第8話.侍女の隠し事

 


 アシェルが去ってしまったので、ナターニアは自身の私室へとやって来ていた。

 他には部屋を掃除するスーザン、そしてベッドの周りを回転するお猫さまが居る。


 本当はアシェルについていきたい気持ちもあったのだが、重要な議題があったので、ナターニアは馬車に相乗りするのを今日は諦めた。

 ちなみに半透明のナターニアだが、馬車には問題なく乗ることができた。ドアはすり抜けるのに不思議だが、基本的に「そういうもの」として納得するナターニアである。


「では、作戦会議を始めましょう!」


 ナターニアが呼びかけると、ハタキを手にしていたスーザンが振り返る。

 もはや埃のひとつもないというくらいに清潔を保たれた部屋なのだが、どうにも手持ち無沙汰らしい。


「マヤ・ケルヴィン嬢のことよ。スーザンはどう思う?」

「個人的に彼女のことをよく知っているわけではありませんので……」


 スーザンは遠慮がちに俯いている。


「いいのよ。忌憚なき意見を聞かせてほしいの」

「では率直に申し上げます。――クソ女だと思っています」

『分かるぅ~』


(二人して!)


 昨日から、スーザンとお猫さまはかなり意気投合している。


「もう。そんな言葉遣い、スーザンには似合わないわよ」

「……すみません」


 注意しているのに、はにかんでいるスーザン。

 そんなスーザンのことを、顎に細い指を当てたナターニアはじぃっと観察する。


「奥様?」


 スーザンはきょろきょろと不安そうに周囲を見回している。


(スーザン、すごく美人なのよね……)


 涼しげな目元。形の良い眉に鼻。小さな唇もまた魅力的だ。

 赤茶色の髪は、伸ばせばどれほど美しいだろう。ナターニアに懸命に仕えてくれていたスーザンは、自分のことは疎かにしていたけれど、そろそろ彼女自身の幸せを掴んだっていいはずだ。


(それに頭が良くて、薬学にも精通していて……)


 ナターニアの身体に激震が走る。

 そうだ。マヤにばかり注目していたが、こんな近くに逸材が居たではないか。


「あの――奥様!」


 ナターニアはぱちくりと目をしばたたかせた。

 震え声で呼ぶスーザンは迷子の子どものような顔をして、あらぬ方向を見ていた。


(あっ。わたくしが急に喋らなくなったから……)


 喋り声がしないと、スーザンはナターニアが近くに居るかも分からないのだ。


「ご、ごめんなさいスーザン。わたくしはここよ」

「良かった……」


 声のするほうに顔を向けながら、はぁ、とスーザンが息を吐いている。

 ちろり、とナターニアは、そんなスーザンを上目遣いで見やった。


「……ねぇ、スーザン?」

「いやです」

「まだ何も言ってないじゃない」

「私に、侯爵に嫁げとおっしゃるつもりでは?」


 ナターニアは本気で驚かされた。


「すごいわっ。どうして分かったの?」

「いやだからです」

「勘まで鋭いなんて。完璧だわ。あなたこそ最高のレディーよ!」


 おだてるナターニアに、スーザンは露骨にいやそうな顔をする。


「私と侯爵では身分が釣り合いません。それに年齢も離れています」


 平民である自分では侯爵閣下には嫁げない、とスーザンは言う。


『あれ、アシェルって何歳なんだっけ?』

「旦那さまは今年で二十歳なので、わたくしの三つ年上です」


 お猫さまの質問にはナターニアが答えた。

 名案だと思ったが、三十歳のスーザンがアシェルに嫁ぐのは難しくはある。

 それに当事者の気持ちを無視するわけにはいかない。


「……分かった。諦めるわ」


 あからさまにほっとした顔をするスーザン。


「でも気が変わったら言ってね」

「絶対に変わりませんので、大丈夫です」


 むくれるナターニアに、くしゅくしゅとお猫さまが笑っている。


 むむむとなりつつ、ナターニアは窓辺に寄った。

 庭を見て気分を紛らわせようと思ったのだ。ナターニアの部屋からは、花壇がよく見える。


 それより先に目に入ったのは、窓辺にちょこんと置かれた白い花器だ。

 硝子の器の上にアネモネが飾ってある。ほのかに甘い香りを感じると、気持ちも穏やかになる。


「ここにも、アネモネが飾ってあるのね」

「奥様がお好きな花でしたから。ピンク色のアネモネは、奥様の優しい髪色に似ています」


 答えるスーザンの唇は綻んでいる。


「邸宅中にたくさんのアネモネが活けてあったわ。スーザンがみんなに伝えてくれたの?」


 ナターニアが誰かに話したことはないから、スーザンが広めてくれたはず。

 返事はなかった。振り返ってみると、スーザンはぎこちない笑みを浮かべていた。


「…………はい、そうだったかと」


 答える声も、妙に固い。


「スーザン? どうかしたの?」

「私……」


 しばらくスーザンは何も言わなかったが、ぽつりと続きの言葉を呟いた。


「怖いんです」

「怖い? 何が?」

「奥様が」


 ナターニアは大きな衝撃を受けてよろめいた。


(わたくしが、怖い……!?)


「ご、ごめんなさいスーザン。わたくし、いつも我が儘ばかりだったものね。でもさっきのも無理やり嫁がせようとしたとかじゃないのよ、ただスーザンはとてもきれいで博識な人だからと思っただけで」

「違います! そうじゃなくて……!」


 スーザンがぐっと眉根を寄せる。

 震える唇の合間からは、断続的な吐息ばかりが漏れる。


「……申し訳ございません。仕事が残っていますので、私はこれで失礼します」

「スーザン?」

「…………」


 ナターニアは呼び止めたが、スーザンは振り切るように部屋を出て行ってしまった。

 追いかけることもできず、ナターニアはその場に佇んだままでいる。


 スーザンは声に乗せはしなかった。

 だが唇の動きを追っていたナターニアには、スーザンの声なき声が聞き取れていた。



 ――優しすぎて怖いんです。

 ――私は奥様が、怖いんです。



『気をつけてね、ナターニア』


 青い目を輝かせて、お猫さまが呟く。


『あの侍女、何か隠してるよ』


 不穏な響きだけが、室内に木霊した。



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