5.レイド

 ――ああ、頭がいたい。まるで心臓になってしまったみたいにどくんどくんと脈打ち、そのたびに目が内側から破裂しそうな激痛が走る。全身の痛みなんて比べ物にならない。でもお腹は同じくらいに痛い。刺さったナイフの刃がめりめりと少しずつめり込んでくるみたいな激痛。つらい、苦しい、痛い、う、う、う――


 痛みにあえぎながら世界中の町を彷徨い、休めそうな場所では横になって少し眠り、起きて移動を繰り返した。町の宿屋、一面花畑の丘の上、オアシスの木陰。いくつもの悪夢と苦痛を潜り抜けて時間の感覚が無くなった頃、慣れてしまったのか少し楽になってきた。


 砂漠の町アレッサンは外と同じく砂色をしている。常に砂埃が舞い、地面には影がくっきりと強調され、町の人々は誰もが日除けに布を被っている。扉のない立ち飲み屋のような酒場に入って商品リストを見ると、普通の水とは別に〝冷たい水〟というのがあって思わず笑みがこぼれた。ガラスのコップに氷入りの水が入っているようなアイコンだが冷蔵庫なんてこの世界にはない。ああ、でも魔法があるから作れなくもないのか。せっかくなので冷たい水を買って飲む。そんなもので喉の渇きは癒えないけど気分は少し良くなった気がする。酒場のカウンターに座って休んでいると一人の男が店内に入って来て店主と会話する。


「あの盗賊団〈砂漠のネズミ〉が一人の冒険者に壊滅させられたらしい」


「なんだって!? その英雄の名は?」


 それだけ話して男は出て行ってしまった。なんて中途半端な会話だ。その英雄の名はスノーリ、あんたの目の前にいる俺だよ。そう教えてやってもよかったが、自慢するために戦ったわけではなかった……と思う。もうずいぶんと昔の話だから記憶も曖昧だ。そろそろ集合場所に行ってもいい頃合いだろう。体調が戻って良かった。このレイドに参加できなかったら死んでも死にきれない。また同じ男が店に入って来た。


「あの盗賊団〈砂漠のネズミ〉が一人の冒険者に壊滅させられたらしい」


「なんだって!? その英雄の名は?」


「水、美味しかったよ。ありがとう」外に戻ろうとする進路を塞いでしまって、男はその場でクルクルと回転した。「悪いね」と一言謝って通りに出た俺は旅の祠へ向かった。


 〈ブレイブ〉のギルドホールは〈サルサ〉と同じような形だったが大きさは比べるべくもない。各階にはさらに四つずつ個室が付いていて、地下まである。しかし内装はほとんどデフォルト設定のままだった。まるでモデルルームのように、個室にはベッドとサイドテーブルとクローゼットがきっちり同じ位置に置いてある。一階のホールにソファなんてなく、階段横に木のベンチがあるだけ。あまり座り心地は良く無さそうだけど贅沢は言えないのでそこに座って待つ。やがて集合時間が近づくとメンバーたちは次々にホールへ現れた。ギルドチャットは「こんばんわー」「ばんわー」「よろー」の洪水。頭が痛くなってくるので無視した。棒立ちのまま首から上と目だけを動かしているギルドメンバーの間からTa-Keyが抜け出してきて隣に座る。


「こんばんわ、スノーリさん」


「こんばんは」


「いつも座ってますねw」


「立ってると疲れるから。もうおっさんだからさ」


「なるほどw」


 集まったのは総勢三八名。この世界に残っている日本人ギルドでこれほどの人数が集められるのはここだけだろう。ライルが現地までの移動用にパーティーを編成し、「行こう」の一言で各パーティーは移動を開始した。


 ドラゴンロード・ヴァンデルモースは天空に浮かぶ城にいる。まずその城へ上がるために〈ドラゴン教団の総本山〉という火山が舞台のレイドダンジョンを突破しなければならない。この段階ではバランスよく編成されたパーティーのほうがいい。このレイドダンジョンにいる敵もなかなか強いがあくまで本番はこの後である。光の道までの最短ルート上にいる敵だけを排除して先に進む。道中ではぐれたり道を間違えたりといった事故も起こらず、〈ブレイブ〉は一丸となって火山の頂に到達した。ドラゴンをモチーフにした祭壇に触れると、天に向かってまっすぐ光の柱が伸びる。これが光の道だ。ここから天空城の入口まで行けるが、四つの鍵を組み合わせて作れる〈天空城の鍵〉が無ければ中には入れないという仕組み。ライルを先頭にして次々に光の柱へ消えていく〈ブレイブ〉のメンバーたち。否が応にも高まる緊張感がぴりぴりと伝わってくる。


 光の道に誘われた先は、巨大な門の前だった。ドラゴンロード・ヴァンデルモースはこの中にいる。扉の向こうは鍵を使用したグループの一時的な専有インスタンスエリアになるので再出現リポップ待ちも横取りもない。ライルはここでボス戦用にパーティーを再編成した。レイドボスを相手にする時は特定の役割をもったパーティーを作るのが定石だ。何度も合同レイドをやってきたメンバーだけあって再編成の動きは速く、十分もせずに組み終わった。続いて戦術の最終確認。その間に、中へ入る権利を付与するために鍵を複製して全員に渡しておく。


 俺はいわゆるサブ盾チームに配置された。強大なボスと正面切って戦えるメイン盾チームに比べると地味だがいざと言う時の保険であり、状況次第ではメイン盾チームと交代する可能性もある。メイン盾はHPの多さが特徴のオーガ戦士Zodが務める。Ta-Keyは回復魔法チームにいる。


 最後に、遠足みたいだがトイレやらなんやらの確認をしてからライルが鍵を使い、巨大な門が開いた。天空城と言いつつ、それは外観だけで、内部はいわゆる謁見の間みたいな造りの巨大なホールだった。冒険者が十人くらい横並びで歩けそうな幅の赤い絨毯がまっすぐに、これまた十階建てのビルみたいな玉座へと続いていて、そこにドラゴンロード・ヴァンデルモースが鎮座している。ギリシャ神話に出てくるゼウスみたいな姿の巨人だが、HPが80%以下になるとドラゴンの姿へ変わるらしい。


「準備OK?」ライルが最終確認をした。各パーティーリーダーからOKの返事。「Zodの挑発で戦闘開始。いつでもどうぞ」緊張のあまり息を呑む瞬間。武者震いで指が震える。


 メイン盾チームのZodが挑発スキルを使って戦闘が開始された。ドラゴンロード・ヴァンデルモースがズシンズシンと床を揺らして大股で向かって来る。メイン盾チームが位置を固定し、それに合わせてそれぞれ決められた配置に付く。サブ盾チームの俺たちはメイン盾チームの対角線上、つまり敵の背後に張り付いていればいい。何も問題がなければメイン盾が敵視タゲを取ったまま最後まで倒しきれるはずだが、問題発生時にはすぐさま俺が交代しなければならない。ある程度は敵視ヘイトを高めながら、メイン盾よりも高くなってはいけないという微妙なコントロールが難しいところだ。


 事前の情報どおり、ドラゴンロード・ヴァンデルモースのHPが80%を切って本性を現し、ドラゴンの姿へと変わった。ここまでは順調。本来の姿へと戻ったドラゴンロード・ヴァンデルモースが爪を一振りするたびにZodは瀕死になるが、すぐさま回復魔法が飛んで全快する。炎の息、翼を広げての左右攻撃、尻尾による背面攻撃、加えてランダムな位置に流星雨を呼んだりもする。対してこちらも近接攻撃、弓矢による遠隔攻撃、様々な攻撃魔法がバンバン飛ぶので弾ける光でほとんど何も見えないほどだ。俺はとにかく尻尾を見失わないようにしながら、ZodのHPに注意していた。もし彼が死んだら俺の出番がくる。


「70%! 70%!」とギルドチャットに流れた。ドラゴンロード・ヴァンデルモースは海外の攻略サイトによるとHPの減少に伴って攻撃の種類が増える。70%以下になると使用するようになるグラビティホールは自分の前方に敵全てを――つまり俺たち全員を――集めるという攻撃だがこれ自体はそれほど驚異ではない。使用頻度は少ないし、すぐに散って元の位置に戻ればいいだけだ。


「そろそろ50%!」


 一番の脅威とされている攻撃は終盤ではなく、このHP50%ラインにあった。この付近でドラゴンロード・ヴァンデルモースは一度だけ即死級の前方範囲攻撃エレメンタルブレスを使う。これでメイン盾が死ぬかもしれないというのも問題だが、運悪くグラビティホールと被った場合に壊滅させられる危険性があるのだ。そして俺たちは、この最悪に見舞われてしまった。ドラゴンロード・ヴァンデルモースが前方に黒い球体を作り出す。全員が一瞬でそこに引き寄せられた時、やつは翼を広げて口中を七色に光らせていた。あっ、という暇も無い。光の奔流が全員のHPを一気に削っていく。〈ブレイブ〉は次々に倒れていき、そして生き残ったのは……俺も含めて数人だった。


「スノーリ敵視タゲ取って! スノーリを回復!」ライルがギルドチャットで叫ぶ。


 メイン盾のZodは死んでいる。俺がやるしかない。敵視タゲを取って、防御効果バフを更新して、自己回復して――


「スノーリさん向き向き!」


「いやこっちが動けばいいから!」


 ギルドチャットの指示が混乱する。目の前に見えているのは剣みたいな牙がずらりと並んだドラゴンの顎と斜めに走る鋭い爪の軌跡ばかり。でも、とにかくやるべきことをやる。今までの二十年間ほとんどずっとパラディンをやってきたのだ。考えなくても身体が覚えている。Ta-Keyが蘇生役に任命され、まずZodが蘇生されたが、完全に回復するまで五分かかる。それまで耐えれば持ち直せる可能性はぐっと高まる。俺が要だ。この戦いを勝利に導いてみせる!


 五分が経過してZodが立ち上がった。蘇生も進んでいる。持ち直せるぞ。そう思った瞬間、防御効果バフが切れているのに気付いて心臓が止まるほど驚いた。そして実際に、ドラゴンロード・ヴァンデルモースの爪によりHPが0になって地面に倒れる。ドーン、という重低音が頭蓋骨の中に響いた。幽体離脱したような俯瞰視点に変わって、倒れている自分自身を見つめる。


 Zodは間に合ったのか。敵視タゲを取れたのか?

 倒れていると自分中心の俯瞰視点に固定されてしまって状況がよく分からない。

 早く蘇生してくれ。早く……誰でもいい。Ta-Key。


 震える指と焦る気持ちが操作を誤らせた。目の前が暗転した時、何が起こったのか一瞬わからなかった。俺はその場で蘇生を待たずに安全地点ホームポイントへの帰還を選択してしまったのだった。

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