月の夜の晩酌

「……兄上、少しいいか」


 日も暮れ、水埜辺は自室にてひとり晩酌をしていた。月の光がいい具合に縁側にさしており、さかずきの中にも月が浮かんでいる。


「今宵は月が綺麗だなぁ……伊佐……」

「兄上」

「んー? ちゅーならもうしないぞ? 受け付けは既に締め切ってるからなー」

「はあ?」


 水伊佐は心底どうでもいいという表情をした。が、聞かなければ話は始まらない。舌打ちを一回し、水埜辺の隣へと腰かけた。


「……今日、此岸しがんへ出向かれただろう」

「またその話ぃ? もーやだよー、お説教はー」

「またでもだ。どういった話し合いをしたのかは知らないが、本題は――国は我らをどうお考えか?」


 言い方がとても殺気立っている。その声に気圧されつつも水埜辺は応えざるを得なかった。


「あー……うん。それ、その話ね~。……知らねぇ!」

「はあ⁉」

「水伊佐? 先程から何を騒いでいるのです? 失礼いたします、兄様」

「うるさい水紀里! 邪魔すんな。元はと言えばお前が兄上のことを止めなかった所為で!」

「まあっ、何ですって!」

「ちょっと二人とも、喧嘩はだめだよ」

「兄上! 先程の答えは!」

「兄様?」


 双子の威圧に負け、水埜辺は項垂れた。正座をし、気まずそうにその口を開く。


「……だ、だってぇ、話は長いし本心は見えないしなんか黒くうごめく何かが見えたし、ついには今日陰陽師まで出てくる始末だし!」


 水埜辺の喋る勢いに今度は双子の方が気圧される。ついには立ち上がり、晩酌の酒が全て縁側に零れ落ちてしまった。


「もう嫌だ! もー超怖かったんだからな⁉ なんなんだよって! 陰陽師の中で言えば最高位じゃないか。そんな奴なんて連れてきてんじゃねえよ馬鹿がよぉお! そんなの雇える金があるなら、本能寺再建しやがれってんだー!」


 水埜辺はひとしきり月へ吠えた後、二回深呼吸をするもその場にすとんと崩れるように座り込んだ。


「兄様っ」


 一瞬、倒れたのかと思った水紀里は慌てて水埜辺の体を支えた。酔いが回っているのか頬が赤く、体温が高かった。


「兄様? 大丈夫ですか?」

「……終いには、『獣臭い』って。泣きたくなるなあ……。俺はこんなにも人間のことを愛しているのに」

「…………」

「水紀里ぃ……お茶、お願いできる?」

「は、はいっ、ただいま持ってまいります」


 水紀里はお茶の用意をしに一旦台所へと小走りで戻って行った。いい気分で酔っぱらっていたのについカッとなり目が醒めてしまった。と、同時に水埜辺は『しまった』と思った。


「……ちょっと待て。桔梗院、だって?」

「い、いや、それは言葉のあやというか? 酔っていたというか……?」

「なんてことだ。国は我々を排除する気だぞ! これだから信用ならんのだ人間は!」

「まだそうと決まったわけじゃないよ。ただの疫病防ぎに橋具くんが桔梗院を連れてきただけかもしれないだろう?」

「兄上は少しは人間を疑うことを覚えてくれ。国が俺たちを疫病の元凶だと言い続けて今年で何年目だ? 目に見えて明らかだろう。敵とみなしたんだ俺たちを……そうに決まっている……!」


 水伊佐は怒りを隠しきれず、屋敷の柱を思い切り殴った。その振動で柱に若干のヒビが入る。


「……水伊佐。さっきも言ったと思うけどまだ俺たちは……、いや、この山は攻撃されたわけじゃない」

「攻撃されてからじゃ遅いんだよ。兄上も理解わかっているだろう、我々は人間じゃない。なんだ! だがな、妖怪は不老なだけであって不死じゃない……何かあってからでは遅いんだよ!」

「わかってるよ」

「わかってねぇから言ってんだろ‼」


 水伊佐は感情の勢いに身を任せてそのまま水埜辺の胸倉を掴んだ。


「あんた、本当に自覚あるのか? この奴良野のおさとしての自覚が!」

「あるよ。俺はみんなを守るために此岸に行って人間との平和的友好条約を保っている。橋具くんとも仲がいいし、俺が妖怪だってことはまだ知られていない。ほら、大丈夫!」

「ならばどうして今になって陰陽師が出てくる必要がある」


 その最後の一手は水埜辺の心に酷く刺さった。水埜辺の笑顔が一瞬にして消え失せた。


「奴良野が妖怪のいる集落だと気付かれたからだ。あの疫病や怨霊に敏感な橋具だ。おおよそ兄上がその奴良野の出だと知って後で罠にはめ、この山ごと、どうにかするつもりなんだろう。はあ……こんなことになるとは思っていたが、まさか桔梗院まで出てくるとは」


 水伊佐は水埜辺の胸倉から手を放した。二、三歩ほど、よたたと後ろによろけたが、水埜辺はすぐに笑顔を取り戻した。


「まだ、そうと決まったわけじゃない。それは全てお前の中の仮定の話だ」


 水伊佐は黙ってしまった。


「それにあいつらは俺のことを『奴良野山の軍師』と言っているが、本当の軍師は水伊佐、お前だ。お前さえしっかりしてくれていれば大将である俺は自由に生きることができるし、その時が来たら暴れられる。安心して戦ができる。今、お前まで外に出向いてしまっては駄目だ」


 水埜辺はまるで親が我が子を諭すように水伊佐の頬に手を添える。その手は何故か冷たく、そして震えていた。


「やっと見つけた手掛かりなんだ。それを今手放したくはない。……兄上は兄として頼りないかもしれないが、わかってくれな……伊佐?」

「……兄上……?」


 その言葉は水伊佐の心に違和感を感じさせた。「やっと見つけた手掛かり」とはいったい何の話だ。そう声を掛けようと口を開いた瞬間、それは水紀里の入室によって遮られた。


「兄様、お茶をお持ちしました」


 絶妙なところで水紀里が戻ってきた。どこからどこまでを聞かれていたのかは分からないが、その表情はどこか曇っていいるように見えた。きっと話を最初から聞いていたのだろうと水埜辺は感じていた。


「……うん。ありがと紀里。でももういいかな。酔いも醒めてしまった。今日はもう遅いから二人とも早めに休むんだぞ~。夜は冷えるだろうからお腹を出して寝るんじゃないぞ? 風邪をひいてしまうからね。では、お休み!」


 水埜辺はそう言うと、その場から逃げるようにさっさと寝室のある離れの母屋へと入っていった。


「……水伊佐、兄様に何か言ったのですか?」


 水紀里は横になってしまった酒瓶を手に取りお茶を持ってきた盆に片付ける。中が全て零れているので手拭いで縁側を綺麗にする。


「何も……。ちっ」

「ふふっ、何かは言ったようですが、やはり兄様には口で敵わなかったようですね」


 図星をつかれたような表情で水伊佐は水紀里を見た。


「別に、そういうわけで言ったんじゃなくてだな……」


 水伊佐は深く溜め息を吐き、に頭を搔き乱す。


「ただっ、心配なんだよ。ただでさえああいう人だろ。いつか信じていた人間に裏切られた時、どうしてやればいい……?」

「……兄様はきっと、この山を守るためだったら人間に裏切られたところでその身を捨ててでも戦いに行くのでしょうね」

「どうしてあんなにも人間に執着する? 信じて、負けて、今兄上がこの奴良野からいなくなったりでもしたら、俺はどうすればいい」

「……それだけ、兄様の存在は大きいということ。いい加減認めましょう」

「……はぁ」

「それに、兄様を守れなければになんと言われるか……」

「そ、そこで母上の話を挙げるな! ……ほら、俺たちも寝るぞ」

「はいはい」


 水紀里は水伊佐の後ろを盆を持ちながらついていく。ふと、月明かりが水紀里の視界を照らした。今宵は、三日月であった。


 ――ああ、このまま欠けず、時が進めばいいのに。


 しかしそれは祈っても叶わぬ自然の摂理。水紀里は叶わないと知っていても、やはりの為には願わずにはいられなかった。

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