなさい」
「はい。ティアラローズ様は、わたくしがしっかりとサポートいたします」
「ああ。頼んだぞ」
フィリーネも挨拶をし、いざ出発となった。
ティアラローズとアクアスティードが同じ馬車にのり、フィリーネは後続の馬車へと乗り込む。エリオットは護衛をかねているので、騎乗して進む。
――どきどき、する。
今まで何度も感じたどきどきだが、今日のどきどきは、ティアラローズにとって幸せのどきどきだった。
◇ ◇ ◇
ごとごと……。と、馬車が軽やかな音色を奏でて進んで行く。
向かう先は、アクアスティードの祖国のマリンフォレスト。ティアラローズが嫁ぎ、王妃となる大国だ。
今は2人きりで馬車に乗り、しかし何を話せばいいのかと緊張してしまうティアラローズ。
そんな様子を見てアクアスティードが頬を緩めているのを、もちろんティアラローズは気付いていない。
「マリンフォレストとの国境がある街に着くのは、6日後だよ。そうしたら、景色もがらりと変わる。今はたくさん、外を見ておくと良い」
「はい。マリンフォレストには行ったことがないのですが、妖精がたくさんいるのですよね?」
「あぁ。ティアラなら、きっと祝福されるだろう」
アクアスティードに言われた通り窓の外を見つつ、そういえば妖精がいるのだとティアラローズは思い出す。
ゲームの第1部であるラピスラズリ王国に、妖精はほとんど存在しない。他国に関しても同様で、妖精はマリンフォレストにのみ好んで住み着いているのだ。
祝福を受ければ、新しい魔法を覚えたりと恩恵を受けることが出来る。
ゲームをプレイするどころか、アクアスティードの情報が出ただけという段階で死んでしまった前世のティアラローズ。
ある知識といえば、ティアラローズとして生きた間に得た知識だけ。
妖精が住み、豊かな海と森に囲まれた美しい国ということ。それと、自然の宝石のような珊瑚。女の子が一度は行きたい国だと、ティアラローズは色々な人に聞いていた。
「……妖精と出逢えるのが楽しみです」
えへへとはにかむように笑い、ティアラローズはもう一度外を見る。屋敷がある方向へ視線を向けて、感慨にひたる。
これから新しい環境になるのかと思うと、とたんに懐かしく思ってしまうのだ。
「……お父様、お母様。わたくしは、とても幸せです」
ぽつりと呟いたその言葉は、馬車内のためアクアスティードの耳にも入る。
安心させるようにティアラローズを抱き寄せて、そっと口づける。「大丈夫」と、アクアスティードがティアラローズを甘やかした。
「はい」
不意にされた口づけに頬を染めて、しかし勇気を出してアクアスティードの肩に寄りかかる。
甘えてみよう! と、ティアラローズは思ったのだ。もちろん、持てる限りの勇気を振り絞って。
「あぁもう、やっぱりティアラは可愛い」
甘えてくるティアラローズの肩を抱き、その髪に顔をうずめる。
もう一度口づけを。アクアスティードがそう考えて行動をしようとした瞬間に――馬車の中、中央に小さな光が輝いた。
「えっ……!?」
「……手紙、か?」
きらきらと光に包まれたそれは、封筒だった。
アクアスティードが手を伸ばしてそれを見れば、表面には『ティアラローズ様へ』と書かれていて、誰宛なのかがはっきりした。
可愛らしい丸文字は、女性が書いた物だということがすぐにわかる。しかし、このようなことをしてくる友人なんて、ティアラローズにはいない。
それに、これは特殊な魔法だ。魔力や、才能も必要になるのではないだろうか。ティアラローズがそう考えている間に、アクアスティードが封を切った。
「あ……」
「ティアラへの手紙らしいけれど、怪しすぎるからね。すまないが、私が確認する」
「いえ、それは別に良いのですが……。もし危険物で、アクアスティード様に被害が及んでしまう恐れもあります。そんなにすぐ、開けないでください……」
突然爆発して、アクアスティードが吹き飛ぶなんてことが起きてはたまらない。
勝手に手紙を開けたことが嫌だったと思ったアクアスティードは、自分を心配しての言葉だったと知り嬉しくなる。「大丈夫だよ」と絶対の自信を持ち、安心させるようにティアラローズを撫でた。
「特に悪意はないからね。……アカリ嬢からの手紙みたいだ」
「アカリ様の?」
――いったいどういうつもりだろうか。やっぱり、アクア様を諦めきれない……?
ティアラローズへ攻撃を仕掛けたアカリ。それはアクアスティードへの想いからだったのだから、その彼女からの手紙は――良い気分ではない。
何が書かれているのだろうと思えば、アクアスティードが読み上げた。
「ティアラ様へ。この手紙は、私が白き塔で使うことの出来る最大限の魔法です。手紙を書くことしか出来ない、魔法です。私は、ハルトナイツ様と幸せになれるよう頑張ろうと思います。だから、ティアラ様も幸せになってくださいね。…………これはまた、都合が良すぎる内容だな」
「まぁ……。…………!!」
綺麗に書かれた文字を見て、ティアラローズは苦笑するしかない。なんという内容の手紙をよこすのだと、文句さえ言いたい。
が、ティアラローズは気付いてしまった。――便せんの一番最後の行にある、日本語で書かれた一文を。
『続編のヒロインなんかに負けたら、許さないからっ!!』
「ふ、ふふ……っ!」
「ティアラ?」
ティアラローズは思わず笑ってしまった。
訝しむように眉をひそめるアクアスティードに、「何でもないです」と伝えてその手紙を手に取った。すんなりとティアラローズの手に渡ったそれは、もう一度封筒に戻す。
――これは、彼女なりのエールなのだろうか。
「アクア様、この手紙……もらっても良いですか?」
「……それはもちろんかまわないが、ティアラに酷いことをしたアカリ嬢の手紙だ。嫌ではないのか?」
「いいんです。くじけそうな時にこれを見て、励みにします」
「…………」
どうしてそれが励みになるのか。最後の一文が読めないアクアスティードにはまったくもって理解できなかった。
が、ティアラローズがそう言うのならばと好きにさせる。
まだ見ぬ続編のヒロインには負けない。
ティアラローズは、そう心に誓った――……。
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