第4話 断罪の卒業パーティー:後編

 ティアラローズの耳に届く甘く優しい声は、ゲームの展開にないものだった。しかしそれは――不安だったティアラローズの心を潤した。

 すぐに声の主を振り向けば、その人は安心するような笑顔を見せた。


「大丈夫。胸を張って誇りを持つ貴女は、この場に居る誰よりも美しい」

「アクアスティード様……」


 ――なぜ、彼がここに居るのだろうか。

 深く青い髪が揺れて、アクアスティードはティアラローズの横を通り過ぎ、ハルトナイツの前に立つ。真っすぐ前を見据える瞳は、まるでアクアスティードがハルトナイツを断罪していると錯覚するほどだ。


「……アクアスティード王子。これは、俺たちの問題だ」

「いいえ」


 ハルトナイツは怯まずに、アクアスティードへ暗に下がれと言う。しかし、それには即座に否定の言葉を返される。


 どうしよう。と、ティアラローズが少し不安に思ったところでアクアスティードが振り向いた。


「婚約を破棄されたのですよね。――……それならば、私の妃になっていただけませんか?」

「…………え?」

「私はずっと、貴女をお慕いしていたんですよ」


 アクアスティードの言葉に、会場はざわめくことを忘れ……まるで宇宙にでもいるかのように音が消えた。それほどまでに、アクアスティードの想いは衝撃だったのだ。

 ティアラローズも一瞬意味を理解ができず、大きく目を見開いてしまう。

 まさか、このタイミングで求婚をする人がいるのだろうか。普通であれば、ありえない。例え想いを告げたいとしても、順序というものがあるのだから。

 しかし、ティアラローズの心臓は大きく揺れ動いた。


 アクアスティード・マリンフォレスト。

 隣国であるマリンフォレスト王国の第1王子であり、王太子だ。ティアラローズと同じ年で、この王立ラピスラズリ王国に1年間だけ留学にきていた。

 このゲームの攻略対象者でこそないが――彼は、続編である第2部のメインキャラクターであると告知がされていた。

 ただ、発売より先に生涯を終えたティアラローズには、彼の立ち位置を正確に把握することは出来ない。


「突然のことで、驚かせてしまったと思います。――ですが、どうかお考えいただけませんか?」

「あ……っ」


 ハルトナイツに向けた厳しい瞳とは違い、甘さを含んだ微笑みを向けてアクアスティードはティアラローズの前に跪いた。

 そのままティアラローズの手を取り、その甲へとそっと口付ける。

 アクアスティードの動作ひとつひとつに、ティアラローズの胸は早鐘のように音を刻み高まっていく。


 ティアラローズは、今までにハルトナイツからこのようなことをされた経験はない。王太子の婚約者であったため、ほかの令息からアプローチを受けたこともない。つまり――……免疫がないのだ。

 どうしたらいいかわからず、赤い顔をしたまま助けを求めるよう会場に居る父親へと視線を巡らせる。しかし本人は、ティアラローズの視線に大きく頷くだけだった。


 ――どうしろって言うんですか、お父様!


 先ほどまでは、ハルトナイツに反論しそうなほどだったのに……今では、大人しく観客の座に着いていた。

 助けはないのだと悟ったティアラローズは、自分でしっかりと答えねばとアクアスティードへ視線を向ける。


「ありがとうございます。アクアスティード様のお気持ち、とても嬉しいです」

「ま、待って……っ!」

「!」


 どきどきとする鼓動を押さえながら、ティアラローズがアクアスティードへと微笑んだ。それにアクアスティードも微笑み返したところで――ヒロインであるアカリの声が会場に響いた。

 ふるふると身体を震わせ、小声で「そんなのありえない」と呟くが、それはきっと誰にも聞こえてはいないだろう。

 隣国の、しかもラピスラズリよりも大国の王太子であるアクアスティードの言葉を遮ると思わなかったのだろう。ハルトナイツがアカリの隣で大きく目を見開いていた。

 それが不敬であることなどまったく頭にないのか、アカリは言葉を続ける。


「ティアラ様は、たった今までハルトナイツ様の婚約者だったんですよ!? そんな人を、自分の婚約者にだなんて……! アクアスティード様には、もっと良い人がいると思います!!」

「…………」


 なんてことを言うのだ。……と、この会場にいる誰もが思ったことだろう。

 しかしアクアスティードは何も言わず、まるで聞こえていないかのように視線はティアラローズに向けたままだ。


「アクアスティード様!」

「……っ!?」


 しかし次の瞬間、会場の誰もが息を飲む。アカリがアクアスティードの下へと小走りできて、その腕を取ったのだ。


「ティアラ様は、少しだけ物言いがきついんです。ですから、こちらにいらして下さいな」

「アカリ様。この方は、隣国のアクアスティード殿下です。誰かが触れて良いような方ではございません。その手をお離し下さいませ」


 さすがにこれは良くない。アカリがというよりも、この国としても良くない。最悪、マリンフォレスト王国との交流を打ち切られても不思議ではないような不敬だ。

 なぜアカリはこんな簡単なこともわからないのか。ティアラローズは頭を悩ませつつも、この場をどうにかしないといけないと思考を回転させる。

 それでも離れないアカリに痺れを切らしたのか、手を上げアクアスティードが自分の従者を呼ぶ。すぐにアカリが引き離され、会場の誰もがほっとしたことだろう。


「大変申し訳ございません、アクアスティード様。……許されることではないと思いますが」

「ティアラローズ嬢が言う言葉ではありません。この場で謝罪をするのは、どちらかと言えば――ハルトナイツ王子でしょう?」

「……っ!! も、申し訳ない。アクアスティード王子」

「まぁ、許しましょう」


 先ほどと変わり、本当に立場が逆転してしまった。

 今、この場で一番優位にいるのはアクアスティードだ。アカリの自分勝手な、本人はアクアスティードのためを思って言った言葉と行動によって。

 アクアスティードが厳しい瞳でハルトナイツを見れば、すぐさま謝罪の言葉が紡がれる。一国の王太子がすぐに謝罪の言葉をするものではないのだが、こればかりは誰が見てもラピスラズリ王国に非があるのだ。

 しかし、これ以上の展開になるのであれば……ハルトナイツには荷が重いであろう。

 悔しそうに顔を歪めるのは、見ている誰もが可哀想だと思うかもしれないが、婚約破棄という断罪イベントの最中だ。当然の罪だと、そう思う者がほとんどだろう。


「私がこの場に割って入ってしまったから、困惑させてしまいましたね。そんな不安な顔をしないで、ティアラローズ嬢」

「いいえ……。私はアクアスティード様に助けていただいたのに、そのようなこと」


 アクアスティードが割って入らずとも、おそらくティアラローズには何も起こらなかっただろう。現状を見て、ティアラローズは今更ながらそう判断した。

 ゲームのような流れではあるが、やはり現実世界では違和感がありすぎるのだ。


「ちょっと! 離してくださいっ!!」


 アクアスティードの従者によって引き離されたアカリが暴れようとするが、それを制したのは、今まで傍観をしていた――国王の声だった。


「そこまでだ」


 威厳のある低い声が、会場に響く。

 ラピスラズリ王国のアレクサンダー・ラピスラズリ・ラクトムート。まだ37歳と若いが、国民からの支持も厚い良き王だ。


「父上!?」

「王様! 先にティアラ様を止めなければ、アクアスティード様へ失礼なことをしてしまいますっ」


 ハルトナイツの驚いた声と、アカリのティアラローズをアクアスティードから引き離せという声。しかしそれを一瞥し、国王はアクアスティードへと頭を下げた。


「我が国の者が、失礼なことをした」

「――いいえ。私も突然乱入したのですから」

「寛容な心遣い、感謝する」


 王子だけでなく、国王までもが謝罪をした。この事実は、ラピスラズリ王国の貴族にとって酷く重い。誰もがアカリを睨みつけ、早く出て行けと言いたげにしている。


「しかし、アクアスティード王子がティアラローズ嬢へ求婚をするとは思わなかった」

「今しか機会がないと思いましたから。陛下、そしてクラメンティール侯爵。私とティアラローズ嬢の結婚をお許しいただけますか?」

「ふむ……」


 アクアスティードの視線は、アレクサンダーとティアラローズの父親であるクラメンティール侯爵へと向く。

 その視線は酷く真剣で、本気だろうということを誰もが感じとった。

 アクアスティードの後ろで様子を窺うティアラローズは、2人の返事を聞き漏らすまいと耳を傾ける。


「私としては、もちろん大歓迎だ。我が国と、マリンフォレストの良い縁となるだろう」

「ありがとうございます。……ですがクラメンティール侯爵は、私のようなぽっとでの男ではやはり不安でしょう」

「……いや。アクアスティード殿下のことは、私もよく耳にしています。娘も、きっと大切にしていただけると確信します。ですが、私は良かれと思ったハルトナイツ殿下との婚約でまさに今――娘を傷つけてしまった。ですから、私は娘の意思を尊重したいのです」


 大国の王太子であるアクアスティードの言葉を、ティアラローズの父親はすぐに承諾しなかった。

 王族からの結婚の申し入れを断るという判断をするなど、ありえない。しかしティアラローズの幸せのために、父親は、クラメンティール侯爵は自分が断罪されてもいいとすら決意し言葉を返した。

 しかし予想に反し、アクアスティードは首を振る。


「良き父親ですね、クラメンティール侯爵。では、ティアラローズ嬢に良いお返事をいただけた時……改めて、ご挨拶に伺わせていただきます」

「アクアスティード様……っ」


 その言葉にティアラローズが慌てる。

 しかし、ここで仮にイエスと言ってもアクアスティードは良しとしないだろう。気を使って良い返事をしなくていいと言うだろう。


「私も、早急すぎてしまいました。ですが今度、一緒に出かけるお時間をいただけますか?」

「…………はい。喜んで」


 父親の言葉に不敬だと息を飲んだティアラローズだったが、アクアスティードの優しさにほっとする。

 しかし、こんなに優しい王子がなぜ自分を慕ってくれているのだろうか。そんな疑問が頭に浮かぶが、出かける時に聞いてみようと思う。


 そんな2人を見守るように、国王とクラメンティール侯爵が笑みを深くする。


「皆の者、今日はこのようなことになり大変申し訳なく思う。ハルトナイツ、早急に退出を。……皆は残りの時間を楽しんでくれ」


 再び国王の声が会場に響き、ハルトナイツをはじめ――関係者はその場から退出した。

 ティアラローズについては、父親であるクラメンティール侯爵が後始末を付けるので早急に帰宅せよと言い渡される。それは父親としての、気遣いである。

 すぐにエスコートを申し出たのは、もちろんアクアスティードだ。「役得です」と笑顔を向けられては、ティアラローズは顔を赤くして「はい」と言うしかない。


 今夜、ハルトナイツと国王、クラメンティール侯爵の間で話し合いが行われ、アクアスティードとの会談は明日となる。

 アクアスティードに送られるティアラローズを睨みつけるように見ていたアカリは、話し合いが落ち着くまで王宮にある一室へと軟禁されることとなった。

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