4日目
第12話.揺れる気持ち
結婚をした。
いつかこういう日が来るのだと漠然と思ってはいたが、言葉にするとますます希薄に感じる。
薄っぺらい紙と、親族と、仲人によって認められた結婚。
けして盛大な式ではない。造られたばかりの小さな教会で挙げた式だった。
隣を、ちらりと見る。
名前と容姿くらいしか知らないその人は、遠くを見ていた。
視線の先を辿ると、おあつらえ向きに白い鳩が飛んでいる。
結婚生活などと、未だに想像はつかないけれど――この人と、これからの人生を共にしていく。
その事実だけを、そっと胸に刻んだ。
◇◇◇
ナターニアたちは昨夜遅くに、辺境の地へと戻ってきた。
今朝もアシェルはモーニングコーヒーを楽しみながら新聞を読んでいる。
そんな彼には、昨日までとは大きな変化があった。腕を吊る三角巾がなくなっているのだ。
骨折していたという左腕は、無事完治したらしい。
植木鉢の影から見守るナターニアのテンションも爆上がりである。
(それに、今日は夢見も良かったわ!)
一年前のあの日の夢を見て、気分は弾んでいる。
「これはもう、今日は良いこと尽くしかもしれませんわ!」
『そうかなぁ。アシェル、ぜんぜん再婚しそうにないけど?』
うふふ、と微笑むナターニア。
「お猫さまったら。再婚は本人の自由ではありませんか」
……うふふふふ、と微笑み続けるナターニア。
「旦那さまのこれからの人生は長いですものー。七日間で幽霊妻が勝手に再婚相手を見つけてくるだなんて、身勝手すぎましたわ」
『急に常識的なこと言い出しちゃった。目標はどうしたの?』
嫁いで一年で死んだ妻として、アシェルの新しい花嫁を見つけることこそ、ナターニアのやるべきことだと思っていた。
だがその目標は、アシェル自身の言葉によって否定された。
彼はナターニアの両親に向かって、相手が誰だろうと再婚しないと宣言したのだ。
「おそらく旦那さまは、想像していたよりも最悪な結婚生活を経験したことで、結婚そのものへのイメージが悪くなってしまったのでしょう……」
物憂げな溜め息を吐くナターニア。
こればかりは自分に責任がある。もっとウハウハな毎日を過ごせていたなら、アシェルはあんなことは言い出さなかったはずだ。
「お猫さま。もしも旦那さまの再婚相手を見つけられなかった場合、わたくしはどうなりますの?」
今までは無根拠で満ちていた自信を、幽霊生活四日目にしてナターニアは失いかけている。
それに気がついたお猫さまは、なるべく優しい声で伝える。
『安心して。目標が達成できなくても罰とか制裁はないから』
むしろ、あったとしたら怖すぎる。
『君の未練が断ち切られれば、七日間のあと、ちゃんと天空の国に旅立てるからね』
何気ない言葉だったが、どこか引っ掛かる。
(わたくしの、未練)
ナターニアの未練。後悔。やり残したこと。
それは本当に、アシェルの再婚相手を見つけることなのか。
お猫さまを見ると、黒い子猫は青い両目を細めている。
これは何かのヒントなのだろうか。お猫さまは、何かをナターニアに気づかせようとしている?
(わたくしの未練。それは…………)
「ごきげんようっ、侯爵様!」
思考を遮る甲高い声に、ナターニアは俯けていた顔を持ち上げた。
一分の隙もなく美しく着飾ったマヤは、今日も侯爵邸にやって来たようだ。
昨日も、隣町から馬車を走らせて訪問していたらしい。アシェルは王都に行っていたから、すぐに帰ったようだが……。
「ああ」
短くアシェルは答える。今日はマヤを見もしない。
ナターニアの両親に会ってからアシェルの機嫌はかなり悪いようだ。
視線の冷たさ、唇の引き締まった角度、そういったものから、ナターニアはなんとなくそんな風に感じ取っている。
(それほど、旦那さまは再婚がおいやなのかしら)
だがマヤは気がつかない様子で、また従者を呼びつけて椅子の位置をアシェルに近づけている。
しかしご機嫌のマヤが座るより前に、アシェルが立ち上がっていた。
マヤは何事もなかったように、すすすと滑るように横移動をしてアシェルと腕を組んでいる。
「侯爵様。本日はどちらへ?」
やっぱり、アシェルは振り払ったりはしない。
二日前もそうだった。微笑みかけたりはしないものの、アシェルはマヤのことをひとりの令嬢としてきちんと扱っている。
それを気づかされるたび。
本当は心のどこかが、ちくりと痛んだ気がして――。
「……いいえ。いいえ!」
『ナターニア? ど、どうしたの!?』
お猫さまが目を見開いている。
それも無理はない。ナターニアが唐突に自分の頬をばしんと張ったものだから、びっくりしたのだ。
赤くなってひりつく頬を押さえながら、ナターニアは眉間に力を込める。
(駄目よ、わたくし。
幽霊の分際でマヤに嫉妬するなどと、あり得ない。
(そんなことを考えちゃ――駄目だわ!)
ぎゅうぎゅうと両目をつぶって、頬を押さえつけて、ナターニアは一生懸命に自分を鼓舞する。
アシェルに意中の女性が見つかり、再婚してほしいという気持ちにはなんら変わりはない。
ナターニアのせいで、前途有望なアシェルの一年間を消費させてしまったけれど、これからの彼にはもっと素晴らしい人生を歩んでほしいのだ。
アシェルとマヤが腕を組む。
そうだ。大変結構、素晴らしいことではないか。
むしろもっと組んでほしい。脇とか胸とかいくらでも当ててほしいくらいだ。
「やっぱり旦那さまの再婚相手に相応しいのは、マヤ嬢かもしれませんわねっ」
『…………』
無理をして声を張り上げるナターニアを、お猫さまは訝しげに見ている。
朝っぱらから洒落た劇場にでも入っていきそうな二人だったが、アシェルは沈黙したままだ。
「あ、あの。侯爵様ぁ……?」
質問を無視されたままのマヤが、アシェルの腕を控えめに引っ張る。
彼はようやく、マヤの質問を思い出したように口を開くと。
「墓参りだ」
そう、答えたのだった。
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