7.デスゲーム

 突然の出来事に混乱する俺の腕を誰かが掴んで引き倒した。仰向けにされて無意識のまま振り回した腕を別の誰かが押さえつける。顎の下で他人の指が蠢き、留め具を外され、ズボッとVRメットを引き抜かれた。消してあったはずの室内灯の光に目が眩む。このマイルームは見覚えがある。部屋の中に見知らぬ人間の男たちが数人いる。


「これで聞こえるだろ? 谷山幸弘だな?」


 なんだ、こいつらは。頭の上にネームプレートがないから、プレイヤーキャラクターなのかノンプレイヤーキャラクターなのか判別できない。バグか、突発イベントのようなものか。


 ぺちぺちと頬を叩かれる。「お前の名前だよ。谷山幸弘だな?」


「何を言っている? 俺はスノーリ……」


 今度はばちんと強めに平手された。衝撃が首の骨まで響く。ドラゴンに殴られても感じなかった痛み。ということは、ここは現実という名の仮想世界だ。強制的にこちらへログインさせられたのか。ゲーム画面に吸い込まれた古いアニメの主人公みたいに。


「谷山幸弘だな?」


 こちらでは、そうだ。谷山幸弘をロールプレイしなければ。「そうですが、何か?」


 背広姿の男たちは顔を見合わせた。そしてどこか怒りのこもったような眼差しで俺を見下ろす。


「何か、じゃねぇよ。ずっとこの部屋にいたのか?」


「はい。ずっと部屋にいました」


「何をしていた」


「ギルド会議があって、その後いろいろあって……ドラゴンと戦ったりとか。エターナルクエストっていうMMORPGで、二十年前のタイトルなんですがVRメットにも対応していて……あっ、そうだ、僕まだ皆と話してる途中だったから……」


 脂ぎったポテチの袋の上に放り置かれている大切なVRメットに手を伸ばすと、男は俺の手首をぐいっと捻った。


「いたたたっ、痛いっ、やめてっ、折れる!」


「お前の両親はもっと痛かったと思うぞ、谷山」


 俺の手首を捻っている男がそう言い、その後ろに立つ年長――といってもたぶんこのキャラと同世代――の男が今にも唾を吐きかけそうな言い様で続く。


「両親を殺しておいて、そのまま何事も無かったようにずっとゲームし続けていたなんてな」


「ゲームなんかじゃない。あっちが本当の現実で俺は……」


 手首がさらにきつく捻じ曲げられて関節が軋んだ。あまりの痛みに意識が飛びそうになる。こんな痛みを味わったのは生まれて初めてだ。もう嫌だ。さっさとログアウトしたい。スノーリならまだしも、谷山幸弘では耐えられない。


「いいか、そんな調子でいれば精神鑑定に持ち込めるとか考えてんじゃねぇぞ」


 男たちの手が伸びてきて、谷山幸弘をロールプレイしている俺は「やめてっ」と悲鳴を上げた。無理やり立たされて手錠をかけられ、部屋から連れ出される。この世界からログアウトするにはインターネット接続が必要なのに。VRメットが必要なのに。


 黒く血の足跡が残る廊下に出て階段を下り、居間の前を通り過ぎる。警察が何人もいて作業していた。あの風船が飛んだ日の夜そのままの室内には腐りはじめた食べ物と溶けきったアイスケーキ。そして悪臭を放つ両親の肉体が転がっている。椅子は恐るべき武器だった。椅子で何回か叩くだけでこの世界の人間は死ぬ。剣も魔法も必要ない。


 〝ゆき! やめなさい! ゆっ――〟


 〝やめて、ゆきちゃん! ごめんなさい! もう言わない! やめてぇー!〟


 モノクロの記憶が両親の叫びと共にフラッシュバックして、俺は身体をくの字に折り曲げてえずいた。ほとんど何も食べてないから胃液しか出てこない。違う、これは谷山幸弘の記憶であり、谷山幸弘の所業だ。こいつはとんでもないクズで、両親に散々迷惑をかけた挙句、ついに殺してしまったが、本当の俺は悪人しか手にかけたことはない。例えば盗賊団〈砂漠のネズミ〉の連中とか……。


 俺が苦しんでいても警察の連中は心が無いかのように背中を突き飛ばし、腕を引っ張って無理やり歩かせた。玄関で埃まみれの靴を履くと、刑事が上着を脱いで俺の頭に掛ける。タバコと腋の嫌な臭いがした。ドアを開けようとして動きを止め、臭い上着を頭から取って手錠のかかった両手の上に掛けなおす。二十年ぶりの外の世界に身体は拒絶反応を示すが、刑事に痛いほど肩を掴まれて無理やり押し出される。


 家の前の狭い路地に止まっているパトカーの回転灯が、子供の頃から見知っているはずの景色を非現実的な色彩に染めていた。まるでバグっているみたいだ。集まった人々のほとんどはこちらにスマホを向けているが、脚立に乗って大きなカメラを構えた奴らもいて、バシャッと激しいフラッシュを焚く。閃光に目が眩んでいる間に後部座席へ無理やり押し込まれた。抵抗なんてしていないのに、なぜ乱暴にする必要があるのかわからない。


「くそっ、ログアウトできれば……」という俺の独り言に警官が反応した。


「なんだ?」


 また手首を捻られると嫌なので余計なことは言わずに肝心要の質問をする。


「あの、これから行くところってインターネットに接続できます?」


「できないよ。もうずっとできないと思ったほうがいい」


 なんてことだ……この世界での死は現実世界での死と同義だ。レベルもステータスも低いこんなキャラでログアウト不能のデスゲームに囚われてしまうなんて……。


 俺は心の底から後悔した。

 こんな事になるなら、せめてドラゴンキャリバーは他の人に譲ればよかった――。



【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る