第11話 どきどきする気持ち
アクアスティードにエスコートをされ、ティアラローズは黄色とピンクの薔薇が咲き誇る小さな庭園へ訪れる。
そこにはアクアスティードが言っていた通り、美味しそうなお菓子が並べられ、ティアラローズの心をくすぐった。
――どうしよう。すごく、どきどきする。
ティアラローズ自身、城の庭園へは何度も出入りをしたことがある。
ハルトナイツはあまりこういったことをしなかったが、王妃に何度か誘ってもらいお茶会をしたことがあるのだ。女性のみで行われるお茶会は、いつも綺麗な庭園で開催された。
色とりどりの花に、美味しいお菓子や紅茶。決してぎすぎすした雰囲気ではなくて、それはとても楽しい空間だった。今となっては、ティアラローズの良い思い出だ。
「ティアラは、ケーキも好き?」
「はい」
女官が紅茶を用意している間に、アクアスティードが色々なお菓子を用意してくれた。その中に1つ、ふんだんに苺を使われた美味しそうなケーキがあった。
「苺は、アクア様の国の名産ですよね。わたくし、大好きなんです」
「それは良かった。これは、私の国から取り寄せた苺なんだ。ティアラに食べてもらえて嬉しい」
アクアスティード自らがケーキを取り分け、ティアラローズへと差し出す。
上面には、クリームが見えないほどにたくさんの苺がしきつめられていた。スポンジは何層にも重ねられて、間にはたっぷり苺がはいっていたり、苺のムースが加えられていた。
マリンフォレストの名産である苺は、とても品質が良く高級だ。そしてこのケーキは、中でも質の良い苺を使われていることが一目で分かるほどに見事だった。
そっと口に含めば、知らずのうちにティアラローズの頬が緩む。
「美味しい……!」
「良かった」
急ぎティアラローズのために焼いてもらったケーキだ。無駄にならなかったことにほっとする。
にこにこと微笑むアクアスティードをちらりと見て、ティアラローズも自然と笑顔になる。しかし、先ほどのことに関して先にお礼を伝えなければと口を開く。
「アクア様、先ほどは……」
しかし、その言葉は途中で切れてしまう。
アクアスティードが、ティアラローズの口に人差し指を当てて「駄目」と言う。
どういうことだろうと首を傾げるティアラローズに、アクアスティードは「当たり前」だと優しく頬を撫でた。
「私はティアラの婚約者なんだから。守るのは当然だろう?」
「……っ!」
婚約者という言葉に、ティアラローズは顔を赤く染める。自分から受け入れると父親に伝えたのに、いざアクアスティード本人から言われるととてつもなく恥ずかしいのだ。
どきどきと早鐘のように音を立てる心臓に、早く静まれと言い聞かせるが――上手くいくはずもなく。
「私を選んでくれて、ありがとう」
「それは、わたくしの台詞です。こちらこそ、ありがとうございます」
2人で笑い合って、先ほどまでの空気が嘘のように穏やかになる。
そこでアクアスティードが、エリオットを紹介しようと隣に呼び寄せる。
婚約が正式に決まったので、ティアラローズはこれから1年間はアクアスティードの祖国であるマリンフォレストで花嫁修業を行う。
その後、夫婦となる2人は花嫁の自国でお披露目をし、後に花婿の自国で盛大な結婚式を行うという流れになるのだ。
「改めまして。アクアスティード様の従者をしております、エリオットです。貴族ではないので家名はありませんが、長くアクアスティード様にお仕えしております」
「私が連れている側近は、エリオットだけなんだ。戦闘面も、政治面も器用にこなしてくれるんだ。残りはマリンフォレストに居るので、その時にまた」
「よろしくお願いいたします」
エリオットはアクアスティードにとっての右腕だ。
基本的な雑務処理はもちろん、戦闘、政治、はては主人の世話をもこなす。今回の婚約の根回しに関しても、密かに活躍している場面は多い。
「それでは、わたくしも」
「フィリーネ?」
すっと、1歩前に歩き優雅に礼をするフィリーネ。
その瞳からは、かなりの信念を感じるものがあった。しかしティアラローズはそれが何を示しているのかすぐに理解をした。
「わたくしは、フィリーネ・サンフィスト。ティアラローズ様がお小さい頃から付かせていただき、1年前から正式に侍女としてお仕えしております」
「フィリーネは、わたくしと一緒に育ってきました。姉のような存在と言っても、過言ではありません。どうぞよろしくお願いいたしますね」
2人で微笑めば、アクアスティードもエリオットも笑って頷いた。
実のところ、ティアラローズが侍女として誰かをマリンフォレストに連れて行くという話はまだ行っていない。
もちろん、ティアラローズとしてはフィリーネに付いてきてもらうことが一番良い。アクアスティードが居るとはいえ、マリンフォレストは異国の地であるのだから。
しかし隣国とはいえ、距離は遠い――。18歳という年頃のフィリーネを、自分の結婚という都合で連れて行ってしまって良いのか悩んでいたのだ。
「フィリーネ」
「ずっとお仕えさせていただきます」
「……ありがとう」
ちらりと横に立ったフィリーネを見れば、「絶対に付いていきます」と微笑んだ。
それならばと、ティアラローズも頷く。遠い地へ一緒に来てくれるというのであれば、フィリーネのことは責任を持って面倒を見なければとティアラローズは意気込む。
結婚だってしたい年頃だろうに、苦労をかけてしまい申し訳ないと思う。その分、自分に出来ることはしてあげたいと思った。
「良い侍女だな」
「はい。いつも傍に居て、励ましてくれたのがフィリーネなんです」
寂しい思いをさせるつもりはもちろんないが、女性同士でしか分かり合えないことはやはり多い。優秀な侍女がいたことにアクアスティードは安心する。
それからしばらくお菓子と紅茶を楽しみ、エリオットとフィリーネを交えながら話をした。
「――エリオット」
「かしこまりました。フィリーネ、こちらへ。マリンフォレストへ向かう際の諸注意などをお伝えいたします」
「はい」
一段落したところで、アクアスティードがエリオットの名を呼ぶ。
すぐに主人の指示を察知し、フィリーネを連れて庭園から退出する。遠くに女官と騎士はいるが、気になる様な距離ではないだろう。
突然のことにティアラローズは驚いてアクアスティードを見るが、彼は微笑むばかり。
「ティアラ、こちらへ」
「は、はい……」
席から立ち上がったアクアスティードが、ティアラローズの元へ来て手を差し出した。どこかへ移動するのだろうかと手を取り、エスコートを受ける。
向かった先は、同じ庭園内にある薔薇をあしらったベンチだった。2人で座れるそこに案内され、ティアラローズは腰を落ち着ける。
「4人で話すのも良いけど、ティアラと2人で話す時間をもらっても良い?」
アクアスティードも隣に腰掛けて、悪戯をする子供のように笑いながらティアラローズの髪を撫でる。
こくこくと頷くティアラローズを見て、もっともっとかまいたくなってしまうのだから困ってしまう。
――こんなにも愛しいと思う人が現れるなんて。
髪を撫でていた手を頬へすべらせ、顔を両手で包み込む。
一瞬で頬が薔薇のようにそまるその姿は、アクアスティードをさらに幸せにさせる。何度、心の中で可愛いと思っただろうか。
真っすぐに瞳を見つめて、アクアスティードは「ティアラ」と名前を呼ぶ。
「は、はい……っ」
真剣なアクアスティードの瞳と、いつも以上に近い距離を感じてどきどきとティアラローズの鼓動が早くなる。
――近い、近いですアクア様!!
恥ずかしくて、けれど顔をアクアスティードに触れられて固定されているため逸らすことも出来ない。恥ずかしいと心の中で叫びながら、ティアラローズの顔はどんどん真っ赤になって行く。
まるで口づけをされてしまいそうな距離。けれど、自分から瞳を閉じればねだっているように思えてしまいそれも出来ない。
「――婚約を、受けてくれてありがとう。でも、こんな上辺だけのものではなく、もう一度直接言わせて欲しいんだ」
「アクア様……」
「強引に進めてしまった自覚はあるからね」
そう言って苦笑するアクアスティード。
「ティアラローズ・ラピス・クラメンティール嬢。心より愛しています。私、アクアスティード・マリンフォレストの妃となっていただけませんか?」
「……はい。よろしくお願いいたします。アクアスティード・マリンフォレスト様」
「ティアラ……!」
真摯なアクアスティードの言葉に、どきどきが止まらない。こんなに幸せで良いのだろうか。
ティアラローズもすぐに返事を返し、恥ずかしく思いつつも、アクアスティードを見つめて微笑んだ。嬉しそうに名前を呼ぶアクアスティードにぎゅっと抱きしめられて、小さく声を上げる。
「あ、アクア様……っ」
「ごめんね、嬉しくて――。ティアラ、愛してる」
「あ……っ」
アクアスティードの香りがわかるほど近くに抱きしめられて、それだけでも男性に不慣れなティアラローズにとっては精一杯なことなのに。
抱きしめられたまま、アクアスティードの指に顎を掬われて上を向かされる。
目を細めたアクアスティードの顔がすぐ近くまできて、ティアラローズはぎゅっと彼の服の端を掴む。
――キス、される。
けれど嫌な気持ちはみじんも感じなくて。甘くくすぐったいような感覚が、体の中を走る。
「……ん」
好きな人に抱きしめられながら、なんて。
まるで乙女の夢のようなファーストキスに、ティアラローズの気持ちは高ぶった。ゆっくりと触れるアクアスティードの唇は、とても優しかった。
ちゅっと音を立てて口づけて、「ティアラ」とアクアスティードが名前を呼ぶ。
「アクア様……」
「可愛い、ティアラ」
とろけるように名前を呼ぶティアラローズに、アクアスティードはもう一度目尻へ口づけを落とす。そのまま額、頬と、ゆっくり唇を移動させる。
口づけるその度に体を揺らすティアラローズが可愛くて、離したくないとアクアスティードは思う。
――もう少し。
本当は一度だけ口づけるつもりだったけれど、ティアラローズの反応が可愛すぎたのだ。
真っ赤になって震えるティアラローズにもう一度口づければ、吐息を漏らしてアクアスティードへぎゅっと抱きついた。
それが嬉しくて、ちゅっちゅと何度もそのまま口づける。ティアラローズの髪を撫でながら、時間を忘れてしまうくらいそうしていたいとアクアスティードは思う。
「ん、ふ……ぁ…………」
何度も口づけられて、ティアラローズは呼吸のタイミングがわからず吐息を漏らす。しかしそれすらも飲み込むように口づけられて、くたくたになってしまう。
最後にぺろりと唇を舐め、アクアスティードがティアラローズから唇を離す。
「んんっ! ……アクア様」
「ん。ティアラが可愛すぎて止まらなかった」
吐息を漏らして、力が入らない体をアクアスティードにもたれさせる。ぎゅっと抱きしめられたままのティアラローズは、口づけの余韻でしばらく立ち上がれそうにない。
あまり悪びれもせずに、可愛くて止まらなかったというアクアスティードの言葉がティアラローズの頭の中でくるくると回る。
ただただ、嬉しいと思ってしまった。
――駄目。恥ずかしくて、死にそう。
でも嬉しい。この後、どんな顔をしてアクアスティードを見ればいいのだろうかとティアラローズは考えてしまう。
けれどそれは、杞憂に終わる。
なぜなら――城の中から、すさまじい光が溢れ出たからだ。
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