自分を映すもの

空社長

「鏡」……それは自分を映し出すもの

 "鏡"が割れ、その破片は飛散する。

 鏡に叩きつけられた拳は、その破片で傷つく。

 手に生じた数か所の切り傷からは赤い液体が流れ出すが、もう一度、いや何度も鏡を殴る。

 鏡は映るものが何かさえ分からないほど粉々になり、手は傷だらけとなり、流れ出した血に濡れる。

 だが、"少女"はそれを意にも留めない。その手で前髪を掴み、くしゃくしゃにする。


「こんな…髪なんて……見たくもない…!私は……お母さんが大っ嫌いだ!!」


 少女は泣き出す、自分の髪への嫌悪感と親を非難した罪悪感に。


 神聖ユーロピアン帝国 属州バルカニア


 この世界の地図は、現世界のユーラシア大陸西方を彷彿とさせるものであった。

 ユーノプと呼ばれる地域の中央部には一つの巨大な統一国家が存在した。

 一つの半島の小さな国を元祖とするその国はやがて巨大な版図を獲得し、

解体や分裂の危機に合いながらも、その危機を国民が手を携えて乗り越えてきた…はずだった。

 帝国中央部に住む人々はその危機を乗り越えてきたのはユーロピアン人の優越さと傲り、

ユーロピアン人自体を神聖化し、他民族を侮蔑し始めた。

 それは、帝国によって属州とされ、権利の多くを奪われたバルカニア人も例外ではなかった。


 この物語はバルカニアが属州化された約20年後の話。


 少女の名前はアーニ・ノスカナ。

 帝国によるユーロピアン人の神聖視を目的としたユーロピアン人優越政策によって、

他民族は侮蔑され、それは教育という公正を目指す場にも影響を及ぼしていた。

 バルカニア人である彼女はユーロピアン人の子供から差別や侮蔑、暴行を受けるなどのいじめを受け、教師はその光景を見ても一介の教師として守る行動をせず、逆に突き放した。

 彼女は、必死に勉強していずれ高学歴の大学にいって、両親を手伝おうと思っていたが、

このような学校の環境に耐え切れず絶望し、一度は死を選ぼうとしていた。

 その時は両親が必死に説得し、絶望から救われたことで、

彼女にとって両親が唯一の心の救いとなっていた。


 しかし、少女にとって辛うじて幸せな日々はすぐに終わりを迎えた。

 16歳の時、両親が交通事故によって両名とも死亡した。

 少女も両親とともに車に乗っていたが、軽傷で済んでいる。

 だが不運なことに、少女の車に衝突してきたのは、属州バルカニア総督府で働く職員であり、

殺したのがバルカニア人であることを見て、ゴミを見る目で蔑視し、

逆に車が傷ついていることに腹を立てていた。

 民衆からの面目も考慮して形式的に裁判が開かれたが、あくまで形式上であり、

総督府職員には交通違反の罰金として1000ディル(現世界の日本では1万円に相当する金額)しか課せられず、

逆に車の損害賠償として少女ら遺族に1000万ディルが裁判長によって言い渡される始末であった。


 無論、少女にそのような大金払えるはずがなかった。

 だが、少女が願わずも神聖ユーロピアン帝国には、ある法律があった。

"直系の家族がいない子供が犯罪を起こした場合、その罪における全ての懲役、賠償は成人年齢まで持ち越される"

 しかし、稼ぐ手段を持たず、そのような大金を稼ぐ職へ務めることができるほどバルカニア人にとって世間は甘くはなく、少女はただ焦燥に駆られるだけだった。


 しかも、そこに追い打ちをかけたのは、アーニが通っていた学校だった。

帝国は無償の教育制度を掲げていたが、あくまでそれはユーロピアン人に適応されるだけで、ユーロピアン人以外は教育費を払わなければいけなかった。

 学校は両親が亡くなったことで少女の学費を支払う能力が損なわれたとし、"退学”を要求してきたのだ。

 少女はしばらくは学費を払う貯金もあると反論するも、学校は退学のみを要求した。

 学校側と少女ただ一人、その権力という名の力の差は歴然であり、退学を余儀なくされた。


「お母さん……お父さん……私、どうしたら……」


 彼女が悲しみに暮れ、どうしていいか考えつかない中、家は両親が亡くなる前のまま残されていた。

 そもそも彼女に葬儀を行う費用などない。

 それを知ってか知らずか裁判所と警察は既に両親の遺体を共同墓地へと埋めている。

 その為、彼女が知る両親の顔は自動車の運転中だった。

 ここ数日の間、彼女にとっては両親が触れていたもの全ては遺品であり、何一つ触ることができず、食事は一切摂っていない。泣き続け、寝るという孤独の日々を過ごしていた。


 その最中、行政では速やかに事が進んでいた。

 それは"アーニ・ノスカナを養育保護施設へ収容する"事。

 別に属州バルカニア総督府は一介のバルカニア人少女へ慈悲の心で手を差し伸べているわけではない。誰も知らされず孤独死させるよりも、将来的にバルカニア人の一人として神聖ユーロピアン帝国に奉仕させることを望んでいた。

 また、帝国保健教育省は親元がいない子供を養育保護施設へ入れられる制度の適応を奨励していたため、総督府はあくまでそれに従っただけの事である。


 行政機関によって手続きは速やかに進み、エナスト66という養育保護施設へ彼女は入った。

 しかし、少女はやはり迫害される運命にあった。

 養育保護施設は親元のいない子供を労働可能年齢になるまでに学校へ通っている子供と同レベルの教育や正しい生活習慣を身に着けさせていく施設ではあるが、養育士の大人達は誰一人関わろうとしなかった。

 そして子供たちは彼女を侮蔑した。


「あなた、バルカニア人なんでしょ、良くここの施設に入れたわね!私なんかお父様が官僚をやっていて、忙しいからここの施設に入れたのよ、高級官僚の娘として名誉だわ!あなたも私と同じような親の元にうまれたらそれこそ幸せでしたのに……バルカニア人というゴミに生まれた事が運の尽きだわ。あら、あなたと話してると私の口がけがれてしまうわ、じゃあね、"ゴミ"さん」


 せせら笑う音が周りから聞こえる、少女が覗くと周りの全員が自分の事を嘲笑していた。


 ある時は……


「どうして……こんな思いしなきゃいけないの……!」


 アーニはつい胸が締め付けられる思いがし、泣き出す。


「あら、分かっていらっしゃらなかったの。あなたが"バルカニア人"だからよ、既に本心ではわかってるんじゃないの。そうそうあそこにいるのもバルカニア人、二人で仲良く慰めあったらどう?良い絵になりそうだわ」


 高級官僚の娘だという少女はアーニの視線とは反対側の白髪の無口な少女を指さしながら嘲笑する。

その子の姿にアーニは同じ境遇の人がいて良かったという安心感を持ってしまう。


「まあ、バルカニア人として生まれなければよかったと後悔すればいい気味だわ、そうそうあなたの雑草みたいな髪、私たちの高貴な黄色や銀色に比べて醜くて見たくもないから切ってくださる?もしくは私がご丁寧にバッサリ落とすか、ペンキでお塗りしましょうか?」

「どこが……雑草……?」

「あら、分かってなかったの?私の鏡を見せたら高貴な鏡がスクラップになってしまいますので、自分のお部屋で雑草と認識してくださる?」


 少女の言葉に親切という気持ちは一切なく、ただ強者として弱者を侮辱するのが楽しいという人種であった。

 アーニは部屋へと戻り、自分の髪を鏡で見る。


「私の髪が雑草……雑草だなんて……」


 緑色に白を少し混ぜたかのような髪色をしている彼女は、両親に褒められてきた記憶を全てペンキで塗りつぶされた気がして、心の弱い彼女は怒りさえ出ず、悲しさで泣き出した。

 耐えてきたものが崩れ去る気がして、アーニは白髪の少女を頼るしかできなかった。


だが、その少女は声を掛ける間もなく、アーニを睨みつける。

 一歩踏み出そうとすると、"来ないで!"と声を上げられ、容易に近づけなくなった。


「どうせ、同じバルカニア人だから、頼りたいと思ったんでしょ!」


「あなたは私とは違う!」


「私の近しいバルカニア人は、みんな白い髪だった!あなたのような髪なんて見たとない!」


「あなたは私と同じバルカニア人じゃない!」


 突き放されたことでアーニの心はぐちゃぐちゃとなり、心に叩きつけられ響いたその言葉はアーニを困惑させるには十分だった。

 "何も頼れるものがいない状況"

 少女は何もかも、どんな物事に対しても無気力となった。


 ペンキを髪に塗られても抵抗しなくなり、やがて養育士から"社会へ卒業する気のない子供"と一方的にみなされてしまい、貴族娘の物を壊したという冤罪であることは明白なのにも関わらず養育士達は犯人をアーニと決めつけ、謝罪しない事から社会的に成長する気がない子供と評価を受ける。

 

 そして、行政はエナスト66の退所処分を決定。"公"には親族を捜索していて叔父との連絡がとれ、引き取られたとされた。

 しかし、実際はアーニと血も繋がっていない者であり、養育保護施設からあてがわれた彼女を見て、こき使うことしか考えていない男だった。

 当然、養育保護施設ではまともな教育を受けられず、料理も少ししかこなしたことがない彼女に全ての家事を行えるわけがなかった。

 自分は何もしないくせにできなかっただけで暴力を振るうクズ男の典型であり、ついには自分の下の世話までさせようとした。


「一つも家事こなせないくせにこれぐらいできるようになれ!、何もできないくせに人語を喋るな!」

「だって、こんなこと……教わったことなんか……ない」

「うるせぇ!」


 男はアーニの頬を強くひっぱたく。

 その時の衝撃で体がよろけるほど彼女の体力は落ちており、ささくれだらけの木の壁で片腕を擦りむき、床に微量の血を流す。


「そんなん傷で血を流すとか貧弱すぎるな、あとで床を掃除しと…」


 男がその様子を見て言葉を言い切る直前に、玄関ドアが二回叩かれる。

 ドアが開き、そこから顔を覗かせたのは、高身長の銀髪で一見すると愛想の良さそうな若い男性であった。


「オストークさん、こんばんは。お?いらっしゃいましたか」

「まあな、おいお前!掃除なんかあとでいい、傷に唾でも付けて今すぐ寝ろ!」

「は、はい……」


 アーニは奥の寝室へとよろめきつつ駆け込んでいく。

 その様子を見て、オストークと呼ばれた男は若い男性を部屋の中に引き入れ、窓を全て閉める。


「彼女はどうですか?」

「何も出来ねぇ娘だ。無理やりにもやれようはあるが、それこそあんな弱っちい体だとすぐに壊れてしまう。正直夜の店で働かせられないな」

「……我々としてもそういう店で働かせられるかと思って、あなたに引き取らせたのですがね……見た目は悪くないのですが」

「お前らこそエナストで何をやらせてきた?家事をやらせてみたがほとんどできないじゃないか……捨てるしかないな」

「捨てるとしたら郊外、あの髪色だとグレンケ人とのハーフらしいですし、いっそバルカニア人が多い地域にでも捨ててきますか」

「そうしてくれ」


 会話を経て、男達は行動を起こす。

 アーニを気絶させて移送する際に起こさないようにし、彼女は若い男性が所有する車のトランクへと詰め込んだ。


 そうして車は出発し、数十分ほど走る。その間に映る景色は都会から辺境へと変わってゆき、若い男はそれを淡々と眺めながら、走らせる。


 やがて目的地へと到着し、車はその足を止める。

 そこは田畑も見られる辺境の住宅地帯であり、男は運転席のドアを開き足を地面に着ける。

 そして、ゆっくりとトランクの方へと足を歩ませる。


「……かわいそうに……かわいそうに…ククッ」


 愛想のある若い男性、トランクを開けアーニの顔を見た時、そのイメージが簡単に崩れ去るような顔を作り出した。


「全く……かわいそう過ぎて、私のテンションはマックスだよ、バルカニアとグレンケのハーフである君が反グレンケ志向の強いこの地域に放り出されたらどうなるんだろうねぇ、良識ある人間は通報するだろうけど、そんなもの私が握り潰してなかったことにするまでだ。君がどういたぶられるのか、本当は興味あるけど、私も自分の生活を支えるために稼がないと、仕事を放棄するわけにもいかないのさ」


 そう言いながら、男はアーニの体を抱きかかえ、道端へと捨て、何も無かったことのように再び乗車し、車を走らせる。


 そして、彼女は……


 アーニが目を覚ました時、外の冷気とは違い、生暖かい空気が身を包んだ。

 

「ああ、起きたかい。道端で倒れててね、おなかもすいてるようだから、食事も用意しといたよ」


 その声の主は暖かい料理を両手に持つ女性だった。

 アーニは暖かいスープを飲み、やっと落ち着けると思った。

 だが、それはつかぬ間の事で、彼女の頭を見たことで対応は一変する。


「ん?あんた、その髪は染めたのかい?」

「いえ……元々です……」


 その言葉を聞いた女性の腕がピリピリと震え始め、熱したフライパンを持つと、彼女の頬にぶち当てた。

 頬を熱せられた痛みによって、声は出ず、ただ余りの痛みに椅子から転げ落ちる。


「なんで……突然……」

「私達にグレンケ人であることを隠してこの街に住んでいたのは許されない!」

「違うって……」


 女性のアーニへの暴行はやまず、密室と化した家の中で逃げられずに痛みで体力を消耗していく。


「どうして……こんなことを……」

「なぜかって?それはあんたがグレンケ人だからだよ!私の夫はあんたらに殺された!あんたらに私の人生を壊されたんだよ!」


女性は彼女の顔を鏡の前に押し付ける。


「よく見な!あんたの髪は緑に白が混ざったような色だ。これはグレンケ人とバルカニア人のハーフであることの証なんだよ!どっちがバルカニア人かは知らないが、私達の恥だよ!」


 その言葉にアーニは衝撃を受ける。女性は彼女の腕を掴んでひきずり、ある一室へと入れ込む。


「あんだがここの部屋で何しようが勝手だが、私はあんたをここから出すことだけ絶対にない!私のグレンケ人への恨むはまだあるんだ」


 そう言い扉を閉める。


 アーニは絶望する。安心したのもつかぬ間の暴力の応酬、少女の心は疲れ切っていた。

 そして、今までの事で少女には自分も生み出した事に対する両親への嫌悪感が生まれていた。

 その密室には鏡があったが、自分の顔を見た瞬間に少女は鏡を割り出した。

 手には多くの傷ができるが、少女はそれを意にも留めない。

 むしろ、両親への嫌悪感に対する罪悪感が多数を占め、泣き出した。


 そして、翌日。


 アーニは再び暴行されるのかと恐怖するが、女性からは意外な一言が飛び出した。

 

「あんたに食べ物をくわせたことが広まってねぇ、私にも攻撃が向かいそうだから、出て行ってくれ」


 そう言われた直後、アーニは女性から胸倉を捕まれ、道へと放り投げられた。

 暴力から解放された、アーニは一つ安心したものの、頼れるすべが無いことには変わりなく、体力の消耗によって彼女は公園にて力尽き倒れてしまう。


 そうして、目覚めた時に気付いたのは体全体から響く激しい痛みと、少年とおぼしき影から投げられる小石。

 少女に立つ余力などなく、再び目蓋が閉じられようとしたとき、爆音を上げ少女の眼前にスライディングで現れる一台の車がいた。

 車からドアが開かれるとともに、手が差し伸べられ、アーニは力をふり絞りその手を掴んだ。

 掴んだ手によって、少女は引き上げられ、座席へと座らされた。


 少女は呆然としつつ、横の人物を眺める。


「忘れたのかい……?まあ、仕方ないか。あんたのおばあちゃんだよ」

「え……?」


 呆然としているアーニを見てため息をしつつ、笑みを見せる。


「あんたが覚えてなくも、私は覚えてるよ。少なくともあんたをバルカニア人だか、グレンケ人だかで傷つけようとはしないよ、安心しな」


 アーニは本当に安心したかのように、女性の体に近づき、静かに泣き出した。


 車を走らせること数十分、アーニは女性の自宅へと着く。

 女性の自宅はユーノプという地域には珍しい東洋風の様式であり、女性自身も東洋風の服装に身を包んでいた。


「私はね、バルカニアじゃ割と力の強い企業グループの会長をしているんだよ」

「そうなんだ……」


 アーニは宅内に飾られた様々なものを見回すうちに、豪華な装飾がなされた鏡に視線が辿り着く。

 その時、頭のなかがぐちゃぐちゃになり、思わず拳を突き出した。

 その拳は祖母に掴まれて制止される。


「やめな、これは私の鏡だ、勝手に壊されては困るよ」

「ごめんなさい……」

「その様子を見ると、色々とあったようだけど、教えてくれるかい?」

「うん……」


 アーニは今まであったことを伝えれる限り伝える。

 ときどき涙を流し、祖母に慰められながらなんとか伝えきった。


「なるほどね、そんなことが……」

「おばあちゃん……なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの……?」


 アーニは目尻に涙を溜めながら、祖母に尋ねる。その声には困惑の色があった。


「そうねぇ……学校も満足に行けてないようだし、教えようか」


 20年前、一つの王国となっていたバルカニアは神聖ユーロピアン帝国との戦争に突入した。

 ユーノプ地域でユーロピアンに次ぐ国力を有していたバルカニアは戦争においても僅かに劣勢という状態であり、ユーロピアンにも損害を強いるはずだった。

 だが、バルカニアの一地域であるグレンケがユーロピアンとの協力関係を締結。

 グレンケの側面からの攻撃によってバルカニアは崩壊し、降伏。

 現在にも続く神聖ユーロピアン帝国属州の一つとなっている。

 そして、バルカニア人はユーロピアン人によって差別され、

人権を虐げられる事態となっている元凶であるグレンケに恨みを持っている。


「だけど……なんで……私がこんな目にあわなきゃいけないの……!」

「そりゃあね、あんたの母親がバルカニア人、父親がグレンケ人だからだよ。その髪もグレンケ人とバルカニア人のハーフだからこそだよ」


 アーニはその言葉を聞き、両手で前髪をグシャっと掴む。


「そんなことなら……私は生まれてこなければよかった……!こんな髪なんて見たくもない、私は…死にたい…。生まれ変わりたい…お母さんとお父さんなんて大嫌いだよ……」


 そう言ったアーニを祖母の平手打ちが襲う。

 体が弱い彼女はよろめいて呆然とする。


「え……」

「そう自分を卑下するもんじゃないよ…!死にたいなんて軽々しく言うもんじゃない…!それにね、私の娘と、私が認めた婿を侮辱されるのは、子であっても嫌だね…!」


 祖母は平手打ちした際に激昂した感情を抑え、呼吸を整える。


「鏡を見たときに壊そうとしたのは、鏡に映った自分を見たくないからか……けどね、もう一度言うけどそう卑下するものじゃないよ、私だってバルカニア人というだけで侮辱されてきた、だけど私は逆に誇りに持ったさ、"あんたたちとは違う高貴な白い髪だ"なんてね、私は心が強かったから良かったが、心の弱い人間は侮辱の対象として付け根われたさ」

「……私に心を強くなれってこと……?」

「そう言うことじゃない、別に心優しくてもいい、ただ私は自分を誇りに持つことが大事って言ってるのさ……」

「誇りに持つ……」

「今すぐは難しいと思うけど、そう思うことが大事さ。そうなれば、鏡で自分をしっかりと見ることだって出来るはずだよ。まあ……私が思うに、世界が先に変わっていくだろうね」

「世界……?」


3年後


 世界情勢はたった3年の間に大きく一変していた。

 ユーロプ地域中央部を占めていた神聖ユーロピアン帝国の姿は当に無く、その支配圏には複数の国家が存在する状態となっていた。


 神聖ユーロピアン帝国が崩壊した要因は様々だが、対外的な要因は主に二つある。

 一つは、神聖ユーロピアン帝国が掲げていた東方政策に基づき、

自身を神聖化していたユーロピアン人から蛮族と呼ばれ侮蔑されていたルセフ人の国家、

ルセフ連邦との戦争が膠着状態に陥った事である。

 ルセフ連邦は蛮族と侮辱されながらも軍事力を増大させ、ユーロピアン人の侵攻を阻んだ。

 何千何万と増え続ける戦傷者、多くの人的資源を浪費し、

反戦主義者の反発もあって神聖ユーロピアン帝国の侵攻は停止され東方政策は頓挫し、

事実上の敗戦となった。

 もう一つは、わずか100年の間に急成長を遂げたメルテア大陸連盟の対外貿易政策との競争に敗北したことである。

 メルテア大陸連盟はその軍事力自体は高くは無いが、

その圧倒的国力による商業生産力は他の大国とは比べ物にならないぐらい高く、

貿易の対外競争力においても群を抜いて高かった。

 その為、海外で進める神聖ユーロピアン帝国の貿易事業にメルテア大陸連盟が介入しあっという間に敗北し、

本国では保護関税政策を用いてもなお安く高性能な製品に太刀打ちできず、

企業は次々に倒産してしまい、多数の失業者が発生し経済力は揺らいだ。

 また、神聖ユーロピアン帝国は海外植民地政策においても差別政策による反乱の他、

現地人労働者を低賃金で働かせていた企業がメルテア製品の安さによって倒産し現地経済が崩壊するなど、海外植民地政策が失敗に終わったことも、崩壊の一因でもある。

 

 侵略戦争の事実上の敗北、貿易競争による競争力の衰退、両大国の軍事的、

経済的な外交圧力の圧迫、帝国経済の瓦解、非ユーロピアン人からの反発及び暴動、

政治的内乱、その他多くの要因によって、

帝国は海外植民地は元より、本国の直轄領及び属州からなる広大な領域を維持できなくなった。

 その結果、その支配圏からはユーロピアン人優越政策に虐げられていた民族からなる複数の国が成立、

西にはナーセオンズ共和国、南西にはルシオン王国、北にはノルゼーラント立憲公国、

東にはポルレノカ共和国、南東にはバルカニア連邦、そして東南東にはグレンケ共和国。

 その全ての国が互いの思想の違いはあれど、共通して反ユーロピアン同盟を構築、神聖ユーロピアン帝国は完全に包囲される形となり、優越政策への恨みによって、すぐにでも戦争に発展しかない状態であり…経済・軍事に疲弊した帝国に勝ち目はないことは誰の目から見ても明白だった。

 

 神聖ユーロピアン帝国が選ぶべき選択肢はただ一つ、"ユーロピアン人優越政策をやめ、

全ての罪を謝罪して協調外交を行うこと"

 当時の政府や議会、そして優越政策に関わっていた有力貴族らは協力して新政府樹立へと舵を取った。

 国名はユーロピアン連合共和国となり、新政府は直ちに優越政策を廃止し、優越政策に絡む全ての罪をユーロピアン人の代表として謝罪を行い、周辺各国との協調外交によって各国が納得する形で、戦争は回避された。

 結果、"帝国は事実上の崩壊を迎えた"


 3年という期間はアーニを精神的に成長させた。

 

「おばあちゃん、行ってくるね」


 彼女の視線の先に女性の姿はない、その代わり写真立てに"祖母"の写真が飾られていた。

 この3年の間に祖母は亡くなっていた。亡くなった原因は老衰、不自由なりに人生を全うした結果だった。

 そして、彼女は再び1人となったが、その心には常の寂しさというものは無い。

 むしろ、彼女は祖母が常に背中を押してくれると思っていたりもしていた。


「さてっ…と」


 彼女は片手に鞄を持ち、鏡の前に立つ。

 3年前とは違い、彼女に鏡に対する嫌悪感はない。むしろ、どんなことがあっても自分を美しく綺麗に映してくれるものとさえ思っている。

 また、自分を誇りに持っていた。もう両親への嫌悪感というのはなく、生んでくれた事に対して感謝もしていた。

 彼女は鏡に、いや鏡に映る自分に話かける。


「おばあちゃんの言う通り、世界は変わったよ。国際情勢とか難しいことは私には良くわからないけど、少なくとも私の回りは平和だよ」


 国際情勢というものは、一介の女性にとってはニュースに映る表面的なものしかわからないのは当然だった。

 世界は平和というにはほど遠かった。

 ユーロピアンの残された負の遺産に加え、ユーノプ地域で経済支配を確立させたメルテア大陸連盟と、軍事力を背景に周辺諸国へ圧力を強めるルセフ連邦の政治的対立が始まっていた。

 だが、ユーロピアン含めたユーノプ諸国はこの争いに基本的に無関心であり、少なくとも市民の間で軍靴が鳴り響く音はしなかった。


「そういや、おばあちゃんが私に誇りに持てって言った事、あの首相も言っていたね」


 それは帝国がユーロピアン連合共和国へと再編され、優越政策が廃止となった日の首相演説である。


『国民……いえ、全世界の皆様。私はユーロピアン連合共和国首相となったオットー・バレンネンです。

皆様、この時をもって帝国が進めていたユーロピアン人優越政策は廃止となりました。

初めに私の紹介を簡単にしておきますと、私はユーロピアン人とナーセオン人のハーフであり、髪も高貴とされた色の持ち主ではなく、どちらかといえば優越政策で差別される側の人間でした』


『さて、まずユーロピアン人の方々にお伝えしたことがあります。

優越政策の廃止によって、あなた方は非ユーロピアン人の方を侮蔑する、なんてことは出来なくなりました。それでも意識が変えられない人は一度鏡で自分の顔を見てください。

そして鏡に映った自分と、周りにいる非ユーロピアン人の顔を見比べてください。

優越政策によってユーロピアン人がどれだけ神聖化されようが、あなた方は同じ人間です。

蛮族と呼ばれてきたルセフ人は我々とは顔も形も違う……なんてことはありません、同じ人間です』


『次に非ユーロピアン人の方々にお伝えしたいことがあります。優越政策の廃止に伴い、あなた方はユーロピアン人と同じ権利を得て、同じ義務を果たすことになります。

あなた方に課されていた不当な罪も抹消され、全ての事件は正されていきます。

これからの生活に希望が持てない方、自信を持ってください。

自分の外見で差別されるかもと恐怖を抱えている方々、自分に誇りを持ってください。

優越政策の廃止によって、皆さんは同じ法律の下で保護される存在となりました。

それでも不当に扱われ、差別を受けるのであれば、それは行政処分や司法の出動の対象となるでしょう。自信や誇りの持ち方が分からないという方は、鏡で自分の顔を見つめ直す事をお勧めします。

他人より醜いなどは考えないでください、他人より美しい、かっこいいとポジティブに考えることで自然と自信を持て、他人からは明るく好印象に映る事でしょう』


『最後にユーロピアン人、非ユーロピアン人の違いなく全ての皆様にお伝えします。

優越政策の廃止によって全ての人は平等に扱われる事となりました。

それはどちらかが上という訳ではありません。

法律に保護されるというのは法律に縛られることも意味します。

ユーロピアン人が非ユーロピアン人を差別する事はもとより、非ユーロピアン人が恨みによってユーロピアン人に暴力を与えることも犯罪として適応され処罰されます。

これからの世界は民族ごとで分けられる世界ではありません。

全ての人間が個々として扱われ、平等に権利を行使していくこととなります。

全ての人間は平等であります。これで私の演説を終わりにします』


「それじゃ、私そろそろ行かないと」


 身だしなみを整えた彼女は玄関にて靴を履き、鞄を持つ。

 ドアを開ける直前、彼女は家の中に視線を振り向ける。


「おばあちゃん、行ってきます!」


 3年前であれば、彼女自身も信じられなかった笑顔で彼女は家を出る。

 鏡というものは自分自身の感情も映し出す。

 自分が醜いと思ってれば、自分の顔は醜く映り、

自分が綺麗だと思ってれば、それは明るく綺麗に自分の顔を映し出す。


 この話は、人種差別と鏡に映る自分の姿に翻弄された少女のお話。

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