第5話 続編の王子様
「…………」
「…………」
卒業パーティーの帰り、馬車の中はとても静かで落ち着いていた。品の良い車内は、柔らかいクッションを用いられているため振動もあまり気にはならない。
ティアラローズは自分の前に座るアクアスティードをちらりと見て、しかしすぐに視線を外す。気付いていないと思っているが、アクアスティードは気付いている。
そんな可愛いティアラローズの様子を見て、口元が緩むのを押さえきれずにいた。
アクアスティードがそんなことになっているとは思ってもいないティアラローズは、この世界が舞台になっている乙女ゲーム《ラピスラズリの指輪》の第2部――続編について考えていた。
――どうして私は、続編が発売する前に……いいえ、せめて詳細が公開されるまで生きていられなかったのだろうか。とても悔しい。
1部では出てこなかったアクアスティード王子。
それが今、ティアラローズの前に居るのだ。不思議に、というよりも、怪しまずにはいられない。
しかも、悪役令嬢ポジションであるティアラローズへ求婚をしたのだ。まったくゲームと違う展開に、正直ティアラローズの頭の中は大混乱だ。
――自分でもやもや悩んでいるよりも、アクアスティード殿下とお話しした方がいいのかな?
再び、ちらりとアクアスティードを見る。ティアラローズとしては本当に、ばれないように……こっそりと見たつもりではあったのだが、しっかりと微笑まれてしまった。
ばれてしまったことにばつが悪いと思いながらも、「申し訳ありません」と謝罪する。
「どうして謝るの? 私はティアラローズ嬢をお送りさせていただいているのに」
「いえ、その……。アクアスティード殿下は、女性の憧れですから」
「……」
ティアラローズが困ったように微笑み言葉を告げれば、アクアスティードは少し驚く。
まさかティアラローズから、そのようなことを言われるとは思っていなかったからだ。自分が思っているよりも期待できるのだろうかと、アクアスティードはさらに嬉しくなる。
「そう言われるということは、私も少しは期待していいのかな?」
「あ……っ!」
アクアスティードの熱い瞳とともに向けられた言葉は、ティアラローズの胸に響く。
令嬢に人気が高いアクアスティードの笑顔を自分にだけ向けられて、平常で居られるほど人間は出来ていないのだ。どきどきする胸を手で押さえ、小さく深呼吸をする。
「あの……」
「うん?」
「アクアスティード様は、なぜ私に……?」
求婚をしたのですか、とは恥ずかしくて言葉を続けられなかった。赤くなって下を向くティアラローズは、耳まで赤くなっていた。
「いつも、図書館の窓からティアラローズ嬢が読書をしているのが目に入ったんだ」
「え? あ、もしかして図書館裏の?」
「そう。木陰で読書をして、表情をころころ変える可愛い君を見たんだ」
「か、かわいい……?」
アクアスティードが言うように、ティアラローズは時間があれば図書館裏の木陰で本を読んでいた。
それは将来王妃として恥ずかしくないように、様々な、それこそ教師が教えない知識を得るためだった。
どうして図書館を使わないのかといえば、スイーツを食べながら読書をしたかったからだ。外の木陰であれば、お菓子を食べ、紅茶を飲みながら読書が出来る。
加えてほかの生徒も居ないため、自由に楽しい時間を過ごすことが出来たのだ。傍にいるのは、侍女のフィリーネだけだった。
――見られていたなんて、恥ずかしい。
歴史書や外国語など、勉強が出来る本をたくさん読んだ。しかし同時に、恋愛の話などもたくさん読んだ。
いったいどんな顔をして本を読んでいたのだろうと思い返して、恥ずかしさが込み上げる。穴があったら入りたいというのが、今のティアラローズの気持ちだろう。
「真面目な顔をして本を読んでいると思えば、次の瞬間には顔を赤くして照れたり。涙ぐんでいる時なんて、思わず声をかけに行こうかと思ったくらいだ」
「……っ! わ、忘れて下さい!!」
アクアスティードから言われたことがあまりにも恥ずかしく、ティアラローズは両手で自分の顔を覆う。恥ずかしくて、とてもではないが顔を見せられない。
しかし、すぐに顔を覆った手をアクアスティードに解かれた。
「え……?」
「せっかく一緒にいるんだ。もっと顔を見せて?」
「……っ!!」
甘い声で、囁くように微笑まれる。
「そ、その……見られていたなんて、思わなくて」
「いや――私も、覗くような形になってしまって申し訳ないと思っている。でも、毎日のように木陰で読書をする君に、私は日に日に虜にされたんだ。それはもう、自分でも驚くほどにね」
愛おしそうにティアラローズの手を包み込み、「本当だよ?」と微笑む。
「でも、君はハルトナイツ王子の婚約者だった。さすがに、他国の王族の婚約者を奪うことなんて出来ないからね」
「あ……」
ハルトナイツの婚約者であり、ラピスラズリ王国の王妃を約束された身。それがティアラローズだ。間違っても、結婚どころか婚約の申し込みすら出来ない。
そのため、アクアスティードは我慢をするつもりだったと言った。当初の予定通り、1年の留学期間を終えたら国に帰り、ティアラローズのことを忘れようと。そう考えていた。
だが、アクアスティードにとっての転機が訪れた。そう、断罪イベントが行われた卒業パーティーだ。
「まさに僥倖だった。このチャンスを逃してはならないと、私も必死だったんだ」
「…………アクアスティード殿下」
「格好悪いだろう?」
「そんなことありません。1人であそこに立っていた私にとって、アクアスティード殿下はとても心強かったです」
たとえ自分が悪くないと分かっていても、やはり緊張はするし、どこかに大きく不安はあった。
そんな時に、自分を慕う者からの助ける声。それがどれほど心強く嬉しいものだったか。
「アクアスティード殿下とは、夜会でご挨拶を1度させていただいたきりでしたね。なので、とても驚きもしました」
「そうだね。私は夜会にはあまり参加せずに、出てもすぐに帰っていたからね」
なので、アクアスティードとティアラローズがまともに話をしているのは今が初めてなのだ。
ほとんど初対面に近いというのに、雰囲気はとても落ち着いていて、狭い馬車の中は心地良い空間になっていた。
「不安はない? あそこに居た令嬢に、いろいろと言われていただろう」
心配するアクアスティードの言葉に、ティアラローズは考える。
しかし、あの自分勝手だったアカリに何を言われても傷ついたりはしない。ティアラローズの言葉はどれも正当な主張であったのだから。
それに、ティアラローズの友人である令嬢も、普段からアカリに対して良い感情を持ってはいなかった。これからも、仲良くしてもらえるという安心がティアラローズにはあった。
「……そうですね。ですが、不安はないです。今後の話し合いなどはあるでしょうけれど、わたくしとしてはこうして帰れるだけでとても嬉しいです」
「そうか。ハルトナイツ王子が追放とまで言うから、少し驚いていたんだ。まぁ、もし追放するというのであれば――私が攫ってしまおうかとも思ったけれど」
悪戯を企むように笑うアクアスティード。まさかそんなことを言われるなんてと、ティアラローズもつられて笑ってしまう。
「本気だったんだけどな。それはそうと、ティアラローズ嬢。デートにお誘いしたいのですが、お時間をいただけますか?」
ティアラローズの手の甲にちゅっと口付け、アクアスティードがアプローチをかける。彼の留学期間は1年で、もう終わりを迎えるのだ。
近いうちに帰国をしなければならないため、実はあまり時間に余裕がなかった。
もちろん、それについてはティアラローズも承知している。それゆえ、アクアスティードが本気でかかってきたら逃げられないとも思った。
「はい。もう学園は卒業しましたし……花嫁修業として、ハルトナイツ様の下へ通うということもなくなりましたから」
苦笑しつつ、「時間はたくさん空いています」と続ける。
婚約者が居て、卒業後に結婚をする令嬢は1年間の花嫁修業をするのがこの世界の通例だ。しかし、ティアラローズは婚約を破棄となるためその必要がなくなった。
「そうか。なら――……3日後で、どうだろう?」
「はい。よろしくお願いします」
「良かった。では、当日は迎えに行くから待っていて」
おそらく明日はアクアスティードとアレクサンダー国王の会談。さらに翌日は、ティアラローズが国王に呼ばれるだろうと予想を立て3日後に設定をしたのだ。
それに、互いに準備をする時間も必要だろう。突然隣国の王太子と――では、ティアラローズも困ってしまう。
そしてふと、ティアラローズに疑問が浮かぶ。
――続編であるこの世界には、続編のヒロインがいないのだろうか?
攻略対象者ですら、アクアスティードのみの発表だったのだ。ヒロインなど、とてもではないが情報が開示されていない。むしろ開示されない可能性の方が高い。
あくまでメインは、攻略対象キャラクターなのだから。
――アクアスティード殿下は、本当に私で良いのかな?
今はティアラローズに夢中なアクアスティードも、続編のヒロインが出てきたらその女の子に夢中になってしまうのではないだろうか。……ハルトナイツのように。
そんな不安が頭をよぎり、ティアラローズの胸が不安に揺れた。
「ティアラローズ嬢?」
「あ、いえ……。その、アクアスティード殿下が私を慕って下さるっていうのが、やっぱりまだ信じられなくて」
だって、2部にもヒロインがいるはずだから。――などとは言えないが。ティアラローズの不安が伝わったのか、アクアスティードは安心させるように微笑む。
そして伸ばされた手が、ティアラローズの前髪に触れて髪を揺らす。
「そんなに疑われてたなんて、酷いなぁ。こんなにもティアラローズ嬢を慕っているのに」
「……っ!!」
ふわりと、アクアスティードの唇がティアラローズの額に落とされる。ほんの少しだけ触れたそれは、言葉以上にティアラローズの鼓動を加速させた。
「可愛い。……けど、残念。到着したようだ」
「あ……」
アクアスティードの唇が離れたのと同時に、馬車がゆっくりと止まった。
そっと小窓から外を見れば、そこはティアラローズの屋敷だった。どれだけタイミングを見計らったのかと、そう驚いた目でアクアスティードを見る。
だが、彼は意味深に微笑むだけで何も言わない。
顔を赤くしたティアラローズは、しっかりとアクアスティードにエスコートされ屋敷へと戻ったのだった。
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