第13話.わたくしのお墓

 


 屋敷の裏手には小川が流れている。

 さらさらと流れる水の音を聞きながら、長い木造の階段を腕を組んで上る二人を、ナターニアとお猫さまも追っている。


『ナターニア。この先に侯爵家のお墓があるの?』

「ええ、そのようです。わたくしも行ったことはないのですが……」


 侯爵家に入る以上、ナターニアはアシェルの両親に挨拶したいと思っていた。

 だが、墓前で祈ることをアシェルは許してくれなかった。両親の墓は遠いから、と。


(旦那さまは過保護というか、とにかくお優しすぎるわ)


 しかし今ならば、ナターニアはスカートの裾を持ち上げて、長い階段を自力で上れる。

 生前のナターニアであれば見上げるだけでひっくり返っていただろう階段だが、幽霊のナターニアは息を切らすこともない。


(この身体、やっぱり最高ですわね……!)


 うきうきるんるんなナターニアの前を歩くマヤといえば、すでにぜえぜえと息が切れている。

 そもそも良家の令嬢であれば、このように長時間、外を出歩いたりはしないものだ。


 しかも腕を組むアシェルの足取りが速いため、マヤは疲労困憊になっている。

 午前中だというのにイブニングドレスと見紛うほど豪奢な服装であることや、細いヒールの靴を履いているのも疲労の一因だろう。


「侯爵様。アシェル侯爵様。あた、あたくし、少し疲れてしまいました」

「…………」

「す、少しでいいから……休みませんこと?」

「…………」


 聞こえているだろうに、アシェルは相手にしない。

 はぁ、と露骨に大きな溜め息を吐いたマヤは、汗だくの顔を引き締めると。


「へ、平気だっていうのよ、このくらい……!」


 ブツブツ呟きながら階段を上っていく。


(さすがマヤ嬢。ガッツがあります)


 腕を解かずアシェルについていく姿は、見上げた根性である。

 メイクが溶けつつあるマヤだが、ナターニアにはその勇ましさが美しく感じられる。

 やはり彼女こそアシェルの再婚相手に相応しいのでは……とナターニアが夢想している間に、階段は終わりに差し掛かる。


 一行は小高い丘に到着した。

 小川の本流が流れる傍に、侯爵家の先祖の墓碑が並んでいる。


 立ち止まらずにアシェルが向かう先に、ナターニアも視線を投げた。

 それこそ、アシェルの両親が眠る場所だと思ったからだったが……予想は外れた。


 ナターニアは大きく目を見開く。


「まぁっ、アネモネの花がこんなにたくさん!」


 足取りも軽やかに近づいていく。

 赤、白。それに特に多く植えられているのはピンクのアネモネだ。

 武骨で小さな墓碑を取り囲むように。そこだけ花壇のように整えられ、色彩豊かなものだから、故人に配慮してのことだとすぐに分かる。


 そして石に刻まれた名前は――ナターニア・ロンドのもので。


(どんなお墓に入ろうと、一緒だと思っていましたが)


 死後も寂しくないように、ナターニアを大好きな花で囲んでくれた。

 アシェルの心遣いが、堪らなく嬉しく感じられる。


『すごい。きれいだね』


 お猫さまも感心して見回している。それほどまでに花が美しいからだ。


「はい。それにまさか自分のお墓参りができるとは、思ってもみませんでしたっ」

『またこの子は、変なところに興奮して』

「なんだか不思議な気持ちなのです。この土の下に自分の身体が埋まってる、なんて……」


 言いかけたナターニアは、頭上に影が差しているのに気がついた。

 振り返ると、アシェルがナターニアを――否、ナターニアのお墓を見つめている。


 立ち上がったナターニアは、その場に立ったままにっこりと笑いかけた。


「旦那さま。素敵なお墓を作ってくださり、わたくしのお墓参りをしてくださり、ありがとうございます」

「……」

「ナターニアは本当に嬉しいです、旦那さま」


 丘の上では日除けもなく、降り注ぐ日光を全身に浴びるアシェルから、返事はない。


 彼の黒い髪の毛が、生ぬるい風に遊ばれる。

 長い前髪の隙間から、紅色の瞳が見え隠れする。

 目を閉じて祈ることもなく、ただ墓碑を見つめるアシェルは、何を思っているのだろう。


 彼の秘された胸の内を、知りたいと思う。

 知ることができたら、どんなに良いだろうか。


(そんなの、幽霊でも人間でも、無理ですけれど)


 墓碑に視線を落とすアシェルは、古びた人形のようだ。


 この数日間、ナターニアはアシェルのことを見てきた。

 彼はずっと、似たような眼差しをしている。

 どこか諦めている。疎んでいる。それでいて何かを、切実に求めるような――。



「…………これは、なんのつもりだ?」



 ナターニアは硬直した。

 氷のような冷たい声。ただしそれは、どうしたって、目の前に立つナターニアに向けられた刃ではない。


 アシェルの腰に、マヤが抱きついていた。


「侯爵様。いいえ、アシェル様。ずっと二人きりになりたかったです」


 頬を染めたマヤが甘い声を出す。

 アシェルを見上げる彼女の瞳は潤んでいた。


「アシェル様。今度こそあたくしを、あなたの妻にしてください」

「ま、まぁ……!」


 驚嘆したナターニアは口元を覆う。

 今のところ特に何もしていないナターニアだが、なんだか良い感じに事態が進行している。


「お、お猫さま。急展開ですわっ、どうしましょう!?」

『お、落ち着いてナターニャア!』


 お猫さまがいちばん動揺しているようで、ナターニアの名前を噛んでいる。


(お可愛らしい!)


 きゅんっとするナターニアの眼前で、アシェルは大きく息を吐いている。

 まるで降参するように、彼の両手は宙に浮いている。行き場がないように彷徨っている。


「とにかく、離れてくれ。言っている意味がよく分からないんだ」

「嘘です。アシェル様だって、よく分かっておられるでしょう?」


 絶対に離れないというように、さらに強くマヤはアシェルにしがみつく。

 そうしながらも、堪えきれないような嘲りの笑みがその口元には浮かんでいた。


「お世継ぎもいないのですものね。身体の弱いナターニア様は、妻としての務めも満足に果たさずに……同じ女として彼女を恥ずかしく思います」

「……っ!」


 ナターニアは息を呑む。

 マヤが吐いた毒は、ナターニアの胸をも貫いていた。


(そう。本当に……マヤ嬢の言う通りでした)


 マヤの言い分に、なにひとつとして間違いはない。

 ナターニアは心半ばにして死んだ。侯爵夫人としての務めをひとつもなし得ず、さえ置き去りにして。


 でもいつまでも、アシェルはナターニアへの侮蔑の言葉を口にしてくれない。

 嫁いですぐに死んだ妻を、責めたりしない。


 だからマヤがアシェルの本音を引き出してくれるなら、それを、ナターニアは聞く義務があるのだろう。


「……アシェル様?」


 マヤが呼びかけても、アシェルは答えない。


 ……やがて、くすり、と艶めかしい笑みをこぼすと。

 細長い手の先が、アシェルのシャツの裾に這入り込む。


「アシェル様もこの一年間、何かとご不便だったでしょう?」


 その逞しい身体に、じかに触れる。

 アシェルの肌を撫でさすりながら、マヤは舌なめずりをしている。


「でもご安心くださいな。これからは、すべてのお世話をあたくしが――」



 その瞬間、何もかもを拒絶するような。

 バシン! と鋭い音が鳴っていた。



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