第10話.両親との対面
公爵邸に着いたアシェルは、真っ先に応接間へと通されていった。
ちょうど昼間の時間帯で、公爵夫妻は食事中だったようだ。
少し待たせることを申し訳なさそうに執事が告げてきたが、アシェルは気にした素振りも見せなかった。
『ナターニア、どうする?』
「そうですわね……一度、スーザンのほうを見に行ってみましょう」
しばらく両親は姿を見せないようなので、ナターニアはスーザンのほうに向かってみる。
アシェルを王都に呼んだのは公爵夫妻だ。
だがスーザンが同行したのは、アシェルが一声かけたからだった。
捜して間もなく、ナターニアはスーザンを見つけた。
スーザンは廊下の片隅でぼんやりしていた。居場所がなさそうに、佇んでいるだけだ。
ナターニアがロンド家の人間として死んだように、ナターニアの侍女であるスーザンにとっても、この家は帰るべき場所ではない。
以前過ごしていた地下の侍女部屋や、あるいはナターニアが過ごしていた部屋を見に行く権利は、もうスーザンにはない。
だから時間を持て余して、ただ立ち尽くしているのだろう。
(声を……かけられない)
スーザンの目に光るものはない。
けれど何を言っても、スーザンを傷つけてしまうような気がして、ナターニアは声が出なかった。
お猫さまに向かって、ナターニアは首を振る。
幽霊は、足音もしない。その場に居たことも、その場から去ることも、スーザンには知られない。
応接間に戻ると、公爵夫妻の姿があった。
着飾った老齢の紳士と淑女は人好きのする笑みを浮かべていたが、アシェルは無表情のまま応対している。
「よく来てくれたな、アシェル」
「はい」
「葬式以来だから……もう半月ぶりになるのか」
どうやらナターニアの葬式には、両親も参列してくれたようだ。
辺境まで馬車で向かうのは苦労したことだろう。
久しぶりに見る父と母は痩せ細っていて、ナターニアの目にはずいぶんと小さく見えた。昨年結婚式を挙げたときには、そんな風に感じなかったのに。
三人が席につく。
ナターニアは空いたアシェルの隣席にちょこんと座り、お猫さまはテーブルの上で伏せをする。
広い応接間に沈黙が満ちていくのを嫌ったように、公爵が口を開いた。
「本当にすまなかった。君には重い荷物を背負わせたな」
公爵が大きく頭を下げる。
「でも……あの子、きっと幸せだったと思います。侯爵の花嫁になれて」
夫人の目には涙がにじむ。それを白いハンカチで拭っている。
アシェルは言葉を返さなかった。黙って二人を見つめている。言葉を選んでいる様子はなく、そもそも口を開く気がないようだった。
ナターニアもまた、二人を見つめた。
涙と謝罪。アシェルに対して申し訳ない、という態度。
「二人とも、憑きものが落ちたような顔をしていますね」
『え?』
ナターニアの呟きに、お猫さまが反応する。
『ぼくには二人とも、悲しそうに見えるけど』
「悲しいのは事実だと思います。でも、わたくしの傍に居るときのお父様は、もっと辛そうでした」
ナターニアの前では、いつも両親は笑っていた。
大丈夫だ。隣国で名を馳せている医者を呼んだ。この前の藪医者とは違う。
次こそ良くなる。大丈夫だ、大丈夫だ――根拠なく繰り返されるのは、彼らが自分たちに言い聞かせるための言葉だった。
そんな言葉の羅列を聞くたび、ナターニアは苦しくなった。
弱い身体に生まれてごめんなさい。苦しめてごめんなさい。そう謝りたくなった。
でも謝れば、両親を傷つけるだけだと知っている。だから笑顔を浮かべて、感謝を伝え続けた。
なんにも知らない子どものような顔をして、二人の愛をありがたい贈り物のように受け取らなくてはならなかった。
でも本当は。
ありがとうと言うたびに、身体のどこかに千切れるような痛みが走っていた。
「そしてわたくしも、この家に住むのが……二人と一緒に居るのが、辛かったのです」
育ててもらった恩を、仇で返すような。
そんな本音を口にできるようになったのは、今のナターニアが幽霊だからだ。
(わたくしの声はお猫さまと、スーザンにしか聞こえないから)
両親はナターニアの死を悼んでくれている。
同時に、ナターニアの死を心から悲しめることに、ほっとしているはずだ。
『……そうだったんだ』
淡々と、お猫さまが頷く。
『だからナターニアは、アシェルのことがわりと好きなんだ』
……くすり、とナターニアは笑う。
意外というべきか。お猫さまはナターニアの話を耳を傾けて聞いてくれている。
ナターニアが胸の奥底に仕舞い込んでいた気持ちを、お猫さまは少しずつ引き出してくれる。
「ええ、そうなのです」
安全な鳥籠の中で飼われた小鳥は、大空で羽ばたく日を夢見る。
鳥籠の外に連れ出してくれた腕の持ち主を、嫌うはずがない。
たとえそのあと、どんなことがあったとしても。
(もちろん、それだけが理由ではないのですが)
ナターニアがアシェルをどれほど愛しているか。
それこそ、どんなに言葉を尽くしても足りないくらいなのだ。
「大事なことなので訂正しますが、わりと、ではなくて、わたくしは旦那さまが心から大好きで――」
『あーはいはい。ノロケはもういいや』
しかしぞんざいに遮られる。
「そんなっ、もっと聞いてくださいっ」
『この数日で、耳にタコができるくらい聞いたもん』
「見たところ、お猫さまの耳にタコはできておりませんから!」
スーザンがものすごくいやそうな顔をするので、お猫さまにしかアシェルの話はできないのだ。
二人がわいわいと会話する間に、夫人のすすり泣く声は止まっていた。
顔を上げた公爵が咳払いをしている。
「こんなもので、お詫びになるか分からないが……」
公爵が目配せすると、侍女が数人入室してくる。
何かの贈り物だろうか。彼女たちが手にしている書類らしき束をじぃっとナターニアは見やる。
(どうせなら鉱山の権利書でも渡してほしいのですが)
公爵夫妻はナターニアが侯爵家に嫁いだ事実を、手放したりはしない。
しかしこの結婚でアシェルは幾ばくかの持参金を得ただけ。
遡及離婚も許されないのだから、彼のほうは失ったもののほうが大きい。とんでもなく裕福な公爵家として、懐の大きさを見せてほしいところだが。
そう思って事の成り行きを見ていると。
侍女たちがテーブルに置いたものの正体が、ナターニアにも分かった。
ほとんど同時にアシェルも気がついただろう。
数えるのも億劫になるほどの量。
テーブルの上に運ばれてきたのは、釣書だった。
「これは、どういうことでしょうか?」
アシェルの声は、冷たく張り詰めていた。
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