第11話.静かな激昂

 


 かわいらしい令嬢たちの笑顔や立ち姿。

 それにそれぞれのプロフィールがまとめられた釣書の山を前に、アシェルは厳しい表情をしている。


 彼が怒っているのは、強い怒気を孕む赤い瞳を見れば明らかだった。

 公爵夫妻は一瞬、緊張気味に視線を交わしたが、作り笑いを浮かべると、和やかな口調で語り出した。


「侯爵。いや、アシェル。私たちにとって、君は息子でもある」

「そうよ。今度こそ、あなた自身の幸せを掴んでくれていいの」


 病弱な娘のために犠牲になった青年に向けての、ほんの気持ちだと。

 そう訴える二人だったが、アシェルの表情は変わらなかった。


「私を呼び出した用件というのは、このことだったのでしょうか?」

「ああ。そうだが……」


 がたん、と椅子が揺れる。


「それであれば、帰らせていただきます」

「そんな……私たちは、ただあなたのことを思って……」


 夫人は涙ぐんでいるが、アシェルはフォローのひとつも口にしない。

 そのせいで、公爵は顔を顰めている。自分たちの気遣いを無下にするアシェルに怒りを感じているのだ。


 お猫さまは両者の間で視線を彷徨わせている。


『ナターニア、どうしよう。なんか急にものすごい険悪な雰囲気――って、君は何やってんの?』

「もちろん、旦那さまのお嫁探しです」


 この胃が痛くなるような空気の中、ナターニアはといえば立ち上がり、釣書を手当たり次第に読みまくっている。


『すごいや。ひとりだけまったくブレない!』

「うっふふ。お褒めいただき光栄ですわ」


 そもそもナターニアの目的はアシェルの再婚相手を探すことだ。

 この千載一遇の機会を逃すナターニアではない。両親に感謝しつつ、素早く釣書に目を通していく。


「見てください、お猫さま。こちらのご令嬢、なんて素敵な笑顔なのかしら。片えくぼが可愛らしいわ。あっ、こちらの方は占いがご趣味ですって。こちらの方はダンスがお得意とあります!」


 少し気になってきたのか、お猫さまも横から覗き込んできた。


「どうでしょう? お猫さまはどなたが良いと思いますか?」

『…………ぼくは、ナターニアのほうがきれいだと思うけど』

「えっ」


 驚いて見つめると、お猫さまはぷいと顔を背ける。

 尻尾がぱしんぱしん、と左右に激しく揺れている。どうやら照れているようだ。


「お猫さまったら。褒めても何も出ませんわよ?」

『うん。幽霊だからね』


 揺れる尻尾の誘惑をどうにか退けつつ、ナターニアは釣書に記された令嬢の名前を記憶していく。

 だが、そこで悔しい気持ちを味わうことになった。


「ああっ、下のもどなたか開いてくれればいいのに……!」


 ナターニアは釣書に触れないので、下に積まれたものはまったく見ることができないのだ。

 都合良くスーザンが駆けつけてくれないものか、とちらちらとドアのほうを見るものの、残念ながらその兆しはない。


 そもそもこの凍りついたような空気の中、呼ばれてもいないのに入室できるような豪胆な人物は居ないのだが、そのあたりには気が回らないナターニアである。


「すみませんが、公爵夫妻」


 アシェルが厳しい顔で何かを言っている。

 そこに颯爽と割り込むナターニア。


「あ、あの、旦那さま。もしこの声が聞こえるようでしたら、下の釣書を広げていただけると助かります……!」

『すごいこと言い出してる! どんだけ釣書見たいのさ!?』

「少しでいいので! 何卒よろしくお願い申し上げます!」


 ぺこぺこと拝むナターニアの前で。




「私は誰が相手だろうと、再婚するつもりはありません」




 空気を切り裂くように、鋭い言葉が放たれた。

 シン、と空気が静まり返る。公爵夫妻の顔はぎこちなく歪んだままだ。


 そんな中、ナターニアはただ呆然と、アシェルの顔を見つめていた。


「それでは、失礼します」


 公爵夫妻は、呼び止める気力もないようだった。

 見送る声もないが、アシェルはお構いなしに部屋を出る。


 ドアが閉まったところで、ナターニアはふらふらとテーブルに手をついた。


『ナターニア? 大丈夫?』


 お猫さまが心配そうに声をかけてくるが、返事もできない。


 未だに、胸がどきどきしている。

 もう鼓動を打たないはずの心臓が、叫んでいる。

 きっと頬だって、真っ赤に染まっているのではないだろうか。


(わたくしに、おっしゃったのかと思った……)


 あの一瞬――。

 釣書を見ようとするナターニアをアシェルが止めたかのような、そんな気がした。


 もちろん、そんなはずはない。

 アシェルは再婚を勧めてきた公爵夫妻に向けて、断りの返事をしただけだ。

 ナターニアの声は彼には届かない。


(わたくしは、余計なことをしようとしてるのかしら?)


 アシェルが再婚相手を望まないだろうと気づいていながら、その相手を見繕うとしている。

 ナターニアの企みを知れば、アシェルは先ほどとは比べものにならないほど怒るかもしれない。


 それでも、ナターニアは、アシェルに幸せになってほしい。

 彼の幸福を、強く、祈らずにはいられない。





 ――同時に。

 公爵家の屋敷から出たアシェルの呟きも、ナターニアの耳には届かなかった。


「馬鹿馬鹿しい」


 そう吐き捨てるアシェルの口調は荒々しい。

 彼の口元は、憎々しげに歪んでいた。



「彼女が、幸せだったわけがないだろう」



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