第9話 アクアスティードとの婚約

 ティアラローズとアクアスティードがデートに出かけた日の夜……。

 そわそわと落ち着きのない様子で、ティアラローズは父親であるクラメンティール侯爵の帰りを待っていた。

 もちろん、アクアスティードとの婚約を受けてもらうためだ。ヒロインのアカリや、婚約者だったハルトナイツなど不安要素はたくさんある。

 だから不安がないと言えば、嘘になる。けれど、ティアラローズはアクアスティードの言葉を信じようと思ったのだ。


「ティアラローズ様、本日のデートはそんなに楽しかったんですか?」

「フィリーネ! だって、男の方とあんな風に出かけることなんて初めてだったもの」


 ふふっと口元に手を当てて、恥ずかしそうに顔を赤くするティアラローズをフィリーネがからかう。

 まさか持っていったクッキーをアクアスティードに「あーん」されてしまったなんて言える筈もなく、ティアラローズは父親に早く帰ってこいと心の中で念を飛ばす。


 ――その髪飾りを付けてくれているってことは、少し期待をしてもいいのかな?


 別れの挨拶の時、アクアスティードに囁かれた声が耳から離れない。甘く低いその声は、ティアラローズの芯に残るようにアクアスティードを意識させた。

 ティアラローズが付けていた髪飾りは、アクアスティードの国の名産品だ。用意をしたのは侍女のフィリーネだが、これは彼女なりのエールの送り方だ。

 早く両思いになってくれたら嬉しいという、侍女の心遣いだった。


「それで、実際はどうだったんですか?」

「え?」

「もう、ティアラローズ様ったら! 口づけくらいはされたのかな……と」

「な、なななっ! そんなこと、してません!!」


 そしてフィリーネがずっと気になっていたことを聞くが、ティアラローズは真っ赤になって否定する。クッキーを食べさせられただけでも心臓がばくばくして大変だったのだ。

 そんなことはとても無理だと、ティアラローズは頭を振る。


「まぁ、残念。ですが、アクアスティード殿下はティアラローズ様をとっても大事にしてくださっているんですね。わたくし、安心しました」

「フィリーネ……。そうね、アクア様はとてもお優しいし、わたくしのことをとても気遣ってくれているわ」


 決してティアラローズの嫌がるようなことはしないだろうと、どこか確信すら持てた。

 アクアスティードの瞳は、いつもティアラローズ自身のことを見つめていた。それは身分などを気にするようなものではない、優しいものだった。

 そんな様子に心底安心したフィリーネは、「あぁ」と1人頷き納得をした。


「フィリーネ?」

「なんだかいつも以上に、ティアラローズ様がそわそわしていらっしゃるから。まだデートの余韻かと思っていたんですが――婚約、ですよね?」

「……っ!!」


 婚約という言葉に、ぴくりとティアラローズの肩が揺れる。

 まさに大正解と、体で答えた。ずっとティアラローズの侍女をしていたのだ。フィリーネにとって、これくらいはすぐにお見通しだ。

 恥ずかしそうに、けれど小さく頷くティアラローズを見てフィリーネは嬉しそうに微笑む。ハルトナイツに傷つけられたけれど、幸せになれそうな主人を見て、それ以上に自分が幸せになった。


「それでは、旦那様のお帰りをそわそわしながら待ってしまいますね」

「あ、もう! 気付いてたのね」

「はい。……さて、旦那様がお帰りになったみたいですよ」

「!」


 窓からそっと外を覗けば、馬車が見えた。侯爵家の家紋とラピスが入った馬車は、間違いなくクラメンティール侯爵が乗っている。

 どきどきとしながら、しかしすぐにティアラローズは玄関へと父親を出迎えに行く。


 上品に、しかし足早に。長い廊下を急ぎ、階段を優雅に降りていく。

 降りきるというところで、玄関が開きクラメンティール侯爵の顔が見える。やっと帰ってきたと、ティアラローズは急いで「お父様!」と声を上げる。


「ただいま、ティアラ。どうしたんだ、そんなにはしゃいで」

「は、はしゃいでなんていません!」


 急いでた姿なんて嘘のように、ティアラローズはお淑やかに立つ。

 しかし、父親であるクラメンティール侯爵にそんな嘘は通じない。少し赤くなっている頬に、どこかそわそわしている様子の娘を見て、わからない父親などいない。

 ……と。娘を溺愛してならないクラメンティール侯爵は考えている。

 そしてまた、今日がアクアスティードとのデートだったということもあり、娘が何を言いたいのかも察してしまう。

 寂しいものだと内心では思うが、本当はとても嬉しい。


「わかっている。アクアスティード殿下の話だろう?」

「お父様……!」

「娘のことくらい、わかるさ。……お受けして、いいのだな?」

「……はい。お願いいたします、お父様」


 照れながら顔を伏せて、けれど嬉しそうに微笑むティアラローズ。

 娘が他国に嫁いでしまうのは寂しいが、幸せに笑ってくれているのが何よりも嬉しい。そう思い、クラメンティール侯爵は頷いた。




 ◇ ◇ ◇


「俺は、取り返しのつかないことをしたんだ――……」


 夜も更けた頃、自室の寝台で眠れない夜を過ごしているのはハルトナイツだ。自分の処罰も、父である国王のアレクサンダーからしっかりと聞かされている。

 ティアラローズには、もちろん幸せになって欲しいとも思っている。


 けれど――。


「……ティアラ」


 ぽつりとハルトナイツの口から漏れるのは、アカリではなくティアラローズの名前だ。

 ごろりと寝返りをうち、どうにかして寝ようとするのだが、閉じた瞳に映るのはティアラローズの顔ばかり。ハルトナイツはそれを振り払うように頭を振るが、何も成果は得られない。


 ――アカリのことが好きなはずなのに、ティアラの顔が頭から離れない。


「…………ティアラ」


 もう一度、彼女の名前を呼ぶ。

 そしてぎゅっと目を閉じて、ティアラローズの顔を思い浮かべる。2人で会うこともあったけれど、婚約者のようなことはなかったなとハルトナイツは思い返す。

 せいぜい、夜会でのエスコートくらいだっただろうか。


 ――俺はもっと、ティアラのことを見なければいけなかったんだ。


 ハルトナイツが今更悔やんでも遅いが、それでもと、縋ってしまいたい気持ちが沸き上がる。

 もやもやと悩みながら、ティアラローズとアクアスティードのことを考える。まったくもって、頭から離れないのだ。


 そんな時に、コンコンコンとノックの音が響く。

 寝ている時間だというのに、いったい何だと思いながらも返事をする。

 部屋の前には騎士が待機している。それを通されたのだから、緊急なのだろう。

 と、ハルトナイツは考えたのだが、顔をだしたのはいつもの女官だった。


「おはようございます。ハルトナイツ殿下、朝のお支度をさせていただきます」

「な、朝……っ!?」


 いつもと同じように告げられる言葉に、ハルトナイツは驚愕して窓の外を見る。うららかな良い天気で、朝日がとてもまぶしかった。

 まさか、考えている内に夜が明けていたなんて。


「どうかなさいましたか?」

「……いや、頼む」


 不思議そうにする女官に問題のないことを告げて、ハルトナイツは今日の支度を開始する。




 ◇ ◇ ◇


 ゆったりとした午前の時間に、ティアラローズは侍女のフィリーネを伴い登城した。

 理由は、城に滞在しているアクアスティードに会うためだ。

 少し頬を染めて、薄い水色のドレスに身を包む。アクアスティードの髪の色が青であるため、フィリーネがコーディネートをしたのだ。


「でも、こんな突然きてしまって大丈夫だったかしら……」

「大丈夫ですよ。旦那様が伝えてくださっていますから」


 婚約の了承を伝えてから初めての面会になる。

 急ではあったが、朝、クラメンティール侯爵にその旨を伝えて登城したのだ。もしアクアスティードが忙しいようであれば、会わずに帰ろうと考えていた。


「無理なのであれば、すぐに使いの者がきます。それがないということは、問題ないということです」

「……そうよね。でも、とても緊張するわね」


 ティアラローズは、城内にあるアクアスティード専用の応接室へと通された。現在、女官がアクアスティードに確認を行っている最中だった。

 会えるのかわからないこの状況は、ティアラローズの胸を高鳴らせる。


 10分ほど待つと、アクアスティードの従者という青年がやってきた。

 丁寧な礼に、ティアラローズも淑女の礼を返す。


「アクアスティード様も、もうすぐいらっしゃいます。場所をご用意してありますので、移動をお願いしてもよろしいですか?」

「はい」


 朝一番に、アクアスティードはティアラローズが登城することを知り、もてなすための準備をすべて整えておいたのだ。

 ティアラローズが好むであろう薔薇園に、美味しいお菓子と紅茶を用意している。


「私はアクアスティード様の側近です。もし何かありましたら、何なりとお申し付けください」

「ありがとうございます。今日は無理を言ってしまってごめんなさい」

「いいえ、謝罪などされないでください。アクアスティード様は、とてもお喜びでしたから」


 そう言って、アクアスティードの側近であるエリオットは微笑んだ。

 留学生としてこの国にきたアクアスティードは、側近を彼しか連れていない。ほかの女官たちは、アクアスティードが不便なく過ごせるようにとアレクサンダー国王が配慮したものだ。

 ティアラローズがこのままアクアスティードに嫁ぐとなれば、エリオットとは話す機会も多くなるだろう。人の良さそうな彼に安堵して、ティアラローズは歩くエリオットの後に続く。


「ラピスラズリは、とても良い国ですね。装飾品も、とても美しい」


 廊下を歩きながら、エリオットがティアラローズへ話しかける。緊張をしないようにと、彼なりの気遣いなのだ。

 それにティアラローズも微笑んで、アクアスティードの祖国であるマリンフォレストについて口に述べる。


「良い腕の職人が、頑張ってくれているのです。逆にマリンフォレストでは、自然の珊瑚や真珠など、海の宝石が多くて女性の憧れです」

「ありがとうございます。アクアスティード様もお喜びになられますね」


 のほほんとした空気が流れ、ティアラローズ、エリオットともに、良い人だという認識を持ったところでティアラローズを呼ぶ声が廊下に響く。

 それは背後からで、3人が同時に振り向けば――ハルトナイツが立っていた。


「……ハルトナイツ殿下!」

「ティアラ、なぜここに……?」


 まるで夢でも見ているようなハルトナイツの顔に、しかし一番に反応を返したのはフィリーネだ。

 さっと主人を庇うようなかたちで前へ出る。フィリーネに庇われるかたちになってしまいティアラローズは戸惑うが、しかし婚約破棄を突きつけられたのも事実なので注意はしなかった。

 アクアスティードの従者であるエリオットは、王子であるハルトナイツに一礼をして後ろに控えるかたちをとった。


「……いや。アクアスティード王子に会いにきたのか」

「は、はい……」


 ハルトナイツは視線をエリオットに向けて、なるほどと無理矢理に自分を納得させる。ぐっと拳を握り、顔を歪めた。

 どうやら様子がおかしいなと、ティアラローズとフィリーネが気付くのに時間はかからなかった。

 何かを言いたそうなハルトナイツを見て、フィリーネは少しだけ動いてティアラローズの横に立つ。しかし、決して離れようとはしなかった。

 また何かあってはたまらないと。例えハルトナイツの意思に反することをし、それが不敬な行為であったとしてもそれだけは譲れなかった。

 それをわかっているのかいないのか、ハルトナイツは何も言わない。


「ティアラ」

「はい」

「卒業パーティーでは、すまなかった……!」

「!!」


 ばっと、勢いよく頭を下げるハルトナイツを見て、ティアラローズも、フィリーネも、エリオットさえも目を見開いた。

 まさかこのような展開になるなど、誰が予想をしていただろうか。その行動に固まってしまった3人だが、まっさきに動いたのはティアラローズだ。


「ハルトナイツ殿下、お顔を上げてくださいませ! わたくしは、気にしていませんから……」

「……ティアラ」

「王族が、簡単に頭をさげてはいけません」

「……ティアラには、いつも色々と注意をされたな」


 懐かしむように瞳を細めて、ティアラローズを見つめるハルトナイツ。それを見て、安心したティアラローズも微笑んだ。


 ――良かった。ハルトナイツ殿下、自分で考えることが出来たんだ。まぁ、陛下にこってり絞られたからだとは思うけど……。


 ティアラローズは内心苦笑しつつも、前世で好きだったキャラクターがしっかりしてくれたのは素直に嬉しかった。

 だから、油断をしていたのだろう。ハルトナイツの手が、ティアラローズの頭を撫でようと伸ばされたことに気付かなかったのだ。

 まるで愛しい姫を見るかのようなハルトナイツは、そっとティアラローズに触れようとした。フィリーネが気付くが、攻撃以外を予想していなかったためすぐ反応ができなかった。


「――ティアラ」

「……っ!!」


 いつもとは違う、少し甘さを含んだハルトナイツの声。

 ティアラローズは突然の行動にびくりと体を揺らして、しかし嫌だという意思表示として自分の頭を手で庇う。

 こんなにも、自分に向けられた感情に嫌悪することがあるのかと……体が震えた。

 しかしどうしたら良いのかわからなく、「止めてください」と声を出すことしか出来ない。嫌悪感を感じて目をぎゅっと閉じる――が、何も頭に触れてはこなかった。


「…………?」


 撫でられると思っていたのに。

 そう思い恐る恐る目を開けば、低く、冷えた声がティアラローズの耳に入った。


「ねぇ、ハルトナイツ王子。――私の大切な婚約者に、何をしようとしているの?」


 ハルトナイツの手を払い、アクアスティードはティアラローズの腰を引き寄せて自分の胸へと抱き込んだ。

 ハルトナイツには渡さないと、その瞳が告げている。


「……っ! あ、アクア様!」

「大丈夫? 遅くなってごめんね、ティアラ」


 ぎゅうと抱きしめて、アクアスティードはティアラローズの額に優しく口付けた。「迎えにきたよ」と、今まで誰にも見せたことがないような顔で微笑みながら。

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