第10話 幸せへの下地作り
アクアスティードが留学のために〈ラピスラズリ王国〉へきたのは、今から約1年前。
実は語学のためにという名目で、数年前から諸国を渡り歩いていた。最後に学業をということで、王立ラピスラズリ学園へと1年だけ留学というかたちで転入をした。
しかし、日頃から色々と学んでいたアクアスティードにとって授業はあまり有意義なものではなかった。それならばせめてと、図書室で自国にはない本を読む……。そんな毎日を過ごしていた。
静まり返った図書館では、本のめくる音だけが聞こえる。
「……ん?」
アクアスティードの定位置は、図書室の奥まった席の――窓際。
ふと外を見れば、ふわふわしたハニーピンクの髪が視界に入った。あれは確か、ラピスを賜ったクラメンティール侯爵家の令嬢だとすぐに思い出す。
どうやら木陰でお茶をしているのだと気付き、よくあることだとそこまで意識はしない。
――数日後、までは。
◇ ◇ ◇
「また、きているのか」
「そのようですね」
アクアスティードの呟きに返事をするのは、従者のエリオットだ。
いつも通り定位置に付いて、本をめくるアクアスティード。そして窓の外に見えたのは、やはりハニーピンクのふわふわした髪を持つティアラローズだった。
令嬢がこんなところで本を読むなんて珍しい。そう思って、思わず観察をしてしまった。
居るのは、ティアラローズ本人と侍女が1人だけ。
木の木陰に敷物を敷いて、紅茶とお菓子を楽しみながら読書をしていた。
「…………」
特にそんなに気にしていなかったアクアスティードだが、ほぼ毎日読書をしている彼女が視界に入るようになっていた。
真剣に読んでいる時もあれば、照れたように読んでいる時もあった。その姿をいつしか目で追うようになっていたのは、言うまでもない。
「アクアスティード様」
「馬鹿なことを考えるな。彼女は、ハルトナイツ王子の婚約者だ」
「それはわかっていますが……」
従者のエリオットは、いつもティアラローズを見ているだけのアクアスティードに歯がゆく思う。
普段、アプローチをしてくる令嬢を綺麗にあしらっているアクアスティードしか見ていなかったエリオットは、その様子が痛々しく見えた。
主人の恋が叶えばいいのにと。しかし、出来ることはなにもない。それがまたもどかしかった。
「……あっ!」
「雨か」
今日も読書をしながらティアラローズを見ていれば、ぱらぱらと雨が降り始めた。思わずエリオットが声を上げれば、アクアスティードも顔をしかめる。
――楽しそうに読書をしていたのに、これでは台無しになる。
アクアスティードがちらりと空を見上げれば、うっすらと雲が太陽を覆っていた。そう長く降るようなものではない。
少しならばいいだろうと、そう考えアクアスティードは手を前へと出す。
「アクアスティード様!」
「あのままでは、本が濡れてしまうからな。少しくらいならば、いいだろう」
自身の魔力を手に集めて、アクアスティードは空をもう一度見る。
口の中で小さく呪文を唱えれば、ティアラローズの周囲だけを雨が避けるように降る。雨の代わりに小さな虹がティアラローズの真上にかかり、とても幻想的な景色となった。
この世界には、魔法というものが存在している。
大国の王太子であるアクアスティードは、膨大な魔力を内に秘めている。加えて剣を嗜むため、魔法剣士として活躍することも多い。
しかし、アクアスティードはどちらかというと剣を好み、魔法はあまり使わない。そんな彼が、たった一度夜会で挨拶を交わしただけの、窓から姿を見ていただけの、彼女のために使ったのだ。
「……結ばれて欲しいのに」
ぽつりと、エリオットの声が漏れる。
「うん?」
しかし、アクアスティードは虹に喜ぶティアラローズを見ていたためそれを聞き逃す。
ラピスラズリ王国の王太子であるハルトナイツの婚約者。どうして、運命とはこんなにも残酷なことをするのだろうと、エリオットは泣きたくなった。
誰しもが、主人の幸せを願う。叶うのであれば、この想いがかたちになればいいのにと。虹のかかる外を見て、エリオットは1人思う。
それが、きっとアクアスティードの恋の始まりだったのだろう。
◇ ◇ ◇
「アクアスティード様、手紙の準備は出来ましたか?」
「あぁ。これを、陛下まで飛ばしてくれ」
「わかりました」
アクアスティードがティアラローズを見初めてから1年。留学が終わる時期がきた。
そしてそれは、アクアスティードを含め、ティアラローズ、ハルトナイツの卒業と同時だった。これから、この2人は1年間の本格的な結婚準備へと入るのだ。
誰もがそう思っていた。――あの卒業パーティーを見るまでは。
「羽ばたき、雲を突き抜けて飛びゆけ!」
アクアスティードから手紙を受け取ったエリオットは、その手紙に変化の魔法をかける。
すると手紙は鳥の型に姿を変え、窓を抜けて空へと大きく羽ばたいた。この魔法はとても難しいもので、とても重宝されているものだ。
おいそれと従者が使えるものではないのだが、アクアスティードの従者であるのだからと。エリオットは必死で魔法を習得したのだ。
「これで国は問題ないだろう」
「はい」
今日は、卒業パーティーの当日――夜も更けた時間だ。
ティアラローズに求婚をし、帰宅のエスコートを許されたアクアスティード。この機会を、アクアスティードもエリオットも見逃しはしない。
帰宅したアクアスティードは、すぐさま自国へと手紙を書き今後の算段をつける。
ティアラローズに求婚をしたこと。必ず連れて帰るからと、城に部屋や身の回りの品を揃えてもらえるよう手配をする。
「ちょっといい方向にいったと思えば――さすがに早いですね、アクアスティード様。私がうじうじ悩んでいたのが馬鹿みたいです」
「……そうだな。自分でも、驚いてるくらいだ」
――だが、ここしかないと思ったのも本当だ。
少し震えていたティアラローズ。そしてその前には、睨んだ顔をしたハルトナイツ。
どうしてこのような場所に、好きな女性を1人で立たせておけるのだろうか。すぐさまその手を取り、もう大丈夫だよとアクアスティードは微笑んだ。
当日のうちに婚約の申込状を用意し、翌日の朝一でクラメンティール侯爵へと届けた。
帰国をするために時間がないということももちろんあるが、それ以上にアクアスティードはティアラローズを自分の元へ置きたいと思ったのだ。
そしてその願いは叶い、デートをした翌日の朝一でクラメンティール侯爵から了承の返事がされた。
その返事に歓喜し、すぐにでも会いにいきたいと考えたアクアスティードだったが、それは杞憂に終わる。クラメンティール侯爵から、ティアラローズがくることを聞いたからだ。
突然の訪問で申し訳ないと言われるが、そんなことはまったくない。歓迎以外のなにものでもないのだから。
「ありがとう、クラメンティール侯爵。ティアラローズ嬢に会えるのがとても嬉しいよ」
「……そう言っていただけると、私も嬉しいですな」
「婚約の話も、ありがとうございます。こちらの準備はすべて整っていますから、何も心配はいりません」
「そうでしたか」
当然のように言うアクアスティードの言葉に、クラメンティール侯爵は頷いた。
しかし、ここまで手配をしているとは正直思ってはいなかった。この分では、マリンフォレストはもちろん、アレクサンダー国王への根回しも終わっているだろう。
どうして自分の娘がこれほど大国の王太子に愛されているのか。そう疑問に思うのだが、クラメンティール侯爵は娘を溺愛しているためにそれを当然のように受け入れた。
あんなにも愛らしいティアラローズだ。愛してくれる、しっかりとした男のもとへしか嫁がせはしない。ハルトナイツの件は残念であるが、クラメンティール侯爵にとっても僥倖だったのだ。
「それでは、私はティアラローズ嬢を迎える準備のために失礼します」
「こちらこそ、お心遣いありがとうございます。娘も喜ぶことでしょう」
簡単な挨拶を済ませ、アクアスティードはクラメンティール侯爵と別れて準備に取りかかる。
とはいえ、アクアスティードは指示を出し場所を整えるだけだ。その間に、仕事を片付けなければならない。ティアラローズとゆっくりした時間を過ごすために、終わらせなければならない仕事は少なくない。
基本的な指示をエリオットに出して、すぐ執務室へ向かった。
◇ ◇ ◇
それから数時間後、女官がティアラローズの登城を告げる。
数枚の書類が残っていたため、アクアスティードはエリオットにティアラローズの案内を頼んだ。もちろん、自分もすぐに終わらせて向かうつもりで。
用意したのは、小さな庭になっている薔薇園だ。
黄色とピンクの薔薇が咲く庭は、ティアラローズにとてもよく似合うと思ったのだ。
だが、アクアスティードが薔薇園へ行くもティアラローズの姿は見えなかった。エリオットの姿も見えないことから、まだ移動中だということがわかる。
――それにしても、時間がかかりすぎているな。
薔薇園へは、アクアスティードの執務室よりもティアラローズが待っていた応接室からの方が断然近いのだ。疑問を持ったアクアスティードは、すぐさま応接室に向かうため足を動かした。
城の中であるのだから、何か危険なことがあるわけではない。さらに、エリオットを案内に付けているのだ。彼は、剣の腕も魔法の腕も一流だ。
――まさか、ハルトナイツ王子に出会った?
そんな考えがアクアスティードの頭をよぎるが、まさかとすぐに思う。卒業パーティーでのことは、ティアラローズには一切の罪がないのだ。
ここで何か文句を言ったりするようなことはないだろう。
そう、考えていたのだが――……。
廊下を歩いて応接室へ向かっていけば、見えるのはティアラローズとハルトナイツ。
言いがかりをつけられているのかと思ったが、どうやら様子がおかしい。アクアスティードがすぐに2人の元へ向かったのは、ハルトナイツの手がティアラローズの頭に触れる直前だった。
嫌だという意思表示にぎゅっと目を閉じて、手で頭上をガードするティアラローズをさっと自分の胸に抱き寄せる。アクアスティードはそのままハルトナイツの手を払い、同時に射抜くような視線をハルトナイツに向ける。
――ふざけるな。
「ねぇ、ハルトナイツ王子。――私の大切な婚約者に、何をしようとしているの?」
アクアスティードが冷えた声で告げれば、ハルトナイツはびくりと体を揺らした。
普段、どちらかと言えば仲の良いアクアスティードとハルトナイツ。しかしそれは、卒業パーティー以降ぎくしゃくとしている。
ハルトナイツも、まさかここまで嫌悪されるとは思っていなかった。そして、同時に2人が婚約をしたということもはっきりと告げられた。
――あれだけ酷くしたのに、今更ティアラに未練がましく縋ろうというのか?
アクアスティードの中に、ハルトナイツへの怒りが込み上げた。そして同時に、ティアラローズをしっかりと守らねばという思いも。
「……っ! あ、アクア様!」
「大丈夫? 遅くなってごめんね、ティアラ」
アクアスティードの腕の中で驚いたティアラローズは、思わず愛称でアクアスティードの名前を呼んでしまう。
それがひどく嬉しくて、アクアスティードは優しく微笑んでティアラローズの額にひとつ口づける。
慣れていないからか、真っ赤になったティアラローズが恥ずかしそうにアクアスティードを見上げる。腕の中にすっぽりと収まってしまう彼女は、とても可愛らしかった。
「ハルトナイツ王子。ティアラは、私の婚約者なんだ。触れようとするのはやめてもらえるかな……?」
「……っ! す、すまなかった。こんなにも早く、正式に婚約をしたのだな……」
「――うん。わかってくれるのなら、今回は見逃してあげる」
視界にハルトナイツが入らないよう、自分の肩口にティアラローズの顔がくるよう抱き込むアクアスティード。
見せつけるようにその綺麗な髪を撫でて、ハルトナイツへと再度忠告をした。
「それじゃぁ、行こうか。ティアラの好きなお菓子や紅茶を用意しているから」
「……ありがとうございます。でも、こんなに突然伺ってしまって……」
「大丈夫。私だって、会いにいこうと思ってたんだ」
困惑しつつも、アクアスティードに従い歩くティアラローズ。その様子をしばらく見ていたハルトナイツは、しかし無言でその場を立ち去った。
隅ではこっそりと、フィリーネがガッツポーズをしていたが……目撃したものは誰もいなかった。
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