突然の来訪

 どうして私は人間の首を斬らなければならないんだろう。

 いつからそうだったか、もう忘れてしまった。

 首を落とした人間たちは皆、死ぬ前に『死にたくない』と叫ぶ。その声は残響となって何人もの叫び声になる。増幅して頭から離れない。うるさい、うるさい、うるさい! 耳を塞いでも聞こえてくる。


『死にたくない』


 私だって死にたくない。


『死にたくない!』


 どうしたらこの恐怖から逃れられる?


『死にたくない!』

『死にたくない!』

『死にたくない!』


 耳鳴りが鳴り止まない。残響が膨れ上がっていく。


「…………黙れっ!」

「――あれ?」

「!」


 周りに誰もいないと思って油断していた。いつの間にか止めていた呼吸が意識的に戻る。自分でも息が上がっているのが分かった。不自然だっただろうか。だがそう思っていたとしてもそれはどうすることもできない。


「裏業ちゃんじゃない。奇遇だね、おはよう」

「奴良野、水埜辺……⁉」

「な、なんだいそんな大声出して?」


 裏業は思わず我に返った。

 こんなの私じゃない。

 普段の私なら取り乱すことはないのに。どうしてだろうと考えた時、それは目の前にいるこの男が理由だと理解した。この男といるとどうしても調子が狂う。


「……いや、なんでもない。気にしないでくれ」

「気にしないでって言われても……。気分でも悪いのかい? そういえば顔色が悪いような気が……え、血の臭い……? 裏業!」

「⁉」

「どこか大きな傷を負っていないか? 大丈夫か?」


 肩を思い切り掴まれて裏業は少し動揺する。その力は勢いの割には強くはなく、痛くはなかった。彼は何故か心配の色を帯びていた。今までこんな顔をされたことなどあったであろうか。裏業の記憶に残っている限りでは幼い頃のものしかなかった。


「と、とくには負ってはいない。……朝食の支度をしていて、猪の肉を捌いた時の臭いではないだろうか?」


 ああ、柄にもなく嘘を吐いてしまった。どうしてだろう、この男の目を見ていると、何だか心配を掛けたくないと強く思ってしまう。


「そ、そうか。ならよかった。しかし女の子が猪鍋を朝から食べるなんて……」


 勇ましいね、と言いそうになった水埜辺だったが、あと一歩のところで留まる。女性に対してこんなことを言うのは非常識ではなかろうか。いや、水埜辺の妹である水紀里も昔から男に負けず劣らずの勇ましさではあったがそのことを本人に伝えたことがあった日、ほんの少しだけ表情が暗くなったことを思い出していた。だから言うことを止めた。


「……山に出るのはいいけれど、猪狩りは危ないからあまり感心できないな」

「貴様は私の母親か何かか?」

「違うけど?」

「……。奴良野水埜辺。どうして貴様がここにいる」


 そうだ。そもそもどうして彼が奥老院なんかに来ているのか。素朴な疑問が裏業の心をくすぶった。


「んー? 今日も橋具くんに呼ばれたのさ。まつりごとの話をしにね。こっちに裏業ちゃんがいるって聞いたものだから、先に寄ってみたまでの話さ」

「この離れに、橋具様が入ることを許したのか?」

「うん、そうだけど」


 ――あの方はいったい何を考えているんだ?


 いつか自分の策によってこの男を排除するというのに、この奥老院に入ることを許可するなんて。


 ――『お前はこの場所で罪人として裏業わたしに処刑される』と提示しているのと同じことではないのか?


 気付いていないのか、いやこの男なら気付いているかもしれない。だが、彼がもしこの事実に気付いていたとして、私はどうするというのだ。どうすることもできないというのに、未来に抗うのか? 橋具に、逆らうのか? しかし所詮、裏業には関係のない話だ。


「……そうか」

「しっかし、ここは何もない場所だな。寂しい場所だ。嫌じゃないかい?」

「私は橋具様の使用人だから。あの方から頂いた居場所だ、嫌がる理由などない」

「でもここに暮らしているんだよね、一人で」

「ああ、そうだ」

「こんなの、寂しいだろ」

「だから?」


 裏業はピシャリと水埜辺の発言を断じた。その目には光がなく、かと言って諦めた感情でもなく、ただ無の空気が彼女の周りを纏いつく。


「……いや。ごめんね。個人的な話だしね。踏み込んで悪かったよ」

「何の話だ?」


「――兄様!」


 裏業の頭上からひとつの影が落ちる。その正体は水紀里だった。

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