第19話.森の中の告白

 


 こんなおとぎ話がある。




 ――昔々あるところに、若い夫婦が住んでいました。

 とても仲が良い二人でしたが、ある日、妻が病気にかかりました。


 夫は嘆き、妻を救う手立てはないかといろんな人に聞いて回ります。

 そんなとき、彼を呼び止めた耳の長い婆がおりました。


「もしも妻を助けたいのなら、深い森の中に入るといい。

 森の奥深いところに、どんな病気もたちまち治す薬草が生えているというよ」


 胡散臭い話でしたが、男は藁にも縋る思いでした。

 森に踏み入り、男は何日間も、何日間も、薬草を探し続けました。

 もう日にちも分からなくなった頃、食事をしておらず、傷だらけの男は倒れてしまいました。


 しかし男は誰かの手に助け起こされました。

 人ではありませんでした。耳が長い種族です。そこは人の領域ではなく、エルフの森だったのです。


 追い出されかけた男は、最後の力を振り絞ってエルフたちに訴えました。

 自分はどうなっても構わないから、苦しむ妻を助けてほしいと。


 人を嫌うエルフですが、そんな男の愛に胸打たれ、貴重な薬を分けてくれました。

 エルフの秘薬と呼ばれるそれを持ち帰り、妻に飲ませると、あっという間に元気になりました。


 エルフに祝福された夫婦の間には子どもが生まれて、三人はいつまでも幸せに暮らしたといいます。


 めでたし、めでたし――。




 スカートの裾をたくし上げて。

 屋敷近くに広がる鬱蒼とした森の中をずんずんずんと突き進むナターニアの後ろを、お猫さまがふわふわとついてくる。


『ナターニア、本当にエルフの秘薬なんてあると思ってるの?』


 お猫さまは疑わしげだ。

 その問いかけに、ナターニアはといえばうふふと微笑んだ。


「いいえ~。そんなものはありませんわ」

『えっ!?』


 お猫さまが仰け反る。

 まさか薬を探すと宣言した張本人が、薬を信じていないとは思わなかったのだろう。


 エルフの秘薬でもあれば、いつまでも健康に長生きできたでしょうね――ないものねだりの医者たちの言葉を、何度もナターニアの傍らで、彼女はぶつけられてきた。

 自分が幽霊になったからと、薬も実在するのではと盲目的になるほどナターニアは愚かではない。


「厳密に言いますと、わたくしが探しているのはエルフの秘薬ではありません。そんなものはないと、わたくし以上によく知っている薬師を捜しておりますの」

『その薬師って……』


 答えの分かったお猫さまは、そこで口を噤む。


 ひとりの幽霊と一匹のお猫さまは、黙々と歩き続ける。

 普段は人が通らないのだろう。森には道と呼べるようなものはなく、木々が茂り、植物が揺れる地面の上をひたすら進んでいく。


 森の中は、中心に向かって歩けば歩くほど濃い色になっていく。

 数分前には聞こえていた鳥の鳴き声も、すっかり遠い。幽霊と浮いたお猫さまでは、足元で小枝がぽきりと鳴ることもないので、不気味な静寂だけがあたりを支配していた。


『ね、ねぇナターニア。迷いなく歩いてるけど、地理は把握してるの?』


 沈黙に耐えられず、お猫さまがそう訊くと。

 ナターニアは自信満々に答えた。


「お猫さまったら。わたくしは病弱極まりないナターニアですわ、もちろん森に入ったのは生まれて初めてですともっ」

『そこ絶対、胸張るところじゃないと思うんだけどな!?』


 あまりに頼りにならない同行者を前にして、今すぐ引き返そうか本気で悩み出すお猫さまだ。


「でもこうして歩いていたら、いつか尋ね人に会えるような気がするのです」


 そんな馬鹿な、と思うお猫さま。

 だけどナターニアは本気だった。本気で目を凝らして、延々と続く緑の景色の中に、彼女の姿を捜している。


 だから変わり映えのない森の中。

 座り込んだ彼女の、飾り気のないバレッタを目にしたときも。


「あっ、スーザン」


 ナターニアは声を張り上げなかった。

 何か用事ができて呼び止めたような、そんな何気ない声でスーザンを呼んだ。


 呆気に取られるお猫さまよりも、スーザンはずっと驚いていた。

 平らな岩の上に座り込んでいたスーザンは弾かれたように振り返り、あちこちを見回している。


 青白い唇は何度もわなないている。

 恐怖か。それより、戸惑いの色のほうが大きいだろうか。

 怯えさせているのは悪いと思いつつ、ナターニアはスーザンに近づいていく。


 スーザンの隣の岩に、スカートの裾に気をつけつつ、ちょこんと座る。

 なんの物音もしなかったのに、スーザンはそんなナターニアに気がついたかのように目を見張っていた。


「奥様、どうして……」

「どうしても何もないわ。スーザン、あなたは今もわたくしの侍女なのよ?」


 ぷぅ、とナターニアは頬を膨らませる。

 子どものとき、ナターニアはよくそんな顔をした。苦い薬は飲みたくない、とスーザンにアピールするためだ。


「わたくしが呼び止めているのに、勝手に出て行くなんてひどいじゃない」


 今、ナターニアがどんな顔をしているか、きっとスーザンは分かっている。

 緊張していた彼女の肩から、ゆっくりと力が抜ける。青ざめていた顔も、少しだけましになった。


 スーザンは、引きつった顔で訊いてくる。


「……侯爵様、は?」

「今は大丈夫。だけど、予断を許さない状況だとお医者さまは言ってたわ」

「……申し訳、ございませんでした。奥様」


 その瞳に涙がにじむ。

 全身をがたがたと震わせながら、スーザンが頭を俯ける。枝にでも引っかけたのか、バレッタでまとめている髪の毛は乱れているし、お仕着せもあちこちが汚れていた。


「侯爵様が、奥様の死に目に立ち会えなかったのは、私のせいです」

「どういうこと?」

「私が、侯爵様を騙したのです。この辺境の森にこそ、エルフの秘薬があると」

「……っ!」


 ナターニアは息を呑む。


「そんなものはないって、スーザンは誰よりも知ってるじゃない」


 

 彼女の人間とは異なる形の耳を初めて目にすると、誰しも最初は驚く。アシェルや、お猫さまもそうだった。


 スーザンには薄くエルフの血が流れている。

 薬草の扱いに長けているのも、それゆえだという。


 医者はスーザンを見るたび、いやみったらしく、エルフの秘薬さえあればと言う。

 そうすればナターニアを治せるのだと。だが、そんなものは現代にはないのだ。

 スーザンは何回も、何十回も、ナターニアのために薬作りを試みたが、そのすべては失敗していた。


 ナターニアは一度もスーザンを責めたりはしなかった。


 それこそ、本当にエルフの秘薬なんてものがあるのなら――きっとスーザンこそ手に入れていた。

 そう自惚れてしまうほどに、スーザンはナターニアのことを愛してくれていたから。


「あの夜……ひどい嵐の中でした。侯爵様は奥様を救うために、ひとりで森に向かったんです。その結果、この近くの崖から落ちて、怪我を負って……。それでもあの方は一晩、ありもしない薬を探し続けていました」


(だから旦那さまは、自分を責めるようなことをおっしゃったのね)


 ――想う気持ちがあれば手に入るという、エルフの秘薬。


 他の誰かが言ったなら、きっとアシェルも眉唾だと相手にしなかっただろう。

 それを、耳の尖ったスーザンが言ったから、アシェルは信じたのだ。


 ナターニアのために、真夜中の森を必死に探し回った。

 そんなアシェルのことを思うと、ナターニアは堪らない気持ちになる。


(旦那さまは、本当にもう、お優しすぎます)


 だが、スーザンの話では全容が見えてこない。

 それならば、むしろスーザンはアシェルに対して申し訳ないと思っていたはず。数日後に毒を盛る理由にはならない。


 いや。問題はそこではない。


(――そもそも、スーザンが旦那さまに嘘を吐いたのはなぜ?)


 確かにスーザンはアシェルのことを嫌っていた。

 しかしそれを理由に、危篤のナターニアを放置して薬を探させるようなことをスーザンがするとは思えない。

 そうしなければならないほどの事情が、あったのだ。


「すべて私が、悪いんです」


 スーザンの瞳から、重さに耐えきれずに涙がこぼれ落ちる。



「……奥様を殺したのは、私なんです」



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