第3話 断罪の卒業パーティー:前編

 卒業パーティーが開かれる会場の前に、ティアラローズは凛とした姿勢で立つ。

 この扉を開けば、始まるのは断罪イベントだ。ハルトナイツがアカリと共に待ち構え、他の攻略対象も傍にいてハルトナイツを援護する。


 ――いざ目の前にすると、体が震えるのね。


「ティアラローズ様……」

「わたくしは大丈夫よ、フィリーネ。では、行ってくるわね」

「……はい。いってらっしゃいませ。わたくしも、すぐにお傍へ伺います」


 侍女であるフィリーネは別の扉から会場に入るため、一緒にいられるのはここまでだ。もちろん、会場の中で合流することは出来るが、侍女は基本的に控えの間で待機をしている。

 大きく深呼吸をし、心を落ち着かせる。扉を護る騎士に開けるよう合図をし、ティアラローズはゆっくりと、優雅に足を動かした。

 すでに会場内に居た令息や令嬢は、1人で入場したティアラローズを見てありえないと目を見開いた。そして、会場内にハルトナイツが居ることを確認し、その場に居る全員が息を飲んだ。

 大きく開いた扉から見えた会場は、それはもう華やかなものだった。贅沢に使われた花の数々は、まるで夢のような世界にすら見えた。並べられた料理やドリンクも、一目で一流のものだということがわかる。

 ……が、それらはすぐにティアラローズの視界から消える。


 ――始まるの、ね。


 会場の中央には、並んで立つハルトナイツとアカリ。

 それから、このゲームの攻略対象者たち。ハルトナイツ以外の攻略対象者とは何も接点がないのに、ここに居るのは不思議なものだ。ゲーム補正、というものなのだろうか。

 そんなことをティアラローズが考えていれば、ハルトナイツの声が会場へと響く。


「ティアラローズ。俺は今、ここに――貴女との婚約破棄を告げる」


 途端。しんと静かだった会場にざわめきが起きる。

 この国の第1王子であるハルトナイツが、ラピスを持つ侯爵家の姫へ婚約破棄を突きつけたのだから。

 小さな声で、会場のあちらこちらから「ありえない」「殿下の横にいる女性はいったい誰だ?」「どういうことだ?」「なぜ、ティアラローズ様が?」という声が聞こえる。

 だが、仮にもこの国の王太子が高らかに宣言したのだ。視線がティアラローズへと向けられる。


 ティアラローズはゆっくりとした歩みのまま、ハルトナイツの前まで行き、優雅に一礼をする。


「……理由を、お聞かせいただいてもよろしいですか?」


 そしてゆっくりと、ハルトナイツに理由を問いかける。

 ティアラローズは特別悪いことをした訳ではない。断罪イベントの内容もしっかり思い出し、シミュレーションも夜のうちにした。


「理由? ティアラローズ、自分の胸に聞いてみたらどうだ。まさか、分からないなどと言うわけではないだろう?」

「わかりませんわ」

「……っ!」


 ハルトナイツの言葉を即座に否定するように、声を上げる。何も悪いことをしていないのだと、ティアラローズは凛とした瞳で前を見据える。

 しかし、しっかりと見すぎたせいか――視界に父親と国王陛下が入った。すでにパーティー会場の上座にいたようで、驚愕きょうがくした顔でティアラローズを見ていた。

 ゲームでは、会場にいるけれど何の介入もしてこなかった。そのため、ティアラローズはあまり考えてはいなかったのだが――……乱入しないとは言えないような顔を、特に父親であるクラメンティール侯爵がしていたのだ。

見なかったことにするように、ティアラローズは言葉を続ける。


「わたくしは、何も恥ずべきことは致しておりません。ですが、もしハルトナイツ様がほかの方を妃に望むと言うのであれば、しっかりとした手続きを行うべきではございませんか?」

「王族に口答えするとは不敬だぞ、ティアラ!」


 しっかりとしたティアラローズの主張を不敬と判断したハルトナイツの声と同時に、父親が1歩進む。


 ――ゲームにはクラメンティール侯爵の乱入イベントなんてなかったのに!

 ティアラローズは慌てて父親に視線を向けて、首を振る。大丈夫だと、伝えたつもりなのだが……しっかりと伝わっているだろうか。

 その気持ちが伝わったのか、父親は踏み出す足を元に戻す。良かったとほっとするのもつかの間で、すぐにハルトナイツの声が会場へと響く。


「アカリ嬢が辺境の地からきたと、随分色々と申したらしいな。……アカリ、怖かったであろう?」

「……はい。ですが、ハルトナイツ様が居てくださったので、大丈夫でした」

「そうか」


 具体的な理由を述べずに、話を進めるハルトナイツ。そっとハルトナイツに寄り添うアカリは、頬を染めながら涙を浮かべた。

 まったく状況の飲み込めない人々は、この恋愛ごっこのような光景をぽかんとした顔で見るほかない。

 そもそも、ティアラローズは行いを諌めたことはあったとしても、辺境の地であることを理由にしたことは一度もない。また、アカリと2人になるということがなかったので、基本的に他の人間も同席していた。

 しっかりと確認をすればすぐに分かるのに、調べてはいないのだろうかとティアラローズは不安になる。

 ゲームでは、証拠の提出などはなかったが、現実として動いている今もそんな扱いで進んでいくのだろうか。そうであれば、ハルトナイツはかなり愚かということになる。

 ティアラローズはひとつため息をついて、再び問う。


「ハルトナイツ殿下。それでは、よくわかりません」

「まだ言うか。アカリに対し、俺に跪き礼をしろ、俺とダンスをするな……などと言ったそうだな」


 やっと具体的な内容が出たが、それはあまりにも稚拙なものだった。


「ハルトナイツ殿下は王太子であらせられるのですから、わたくしたちが膝をついて礼をするのは当然の礼儀でございます。こういったパーティーでは問題ありませんが、初めてご挨拶させていただく時は当然ではありませんか……」

「なるほど。しかし、ダンスをするなというのはあまりにも横暴ではないか。他の令嬢とも踊っているが、なぜアカリにだけそのようなことを言うのだ」

「それは、アカリ様がハルトナイツ様と2回以上踊られたからですわ。まさか、王太子である殿下が……その意味をご存知ではないなんてこと、ございませんよね?」

「…………」


 王族への最初の挨拶は、必ず膝をつき最上の礼をというのが常識だ。以降、お茶会や夜会では淑女の礼で問題はない。

 ティアラローズは、アカリがそれを行わなかったため注意をしたのだ。「王族には、最上の礼をもってご挨拶するのですよ」と。


 また、ダンスを2回以上同じ異性と踊るのは婚約者であることを意味する。夫婦となり初めて、3回以上踊ることが許されるのだ。

 この国の貴族において、それを知らぬ者などまずいないのだ。それなのに、アカリはハルトナイツにダンスを申し込み2回も踊ったのだ。

 それがティアラローズにとって、どれほど屈辱的だったのかわからないのであろうか。自分はティアラローズよりも、アカリを寵愛していると周囲に態度で示したかたちになるというのに。


「どこか、問題がございましたか?」

「だ、だが……! アカリはいつも酷く言われたと。普段から、冷たい言葉を使っていたのだろう」


 正当なティアラローズの言葉に、ハルトナイツはそれでも言葉を続ける。すでに支離滅裂になってきていることに、気付かないのだろうか。

 侯爵家の娘であることに誇りを持っているティアラローズは、決して安易な発言をすることはないのだ。


「ハルトナイツ殿下は、わたくしをそのような人間だとお思いなのですか?」

「思うも何も、現にそうであろう」

「……わたくしは、アカリ様とお2人でお会いしたことはございません。常にほかの令嬢が一緒でしたが……。お調べになりませんでしたか?」


 ――この様子だと、調べてないんだろうなぁ。


 再度ため息をつきたいのをぐっと我慢し、困ったように首をかしげてみる。

 ハルトナイツは慌ててアカリに、「ほかの者もいたのか?」と問いかける。


「えっ、えぇと……。そうですね、ティアラ様の取り巻きの方がいらっしゃいました。確か、フルルアーネ様と、マリエッタ様でしたと思います」

「…………」


 アカリが告げるのは、ティアラローズの取り巻き・・・・である令嬢だ。


「取り巻き……?」


 その言葉は誰が発しただろうか。しんとした会場から、令嬢の声が響く。

 それに慌てたのは、アカリの隣にいたハルトナイツだった。

 この国に、いや、このゲーム《ラピスラズリの指輪》には取り巻きという表現はない。プレイヤーが、悪役令嬢の取り巻き、という言葉を使ってはいたけれど。

 つまりこの言葉は、非常に無礼なものなのだ。


「アカリ、何を言うんだ……っ! ティアラの、ご友人だろう?」

「え? ええ、そうですね」


 一方、アカリは何がいけなかったのかが分からなかったようで、首をかしげた。


「アカリ様、彼女たちはわたくしの大切な友人です。……そのようにおっしゃるのは、お止めくださいませ」

「また、そうやって私に酷く言うんですか? 私、ティアラ様の気に障ることなど言っていないです!」

「酷くなんて……」


 そのようにという意味を理解できないアカリが、ティアラローズに声を荒げる。

 ティアラローズは友人のことを大切に思い、アカリに注意をしただけだ。それをよく分かっているのは、パーティー会場に居るほかの生徒や招待客だ。

 ざわめきと共に、アカリを訝しむような声がひそひそと漏れ聞こえる。


「ハルトナイツ殿下は、わたくしがアカリ様に酷いことをしたから婚約を破棄したい。と、いうことですよね?」

「あ、あぁ」

「わたくしは、特に酷いことをしておりません。……ですが、ハルトナイツ殿下のお心はアカリ様にあるのですね」


 寂しそうに微笑むティアラローズは、誰の目から見てもハルトナイツの思い込みと、アカリへの恋心によって傷つけられた可哀想な令嬢だった。

 誰がどう見ても、常識のないアカリと、その話を鵜呑みにしてしまったハルトナイツが悪い。もしかしたら、ゲームとは違うエンディングになるのではないだろうかとティアラローズは思う。

 ここで婚約破棄をされるのはいいが、ティアラローズを国外追放する理由がない。


 ――このまま終われば、一番平和なルートかもしれない。

 そう考えて、ティアラローズはちょっとご機嫌になる。王族との結婚は重荷でもあるし、自由な時間も少なくなると考えたのだ。

 が、極めつけの理由はハルトナイツと結婚したくないという思いが一番ではあるが。


「だ、だが……っ! ティアラローズがあまり説明をしなかったために、アカリが傷ついたことは事実だろう。俺は、ティアラローズとの婚約を破棄し、アカリと婚約を行う。つまり、アカリは未来の王妃となる」

「…………」

「未来の王妃へのその態度、許されるものではない。ティアラローズ、よって、そなたは国外へ追放する!!」


 ――何を言っているのだ、この王子は。馬鹿なの? 馬鹿なのね?


 今度こそ特大のため息をつき、どうしようと思ったところで怒り狂った顔で震える父親がティアラローズの視界に入った。

 いけない、お父様が爆発してしまう――……。止めないとと声を上げようとするが、まったく別の男性の澄んだ声が会場に響いた。


「そこまでですよ、ハルトナイツ王子。ティアラローズ嬢よりも、貴方の言葉の方がよほど酷いではありませんか。――ねぇ、ティアラローズ嬢?」

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